24.
なぜ沖田が笑い出したのか、初めは分からずにきょとんとした冬乃だったが、
自分の言った台詞をよくよく反芻してみれば、たしかに変な台詞だったように思えてきた。
悩んでいた様に見えたようだし、珍妙な事でわざわざ悩む変な人だと思われたに違いない。
「で、腹が減るとはどういう事なのか、答えは出たの」
そんなわけで、買い物からの帰り道。
冬乃のかさばった荷物を持ってくれている沖田が、まだ思い出すと可笑しくなるのか、噴きながら聞いてきた。
この質問は行きにもされて、これで二度めである。
(完全にからかわれてる・・)
「まだ出てないです・・」
行きの時と同じ返答をしながら、冬乃は顔を紅くする。
もっともあれから、その件での思考は停止している冬乃である。
「じゃあ答えが出たら教えて。真っ先に」
勿論そうとは知らない沖田が、愉しげに一笑して返してきた。
こうやって沖田にからかわれるのは嫌じゃない、どころかけっこう歓迎である冬乃は、はい、と小さく答えると、
そのあいかわからず陽だまりの如き彼の笑顔を、横からそっと見上げる。
沖田がすぐに気づいて、見返してきて。
冬乃は慌てて目を逸らした。
(もぉ)
どうであれ沖田の傍で、こんなふうに時間を過ごせることが、とんでもなく嬉しいのだから仕方ない。
(あれ・・そういえば、)
今までは沖田の語尾に、時折、形ばかりに付されていた『です、ます調』を
沖田が笑いで悶死しそうになっていたあの後から、もはや全く聞いていないことに冬乃は気がついて。
完全に取り払ってくれたのだとしたら、なんだか少し距離が近づいたような気がしてしまうのは、勝手な思い込みだろうか。
(・・夜は島原だけど)
距離なんていうならば。冬乃の知らない沖田をとうに知っている露梅が、今夜宴席で沖田と居るのを見ることになる。
ふたりのその距離は、冬乃には到底敵わない。それは今から辛いものの。
それでも沖田の傍に居られるだけ幸せだと、やはり一方で思えるのも勿論確かで。
(だから、贅沢になっては辛くなるだけ。多くを求めてはだめ)
この奇跡への感謝を忘れないように。
何度目かになる戒めを、冬乃は己に言い聞かせ。
「さっき買った綿入れを着て夜は出ようか」
不意に届いた沖田の声に、
冬乃はどきっとして顔を向けた。
「その半纏では、さすがに・・ね」
冬乃は上掛けの下の、仕事着の半纏を見やって、困って頷いた。
今しがた買ってきた仕立て済みの綿入れ袷は、平成の世でいうところの和装の『着物』。帯もして、きちんと着付けしなくてはならない。
ついに沖田の前でそんなちょっとした装いができる機会が来たことに、思わずときめきつつも、
(着付けわかんない)
帰ったらお孝に泣きつくしかないと。胸中嘆息した。
・・・なのに。
「え・・お孝さん、今日お休みなんですか」
いつもならこの時分いるはずのお孝の姿が見当たらないことに、沖田と屯所の女使用人部屋へ戻ってきた冬乃は、訝って見回していたが、
その様子を不思議そうに見ていた沖田に聞かれて、お孝さんがいないようなのでと首を傾げて答えた冬乃に、彼女なら今日は休みだとあっけなく返された冬乃は。困り果てた。
(どうしようか?)
あとはもう、八木のご妻女に頼むしかない。
「これから八木さん家に戻ってもいいでしょうか」
「勿論いいけど、・・」
冬乃が何を焦っているのかと、沖田は尚も不思議そうに見てくるのへ。
「じつは袷の着方がわからないんです」
冬乃は正直に答えた。声が消え入りそうにはなったけども。
「・・・」
やはりというか。再び驚かれたらしい。
冬乃はそろりと沖田を見上げる。
「未来では、袷は着られてないの?」
まもなく返された、尤もな質問に。
「いえ、」
冬乃は急いで首を振った。
「正装としては着られています、あとは和服が好きな人とかが」
「和服?」
(やば)
「いえ、」
和服の対は洋服。
しかし、洋服が未来では一般的だということを言えるはずがない。
この、今の、攘夷思想、真っ只中の時期に。
「その、もっと違う形をした服を未来では着ているんです・・」
つい目を逸らしてしまいながら微妙に濁した冬乃の回答に、
沖田は、だが何か思い出したかのように、「なるほどね」と案外あっさりと返してきた。
「それでお孝さんを探していたわけか。・・」
続けて何故か沖田のほうも困ったような顔で呟いているのを、冬乃は見上げて。
(?)
「八木さんのご妻女も無理かな。夕方に戻るような事を言っていたから、入れ違いになってしまうねきっと」
今夜の計画のために、あらかじめ八木家人の予定をさりげなく確認してあったのだろう。
(そっか、いないんだ・・)
妻女が居ないとなれば、もう冬乃に頼れる女性は思い当たらなかった。
(自分でがんばってみるしかないか)
もはや覚悟を決めた冬乃に。
「手伝おうか?」
沖田が、だがそんなふうに声をかけてきて。冬乃は、
「え・・!?」
おもわず声を挙げてしまった。
沖田のほうも、口にした言葉に自分で慌てたのか、
「いや御免、俺が手伝うのも変か」
と、咄嗟に継がれた二の次では、『私』の自称も忘れられている。
冬乃は数度目を瞬かせて、そんな、ちょっと珍しく慌てている沖田をおもわず見つめた。
「いえ・・・お願いします」
思えば、べつに裸になるわけではないのだ。
自力で着込んで変な恰好になる危険性を採るより、恥ずかしくても沖田に手伝ってもらうほうがいいに決まっている。
いや、むしろ沖田に教えてもらえるなんて、
(嬉しいし・・!)
沖田のほうが少し驚いたように瞠目し、
ややあって。冬乃の見上げる先、常の穏やかな眼に戻った彼は頷いた。
「なら一度俺は外に出るから、用意できたら声かけて」
続いたその声が、襖へ早くも向かう彼から渡されて。
その、もはやそのままの、彼の常の自称で綴られた台詞に、冬乃はどきりとその背を見やった。
「はい・・!」
冬乃は。もうよけいに嬉しくなっていて。
(今日一日で、なんかすごく近づけた・・?)
着ていた仕事着を脱いで、丈の短い襦袢姿になりながら、冬乃は込みあげる幸せで相好を崩し。
そして固まった。
(・・・この後って)
そういえば、
どうするのだろう。
襦袢の次に着るものがわからない。
(・・・。)
まさか、このままで沖田を呼ぶわけにもいかないから、冬乃は焦って行李の中と、今日買った服を風呂敷の中に見回す。
(てか、この派手なのってほんと何なんだろ?)
冬乃は行李から、赤色の薄くて長い、ひものついた布を手に取った。前から気にはなっていたものの、何に使うのかわからなかった物だ。
以前に沖田と古着屋に行った時に、
急いでいるので普段使いの服一式をいくつか、と沖田が店の者に告げたのを受け、店の者の側で適当に見繕って持ってきてくれた物のひとつだった。
よく見れば、今日も見た町ゆく女性の足元からのぞいている服と、同種の素材に見える。
(あれと色も同じだし、同じ物だよねきっと。だとすると、ロングスカートみたいなかんじに着ればいいのかな)
剥き出しになっている己の脚を覆うようにして、冬乃は手に取ったその布を腰に巻いてみた。
そういえば、色は薄いが似たような長い布が、他にも行李の中に見える。冬乃はそれも手に取ってみると、今しがた腰に巻いたものと見比べた。
(派手なものより、この色のほうがいいのかな?)
冬乃はすぐに思い直して、赤の布を取り去り、薄い布のほうを代わりに腰に巻く。
これで肌の露出は無くなったものの、
襦袢も、この腰に巻いた布も、少し透けているような気がする。
平成の下着が無い今、襦袢の下は当然、裸で。胸の形がそのまま露わな状態を見ながら、冬乃は困って。
(どうしよう・・でもこれ以上は何を着ていったらいいのかわかんないし)
とりあえず上に羽織ろう。
「お待たせしました」
冬乃は、上掛けを肩から被せながら、沖田に声をかけた。




