23.
男使用人部屋で休憩をしていた茂吉に、今回の急な留守を詫びると、
家の用事やったらしょうがおへんと、沖田の言ったとおり怒っている様子もなく、冬乃は内心恐縮しつつ、
今日は一日彼女を借ります、と茂吉へ言い置いた沖田に連れられて、屯所を後にして。
今夜の事へ、意識が行かないようにと
冬乃は道の先を睨むようにして唇を強く結びながら、沖田もとくに言葉は無く、二人は黙ったまま壬生菜畑の一本道を歩んだ。
(あれ)
ふと、冬乃は空腹感をおぼえて。一瞬に、最後に食べたのはいつだったのかと、
混乱した。
(朝ごはん食べてから、沖田様達の試合を見て、隊士部屋を掃除しているうちに平成に戻って、・・だからあの朝から食べてない)
と、
採るべきなのか、
平成で、大会の前に少し食べた、その時が最後となるのか。
(だって、・・幕末で食べていた時が最後とするなら、)
ここでの時間は、すでに十五日はそれから過ぎている。
平成では数時間であっても。
(・・・・??)
冬乃は、目を瞬かせていた。
いっそ平成での冬乃の胃を覗いてみれば、幕末で食べたものがあるのか、否か、はっきりするだろう、
だが、ここでの服装が、平成での冬乃には影響していなかったりするのだから、同じくここで食べたものが平成の冬乃の胃へ入るとも考えにくい。
平成に戻った時に冬乃の身に確実に残っているものは、まるで残り香のような五感の感触だけ。草木の香りだったり、食事の味だったり、踏みしめた畳の冷たさだったり。
(それらの五感の感触が残ってるだけでも不思議なのかな)
自然に考えれば、幕末での食事は、
平成の冬乃の体にとっては、『意識の中だけでの食事』。
(ええと、・・だから?)
ここで得られる満腹感も、空腹感も、
『冬乃の意識が』幕末にいる間だけのもので。
ここでどんなに食べたところで、
平成に在る冬乃の胃を満たしはしないだろう、ということ。
(逆に、ここで食べないでいても、平成の私の体には影響しない)
でも、
(ここでの私はどうなるんだろ?)
どんなに平成の自分にとっては『意識』でしかなくても、
この体は今ここで確かに実体を持ち、動いている。
ここでずっといつまでも食べないでいれば、やはり死んでしまうのだろうか。
(・・何が?)
意識が、死ぬのだろうか?
なら、
平成での冬乃はどうなるのか。
(意識が、ほとんど “魂”ってことなら、意識が死ぬってことは・・)
冬乃は。いつかの時のように、ぞっとして、
小さく身震いした。
(・・・じゃなくて)
脱線していた思考を冬乃はむりやり戻す。
今感じているこの空腹感の起点がわからないのだ。
(もし)
幕末で最後に食べた、あの朝を起点とする場合。
それは、ここでは十五日も前のこととなり、
(それならフツー私いま死んでるよね飢餓で。)
冬乃は溜息をつく。
(それとも)
冬乃の “体”がある平成で最後に食事をした時が、あくまでこの空腹の起点なのだとすれば。
いま平成で意識が無いままの冬乃の体が、このまま、もはや耐えられないほどまでに空腹に陥った際には、幕末にいる冬乃にまで更に影響してくるのだろうか。
もしその時、すでにここでは食事をして、『意識』の上では満腹になっていても?
冬乃はおもいっきり顔をしかめた。
(わけわかんない)
要は、今ここで考えていても混乱するだけだ。
(もういい、考えない・・)
そして結局冬乃は思考を放棄し。
再び、道の先を睨み据えた。
隣で先程から百面相をしている冬乃を沖田は眺めていた。
沖田の視線に全く気付いている様子がない。
(面白いなあ・・・)
いったい何をそんなに悩んでいるのだか。
(彼女が本当に、今夜の事を知っているとして、)
やはり心配する必要など無いのではないか。
冬乃が余計な事を決して口にしない人であろうことは、すでに感じている。
今も、これほど一人でまるで抱え込むようにして、口を閉ざしたままに考え込んでいるような性格だ、
彼女が腹の中で言わないと決めた事は、沖田達にさえ決して言わないというのに、いったい芹沢達に何を漏らすことがあるというのだろう。
(土方さんも心配性だからな)
慎重に慎重を期す土方の性格は、冬乃にも垣間見えるように思う。
(いっそ聞いてみようか)
そんなに、
何を今、悩んでいるのか。
「冬乃さん」
沖田の半ば笑みを噛み殺したその呼びかけに、冬乃がはっとした様子で顔を向けてきた。
ふるりと揺れた長い睫毛が、上がって。冬乃の黒曜石のような綺麗な瞳が、沖田を捉えた。
(へえ)
改めて見ると、やはり端整な顔立ちだと。
そんな感想をつい抱きながら、
「どうしたの。何か悩み事」
聞いてみれば。
驚いたような表情になって冬乃が、一層その睫毛を瞬かせ。
「私、そんなふうに見えました・・?」
続いて困惑した声が零れてきた。
「悩み事というわけでは」
そのまま首を振る。
「違うの?」
笑い出しそうになって沖田は、慌てて押し留めた。
あれほど、それこそ唸りだしそうな様相で考え込んでいたのに、悩んでいたわけではないと言うつもりなのか。
「本当に?」
沖田の追求に。冬乃が観念したような顔になって、ぽつりと囁いた。
「ただ、・・おなかが空いて、それってどういう事だろうって考えてたんです・・」
それから暫く、冬乃は。
体を折り曲げて腹が捩れるほどに笑いで悶絶しかけている沖田が、その絶笑を収めるまで、
呆然と待たなくてはならなかった。




