29.
「冬乃、“さん”」
しかし時間を潰すにしてもどうすれば、と、沖田が出て行ってから暫し立ち尽くしていた冬乃に、声をかけてきたのは山野だった。
「何で来れるんだよ、こんなとこに」
普通、夜の遊里に女は来ないだろ
と山野がげんなりした顔を向けてくる。
「召集の場に居て着飾ってるから、まさかとは思ったけど」
「貴方に関係ないことです」
ほっといて
と言わんばかりの眼で山野を見やった冬乃に、
山野が肩をすくめる。
「まだ怒ってるのかよ」
(あたりまえでしょ!)
つんと目を逸らした冬乃の視界に、
(ん?)
ふと、こちらにすごい勢いでやってくる男が映った。
「貴女は・・!どこの店の子?!」
(え)
「蟻通さん、この女は店の女じゃないっすよ、」
山野が少し苛立った声を出した。
「組の使用人ですよ」
「し、使用人?」
「そうです。貴方は大阪から戻ったばかりじゃ知らないでしょうけど」
「あ?ああ、まったくだよ、今夜のことだって、屯所に戻ったら皆して出かける支度してるから、何事かと思ったら」
知らせておいてくれたっていいじゃないか、と、ぶつぶつ言っている目の前の男を冬乃は唖然と見上げる。
(蟻通って聞こえたような)
だとすれば、
蟻通勘吾・・?
のちに、土方と共に函館まで行き、最後まで新選組として戦った、数少ない古参隊士の一人だ。
「で、こんな綺麗な子が、本当に里の女じゃないのか??」
まじまじと見られ、冬乃は恥ずかしくなって目を逸らす。
「そう、だから残念でした!」
早く向こうへ行ってくれ、とばかりに山野が、逆毛立てた猫のような顔で言い返すのを前に、
冬乃は困ってぺこりと会釈する。
「冬乃と申します。よろしくお願いします」
「あ、蟻通勘吾といいます・・!」
(やっぱり)
「では、冬乃さんっ、いつから組で働いてるんですか」
乗り出してくる蟻通に、冬乃は後ずさりつつ、
そういえばいつからになるんだっけと一瞬答えに詰まる。
平成と幕末を行ったり来たりしていて、混乱しがちだ。
(ええと、八・一八政変の十日後だったから、)
「八月末からです」
「そんな前から居た??」
「あ・・働き始めてすぐまた実家へ戻っていたので、まだ日数はそんなに」
そうなんだっ、と蟻通が呟いて。
「実家って、どこの郷の生まれなの??」
どこのくに、と聞かれても。冬乃はさらに詰まる。
平成での東京だから、江戸?
「え、えどです」
「なんで京へ??」
「江戸だったのか?よく半月で行って戻ってきたな・・早籠でも使ったのか?」
蟻通を遮って問うてきた山野の質問に、冬乃は固まった。
この時代、江戸と京都の往復は、普通は徒歩か、せいぜい早籠だ。馬や海路は一般的ではなく。
とはいえ、早籠は値が張るので、使用人をしている身がそうそう使えるものではない。
しかし徒歩ならば、男性でも平均で十日以上かかる。まして女性の足では。
(あれ。でも、この人、私が未来から来たこと信じるって言ってたんだっけ)
「な、なんだよ」
急にじっと見た冬乃に、山野がたじろぐ。
「・・・じつは未来に帰っていた、と言ったら信じますか」
「「え?」」
山野と、同時に聞き間違えかと声を挙げた蟻通の声が。そして見事に調和した。
「・・・未来ってそういえばおまえ、それ何年後なんだっけ?」
暫しの沈黙を最初に破ったのは山野だ。
「百四十年後です」
「・・・」
「え、ちょっと待って、何の話」
我に返った蟻通が割り込んでくる。
「私は、百四十年後の未来から、時間を飛び越えてここへ来たんです」
言ってて我ながら狂った話だと、情けなくなりながら、冬乃は言い切る。
「「・・・・」」
再び襲ってきた沈黙に。
冬乃も、何もそれ以上いえず押し黙り。
やがて、「どうしたの、この子」と言わんばかりの顔で、蟻通が山野を見やって、
もはや苦笑する冬乃に、山野が蟻通を無視して向き直る。
「いいよ、とりあえず俺はおまえが、どれほど先の未来から来ていても信じるから」
自分で何を言っているかを山野が本当に分かっているのかは謎になるが、冬乃は苦笑ったまま「どうも」といつかの時のように返し。
蟻通は、ぽかんとしたまま、そんな二人を見比べ。
「まー、副長の部屋で頭打って倒れてたらしくて、彼女は以前の記憶がないっていう話もあるそうなんですが」
と半ば、この場では助け船になるような事を山野が次いで言うのへ、蟻通が一呼吸おいてやっと納得したような顔になり。
(・・・まあいいか。)
「それは・・かわいそうに・・」
「いえ、私なら大丈夫です・・」
それにしたって副長の部屋で頭打ってる、ってどういう状況。と突っ込みどころが色々あるように思うが、
そんなことは気にならなかったのか、蟻通が心底同情した表情で冬乃を見てくるので、冬乃は蟻通のその実直そうな性格に、早くも好感を持った。
(山野さんと違って安心できそう)
ちなみに冬乃のなかで、山野を様付けで呼んでいないのは仕方がないことである。
「そういえば、宴席には皆様、だいぶ揃ってらっしゃるんでしょうか」
山野たちと話している間も、続々と隊士たちが奥の間へと向かっていた。
すでに団欒の声も聞こえている。
「だな。行ってみるか」
山野が頷いた。
「あ・・私はもう少しここで」
(沖田様の帰りを待ちたい)
「ちょっと用事がありますので。お二人はどうぞお先に行ってください」
山野が一瞬訝しげな顔をしたが、珍しく特に追求はしてこなかった。使用人として何か裏方の手伝いでもするのかと思いなおしたのだろう。
「冬乃さん、いろいろ辛いこともあるだろうけど気を確かにね!またお話しよう!」
蟻通が、どうやらすっかり冬乃のことを記憶喪失だと確定している様子で、気遣った声をかけてくれる。
冬乃はにこりと返して、二人の背を見送った。
沖田達が戻ってきたのはそれから少し経った頃だった。
斎藤と藤堂が、表で隊士達に何か指示を出している。
中に一足先に入ってきた沖田が、冬乃がまだ元居た場所に立っているのを見て驚いた様子で、肩にかかった雨を払いながら向かってきた。
「宴席で待つのは辛かった?」
ごめんね、と言ってくるのへ、冬乃は慌てて首を振る。
ただ沖田を待っていたかった、と言うのもどうかなので、冬乃はどう返そうかと戸惑ったところへ、
「あれ、冬乃ちゃん」
藤堂も入ってきて、冬乃を見つけて声をかけてきた。
「さっきはお疲れ!店あちこち回るの大変だったでしょ」
「いえ」
再び首を振る冬乃に、
「おかげさまで捕り物は無事終わったから!」
と満面の笑みが向けられ。
「たいした抵抗もされずに済んで、一網打尽にしてきたよ!」
そして、これまた散歩帰りの世間話のように、にこにこと告げてくる藤堂に、冬乃はもはや感嘆する。
へたすれば命のやりとりになるというのに。沖田や藤堂にとっては、死は散歩にいくのと同じほどに身近で当たり前のものなのだろうか。
(武士、なんだなあ・・)
妙に切なくなって冬乃は、一瞬目を伏せた。
それから顔を上げて。
「おかえりなさい」
沖田と藤堂の目を交互に見て、冬乃は心を込めて迎えた。
冬乃の前で二人は顔を見合わせた。
「ただいま」
そして其々、穏やかな微笑とともに冬乃に返し。
「じゃあ宴席へ行こうか」
まもなく戸口から斎藤も入ってくるのを目に、沖田が促した。




