14.
―――――行灯の火は落とされ、
障子を透ける外の藍色に染まった、朧ろな薄闇の、静寂のなか。
布擦れの音でさえ、冬乃の鼓膜を刺激して。
「・・・沖田・・様・・?」
褥のうえで。気づけば、沖田が表情を闇にとかし、冬乃を見下ろしていて。
刹那に、
冬乃の薄い一枚の襦袢で、かろうじて留めていた互いの境界を
いとも簡単に超えるように沖田の両手が、冬乃の襟をするりと開け広げた。
「え?・・や、」
首筋に沖田が顔をうずめてきて、冬乃は我にかえり。
「沖田様なにし・・っ、」
身を捩った冬乃の、露わになった両肩を、沖田の武骨な両手が包みこんで、
それは、そのまま冬乃の上腕へと辿り下り。
優しく、それでいて力強く、
冬乃のささやかな抵抗を封じるように。冬乃の両腕を抑えた。
「っ・・・」
再び喉元に顔を寄せられ、冬乃は。
熱い息遣いとともに、口づけられた熱を首筋に感じ、
びくりと震えた。
冬乃の上で、沖田が身を起こし。
片手を冬乃の腕から離した。
「・・冬乃、」
背けていた冬乃の頬は、沖田の大きな手のひらで覆われて、
そっと沖田へと向けさせられ。
睫毛を震わせた冬乃の瞳のなか、
沖田が、囁いた。
その低く穏やかな。冬乃の好きな常の声で。
「大丈夫、」
”このまま、じっとしてて”、と。
その眼が柔らかに微笑み。冬乃は息を呑んで。
冬乃の上腕を掴み直した沖田の、両手が、
かろうじて留まっていた冬乃の左右の襟を
徐々に、滑らせ落として、
完全に露わになってゆく冬乃の胸元へと、
沖田が、顔をうずめてゆき。
(沖田、様)
「・・待っ、て・・おねがい」
冬乃の制止は、
(やっぱり、まだ、)
聞き入れられることはなく、
(気持ちの、準備できな・・)
徐々に、激しくなってゆく口づけに、
「・・やぁ、………っ」
手の動きに、
冬乃の息は、乱されて。
おきた、さま
紡ごうとした彼の名は、
もう声にも、ならなくて。――――――――
(・・・・え?)
冬乃は見開いた目を瞬かせた。視界に飛び込んだ天井を見つめて。
辺りはほんのりと明るく。
隣には八木妻女と為三郎達が、まだ、すやすやと寝ている。
(今の・・・って、)
つい今しがたまで見ていたものを。冬乃の頭が、理解した時。
「き、ゃあ・・、」
危うく叫び出しそうになって、咄嗟に冬乃は自分の口を押えた。
慌てて為三郎達を見やれば、今ので起こさずには済んだようで、ほっとしながら。
かっと頬が激しく紅潮するのを感じ。
(な、)
なに今の夢!?!?
心の中で絶叫し、なおも声にも出して絶叫しそうになるのを抑えながら熱いままの両頬を手に覆う。
昨日は。
昼間に沖田の腕の中に閉じ込められて。
夜は山野に襲われ。
そして沖田に、癒されて。
だからなわけ?
だからって。
こんな。
(もお沖田様の顔、今度こそ見れない・・・!!)
冬乃は顔の前で腕を交差し。
激しい鼓動を打つ心臓の音をやり過ごすために何度も深呼吸をしながら、
完膚なきまでに。
打ちひしがれた。
「おはよ冬乃ちゃん」
広間でまだ皆の朝餉の膳を用意しているさなかに入ってきた藤堂が、真っ先に冬乃に声をかけてきて、冬乃は振り向いた。
「おはようございます・・」
「?どうしたの」
「え」
「寝不足?なんとなくクマがあるよ」
「・・そうかもしれません」
確かに随分早くに目覚めて、あのまま寝付けずにいたから、とれた睡眠時間は短かっただろう。
今なお、ありありと思い起こせる、目覚める直前まで見ていたその夢を。冬乃はまたも脳裏に展開してしまい、かあっと顔を紅らめた。
(もお・・や)
いいかげんにしたい。
夢回想。これでいったい何度目になるのか。
先程は厨房でぼんやりして危うく火傷しかけた。
だいたい思い起こすたびに、むしろ、
よけい記憶に刻まれてる気がしてならない。
ひとり紅くなった冬乃を不思議そうに見やって藤堂が首を傾げる前、
冬乃はぺこりと会釈して逃れるように、残る膳を取りに広間を出た。
とぼとぼ厨房へ向かって歩いていると、厨房の入口に立っている男が見えた。
嫌な予感がしながらも歩を進めると、案の定、
あんな夢を見た最大の元凶(に思えてならない)山野だった。
「おはよう、冬乃」
山野が『女中』やら『おまえ』でなく名前で呼んできたのは、初めてな気がする。そう思いながら、
「呼び捨て、やめてもらえませんか」
不機嫌を隠さずに冬乃は仏頂面で返した。
夢の中で沖田に、冬乃、と呼ばれたことを
もちろん覚えているからで。
(・・・)
そのまま一瞬で山野を突き抜けて、夢の中の沖田を回想した冬乃の、
ぼんやりとした視線に。山野が何を思ったか、
「昨日はごめん」
と呟いた。
(・・・ん?)
なにか謝られたような気がする。山野へ焦点を戻した冬乃に、
「それとおまえ、未来から来たとか言ってるんだってな。聞いたよ」
と山野が真顔で続けた。
「俺、信じるよ。おまえがいろいろ変なのも、それなら納得いくし」
「・・・有難うございます」
信じてくれる理由が微妙だが、ありがたくはあるので素直に礼を返すと、
山野が満面にその可愛い笑顔をみせてきた。
「・・・」
何度か見たおかげで、さすがにもう動揺はしないものの、
(詐欺だよね。こんな顔して、あんななんだから)
胸中、溜息をつく。
「詫びに奢りたいんだけど。おまえ甘味とか好き?」
山野がまだ話を続けて。冬乃は首を振った。
「好きですけど、貴方とは行きません」
「・・・」
「朝餉の支度の最中ですので、失礼します」
押し黙った山野の前をすり抜け、厨房に入ると原田が居た。
「原田様、おはようございます」
食事とセットの時の原田は、その存在だけで愛らしい。つい癒されながら挨拶すると、
「おはよう嬢ちゃん!」
原田もすぐに、にこにこ挨拶してきた。
「どうしたんですか?こんなところで」
「もう腹減りすぎて我慢できなくてよ、つまみ食いに来た!」
そのやっぱり可愛い返事に冬乃は笑ってしまいながら、広間へ運ぶ膳を手に取る。
「それでしたら、ごゆっくり」
傍で原田の存在に内心迷惑している茂吉が、ぎょっとするような台詞を原田に残して、冬乃は厨房を出る。
入口にまだ山野がいたが、無視して広間へ向かっていると、
「俺も手伝うよ」
と追いかけてきた。
「結構です」
「昨夜のこと怒ってるなら許してくれよ」
「もう思い出したくもないんで、昨夜のことは口にしないでもらえますか」
(今更、謝られてもね)
「なあ、どうしたら許してくれる」
庭まで来ながら、山野がなおも追いすがる。
さすがに朝日の中で二人で問答していては目立つのか、廊下をやってくる隊士達が一様に何事だと冬乃達のいる庭に顔を向けてくる。
冬乃は閉口して、立ち止まった。
「仕事の邪魔しないでいただけませんか、山野様」
「冬乃、・・さん、本当にすまなかった。何か償わせてよ」
「話しかけないでくださることが一番です」
返しながら、
隊士達の中に沖田の姿が見えて、次の瞬間には目が合って。冬乃は固まった。
山野と居るところを、見られたくない。
途端にそんな想いが巡って、冬乃は後ろでまだ呼びかけてくる山野をもう見もせず、庭を横断し。
広間に入ると大分、人が集まっていた。諦めたのか山野が、すでに来ていた中村の隣に座すのを視界の端に、膳を並べてゆく。
まもなく茂吉も膳を手に入ってきて、「これで全部や。もう座ってええで」と言うのを受けて、冬乃が前掛けを外すと、
「冬乃ちゃん、こっち」
と、すかさず藤堂が再び声をかけてくれた。
今更ながら、一応使用人の立場なのに、いつも幹部達の隣に座っていていいのだろうかと頭の片隅で思いながら、
向かう先の藤堂の隣に居る沖田に、冬乃の心臓は早鐘を打ちはじめて。
(・・・どうしよ)
本当に。今回ばかりは、まともに顔を見れそうにない。
「おはよう冬乃さん」
沖田がその変わらない穏やかな笑顔で、やってくる冬乃を見やって、
冬乃は目を合わせられないまま、おはようございます、と小さく会釈をした。
藤堂が、当たり前のように自分と沖田との間に、冬乃を座らせる。




