33.
朝が早かった隊士達へ、茂吉と急いで早めの朝餉を出してのちも、厨房での仕込みの仕事やら掃除洗濯で明け暮れた一日を終え、
冬乃は独りひっそりと八木家の風呂場を使いながら、ついに差し迫った夜に今なお困惑していた。
(沖田様と一緒の部屋・・)
それは本来ならば、嬉しいはずなのに。
あいかわらず心内は複雑だ。
今日は一日中、『賊に討ち入りされた』隊内は、憤慨しており。
新選組を襲う賊として一番に考えられる長州の、今や政変の後で留守居役と警備人以外は居ないはずの藩邸に、残党が潜んでいる可能性を叫んで、乗り込もうと声高に勇む者も多く。
隊内のそんな険悪な雰囲気の中で、真実は語れず口を噤んでいなくてはならない近藤達の心情を想うと、いたたまれなかった。
会津の御意向による内部粛清だと、世間に知れるわけにはいかない。かといって、隊内の覇権争いによる殺害だと、勘ぐる者に噂させておくまでは仕方ないにせよ、組自らその虚偽を公にすることもまたあり得ない。
組の隊士の殆どが不在だった間に、泥酔して先に帰屯した芹沢達を狙った反幕府側の賊による犯行、
この筋書き以外の何も、あってはならないのだ。
冬乃は、何度目かの溜息をつき。髪を拭いて早々に風呂場を出た。
渡り廊下から見渡せる、芹沢達のかつて居た部屋の縁側には、目がいかないようにしながら、冬乃は土間を通り抜け、人気のない真っ暗な八木家の周りをぐるりと回りこんで離れへと向かった。
髪から時おり垂れる雫が、冬乃の寝衣をじわりと濡らす。
(ぜんぜんドライヤーがない状況に慣れないな。冬は風邪ひきかねない)
そんな、暗殺の件と関係の無い事をむりやり頭に浮かべながら、冬乃はやがて離れの縁側へと辿りついた。
煌々と障子の内から橙色の灯りがもれている。
草履を脱いで、縁側へとそっと上がり。
どう声をかけようかと動きを止めたところで、あいもかわらず気配に敏い誰かの手によって障子は開かれた。
「いらっしゃい冬乃さん」
山南だった。
「・・貴女も、嫌な想いをしてしまったね」
山南も暗殺に加担した一人だ。彼の一瞬の辛そうな表情を冬乃は見逃さなかった。
「いえ、・・しばらくお世話になります」
冬乃はそっと頭を下げて。
山南に促されるようにして中に入った冬乃の目に、永倉と島田が映った。
他の皆はまだ帰っていないようだ。
「こんばんは、冬乃さん。狭くてすまないね」
永倉達も声をかけてくれる。
「そんな、」
慌てて冬乃は首を振った。
「お邪魔します」
「貴女の布団にと思って、今日一日、予備のを干しておいたから、それを使ってください」
奥にひとつだけ押し入れから出されて畳まれて在る布団を差して、島田が言うのへ、
冬乃は驚いてぺこりと返した。
「お気遣いすみません。有難うございます」
「あ、冬乃ちゃん」
そこに藤堂が戻ってきた。
「よう嬢ちゃん!」
続いて原田。
「沖田なら、そろそろ戻るだろうから、もう少し待っててな」
その原田の追わせてきた台詞に、
「え」
冬乃はおもわず首を傾げた。
(そんなに私、沖田様を探してるようにみえた?)
そもそもよく沖田の傍にいる冬乃は、いつでも親犬の後ろをついてゆく仔犬にでも見えているのかもしれない。
「沖田とそういう仲、だろ?」
だが、続いた、にやにやと揶揄う原田のその台詞に、
冬乃は、昨夜の沖田の発言を一瞬にして思い出した。
(あれを、まさか信じたの?!)
芹沢から冬乃を守るために沖田が放った、例の『俺の女発言』である。たしかに原田もその場に居たが。
「「何だ、それ??」」
驚いたのは、あの時まだその場に居なかった永倉達である。
「違うよ、あれは」
藤堂が訂正した。
「沖田が芹沢さんの隣に冬乃ちゃんを行かせなくて済むように嘘ついたの」
芹沢の名が出て。一瞬空気が揺れた。
口にした藤堂も、すぐにはっと息を呑み。
「・・・」
未だ、それぞれの心中が平穏を取り戻すには、やはり暫くの時を要しそうだった。
原田が一呼吸のちに、「なんだ、そうか」と返事をし。
声なく冬乃は小さく頷いた。
「もう来てたのか」
藤堂達が無言でそれぞれ本を読んだり寝転がったりしている中へ、次に障子を開けて入ってきたのは土方だった。
「お邪魔しております」
会釈する冬乃に、今日は憎まれ口が飛んでくることはなく。
次いで入ってきた沖田が、冬乃を一瞥し、とくに声をかけてくる様子もなく押し入れまで移動するとすらりと開ける。
「・・お世話になります」
その背に、冬乃は挨拶を追わせた。
行李を取り出した沖田が、その声に振り返って「こちらこそ」と返してきた。
「あの、そろそろ皆様に」
お茶をお淹れしますね、と冬乃は間が持てずに立ち上がり。
「お、冬乃さんか」
そこにまもなく手拭の桶を抱えた近藤と井上も入ってきて。
最後に斎藤も入ってきて、あっという間に部屋の中は密集状態になった。
(いつもやっぱりこんな狭い状態で過ごしてたんだ)
全員揃ってみると、本当に狭く感じる。
冬乃は当惑して、いったいこの状態にどうやって布団を並べているのか改めて疑問になった。
(・・・近藤様たちだけでも、前川邸の離れを使えばいいような)
だがすぐに冬乃は得心するものがあり。
(そうか)
局長部屋は、これまでは芹沢達の仕事部屋でもあったために、占有できなかったのではないか。芹沢達が屯所に居たことは殆ど無かったとはいえ。
そうなれば土方山南だけが、広い前川邸離れの副長部屋を寝床に使うはずもなく。
(なら、これからは・・・)
芹沢達がいなくなった今。
時期を見て、近藤は前川邸離れへ移るのだろうか。
局長部屋と副長部屋はそれぞれ六畳間だ。間を開け放つこともできる。近藤と土方山南が広々と寝泊まる余裕は充分にある。
そしてそうなれば、近藤を己の目の届かない処に寝かせるはずがない沖田も、合わせてそこへ移動することだろう。
原田達までが前川邸離れに入ることはないだろうが、かといって、ここ八木家離れは近藤たちから遠過ぎることになるので、恐らくは彼らも同時に前川邸の隊士部屋のほうへと移ることになるのではないだろうか。
(となれば、ここに皆で泊まるのも、あと少しの間だけかもしれないんだ)
「・・・」
そう思ってみれば、やっと冬乃は嬉しくなった。
新選組創成期からの中核の全員と、共に床を並べて寝泊まる、
この二度と来ない最後の機会を。
前回同様、部屋に用意してあるやかんに井戸から汲んだ水を入れて、庭先で火を熾すのを藤堂が手伝ってくれて、全員の茶を淹れ終わった冬乃は、
各人の元へと配ってから、再び部屋の隅へ行ってそっと畏まって正座した。
本があるわけでもない冬乃は、どうも手持無沙汰だ。
先程よりは張りつめた空気も和らいだ中で藤堂が、なお居心地の悪そうな冬乃を気遣うように横まで来て座った。
「冬乃ちゃんって、どんな未来からきたの?」
その言葉に冬乃が驚いて藤堂をまじまじと見ると、彼はにっこりと微笑んだ。
(そうだった・・)
藤堂も、初めからまるで信じようとするかの言動を、ずっとしてくれていた。
(藤堂様って本当に優しい・・)
どんな未来
もっとも、それは難しい質問ではあったが。
冬乃にとっては。
(『沖田様のいない未来』)
「・・人も物も増えた世界、です」
「ええ?」
笑って藤堂が聞き返す。
「なにそれ」
「未来は、今より国の人口がずっと増えて、たとえば東きょ・・江戸は人が多すぎて軋轢も多くて皆安らぎを求めてばかりです。物もいろいろ増えて、・・この時代のように何度も大切に使い直したりしなくなりました」
江戸時代は、現在では考えられないほどにリサイクルが当たり前で、地球環境に当然やさしく、効率も良い優れた仕組みが出来上がっていて、
その点で非常に見習うべき時代といわれるのを冬乃は聞いている。
「・・・」
いつのまにか部屋にいる全員が、冬乃に注目していた。
「ふうん。なんだか、未来は良くなるんだか悪くなるんだか、いまいち分かんないね」
「はい。ほんとに」
冬乃は微笑った。
「不思議だな。こうやって話を聞いていると、本当に貴女が未来から来たような錯覚をおぼえるよ」
山南が呟くように言った。
「いや、御免。正直に言えば、私は貴女が未来から来たと信じてはいないんだ。いつか記憶を取り戻す日が貴女にくると願っているよ」
山南も、冬乃が記憶を失っていると思っているようだ。
誠実に、包み隠さず心の内を話す山南に、当然冬乃は、信じてもらえなくても温かいものを心に感じて、「いいえ、有難うございます」と頭を下げた。
「俺は信じてるぜえ」
勿論、原田である。
「ありがとうございます」
冬乃は相好を崩した。
沖田様は・・
冬乃は、つい沖田のほうを見た。
いつも冬乃が未来から来たという前提で会話をしてくれるが、本当のところそれを信じているのかどうかまでは、定かではなく。
ただ、冬乃という人そのものは信じてくれている、それはもう、すでにずっと強く感じている。
視線を寄越されて沖田が、口元を笑ませた。
「俺も信じるよ」
(本当に・・信じてくださるのですか)
土方が一瞬、沖田を見やったのを、冬乃の目は捉えながら。
(どちらであっても。そう言ってくださるだけで、やっぱり嬉しいです)
冬乃はぺこりと会釈を送った。
「さて、」
近藤が、茶を飲み干して声を挙げた。
「皆、そろそろ寝るしたくをしようか」




