17.何故私はここにいるの? 後編
しばらく呆気にとられていたファンクスは、不意に堪え切れなくなったように笑い始めた。
「前にも思ったけれど、きみは……やっぱり、少し彼女に似ているね」
優しい視線に不覚にもドキリとする。自分に向けられたものではないと、知っているにも関わらず。
ぺし、と横に並んだカーダルに頭を叩かれた。いたい、と小さく文句を言う。
「良いよ。きみに託そう」
そう告げた彼は、今にも消えそうで。慌てて口を開く。
「ええ、だから貴方も、しっかり見届けてください。賭けの結果を知る前に消えたら駄目です。アイレイスさんに黙って消えるのも無しです。この場を一番に望んだのは彼女です。必ず会ってください。その後は貴方の好きにしていいので」
「……その後は、良いの?」
「はい」
きっと、アイレイスさんが許さないと思うので。
雛㮈はその言葉をそっと胸にしまう。そんなことは、今知らなくても、後で嫌という程分かることだ。
「きみも、それで良いのか?」
視線はカーダルに向いている。彼は視線を逸らしながら、「あんたのことは、一生許すことはできない」と答えた。
「……でもあんたがここでただ死ぬことも、許すことはできない」
そこまで言うのが限界だったのか、カーダルは唇を噛み締めた。せっかく仲直りしたカーダルとアイレイスの間に、埋めようのない溝ができたようで辛い。いつかそれが埋まれば……否、それは過ぎた望みだろう。雛㮈は静かに目を瞑る。
ただ、──いずれは、と。その未来を望むためにも、今時点で雛㮈がするべきことはひとつだ。
「精霊の王様、契約を」
真っ直ぐに精霊王を見る。会話を見守っていた精霊王は、ふわりと優しく笑った。
「……ヒトの子よ。君は、自分で道を決めたんだね」
伸ばされた手が、雛㮈の頭を撫でる。
「在るべき場所で、在るべきように。不安定だった君という存在は、消えてしまうかとも危惧していたが、……あぁ、やはりヒトの子は不思議だね」
私は消える瀬戸際だったのですか、とは聞けなかった。なんとなく、怖くて。
顔を青褪める雛㮈から視線を外した精霊王は、ファンクスを促すように見る。
「長く私の我儘を聞いて頂き、ありがとうございます。契約の破棄を望みます。契約破棄の罰は慎んでお受け致します」
恭しく頭を下げたファンクスに、精霊王が目を細める。楽になさい、と手を振った。
「私自身も、かの一族には辛い役割を与えた。……けれど、そうだね、ケジメは必要か。どうだろうか、私の眷属になるというのは」
「眷属……ですか」
このメンバーにも、眷属がいる。精霊獣たるラルク、それから悪魔であるディーだ。
うむ、と頷く精霊王は「精霊獣になるには、資格が足りない」と言った。つまり、悪魔になるということか。
「ヒナよ、君の悪魔を借りて良いかな」
「え? あ、どうぞ。私はしばらくいませんし」
むしろ主たる雛㮈の監視がつかない分取り扱いに困るところだ。簡単に権利を受け渡した雛㮈を、ディーが忌々しそうに見た。こ、怖くなんて、ない。
精霊王に呼ばれたディーは、面倒そうに近寄る。何でしょうか、と偽りの笑顔で訊ねるディーに、場違いにも「度胸があるなぁ」という感想を抱く。
「さあディー、久し振りの“お願い”だ。彼の面倒を見てあげておくれ」
「……は、仰せのままに」
にこー、という笑顔を崩さないまま短く返事をしたディーを見ながら、ニキとラルクがにやにや、こそこそと話している。
「あれさ、絶対嫌だって顔だよなぁ」
「いい気味じゃのう」
「聞こえていますよ、そこの獣二匹」
冷戦が勃発している傍らで、精霊王とファンクスの契約破棄の儀式が始まっている。雛㮈が視線を滑らせたゴールには、難しい顔をするカーダルがいた。
そっとその肩に触れる。
「──勝手に決めて、怒っていますか?」
いろいろな感情を吐き出すように、重々しいため息を吐く。
「怒ってない」
うそつき、とは思ったが、口には出さない。口には出さなかったが、顔には出ていたようで、カーダルはくしゃりと顔を崩した。
「本当だ。お前には怒ってない。……自分の無力さに腹が立っただけだ」
「そ、そんなことないですよ! さっき言った通りですから。カーダルさんがいるから、私は行って来れるんです」
ふわりと笑えば、切羽詰まったように、きつく抱き締められる。
「……待つことは慣れてる。ずっと、待っていたからな。でも、必ず戻ってきてくれ。帰って来ないのは、耐えられない」
失うのはもう嫌だ、と。まるで雛㮈が消えてしまうと思っているかの如く、強く掻き抱く。
宙にあった手を、そっと背中に伸ばした。離さないのは、自分も同じだと伝えるために。
「はい、約束します。必ず戻ります」
更に腕に力がこもる。かと思えば急にふっと力が抜け、身体が離れる。至近距離で視線が絡まる。好きだ、と言葉が紡がれたように見えたのは、願望が映した出来事だったか。
重なる唇に、ありったけの想いを乗せた。同じように温かい気持ちが流れ込んでくる。
唇を離すと、コツリと額を合わせる。手を、指を、強く繋いで。
契約破棄の合図がした。
──さあ、行こう。
名残惜しいと感じながら、身体を離す。
ここは、深層世界。『アイレイスの元へ』。そう望めば、繋がる。ファンクスが深層世界を渡っていた要領と同じだ。
一歩、二歩、と下がる。望むだけでそこに行けるのに。だから、これはただ時間を稼いでいるだけの行為だと、嫌という程、自覚がある。
『お行きなさい。ヒトの子よ。在るべき場所に行くために』
大きな大きな、精霊王が笑う。契約破棄のために、本来の姿に戻ったのだろう。
「彼女を頼みます」
ファンクスが深々と頭を下げた。その隣で、ディーが妖しげな笑みを浮かべている。
「愉しみにしていますね」
失敗を望んでいるような顔ですね、と心の中で苦笑する。最後まで、悪魔らしくブレない。
「待ってるからなー。また買い物行こうぜ」
「うむ。あんまりにも待たせると、我が美味しいものを全て食べてしまうぞ」
にしし、と笑うニキの足元で、ご馳走を想像したらしいラルクが舌舐めずりしている。
「いってらっしゃい」
カーダルは、笑って手を振った。
胸が詰まる。
顔をくしゃくしゃにして、笑った。
「いってきます!」
そして、雛㮈は闇の中に身を投げた。
次回更新日は、明日となります。
(わたしが更新を忘れていなけれ、ば!)




