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32.

  


 沖田が去った後、露梅が「お隣、座ってもええ?」とその鈴のような声で冬乃を向いた。

 

 冬乃は頷いて。

 気まずいにもほどがあるとは思いながら。

 

 

 「・・冬乃はんは沖田センセのこと、ほんに好いてはるんどすなあ」

 

 そして、その突然の切り出しに、冬乃は。

 すぐには声も出せずに、露梅を見やった。

 

 

 「そんなこと・・ないですよ」

 やっとのことで言葉を押し出した冬乃に、

 だが露梅はくすりと微笑い。

 

 「うそ。見てればすぐわかります」

 

 

 「・・・」

 それは露梅が女性同士の勘ですぐわかるという意味なのか、

 万人の目に明らかなのか。つまりは、

 沖田の目に、明らかだというのか。

 

 再び押し黙ってしまった冬乃に、

 露梅がますます笑い出して。

 

 「冬乃はんて、ほんに、かあいらしいわぁ」

 

 

 (・・・貴女のほうがよっぽどカワイイし)

 

 冬乃の目からすると理想の女性像みたいな露梅に言われても、揶揄われてるようにしか思えない。

 

 今度は渋面になってしまった冬乃に、


 「沖田センセなら、うちのことなんて、なあんとも思うてへんよ」

 

 冬乃からすればまたも唐突に。露梅が言った。

 

 

 (・・・え?)

 

 「うちは閨のお供をさせてもろてるだけ・・それ以上なあんの関係もあらしまへんのえ」

 

 (・・・)

 体だけの関係、といいたいのだろうか。

 

 

 (それでも、・・)

 もし心がだめでも、体だけでも繋がることができるなら

 

 (私には羨ましいのに)

 

 

 「・・・」

 

 よほど物言いたげな目をしていたのか、

 露梅が、くすりと口角を上げた。

 

 「冬乃はんはまだ、殿方はんと共寝しはったことは無いんどすなあ」

 

 その言葉に冬乃が顔を背けるのへ、露梅もまた視線を外し。

 

 「そない日が来たら分かります。抱き合うだけの関係なんて、無いほうがましゆうこと」

 

 その声が、どこか寂しげで。

 はっと露梅を見やった冬乃に、ただ露梅は人形のように微笑んだ。

 

 「もう寝まひょか。あ・・憚り行かはる?」

 お手洗いのことだ。冬乃は頷いた。

 

 「ほな案内します」

 

 

 それからは二人は無言で。

 部屋に戻り、枕を並べて横になりながら、冬乃は露梅のことばを静かに胸に反芻した。

 

 

 抱き合うだけの関係なんて、無いほうがまし

 

 (それは、この同じ世界に居る人どうしだからこそ)

 

 逢う事さえ叶わないと、ずっと諦めていた冬乃からすれば、

 たとえ沖田の心にふれられなくても、その肌でふれあうことができるだけで、きっと・・

 

 

 (・・・でも、露梅さんの言うように、結局それではだめなのかもしれない)

 

 今だって出逢えた奇跡だけで満ち足りることが、どうしてもできなくなっているように。

 

 

 (わからない)

 

 だけど。露梅のあの台詞は、他の客とのことではなく沖田との関係のことを言っていたのだろう、だとすれば、きっと沖田のことを好きなのだと、

 それだけは、感じとれて。

 

 

 (露梅さん・・)

 

 

 それでも私は、貴女が羨ましい

 

 

 (だって、どちらにしても、私には絶対に叶わない)

 

 決して越えてはいけない線なのだから。

 冬乃と沖田が。

 未来の存在と、

 過去の存在である以上。

 

 

 

 

 (・・いいからもう、寝よう)

 

 やがて聞こえ始めた静かな寝息を耳に。

 冬乃はきつく目を瞑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌早朝、露梅が起き出したのに合わせて、冬乃も起き上がった。

 

 「ほんにええの・・?も少し寝ててもろうても、ええんのどすえ」

 申し訳なさそうに小首を傾げる露梅に、

 「大丈夫です、いっぱい寝ました」

 二日酔いで少しばかり痛む頭を押さえて、冬乃は微笑んでみせる。

 

 廊下からも、すでに喧噪が聞こえている。

 

 

 「いたいた、冬乃ちゃん一緒に帰ろ」

 

 昨日沖田に教えてもらったやり方で袷を紐で着込んだところで、露梅のほうから帯を結びますと言ってくれたおかげで無事に着付けを完成させた冬乃が、露梅と別れて廊下に出ると藤堂が声をかけてきた。

 

 「おはようございます藤堂様」

 「その、藤堂様ってやめれない?」

 「え?」

 

 覗き込むようにして冬乃に笑いかける藤堂に、

 冬乃が目を瞬かせる。

 

 「そうだなー。名前で呼んでもらいたいとこだけど、さすがに断られちゃうよね?」

 「・・・」

 屈託のない笑顔が向けられて、冬乃は言葉が出てこない。

 

 「とりあえず藤堂さん、にしとこうよ、」

 

 「みんなのことも、さん付けでいいと思うよ」

 藤堂が右手に持っていた大刀を腰に差しながら続けて。

 

 玄関で刀を預ける隊士は少ない。本来、揚屋では預けるのが通例だが、角屋も新選組だからと、預かるのは諦めている。

 

 藤堂の刀から冬乃は、目の前の笑顔へと視線を戻した。

 「わかりました。では、・・藤堂さん」

 「うんうん」

 

 (でも、そうは言われても)

 

 はたして、さん付け呼びが冬乃のなかで定着するのか、今から疑問である。

 

 (沖田様は沖田様だし・・)

 

 「しかし今朝は冷えるね。昨夜雨だったからかな」

 廊下を行き来する隊士たちと挨拶を交わしながら、藤堂が身震いする。

 

 「ええと、永倉さんたちの部屋どこだっけ。起こすの頼まれてんだよね」

 藤堂が呟きながら、

 「そういや昨夜沖田が出てってから、いつのまにか原田さんと山南さんも帰っちゃったんだよなあ」

 

 藤堂の続けたその呟きに、冬乃はぎくっとして彼を見た。

 

 「土方さんもいなかったし。あ、近藤さん起こしてこないと」

 置いていくとこだった。と藤堂が笑って、引き返すべく踵を返した。

 「冬乃ちゃん、ちょっと待ってて」

 

 「はい・・」

 

 

 芹沢暗殺の遂行者は、土方、沖田、山南、原田と言われている。

 近藤は勿論委細を知りながら角屋に残っていた。夜中に屯所に忍び込んだ賊による凶行であると印象づけるためにも、近藤まで帰っているわけにはいかなかったからだ。

 

 「あ、斎藤おはよう」

 引き返したすぐ先で、廊下の向こうを曲がってきた斎藤と出会った藤堂が挨拶する。

 

 「おはよう」

 斎藤が答えた、

 

 その声とほぼ同時に、

 

 「御免!!通してくれ!!」

 

 ドカドカと廊下を掛けてくる血相を変えた隊士数名が、廊下にいる隊士達をかきわけ、

 奥の部屋を目指して、冬乃の目の前を走り去ってゆき、

 

 藤堂も追い越し、彼らは近藤の部屋の前につくなり、

 

 「近藤局長!!芹沢筆頭局長が、何者かに惨殺されました・・!!」

 

 叫んで。

 その場に居た者たちは、耳を疑い一瞬声もなく、その場は静まり返った。

 

 

 「・・・それは、真か・・?」

 

 つらりと開かれた襖の向こう。

 近藤の押し殺した声が、静寂に落ちた。

 

 

 

 

 組の全員が急ぎ角屋を後にし、

 駆け付けた近藤達を迎えたのは、会津の検分を終えて筵をかけられた芹沢と平山の横たわる姿で。

 

 「賊が八木家に夜中、押し入ったようだ」

 土方が、抑揚のない声で隊士達に告げた。

 

 筵の向こうに見え隠れするおびただしい血の色が、昨夜の凄惨さを物語っていた。

 

 

 「芹沢さん・・」

 近藤の震える声は、全てを知る冬乃の耳にさえ、心からの痛嘆と哀悼を帯びて響いてきて、

 それは演技などでは決してなく。やはり止むに止まれぬ事情の結果であったのだと冬乃を納得させるに十分だった。

 

 元々演技が出来るような人ではないだろう。

 近藤の嘆く姿に、角屋にいた永倉達を含めた隊士達が、賊の討ち入りだと信じたのも当然だった。

 

 

 心なしか青白い顔をしている土方の隣に、沖田が寄り添うようにして立っている。骸と化した芹沢達を見る沖田の眼は、何の感情も映してはおらず。

 

 沖田が、冷淡なまでにその剣で任務を遂行する一面を持つ事は、後に敵方の遺した証言が伝えていることを。冬乃は思い起こし。

 

 それでいて、子供に優しく、目上に敬愛をもって接する、そんな温情の一面も伝え遺されている彼は。

 そうして人を愛し、他方で人を非情に斬り捨てる、そんな正反対の両面を持ち合わす、

 言い換えれば、己の精神をそうまで厳格に律し得た人であるという事に。他ならず。

 

 

 (だから・・これは、まだ始まり・・・)

 

 これから幾度も。沖田の非情な一面をみることになるのだろう。

 

 

 冬乃は、小さく息を吐いた。

 

 (大丈夫)

 

 彼の戻る先の姿は。

 いつもの、優しい彼なのだから。

 

 

 

 「冬乃ちゃん、」

 

 遺体を清めるために埋葬予定の壬生寺へと芹沢達を運ぶ隊士達を、遠くに見送りながら、

 横で藤堂が沈痛な表情で囁いた。

 「これからしばらく八木さん家に泊まれないよね・・」

 

 現場は、いくら掃除し畳を取り換えても、しばらく血の臭いが抜けないだろうと。

 八木家人達も、いま親戚の家へ行っているはずだ。

 

 (そうだ・・どうしよう)

 

 「ひとまず俺らのいる離れにおいでよ」

 「・・わかりました」

 

 

 (って、今なんて??)

 

 ぼんやり返事をした後から、藤堂の提案が鼓膜に再生され、冬乃は驚いて顔を上げた。

 

 「・・・」

 藤堂の顔を見やって冬乃が、もう一度聞き直さずとも確かに、離れと発音していたはずと思い起こしながら戸惑っているうちに藤堂が、

 「女使用人部屋じゃ、ちょっと夜は心配だし・・」

 と二言めを継ぎ。

 

 「離れはかなり狭いから、冬乃ちゃんには可哀そうだけど」

 (え、いえ)

 そういう問題より、

 

 (沖田様と『同じ屋根の下』ってこと?!)

 

 

 「・・・」

 素直に喜ぶ気分が湧いてこないのは、勿論そうなる大本が芹沢達の暗殺であるからで。

 

 どちらにせよ、冬乃が喜ぼうがそうでなかろうが、確かに他により良い選択肢があるようにも思えなかった。

 

 (・・・全く考えてなかった・・)

 

 

 「冬乃さん、」

 

 その声にはっと顔を向ければ、いつのまにか傍へ来ていた沖田が、心配そうな表情で冬乃を見下ろし。

 

 「しばらく貴女が泊まる場所の事だけど、」

 続いたその台詞にどきりとして見上げた冬乃の横、

 「俺もそれ思って、いま冬乃ちゃんにも言ったんだけど、俺達の離れでいいよね」

 藤堂が繰り返して。

 

 「ああ。それが一番妥当だろうね」

 沖田も。頷いたのを。

 

 今度こそ、冬乃は。

 反応することができないままに。茫然と二人を見つめた。

 

 

   

 

   


 

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