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9.


 

 どう返したものかと手が止まった冬乃の、横まで来て山野が座りこむと、冬乃の返事を待たず彼は、冬乃からサッと火打ち石を奪った。

 

 「ここと、ここを打つの。こうやって」

 カッカッと鮮やかな音を立てた瞬間、火花が火口に落ち。そこへ山野が息を吹きかけると、火はふわっと大きく揺れ上がった。

 山野が行灯のともし油の芯へとその火口を傾けると、油は暫し後にその芯に火を灯した。

 

 「すごい・・」

 おもわず素直な感嘆を漏らした冬乃を、山野がまた何か聞きたげに一瞬見返し。

 行灯を閉じて火打ち石を仕舞うと、山野は体ごと冬乃を向いた。

 

 「おまえって・・」

 

 「さてと、じゃあ出ていてください。あの、火は有難うございました」

 いろいろ山野流の直球質問でさらに突っ込まれても困ると。冬乃は遮りながら急いで立ち上がる。

 

 「って、サラシどこにあるか知ってんの」

 そして、もっともなツッコミが。またも投げられた。

 

 (し、)

 「知りませんけど・・」

 

 (だって、なんか。身の危険を感じるし)

 立ち上がりながらさりげなく山野と距離をとったことに、気づいたらしく山野が、冬乃を見上げながらその整った顔を柔らかく微笑ませた。

 

 「そんな警戒しなくても、捕って食ったりしないから心配すんな」

 

 「・・・」

 (ここまで言うなら、信用しても大丈夫かな)

 

 「・・場所、教えてください」

 山野の綺麗な顔で微笑まれて、その邪気のなさに冬乃は、心の鎧を少しばかり外した。

 

 

 行灯の揺れる仄かな薄明かりのなか。山野も立ち上がると、冬乃を促すように反対側の押し入れへと歩んだ。

 

 押し入れを開けた先には、いくつもの行李が置かれている。

 冬乃はいつも下の段の隅を借りていて、他の行李たちの中身を知らなかった。

 「これね」

 山野が迷うことなく上の段の端からひとつの行李を取り出し。

 

 行李を畳に置いて、腰を屈めて蓋を開けた山野につられて、冬乃が覗き込むと、綺麗にたたまれたサラシの山があった。

 

 山野の手が数枚を取り出し、横の畳に置くとまた蓋を閉じる。

 冬乃は。初めてまともに見た山野の手をおもわず凝視していた。

 

 

 これだけ美麗な優男であっても、それはやはり剣を扱う手で。

 白い肌ながら骨張った輪郭、太い指が、剛健さを主張していて。

 

 「なんだ、俺の手がどうかした」

 

 よほど長く凝視していたらしく、山野に視線を気づかれ、

 「いえ」

 冬乃は慌てて目を逸らした。

 

 その視線を外したばかりの手が。だが直後、冬乃の視界に戻った。

 (え?)

 その太い指に顎を持ち上げられたと、気づいた時には。

 目前に迫った山野の端整な顔が。冬乃の唇に触れそうな距離にまで近づいて。

 

 「・・っ」

 間一髪で避けた冬乃の、

 両肩が、しかし次の刹那には掴まれて、冬乃の体は膝を折られるようにして背後の畳へと押し倒された。

 

 「なにし・・っ」

 「おまえ見てたら疼いちゃって」

 (はあ?!)

 容赦なく圧しかかってくる山野に、

 「待っ・・心配すんなって、さっき言ったじゃない・・!」

 この男を少しでも信用した自分を含めて本気で頭にきた冬乃が、抗って両手を突き出すのを

 山野が易々と捕らえ、冬乃の両腕はまとめて片手で頭上に組み敷かれ。

 

 優男の風貌であってもその逞しい手と同じように、やはり力は男のそれで。冬乃が逃れようとしても、びくともせずに。

 

 (このっ・・)

 「こんなことして、許されるとおもうの?!離して!」

 

 冬乃の着物の裾が、山野のもう片方の手に捌かれ、太腿へ山野の指先が触れて。

 力で退かせられないなら、言葉で諭すしかない。冬乃は手当たり次第に言ってみる方向へと、失いそうな平常心をなんとか保って頭を切り替えた。

 

 「貴方、武士だよね!ここは屯所でしょ?武士が勤め先でこういうことしていいの?」

 

 「・・おまえ、」

 何かしら訴えるものがあったのか、山野の冬乃を押さえる力が緩んだ。

 その瞬間を逃さず、冬乃は山野の腕を振り切って、

 半身を起こしながら簪を勢いよく引き抜いて前に構えた。

 

 「・・・」

 

 それが剣を構えるのと同じ所作であることに、突き出された冬乃の簪を目に。

 唖然とした様子で山野が、両腕を畳についた体勢で、瞠目し。

 

 「おい山野、何やってんだよ」


 そして。

 次に不意に降ってきた声に、

 山野も冬乃も驚いて、少し開かれたままだった襖の向こうに視線を走らせた。

 

 

 (誰・・?)

 

 現れたのは手燭を手に、呆れた表情を満面に張り付けた男で。

 

 「なんだ中村か」

 冬乃の前で、山野が呟いた。

 

 (中村・・)

 先ほど山野が言っていた手負いの友だろう。

 

 そういえば、この時期に捕り物で怪我をした中村といえば、

 (中村金吾)

 山野と一緒に、この頃、火縄銃持ちの強盗を成敗して朝廷から褒美まで受けている人で。怪我はその時受けたものだ。

 

 

 まじまじと見れば、山野と違って格段美男というわけではないものの、ひとめで実直さ溢れる好青年のさまが感じられて、

 冬乃は、ほっとして、構えていた簪をおろした。

 もう大丈夫だろう。

 

 

 「サラシを取りに行ったままいつまでも戻らんから、どうしたのかと探してみれば・・」

 

 まだ呆れたままの表情で、中村が嘆息した。

 「おまえ、その女癖の悪さをいいかげん改めろ。身を滅ぼすぞ」

 

 山野が観念した顔で、戸のほうへと起き上がって。

 「この女は別さ、」


 その背が呟いた。

 

 「どうやら俺、本気で惚れたかも」

 

 

 (え)

 聞き捨てならない台詞を置いた山野が、まだ座り込んだままの冬乃を振り返った。

 

 「覚悟しとけよ。おまえのこと絶対ものにしてやる」

 

 「・・・・」

 

 もはや返す言葉も出ない冬乃を残し、山野は戸口に立つ中村へとサラシを押しやりながら出て行き。

 中村が続いて申し訳なさそうに冬乃に会釈をすると山野を追って小庭を突っ切ってゆくのを、

 冬乃は暫く呆然と見つめた。

   

 

 

 

 

 




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