36.
目が覚めた冬乃は直後、すぐ目の前に沖田の顔を見て飛び上がりそうになった。
(お、沖)
その、ものすごい至近距離で寝ている沖田を、
冬乃はそのまま息をひそめて見つめてしまい。
そして、わずかな違和感のちに。
(あれ?光・・)
目を瞬かせた。
沖田の向こうに光がある状態はおかしくないか。
(たしか私、障子側・・)
混乱し出した冬乃の前、ふと沖田の目が開いた。
(て、きゃあ)
「ふ」
よほど冬乃が驚いた顔だったのか、次には沖田のその目は、面白そうに細められた。
冬乃からすれば、この超至近距離で驚かない沖田のほうが不思議である。
しかもそのまま沖田の眼に見返され、冬乃は固まった。
(え・・ええと)
沖田が目をそらさない。
(なんで)
そらさないのは冬乃も同じなのだが、どちらかというと蛇の視線に捕らえられた蛙の気分の冬乃は、そのことに気づいていない。
「・・・・おまえら、なに朝っぱらから見つめ合ってんの」
そして、その妙な睨めっこは。
第三者の介入によって幕を閉じた。
「おはよ、冬乃さん」
一瞬、介入者の永倉を見やった沖田が、冬乃に視線を戻して挨拶する。
「・・オハヨウゴザイマス」
固まったまま冬乃が返して。
永倉のほうは冬乃たちの足元を通過すると、障子を開けた。
朝の清らかな風と、煌びやかな朝光が滑り込む。
快晴のようだ。
「なに、見つめ合ってるって」
どういうこと?
冬乃の布団の向かいで、尋ねながら起き出した藤堂が、
半身を起こした沖田と、その真横で沖田を向いて横になったままの冬乃を見やって、二人の距離の近さに一瞬息を呑んだ。
「そうしてると、本当におまえら好い仲に見えるぞ」
開けた障子の左右に手をかけている永倉が、なおも揶揄う。
「・・そもそも何で、冬乃ちゃんが沖田の布団に寝てるの」
(え)
藤堂の問いかけに、驚いたのは冬乃だった。
言われてみれば、そういうことではないか。
(ほんとだ、なんで?)
冬乃もやっと起き上がりながら、左右を見渡し。
「俺の布団に入ってきたから」
横で沖田が飄々と答え。
「「え?!」」
冬乃と藤堂の声が見事に重なった。
結局、昨夜の冬乃の状態を沖田に知らされ、平謝りした冬乃は、
いまも思い出して溜息をつきながら、味噌汁の鍋をかきまぜた。
(寝相悪いって思われちゃったよね、もお)
しょぼくれてかきまぜていると、横から「かきまぜすぎや」とお孝の慌てた声がした。
「あ」
はっと中を見れば、豆腐が粉々になっている。
「す、すみません」
「どうしたん。そない溜息ばっかついて」
お孝がもはや笑って、冬乃を覗き込んだ。
「いえ、その色々と・・情けないことが多くて」
冬乃が縮こまっていると、お孝はにんまりと微笑んだ。
「好いた殿方でもいはるんやなあ」
と、いきなり図星を突かれ、冬乃のほうはびっくりしてお孝を見返した。
(私そんな分かりやすい!?)
今の冬乃の反応でさらにくすくす笑っているお孝を前に、冬乃は顔を赤らめる。
「おきばりやす。冬乃はんやったらお相手の方も嫌な気はせえへんやろし」
(うう、)
なんて優しい言葉。
お孝の応援に感動して冬乃がぺこりと返すと、「ほな、よそいまひょ」とお孝がにっこりと椀を手にとった。
冬乃は、表で不意に起こった近藤の声に顔を上げた。
日増しに寒さが増し。風呂も終えてまだ誰も戻っていない離れで独り、すっかり凍えた手を温めに、昨日ついに出したばかりの火鉢へかざしていた時だった。
防寒のためにこのところは半分閉めてある雨戸を避け、障子を開けて入ってきた近藤の顔は、心なしか緊張した面持ちで。すっかり暗くなった外から、続いて斎藤と藤堂が、やはりどこか緊張した雰囲気で入ってくる。
(どうしたんだろう・・)
沖田達との共同生活にもすっかり慣れ、沖田との関係はあいかわらず進展が無いままながら、冬乃は、心に再び戻っている溢れるばかりの幸福感に、感謝してもしたりない、そんな平穏な毎日を過ごしていた中で。
(そういえば今日・・何日だったっけ・・?)
使用人の仕事は当初の想像以上に大変で、毎日忙殺されていると日付の感覚も薄れてくる。
(今日は確か、・・)
そっと指を折り、数えてみる。
九月二十五日
思い至ったその答えに。
そして、冬乃は息を呑んだ。
(永倉様と中村様の)
二人は、
かねてから組で泳がせていた間者とおぼしき四名と今夜、祇園の揚屋、一力へ呑みに行っているはずだ。
永倉の遺した手記によれば、途中からいっとき席を外したその四人が、見知らぬ浪士達と、別室で密談しているところを永倉は目撃し、彼らが間者であることを確定したという。
近藤達の、この様子では、
おそらく近藤の命を受けて斎藤達が永倉の様子を見に訪ね、永倉から四人の行動の報告を受けて戻ってきたところなのだろう。
「大丈夫だ、総司達がこれから巡察に出る。そのまま向かわせ、念のため待機させる」
近藤が言った。主要な固有名詞を省いているのは、冬乃の存在があるからだろうか。
冬乃は素知らぬふりで、火箸を手に炭を足した。
夜半になっても永倉も沖田も戻らなかった。井上もいない。
永倉の手記には無かったはずだが、この様子では、沖田と井上達は一力の別室に夜通し控えているのだろう。確かに、近藤が永倉と中村ふたりだけを危険の中に残しておくはずがない。
どことなく重い雰囲気の中、残りの皆は床に就いた。
(そして明朝は、・・)
目を瞑り。
―――また血をみることになる
冬乃は、細く押し殺した息を吐いた。




