戦場のにおい
今回は少しグロテスクな表現が含まれています。
嫌いな方は回れ右してください。
どれぐらい走っただろうか。
暗闇の中を走るというのは思っている上に体力を使う。
それに全力で走っているつもりでも思った以上に速度が出てない。
ひたすら壁伝いに見えない道を駆け抜けていた。
そのときだった突然前が開けはるか向こうに城塞都市の明かりが見えた。
どうやら森を抜けて盗賊砦に向かったときに通った街道付近に出たようだ。
右に見えるのは城塞都市。
左にあるのは渓谷の崖。
渓谷の壁沿いに再び走れば砦のあの門にたどり着くはずだ。
騎士団は中に入っているはずだし、もしかしたらもう決着がついているかもしれない。
そうであれば俺を探しているはずだ。
後ろから出て行ってどんな顔をされるのやら。
今はそんなこと考えずにとりあえず進もう。
ここはもう敵地ではない。
そう思うだけで心が軽くなる。
頭では理解していても心では納得していなかったのだろう。
どっと押し寄せる疲れに抗うように歩みを再開する。
まだ終わったわけではない。
やらなければならないことがまだまだたくさんある。
自分にできる限りのことをしよう。
しっかし、昨日といい今日といい自分の命がずいぶんと軽くなったものだと思う。
今までの自分なら自分の命を投げ出すことなんてありえなかったからなぁ。
非現実的な状況にゲームの中にいるような錯覚。
ここが現実でライフはこれ1つだけという危機感の喪失。
まだ心が完全にこちらの世界に順応していないんだろう。
それとも、ただかっこつけたいだけなのかもしれない。
エミリアやシルビア様の前でかっこつけたい男の性。
いや、普通に考えて現実だとあの二人のレベルは高すぎると思います。
男が絶対寄ってくる。
それぐらい可愛い。
うん、可愛い。
可愛いは正義。
可愛さの前で命など小さいものだ。
でも可愛いだけで命投げ出すことはできないよね。
やっぱり行為がないと。
ちがう、好意だ。
失礼失礼。
まだそんなところまで行ってません。
行為だなんて、グフフ。
どんな行為かはご想像にお任せしよう。
冗談が言えるぐらいには心の余裕ができてきたな。
やっぱりこれぐらいの余裕が常にないといけないね。
ストレス耐性が高いとはいえさすがに限界というものがある。
とかなんとか考えているうちに正面が明るくなってきた。
オレンジ色の光が夜道を照らしている。
松明の光だ。
騎士団の誰かが待機して入り口を守っているのだろう。
話し声も聞こえてくる。
やっと安心できる場所にたどり着く事かできた。
戦場とは違う気を休めることのできる場所。
そんな光の下へと急いで向かった。
しかしそこは・・・ここにはないはずの戦場だった。
そこかしこから血のにおいがする。
負傷した兵士が地面に横たわっている。
呼吸はしている。
生きてはいるようだがこちらに気付いていない。
ただ目をつむり荒い呼吸で横になっている。
ここは安心できる場所などではなかった。
これが本当の戦場。
血のにおいに思わず吐き気を催すが無理やり飲み込んで耐える。
ここで吐くなんてありえない。
このにおいは自分の考えた作戦によって負傷した兵のものだ。
それを気持ち悪いという理由だけで吐き出していいものではない。
これを受け入れなければいけない義務が俺にはある。
耐えろ。
見ろ。
これが現実だ。
自分の考えた作戦の答えだ。
ゲームなどではない本当の現実だ。
負傷兵を避けるように大きな門へと進む。
何人かがこちらを見て何かをつぶやいている。
内容はわからなかった。
罵倒か恨みかその両方か。
それを受け入れないといけないのに、心はそれを拒絶する。
なんて心の小さい人間なのだろうか。
彼らが傷ついた原因は自分だというのに。
逃げるように負傷兵たちの目から離れたその時だった、こちらに気づいた誰かが何かを言いながら走ってきた。
どうする、どうすればいい。
なんて言葉をかけたらいい。
不安で心がいっぱいになる。
恐怖が体を縛ってしまう。
駆けて来る人物を避けようと踵を返した瞬間だった。
「シュウイチさん!」
エミリアの声が聞こえた。
間違いない、間違えようがない。
エミリアの声だ。
もう一度振り返り、駆けて来る人物の姿を確認する。
喜びと、驚きと、安堵と、たくさんの感情に溢れどう表現していいかわからない表情でエミリアがこちらに走ってきた。
そして
ものすごい力で抱きしめられた。
どこにこんな力があるのかというぐらいに、エミリアが抱く力を込める。
二つの丘が柔らかいとかそういうのを感じる余裕は今なかった。
ただ安心した。
思わず抱きしめられた手を握り返した。
伝わってくる体温に力が抜けてしまう。
エミリアに抱きしめられながら、その場にへたり込んでしまった。
「シュウイチさん、良かった本当に良かった。姿が見当たらないと聞いて探しに行こうと思っていたんです。何もできないけど私、いてもたってもいられなくて。」
心配してくれる人がいる。
それがどれだけ心強いことだろう。
どれだけ心休まることだろう。
このままこの安らぎに包まれていたい。
でも、それはダメだ。
まだ、片付いていない。
ウェリスがシルビア様がカムリが戦っている。
1人だけ休んでいるわけにはいかなかった。
エミリアの肩をそっと押し、距離を離す。
こんな時でもエミリアは、笑顔だ。
でもその瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「ただいまエミリア、いなくなってごめん。」
「中にいるはずのシュウイチさんが外から来るとは思っていませんでした。どこか外につながっている場所があったんですね。」
「うん、逃げ道を教えてくれる人がいてね。でもウェリスはまだ中にいる。どんな状況か教えてくれるかな。」
ここで立ち止まっていてはいけない。
行こう、現実を確かめに。
逃げるな。
前に進め。
俺には前に進む足がある。
そばで支えてくれる人がいる。
「シュウイチさんが中に入ってしばらくしてシルビア様が門の上にいた兵士を倒して上からロープを投げてくれました。シルビア様では機械を動かすことができなかったので数名でレバーを操作して開門したのち中に入りました。」
ここまでは作戦通りだな。
「開門後速やかに中に侵入して進軍しましたが、すぐに中の兵と交戦になったようです。私は門の外で待機していましたが中から負傷した騎士団の皆さんが出てきたので救護に当たっていました。シルビア様とカムリ様はまだ中に入ったまま戻ってきません。」
侵入後すぐに交戦はないと思っていたが近くに敵兵がいたんだろう。
予定よりも早く乱戦になったために騎士団にも負傷者が多く出たのか。
死者が出ていないのが奇跡だな。
「ありがとう、シルビア様の状況が知りたい。もう一度中に入ります。」
ここで待つだけではいけない。
ウェリスのためにもはやく騎士団を進軍させなければ。
「ダメです!そんな疲れているのにもう一度中になんて危険です。」
「疲れているだけで特に怪我をしているわけではありません、早くいかないとウェリスやシルビア様が危ない。」
「危ないのはシュウイチさんです。私が行きますからここで休んでいてください!」
ぐっと押し返されてしまう。
エミリアに行かせるなんてそんなことできるはずがない。
でも、エミリアは中に行かせてはくれないようだ。
こうしている間にも状況は変わっていく。
まさに随時戦闘だな。
「わかりました、エミリアも一緒に来てください。危なくなったらすぐに逃げられるようにお願いします。」
「もちろんです。何があってもシュウイチさんと一緒に逃げますから!」
ここで守ってあげられるほど強い自分でないことが悔しい。
守ってもらうばかりというのは何というか情けなく感じてしまうのはエゴなのだろうか。
でもそんなエゴに囚われている時間は今はないのだ。
一秒でも早く前に進まなければならない。
エミリアに手を引かれるように二人で中に進んでいく。
門のあたりは特に問題はなかった。
しかし、そこから先はまるで地獄のような状況だった。
いたるところに血が飛び散り、息絶えた死体が転がっている。
動くモノはいない。
血のにおいだけがあたりに充満していた。
できるだけ死体を見ないようにして前だけを見て進んでいく。
奥に行けば行くほど死体の量は増えていく。
うつぶせに倒れる者、あおむけに倒れる者。
苦悶の表情もあれば安らかな顔まである。
彼らは死ぬ直前まで一体何を考えていたのだろうか。
自分と何も変わらない、ただ違うのは心臓が動いているかいないかという違いだけ。
この光景を一生忘れる事はないだろう。
この状況を作り出したのは間違いなく自分なのだから。
「シュウイチさんのせいじゃないですよ。」
そんな気考えを読み取ったかのように前を行くエミリアが言った。
ギュッと握った手をさらに強く握り返事を返す。
心が楽になったわけではない。
でも、一人で思いつめなくていいという事は非常にうれしいことだった。
そんな時、先の方から歓声が聞こえてくる。
悲鳴でも怒号でもない歓声だ。
いったい何が起きているというのだろうか。
振り返ったエミリアと目が合い、頷くと二人は駆けだしていた。
どんどん声は大きくなる。
渓谷の少し開けた部分でそれは行われていた。
円を組むように人だかりができている。
皆騎士団の兵のようだ。
円の中心ではシルビア様が踊っていた。
違う、踊っているように見えるだけで戦っているのだ。
本当に舞うように戦うんだな、あの人は。
そして、その踊っている相手というのが
ホルダとトルタだった。
こんなところで、こんな状況で、ついさっき命を助けてくれた者が、戦っている。
ホルダが上から剣を振り下ろし、トルタが横から剣を薙ぐ。
普通では避けることのできないような隙のない、素人が見てもわかるような素早く連携のとれた攻撃を繰り返している。
しかし、その攻撃をまるで踊るかのように避け、いなし、そして攻撃をするシルビア様。
攻撃を避ける度に歓声が沸き、攻撃する度にどよめきが起きる。
命のやり取りをしているというのに。
知っている者が戦っているというのに。
その戦いが美しく見えた。
本当に、踊っているようで見惚れてしまった。
今度はトルタが正面から切りかかった。
素早い連撃でシルビア様に襲い掛かる。
攻撃を巧みに避けるシルビア様。
連撃が切れると思ったその瞬間に今度はホルダが突きをクリ出し攻撃の手を休めない。
息の合った攻撃だった。
この二人だからこそできる戦いなのだろう。
でも、その素晴らしい攻撃でさえシルビア様の前では無力なようだ。
ホルダが攻撃の手を休めた一瞬の隙をついてシルビア様が剣を弾き飛ばす。
慌ててトルタが間に入るが、先ほどとは違う動きに体が言うことを聞かず、横に回り込んだシルビア様に自分の剣も叩き落された。
一瞬の出来事だった。
武器を無くした二人があきらめたようにその場に座り込み、周りを囲んでいた兵士から最高潮の歓声が上がる。
とても綺麗な戦いだと思った。
「久々に私をここまで楽しくさせてくれる者に出会えるとは思っていなかった。礼を言うぞ、そこの2人。」
シルビア様は高揚した声で二人に礼を言う。
戦いとは礼に始まり礼に終わると聞いたことがある。
これは剣道だったか。
しかしそれに通じるような騎士道の姿だった。
「俺たち負けた、さっさと殺せ。」
「お前強かった、俺弱かった、だから負けた、それだけ。」
潔く負けを認めた二人。
シルビア様が剣を収めた。
「これほどまで武を極めるにはさぞ苦労があったことだろう。その武を他の場所で生かそうとは思わんか。」
ここでも勧誘ですかシルビア様。
でもそうすればこの二人は死ぬことはない。
こちらにつけ、二人とも。
死ぬ必要なんてない。
「俺たち、ここしか居場所無い。」
「戦うしかできない、負ける事、それは死ぬこと。」
「武を極めず死を選らぶというのか。」
「ここでしか生きられない、命は惜しくない。」
「二人で戦った、二人で死ぬ。それが望み。」
まさか自分から死を選ぶなんて。
生きていれば、生きてさえいればまだできることがたくさんあるのに。
どうしてそんな簡単に自分の命を捨てることができるんだ。
考えられない。
信じられない。
「その心意気や良し。その潔さこの騎士団分団長シルビア直々に手を下してやる。二人名は。」
シルビア様が収めた剣を抜く。
ダメだ。
二人を殺してはいけない。
走り出そうとしたその時、エミリアに止められた。
「勝負はつきました、シュウイチさんが行くところではありません。」
「離してくれエミリア。あの二人が俺を、この場所から逃がしてくれたんだ。命の恩人なんだ、その二人をみすみす殺すわけにはいかない。」
「たとえそうだとしても、シルビア様の剣を止めることはできません。どちらにしろ捕まった時点で死罪は決まっています。シュウイチさんが出て行ってもそれは変わらないんです。」
エミリアはそういうが納得できない。
エミリアの手を振り切り、円の中心に駆け出す。
しかし、今度は別の手が行く手を遮った。
カムリだ。
「ここをお通しするわけにはいきません。たとえ、イナバ様であっても。」
「離してくれ、この二人を殺してはいけない。俺の命の恩人だ。」
「たとえそうだとしてもあの二人はシルビア様に決闘を挑み敗れました。敗者の命は勝者のモノです。勝者がかけた温情を拒んだのはむこうです、その決心を変えることは許されない。」
死が怖くないのか。
全てここで終わってもいいのか。
わからない、これが、現実なのか。
そんなことがあってもいいのか。
この世界ではどれだけ人の命は軽いのだろうか。
「俺、トルタ。」
「俺、ホルダ。」
「トルタにホルダ良い戦いであった。この二人は名誉ある死を選んだ、後の世で二人を汚すことなきようここに居る者は心に刻み込んでほしい、強者が立派に戦って死んだと。」
「「「おう」」」
「さらばだ。」
シルビア様の剣が二人の首をとらえる。
何の抵抗もなく、首が胴から離れ血が噴き出した。
そういえば何かの本で読んだことがある。
動脈を切ると脈拍と同じように血が吹き出て、静脈を切ると大量の血が流れ出ると。
現実とは思えない光景がまるでスローモーションのように流れていく。
首を失った体はゆっくりとその場に倒れ、後には血だまりが広がっていく。
トルタとホルダだったモノはただの肉塊となったのだ。
人は、いとも簡単にその生を失う。
その原因もまた人が作り出す。
シルビア様が悪いとは言わない。
そんな権利はない。
決闘とはそういう物なのだろう。
自分の命を懸けて戦った者を決して蔑んではならない。
そう、言っていた。
あの二人が尊い死を選んだのだ。
それを否定することなどできやしない。
わかっている。
わかっているが。
どうしても納得できない。
命は、こんなに軽いものだったのか。
命を大事にしなさいと言われ続けてきた自分の道徳観や概念が根底から覆される。
それは自分の否定ともとれる。
ここは違う世界なんだと新ためて認識した。
この異世界で俺は生きていくんだ。
これが、現実だ。
2人に礼を言うのはおかしいのかもしれない。
でも、二人のおかげで俺は助かった。
その事実は死ぬまで忘れない。
「シュウイチさん、大丈夫ですか。」
「大丈夫ではないかもしれません。でも、大丈夫にならないといけません。」
エミリアが心配そうな目で見つめて来る。
そんな濡れた子猫みたいな顔をしないでも大丈夫。
大丈夫。
「イナバ様は人と人が戦う戦場は初めてでしたか。」
「ええ、これが本当の戦場なんですね。」
「モンスターと違い人の血は臭いが濃く鼻に残ります。あまり見ない方がよろしいかと。」
イケメンが気を聞かせて助言してくれる。
わかっている。
間違いなく夢に見て苦しむことになるという事を。
でも、この光景から目をそらすことはあの二人を否定することになってしまう。
忘れない。
「ありがとうございます。」
「エミリア様も同様に。」
「わかりました。」
女性の方が血に強いというけれどさすがにこれは無理だよな。
でもエミリアは悲鳴一つ上げずにそばにいてくれる。
強いな。
俺とはえらい違いだ。
「盗賊共、お前たちの仲間は決闘を選び死んでいった。次はお前たちの番だ、今武器を置くもよし、このまま彼らのような死を選ぶも良し、好きな方を選べ!」
シルビア様の声が渓谷に響きわたる。
遠巻きに見ていた盗賊が、一人また一人と武器を置いていく。
戦意を喪失し、うなだれている。
強い者が負けた。
それよりも弱い者がかなうはずがない。
この事実は変えようがない。
勝負はついた。
戦いは、終わった。
終わった。
終わった?
いや、終わってない。
まだウェリスが残っている。
「お前ら武器を落とすんじゃねぇ!騎士団共、こいつの命がどうなってもいいのか!」
渓谷の奥から雄たけびが聞こえた。
グランドがウェリスの首にダマスカスの短剣を当てながらやってくる。
人質になっているという事はまだ生きているという事だ。
ウェリスだけは死なせはしない。
もう。知り合いが死ぬのはまっぴらごめんだ。
強い心を持て
それが現実を進むために必要な唯一の道具だ。
そう、教えられた気がした。
考えろ。
全てを終わらせるのは今しかない。
次がクライマックスになります。
予定では・・・。




