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45.

 

 

 (なんか、このところ食べても食べても、おなかすいてる・・)

 

 昼餉の席で、冬乃は溜息をついていた。

 

 (でも、ごはん何杯もお代わりするわけにいかないし)

 使用人の身として、そこは遠慮しなくてはなるまい。

 

 (食欲の秋かな?)

 といっても、十月も十日を過ぎ、ここでは最早すでに初冬なのだが。

 

 今日は朝昼とも沖田が、巡察や所用らしく隣の席にいないので、ただでさえ冬乃は気が沈んでいる、・・はずだが、食欲は旺盛なままで。

 (おなかすいた)

 食べながらそんなことを思っている自分に、冬乃は呆れる。

 

 

 

 

 「冬乃殿、」

 久しぶりに聞いたその声に、厨房での片付けを終えて戸の外で背伸びをしていた冬乃は嬉しさに振り返った。

 

 「お元気でござったか。すっかり御無沙汰しております」

 「安藤様。こちらこそ」

 

 冬乃は微笑み返しながら。安藤の手にしている、華やかな刺繍のみえる紅色の紐へ、自然と視線が向かう。

 

 「あ、じつは、これは例の女人からで・・彼女は刺繍が得意でござってな、色々よく作っているようで。そのうちの一本を、冬乃殿へと」

 

 「え?」

 冬乃は目を瞬かせていた。

 礼の女人とは、安藤とお付き合いしている未亡人だろう。

 

 「渡されてから大分遅くなってしまったでござるが、これをお納めくだされ」

 安藤がそう言って、紐を手渡してくれる。

 

 「扱きです。普段お使いでないようなので」

 

 (しごき?)

 

 「あれからすぐ大阪まで行っとりまして、すっかり遅くなってしまったでござるが」

 「いえ、こんな素敵なものを戴いてしまって宜しいのですか・・?」

 「お土産を提案してくださった礼だと申しておったでござる」

 

 冬乃は手の内の、その美しい刺繍を纏う紐を見つめた。

 

 「有難うございます。でもあの、こちらはどのように使うのでしょうか・・」

 「扱き・・を、まさかご存知でらっしゃらぬのか?」

 安藤の驚愕した顔に、冬乃はこくりと頷く。

 

 「・・女人によっては好まず全く使わない方もおるようですが、それでも、ご存じないというのも珍しい」

 安藤は冬乃の、未来から飛んで来た云々の騒ぎを知らないようだ。

 冬乃が畏まっていると、

 「その扱きを腰に巻いて、裾の長さを調整いたす」

 説明してくれた。

 

 (あ、そういう物だったんだ)

 「しかし冬乃殿の、その、扱きを使わずに、かように帯の位置で二重にして挟む方法は、花街の遊女の方などにお聞きになったのかな?このまえ、女性の身で角屋に行かれたくらいだから、お知り合いでもいるでござるか」

 

 (え?)

 

 「扱き無しに、かようにして地に裾を引きずらない程度まで既に持ち上げているやり方は、彼女に言わせると珍しいようでござる。・・女性の着付けに拙者は詳しいわけではござらぬが、そういった珍しいことは、花街の方々が最初に始めるものだと聞いたことがござる故」

 

 「・・・」

 (着付けは沖田様に教わったなんて言えない・・)

 

 しかし沖田から教わったやり方は、恐らくすなわち、露梅のやり方だろう。

 

 「・・そうです」

 「やはり」


 (そういえば、たしかに・・)

 裾を手に支えて歩いている道行く町娘たちの中には時々、背後の腰から帯とは別に、紐が出ていたように思う。ちょうど、この扱きのような紐だ。

 

 (あの紐、なんかの飾りだと思ってた・・)

 

 どうやら、腰に紐をぶるさげていた彼女達の、帯の下でたわんでいた箇所は、あらかじめ帯に挟んで作られたわけではなく、この扱きの紐によって持ち上げていた箇所だったらしい。

 

 

 冬乃は艶やかに微笑む露梅の顔を思い出した。

 安藤の言うように、この時代の京都では、町娘が憧れた太夫や露梅ら天神といった、花街での教養を積んだ女性たちは、しばしば流行の発信源になったようだが。

 

 島原などでは、遊女たちは比較的自由に門の外へ出られたという。露梅たちがお座敷に出るのでは無しに、客との外出等に町を行き来する日には、

 普段の必要以上に長い裾は、あらかじめ帯下に折り込んでしまうこの方法を考案し、始めたのかもしれない。

 

 (これってじゃあ、この時代の京都の、最先端のファッションてことだよね)

 

 

 しかし冬乃がこの方法で裾を持ち上げていて尚、そして、町娘たちは扱きで持ち上げていて尚、それでも手で支えているように、

 当たり前に『粋』とされる裾の長さは、やはり手を離せば引きずってしまう長さであることには変わりなく。

 

 

 冬乃がまた、見た目かまわず早く移動しなくてはならないような時には、この扱きは大いに助かるに違いない。

 

 (今までみたく帯にさらに無理やり挟むより、ずっとしっかり固定できそう)

 

 

 「有難うございます、どうか御礼をお伝えいただけますか」

 冬乃の礼に、安藤が微笑む。

 「承知した」

 

 「今度はその方もご一緒に、また甘味屋さんに行きたいです」  

 まだ見ぬ色っぽい未亡人を想像して、冬乃もにっこりと微笑んだ。安藤が、照れたように頷いた。

 

 

 

 

 扱きを丁寧に行李に仕舞い、冬乃は女使用人部屋を後にした。

 建物の庭に面した副長部屋では、時おり声がする。

 会話の内容までは聞き取れないが、近藤、土方、山南が会話している様子だ。

 

 (お茶でもお持ちしたほうがいいのかな?)

 

 そう思い立って冬乃が立ち止まった時、

 これまで聞こえていた彼らの声とは、まったく別の話し声がした――それはひどく懐かしくもあり、あまりにも聞き慣れたものでもあり、

 冬乃の心を刹那に掻き乱した――――母の声だった。

 

 



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