35.
「あの、斎藤様」
皆が起き出してしたくを始めている中、
原田が井戸場へ出て行ったのを見計らい、冬乃は斎藤のところへ行って、ぺこりと頭を下げた。
「昨夜は、有難うございました」
顔を上げた冬乃に、斎藤がいつもの無表情で頷いた。
傍にいた藤堂が「全く、原田さんったら」と呟いて。
原田は一度はあれから自分の布団に戻ったというのに、今朝起きたらまた移動していたようで、今度は藤堂の腹に足を乗せていて、藤堂が寝苦しさに起き出した始末。
「いちど布団ごと縛り上げてやりたい」
藤堂がなんだか嗜虐的なことを続けて呟くのへ、冬乃は苦笑する。
やがて皆、それぞれ礼服を取り出す中、冬乃は行李を置いてある女使用人部屋へと戻った。
これから芹沢と平山の葬儀だった。
冬乃と沖田が芹沢達の部屋に居た時に入ってきたあの平間は行方不明のままで、事情を知らない藤堂達は、賊に拉致されてるのではないかと心配している。
実際のところは、暗殺の際に別間に居て逃げる時間があった平間は、今はもう京には居ないはずだ。
粛々と葬儀が終わり、各々が壬生寺から黙して戻る道で冬乃が、近藤土方と共に少し前をゆく沖田をそっと見やった時、
「冬乃殿」
背後から声をかけてくる人がいた。
「はい」
驚いて振り向いた冬乃の目に、坊主頭の男が映った。
「お。近くで見ると、本当にお綺麗ですな」
そのいきなりの賛辞に目を丸くした冬乃に、
「ずっと声をかけようと思っとりました。拙者、安藤早太郎と申す。助勤をしております」
「あ・・」
(この方が・・)
組形成時からの古参隊士の一人であり、のちの池田屋襲撃で、深手を負い、それが元で亡くなったとされる人で。
(そして)
野口という、芹沢と同じ水戸出身でありながら、芹沢一派とは少し距離を置いていたために今回粛清を免れたものの、のちに結局何事かで切腹を言い渡されることとなる古参隊士がいるが、
安藤は、一説には、その野口を介錯した人としても伝えられている。
「お世話になります。よろしくお願いいたします」
返した冬乃に、
「お世話になるのは拙者のほうでござる。貴女がたのおかげで、美味しい食事にありつけ、掃除の行き届いた気持ちのいい部屋に住める。有難う」
安藤がにっこりと返してきて。
(良い人・・!)
早くも冬乃のなかの良い人リストに名を連ねたこの彼は、年の頃四十はいっていたはずだ。坊主頭なのが気にはなるが、
たしか彼は、若いころから弓の名手として名を馳せたものの、慢心を咎められた事もあり、のちに僧として過ごした日々があった人で。その時のまま髪を伸ばしていないのだろうか。
(慢心を咎められるような人には、とても思えないなあ・・)
僧になって得たものが多かったのだろうか。
「しかし聞き及んでいるように、冬乃殿は、斬新なお方だ」
え、斬新?
冬乃は続いたその安藤の台詞に、首を傾げた。
今日は葬儀だったから、さすがに髪なら下ろさずに、日本髪結いでこそないものの、まとめて上に結んでいるのに。
「そうまでなさらないと、相当歩きづらいのですな?」
と、安藤のちらりと寄越した視線の先は、冬乃の裾だった。
もはや足首がしっかり見えるほどまでに、裾を始めから帯に折り込んでいる状態なのを言っているのだ。
「はい・・」
気まずい笑顔を返した冬乃に、安藤が微笑う。
「着物なぞ、まずは機能的であるべき。宜しい事かと」
(やっぱり良い人だあ)
冬乃は嬉しくなって安藤に会釈する。
「私なぞは昔、・・」
そして安藤が昔語りを始めて。屯所までの短い帰り道に、冬乃はずっと安藤と会話をして帰ってきた。
安藤と別れ、仕事着に着替えて厨房へ行くと、茂吉が今日の仕事内容をあいかわらずの早口で言い連ねてきて、冬乃は慌てて脳裏に記憶を試みる。
これは今日もきっと、一日忙殺されて終わるだろう。
そして。
それどころか、
(沖田様にあれからぜんぜん逢わなかったな・・)
夕餉の席にも彼を見なかった冬乃は。消沈していた。
しかも、仕事を終えて、風呂を出てやっと八木家離れへ戻ってくると、少し前に沖田と井上が、夜の巡察へと出て行ったようで。
聞けば帰るのは深夜になるという。
(これじゃ本当に、今日はもう顔を合わせずに終わるのかな)
「原田、おまえ壁ぎわだからな」
もう起こしてくれるなよ、と言わんばかりに土方が、原田に壁を指し示しているのを目の端に、そうして冬乃は沖田を想って溜息をついた。
やがて皆で布団を並べてゆく。
土方の言いつけにより、今日の冬乃は、壁ぎわへ追いやられている原田と正反対の、昨夜の原田の位置である。
そして昨夜の井上の位置に沖田が来るようだが、もちろん今その布団の主は不在だ。
真横の障子から外の冷気が漂っていた。
布団にくるまりながらも冬乃は身震いし、障子から少しでも距離を置こうと、今はまだ不在の沖田の布団のほうへと身を寄せた。
深夜に帰ってきた沖田が目にしたのは、沖田に割り当てられているはずの布団の半分までを、冬乃が占拠している状況であった。
「・・・」
今度は冬乃が原田状態になっている。
そう思えば笑いそうになりながら、沖田は己の掛布団まで巻き込んでぐるぐるにくるまっている冬乃の足元の畳に立ち、さてどうしようかと困る。
ぬくぬくと寝ている彼女は幸せそうだが、その丸太状態を見るに。
(よほど寒かったのか)
確かに障子のほうからは、かなり冷気を感じる。
結局、冬乃を沖田の布団へ完全に移動させ、沖田が障子側の布団に寝ることに決めたものの、
どちらにしても冬乃から、己の掛布団を奪い返さないとならないだろう。現在のところ冬乃は、冬乃の掛布団と、沖田の掛布団に、見事なまでに二重にくるまっているのだ。
勿論いま、押し入れを開け、新たな掛布団を取り出すのは憚られた。やれば、誰かの頭を踏むことは確実だ。
そういう心配の無いよう、夜に巡察に出るときは皆、あらかじめ風呂場に行李を置いておき、着替えはそこで済ませてから戻ってくる。
(しかし、どうするか)
沖田は今一度、冬乃を見下ろす。
よく見れば、しっかり掛布団の端まで握りしめているではないか。
これではますます、冬乃を転がして外側の沖田の掛布団を一枚剥ぐにも一苦労だろう。かといって起こすには忍びない。誰かの頭を踏んででも押し入れを開けるか。
(弱った)
暫し途方に暮れて、沖田は。だがやはり、意を決して冬乃を転がすことにした。
とにかくまず、掛布団を握り締めている冬乃の指を外すべく、障子側から冬乃の横へ向かい、胡坐をかいて座り込んだ。
元沖田の布団のほうに向いている彼女を、こちら側へ向かせ、その細い指をそっと丁寧に開いてゆく。
「ン…」
開いてゆく先から、今度は沖田の指を握り締めてくる冬乃に、沖田は苦笑し。
その、幼子が親の手を握って安心するかの穏やかな寝顔に。もはや沖田は、冬乃に指を握らせたまま、暫し彼女を見守った。
だがそのうち障子からの冷気に、さすがに背が冷えてくると、沖田は掛布団奪還に向けて再開すべく、
己の指を握り締める細い指の束をそっと外し、彼女が再びどこかを握る前にと早々に、彼女をくるむ外側の、沖田の掛布団の端を持ち、開いた。
やはりというか、沖田の掛布団は、彼女の体の下まで潜っている。
(転がすよ)
心内で彼女に声をかけつつ、沖田は後ろへとあと少し下がり、片手に掛布団の端を持ったまま、己のほうへと冬乃を転がす。
冬乃の本来の掛布団を纏ったままに彼女が、沖田の膝元まで来たところで、彼女を少し浮かせ、最後まで下敷きになっていた己の掛布団の残りの端を引き抜いた。
成功だ。
起こしてはいないようだった。
(まったく)
冬乃を元沖田用の布団の中心へと戻し、奪還した掛布団を被って横になりながら、再び苦笑が込み上げる。
どうも大小様々な事で、彼女には手間をかけさせられてばかりだと。
彼女が密偵である容疑は、
慎重な土方が一抹の疑いをあえて捨てないでいるだけで、もう立ち消えているといったほうが正しい。
彼女を監視を含めて面倒見続けるなど、ゆえに本来ならば不要に等しく。
冬乃の未来を知るかの如き発言に危機感がある土方のために、むしろこのところは、その面での監視が中心となっているとはいえ、
それも偏に、彼女がここに居続けるからであり。
居ないならば、構うことではない。
土方とて、まだ半信半疑な以上、彼女を利用しようと本気で考えているわけではないのだから。
(俺とて、)
己で彼女に言ったではないか。
冬乃が密偵の類いでないならば、どこで何をしてようと構わないと。
それなのに、
彼女は『この時代で』居場所はここしかないと言い、
使用人になってまで居続けている。
己はそんな彼女を、事ある毎に、もはや当たり前のように気にかけている。
冬乃でなければ、果たしてこうまで面倒をみているだろうか。
嫌だと思わぬのは、
冬乃だからか。
(・・・何を問うているんだ)
沖田は。我に返って自嘲した。
(寝るか)
「ん…」
冬乃がこちらへ寝返って。沖田は、冬乃の気持ちよさそうな寝顔にかかる彼女の髪を、手を伸ばし、よけてやった。
(おやすみ冬乃さん)
目を閉じた。




