49.
「・・・とりあえず、その恰好なんとかしろ」
土方のうんざり気味の眼差しが飛んでくる。
冬乃は慌てて「はい」と財布を手に立ち上がった。
が、
却ってそれで、座ったままの土方と沖田の視界に、冬乃の、平成の世においてさえ丈の短いスカートから伸びる太腿がしっかりと映って。
「・・・」
完全に呆れたように目を背ける土方と、
苦笑しながら視線を上げて冬乃の顔を見上げた沖田を。
冬乃のほうは見下ろしながら恥ずかしくなって。
(恥ずかしいって意味をわかった気がする)
人が気にする事を気にすると恥ずかしいのだと。
妙に納得しながら、
「貴女の行李は女使用人部屋に在るままだから。着替えておいで」
沖田が促すのへ冬乃は頭を下げて、そそくさと副長部屋を出た。
勿論きちんと障子側からである。
(・・それにしても、お財布)
『タイムスリップ』の瞬間に手にしていた物を、まさか持って来れたとは。
(コレどうしようか)
冬乃は女使用人部屋の押し入れを開けながら、少し困った顔になった。
平成の財布がここにあっても何の役にも立つまい。とりあえず行李の奥底へ仕舞っておくしかないだろう。
(これって、服と同じで、平成の世にもきちんと財布残ってるんだよね・・?)
平成に帰ったら財布が無くなっていた、だとシャレにならない。
(ほんとにどうなってるんだろう・・)
誰でもいいから、どうかこの現象を説明してほしいと、冬乃は盛大に溜息をついた。
いったいどんな法則で、どんな意味があって、・・どんな運命で、冬乃はここに来れているのか。
幾度も。
(なにか意図のある見えない力が働いてるようにしか、もはや思えない)
そう感じてしまうのも、この、飛ばされてくる時期だ。
もう三度も、新選組史、そして沖田の歴史にとっての、なにかしらの事件の前ではないか。
元治元年六月一日。
あと五日で、池田屋事変。
(沖田様・・・)
また戻ってきて彼に逢えたこと、その幸せを噛みしめ。今は、素直にそれを享受して、此処でまた過ごしてゆこう、
もし冬乃に何か出来ることがあるならば、それはおのずと冬乃の前に開けてくるに違いない。
この現象が、何かによる導きであるならば、必ず。
冬乃は、そう思うことにすると、すっかり慣れた動きで作業着にたすきを掛け、行李を仕舞った。
(どちらにしても選択肢は無い)
いつか時が流れて、
沖田の命と向き合う日が来て、
苦しすぎて
いっそ出逢わなければよかったと
そう思う日が、
来てしまうのだろうか。
(それでも、望むよ)
幾度、そんな苦しみに身を切られる想いをするとしても。冬乃は、また沖田に出逢えるのなら、また生まれ変わってでも、繰り返すだろう。
「失礼します」
戻ってきた冬乃の作業着姿に、土方が幾分ほっとした表情で顎をしゃくった。
「座れ」
遠慮がちに正座する冬乃の横で、沖田が水を飲んでいる。
「おまえが何処へ行っていたかは、もう聞くつもりもねえ」
やはり呆れているのか、土方が吐き捨てるように言った。
「そのかわりに聞くが、おまえが此処に戻ってくる理由は何なんだ」
もっともな質問だった。
しばらく行方をくらましては、土方の文机に再び現れる冬乃の、目的が密偵活動ではないと冬乃が言い張るなら、確かに他にいったい何なのかと。
今回なんぞ半年も居なくなるくらいだから、働き口がほしいわけではないのも明らかだ。
そもそも今回は、土方はもう密偵の『み』の字も口にしてこないようだ。
(土方様は、もう私が密偵ではないと言うのを信じてくれてるのかな・・?)
いや、信じるというより、
あまりに毎回、しつこく文机で倒れている冬乃の間抜けぶりに、最早こいつが密偵を務められるわけがないと思っているだけ・・な気もするが。
「・・ここへ戻ってきたいと、願ってはいました。でも、自分の意志で戻ってこれるわけではなくて、」
ぴくりと、もう何度も見た土方の秀麗な眉が、動くのを。冬乃は見とめながら。
「また今回も、思いがけない瞬間に向こう・・未来で、霧を目の前に見て、そしたらここへ戻っていたんです」
「・・未来、かよ」
あいかわらずだな、と土方は、もはや冬乃を追求する様子もなく溜息だけつくと。
おめえが何処から戻ってきたかはさておいても。
前置いて。
「つまり何だ。おめえの意志ではないから、理由は無い、というのか」
(・・・理由は、)
あるはずだ。
「わかりません・・・」
「なら、ここへおまえが戻ってきたい、と願っていた理由のほうは何だ」
冬乃は顔を上げた。
(沖田様にもう一度、逢いたかったから・・)
もちろん口にはできない。冬乃は、小さく息を吐いた。
「ここが・・新選組が好きだからです」
「物好きな女がいたもんだな」
嗤う土方に、
冬乃は、だが嘘は言っていないと、見つめ返す。
「本当に好きなんです。皆様のことが」
「・・・」
土方が、つと試すような眼をした。
「ならば、俺達の役に立つ気はあると、受け取っていいな?」
「え?」
「丁度良い。これからおまえには時々、総司と一緒に潜入捜査をしてもらう」
(え・・・?)
「本気ですか」
横で沖田が、珍しく驚いたような声を出した。
「具体的には、」
土方が構わず続ける。
「長州を匿っている疑いのある、長州贔屓の旅籠に、総司と恋仲のふりをして泊まってもらう。女連れのほうが怪しまれねえからな。・・総司とならいいだろう?」
「・・・」
(うそ・・・)
「どうだ。引き受けてくれるな?」
沖田と恋仲のふりをして旅籠に泊まる。
(なんか、火ふきそう)
顔が早くも火照るのを感じながら、冬乃は小さく頷いた。
断る理由もない。というより、役に立つ気はあるかと問われておいて、この流れで断るわけにもいかないではないか。
(だいたい、)
『総司とならいいだろう?』と言った土方の念押しは、いったい。
(まさか、土方様にまで、沖田様への気持ちがバレてるかもしれないの?)
もしかして、
だから、前に八木家離れの風紀うんぬんと言い出したり、
(襖一枚を気にしたりしてる・・ってこと??)
冬乃が沖田を好きでもなんでもなければ、たしかに、その場の『風紀』が乱れる危険は少なかろう。
どちらかに何らかの気持ちがあるから、或いは乱れるのであって。
そして残念ながら、沖田の側に冬乃への気持ちは無いのだから。
(そういうことなの?バレてたの?)
そう思い至れば最早そうとしか思えなくなってきて、冬乃は背に汗を感じだした。
ちらりと土方の目を盗み見れば、勝ち誇ったような含み笑いがこころなしか垣間見える。
(じゃあ、聞かなくたってほんとは、私がここに戻ってきたかった理由もお見通しじゃん・・)
「嫌なら断っていいんだよ」
横から沖田が心配そうに確認してくるのへ。
冬乃は、ふるふると首を振った。
「お引き受けします」
「・・・」
冬乃はとてもじゃないが沖田の顔を見れないでいるが、恐らくさすがに驚いているだろう。
土方は、ふん、と哂い、「じゃあその節は頼んだぞ」と締めた。




