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10.



 まもなく小庭から、夜虫の合唱が本格的に聞こえ出した頃、

 冬乃はようやく立ち上がって。

 

 そして。だんだん怒りが湧いてきた。

 

 

 (なんなんだあの男は?)

 

 人のコト襲っておいて、謝りもせず。逆に宣戦布告してきた。

 (何様??)

 

 小物を片付け終えて、行灯の火を吹き消す頃には。

 怒りも沸点に達していた。

 

 「絶対、モノになんかにされないから!!バカ!!」

 

 煙の匂いを背に、誰もいない建物の中で。勢い余って冬乃は叫ぶ。

 

 

 (・・・いますぐ)

 

 なぜか無性に、

 

 

 (沖田様に逢いたい。)

 

 

 

 それは冬乃の意識を蹂躙する好きでもない男の存在から、逃れ、どころか掻き消してしまうための渇望なのか、わからない。

 

 ただ、只。いま逢いたくてたまらない。

 

 

 

 

 




 

 冬乃は、八木家の離れの数歩手前で、立ち止まった。

 

 (来ちゃった・・ほんとに)

 

 

 我ながらすごい衝動的だ。

 冬乃は自嘲する。

 

 (やっぱこんな、突然来るとかだめだよね)

 理性に働きかけてみるものの。

 

 (でも、・・逢いたいよ)

 ほんの少し前、急激に込みあげたその想いは、今なお溢れるばかりでとめどなく。

 

 (・・・いい、顔見れたらすぐ帰れば)

 

 あっさり理性の敗北を許して、冬乃は、

 こころのままに残りの数歩を縮めた。

 

 

 この離れの出入口は縁側であるために、庭先から覗くような状態になりながら、

 いざこうして決意してみると今更、どんな口実を掲げたらいいか考えておかなかったことをちょっと後悔した。

 

 (洗濯物うけとりに参りました、とか変だし)

 夜である。洗濯はおかしい。

 

 (皆様お夜食いかがですか?よかったらお作りします)

 

 んー

 これでいいや。

 

 

 投げやりになりながら冬乃は、縁側へ上がると膝をついた。

 

 予想はしていたが。

 冬乃が声をかけるよりも早く、すらりと内側から障子は開かれた。

 

 「誰かと思えば、冬乃さんか」

 「あ」

 永倉だった。

 

 「どうされた」

 「はい、夜分にごめんなさい。その、」

 言いながら、部屋の中へさりげなく視線を走らせれば、そこには誰もおらず。

 

 (んん?)

 「あの、皆様は・・」

 

 「さあ、風呂行っていたり、仕事に出ていたりだろな・・そろそろ、ぼちぼち戻ってくるとは思うよ。誰かに用?」

 

 「ええ、いえ、皆様にお夜食でもご用意しようかと・・」

 言いながらやっぱり変だったのではと思うものの、何を言おうとも不自然には変わりないかもしれないと冬乃は腹を決めて言い切ると、

 

 「そりゃあ嬉しいな」

 案外に受け止めてもらえた反応が返ってきた。

 

 冬乃はちょっと罪悪感をおぼえつつ、

 「はい、もし皆様そろそろお戻りでしたら、作って持ってまいりましょうか」

 と突き通してみる。

 

 「いいね、よろしく頼むよ」

 

 「はい・・!」

 

 斯くして。しっかりと口実を作れた冬乃が、厨房まで飛んで帰ったのはいうまでもなく。

 

 

 

 (おむすび、でいいよね)

 厨房内の小さな井戸場で何度も手を洗ってから、夕食の炊き飯の残りをおひつから出してざるに入れ、張ったお湯に通し、お孝が見せてくれた要領で冷えたごはんを温める。

 (梅干しと、・・昆布を醤油とみりんで煮たら即席佃煮になるかな)

 

 さっそく、細切れにした昆布を火にかけて。

 (この後、沖田様に逢える・・)

 ふと思えば、すでにそれでもう先程の怒りなど、だいぶ心の片隅へと押しやっていたことに気づいた。

 

 (すごい)

 逢いもせずに、もうこんな落ち着けてる

 

 (沖田様効果、絶大)

 

 とはいえ逢いたいままなことに変わりないので、冬乃の夜食作りは止まらないのだが。逢いたいがためにここまでしている自分に苦笑しつつも。

 

 

 塩とお酢と海苔を用意しているうちに、醤油の香ばしい匂いが厨房いっぱいに広がった。

 

 (なんか私まで食べたくなっちゃう)


 「良い匂いがする!」

 そこに顔を出したのは原田だった。

 

 手拭いの入った桶を持っているところを見ると、風呂上りだろうか。

 

 「原田様、こんばんは」

 目を輝かせている原田にくすくす微笑ってしまいながら、冬乃は挨拶して。

 

 「後ほど皆様の離れまでお夜食お持ちしようと思ってお作りしてるところなんです。原田様もよろしければ召しあがってください」

 

 「いやっほい!!」

 「なになに」

 間髪入れず喜びを表した原田の後ろから、ひょいと藤堂まで顔を出した。

 「お、冬乃ちゃんじゃない」

 「こんばんは藤堂様」

 藤堂の優しい笑顔につられて微笑み返しながら、冬乃は挨拶する。

 

 「なに作ってるの?」

 「おむすびです」

 「へえ、夜食?」

 「俺たちに用意してくれてるんだってよー!」

 原田が横から嬉々とした声で叫んだ。

 

 (原田様って大きな子供みたい)

 その可愛さにもう満面に微笑んでしまいながら、すっかり煮立った昆布を火から下ろす。

 全て揃ったところで、もう一度しっかり手を洗ってから冬乃が握りだすのへ、原田たちが興味深そうに覗きこんできた。

 

 「握り飯に入れてるそれって何?」

 「昆布ですよ」

 「へえ・・!じゃあこの梅干しも?」

 「え?」

 「梅干し入れた握り飯って昔の本で読んだことあるよ俺」

 「ああ、兵糧用だっけ。俺も、実物、初めて見る」


 (そうなの!?)

 冬乃はおもわず手を止めて、二人を見た。

 

 江戸時代のおむすび事情をそういえばよく知らない。

 具入りのおむすびは、まだこの時代には一般的でないのだろうか。


 「でも美味しそう」

 「うん、すげえ楽しみ」

 

 (私いま、おむすびの歴史を改変した・・?)

 ちょっと焦りながら、冬乃は手元の昆布佃煮にぎりを見やる。

 

 (なんかスミマセン)

 誰に対してともなく謝っておき、ひとまず開き直って作業を続けることにした。                

 

 

 

 


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