098.必勝の策
サーレヨック砦の士気は低下している。
戦慣れした傭兵たちであろうとも、すぐ近くの味方の砦が、それも自身の目で見える場所で陥落すれば意気も落ちよう。
砦前にて悲鳴をあげ泣き叫ぶ若貴族の処刑を見せられたことは、傭兵たちにとっては無能な馬鹿がようやく死んだか、ていどであったが、凪は危うく突っ込んでしまいそうであったし、即座に凪を止めに入らなかった秋穂も内心では相当腹に据えかねていたのだろう。
何が恐ろしいかといえば、あの若貴族を助けるのは絶望的であったとしても、凪と秋穂が二人で突っ込んで若貴族の傍でにやにや笑っているクソをぶっ殺して帰ってくるだけならば、なんとかなってしまうかもしれなかったことだ。
失敗して死ぬ確率も高かったので、そんなアホな真似は止めたのだが。
それ自体に大した意味なんてないとわかっていても、凪ならやらかしてしまいそうなのがおっかない所で。敵にも味方にも。それでいて明白な自殺はきちんと避けるあたりが実に小癪である。
敵は、極めて慎重であった。
さんざっぱら挑発をしたあとで、これに一切反応する気配がないとわかるや、今度は周囲の木々を切り倒し攻城用の道具を作り始める。
城壁の上からでは絶対に攻撃なぞしようもない、頑強な木の覆いを作ると、これを兵士数十人がかりで抱えあげ上からの矢やら落下物を防ぎつつ、じわりじわりと城壁に迫り寄ってくる。
涼太が想像していた、兵士が一斉に襲い掛かってくる、なんてことはなかった。ただの一人も無駄な犠牲なぞ出さぬと、彼らはありったけの知恵を絞って如何に効果的に城を陥落させるかを工夫してきたのだ。
『そりゃ、そうだよな。誰だって死にたくないし、死人を盾に、踏み台にしたところで、この城壁はどうにもならん。なら無駄に死人を出すのは馬鹿のすることだ。そうだよ、そうだよなぁ。そりゃ、相手も人間なんだから考えるよなぁ』
城壁側まできたのなら煮えたぎった油をぶちまけてやる、と構えていたラーゲルレーヴの傭兵たちであったが、あの頑強な木の覆いは、秋穂がぶん投げた石、というか岩というかが直撃すると、貫通こそしなかったものの目に見えて大きく削れてしまう。
「あー、もう、先に当てられたー」
悔しそうな凪も三投目あたりでコツを掴んだようで、以後は両者共一度も外すことなく、合わせて十発の命中弾があったところで敵はすごすごと引き上げていった。
城壁上で、ミッツ君が呟く。
「……おい、あの石。当たったら盾だってぶちぬいちまうだろ……」
次のシェルヴェン軍の手は、砦周囲の険しい崖の登攀である。
砦側からは死角になっていて登攀に適した場所は全て、手や足をかける場所が削り取られており、よほど技術のある者でも失敗落下死を考慮せねばならぬほどの難所となっている。
城壁上にいる兵に対し、矢戦を挑んでもきた。
兵士が持ち歩くような盾ではなく、陣地の端に立ててそこから動かさぬといった用途で作られた盾は、並の盾の数倍頑強なもので。これに隠れながら射手は城壁上を狙い打つ。
遮蔽を取れる、という意味ではこれで城壁上との差はなくなったが、やはり上から射下すのと射上げるのでは威力にも精度にも差が出てくる。
また弓の射程であるにもかかわらず、先の作戦で木の覆いを砕いた投石は届いてきており、やはりこちらも命中した盾を一撃で砕き割ってくれた。
城壁上では二人の女英傑の恐るべき投石に喝采の雨霰であったが、誰一人、なんで弓を使わないんだ、なんて言う者はいなかった。
ミッツは、モルテンとひそひそと話し合う。
「そりゃ、あんだけ胸デカきゃなあ」
「……ミッツ、絶対誰にも言うなよ。俺、アキホが隠れて弓試して、弦が胸に当たって悶えるの見ちまってさ……」
「ぶふぉっ! やべえ、マジやべえそれ。お前よく笑わないでいられたな」
「口押さえて必死に逃げたんだよ。おかげで俺、アキホの顔見るたびにアレが思い出されてよ」
モルテンはこの砦で数少ないミッツと五分以上で斬り合える人間で、ミッツはそんなモルテンを尊敬しているし、モルテンもまた剣の腕は立つくせに妙にお人好しなところのあるミッツを気に入っている。
モルテンは小隊長でミッツは平隊員であるが、ミッツの腕っぷしとその知能の高さは周囲の皆からも認められており、もう少し戦歴を重ねればミッツもまたモルテンと並ぶ小隊長になるだろうと見られていた。
そんな傭兵団小隊長と小隊長候補サマであるが、うっかり笑ったりしたら本気で殺されかねないと心底からビビっているのであった。
第二砦の後始末を終え、第一砦を包囲している本隊と合流したシェルヴェン軍の小隊長は、その結果を聞いて嘲り笑うより先に驚きが出てしまった。他者を貶めることに僅かな痛痒も感じぬこの男らしからぬことだ。
「は? え? おまえんところ、五十人もやられたの? え? なんで?」
言われたのは、第二砦攻略中に第一砦を包囲していた小隊の禿げ頭の隊長だ。
彼ほどの男がヘマをするなど考えられぬと思っているのだ。
「……何度も言いたくねえから一度でわかれよ。先遣隊から報告のあった金髪と黒髪の女、コイツらにめちゃくちゃやられたんだよ」
「なわきゃねーだろ。女で、それもビビって引くぐらいの美人って話だろ。なんだそりゃ。お前の隊どんだけたまってんだよ」
禿げ頭は面倒くさそうにこの場で最も高位の男に言う。
「すんませんオーヴェ千人長、この馬鹿の相手頼んでいいっすか? 俺コイツと話してると腹立ってしゃーないんっすよ」
「それはお前に限った話ではない。だが、それが一番話が早いな」
オーヴェ千人長が理解しやすい内容で起こった出来事を説明してやる。すると性格の悪い小隊長は、これ以上ないってぐらい愉快そうにげらげらと笑い転げだした。
「あ、ありえねえええええ! おまっ! あんだけ準備しといて! それでちっと強いの出てきただけで五十人! 五十人もやられたのかよ! 雑っ魚! 貧弱すぎんだろお前ら! 荷物持ちからやりなおせよボンクラが!」
オーヴェ千人長は今にもキレそうな禿げ頭の小隊長をさっさとこの場から追い出した後で、性格の悪い小隊長に事態の深刻さをきちんと説明してやる。
その上でも彼は笑ってはいたが、この男はそもそもがこういう人間であり、それでも千人長が警戒しているという事実を見過ごすほど間抜けでもない。
なので千人長が予定を前倒しで計画を進めたほうがいいかもしれんと言ったことに対しても、特に異論を述べることはなかった。いやそれどころか更に一言付け加えてきた。
「なあ千人長よう、例の作戦の時、一応、一応だ、尾根沿いを狙える場所にもバリスタ辺りを配しておいたほうがいいんじゃねえか。千人長が警戒するほどの運動能力があるってんなら、もしかしたらにも備えておいたほうがいいんじゃねえかなってよ」
性格が悪く、性質が悪く、性根が腐っている。若貴族を第一砦の前で処刑するよう進言し実行したのはこの男である。それでも、小隊長を任せるだけの男でもあるのだ、この男は。
「その通りだ、よく気付いてくれた。すぐ手配しよう」
へいへい、と笑いながらこの場を去る。
オーヴェ千人長は計画の段取りを頭に思い浮かべ、具体的にどう進行していくかを想像する。これを何度も繰り返し、計画と実行に差異がないよう備えるというのがオーヴェ千人長のいつものやり方だ。
いつもは不確定要素をいくつも抱えての作戦決行となるのだが、今回に限ってはかなり精度の高い予測が立てられている。つまり、成功の確率の高い作戦であるということだ。
「……先遣隊の作戦。聞く限りにおいては良い作戦だと思えたのだが、さて。運が悪かった、先遣隊が間抜けだった、それならばいい。だがもし見切って誘われたのであれば……」
敵は索敵能力が高い、ということになるのでは、と考える。
今回は敵の正体が知れぬ。不可解な出来事が重ねて起こる。ならば、とオーヴェ千人長は城攻めも慎重に事を進める。
オーヴェ千人長がそうすると言うのであればそこに警戒すべきなにかがある、と付き合いの長い部下たちは察してくれる。
その指揮能力を領主様に評価されているオーヴェ千人長は、時に傭兵たちを指揮することにもなったりするが、やはり同じ領地から徴兵されてきた兵たちを率いるのが一番いい。
オーヴェだけでなく小隊長たちも兵をよく理解しているので、傭兵たちには一々細かく言ってきかせねばならないことも一言で済んでくれるし、複雑な戦術を行使することも可能だ。
にもかかわらず、緒戦で兵五十を失ったのだ。オーヴェはその意味を、きちんと理解しているのである。
オーヴェ千人長を中心に全ての小隊長が集まっての軍議が開かれる。
全員が渋い顔である。
こういう時、真っ先に愚痴を喚くのはいつものあの性格の悪い小隊長だ。
「ふっざけんじゃねえぞ! なんだよあの女! 意味がわからねえ! なんだってあんなバケモノがこんなド田舎に出てきやがんだよ!」
ちょっと前、そんな女いるわけないだろと散々馬鹿にして笑っていたのは彼であるが、自分に都合の悪いことは即座に忘れる実に生き易い素敵な頭をしている男である。
禿げ頭の小隊長も、このクソのこれはいつのもことだと一々つっこんでやったりもしない。
「まともな城攻めをしたらとんでもねえ損害が出る。隙らしい隙は見当たらねえし、砦の将もありゃここの守り方をよく知ってるわ」
別の小隊長は大きく深い溜息を吐く。
「城攻め? 冗談だろ? あれじゃ数揃えて押し込んでも、攻城兵器が壊される速さが速すぎてとてもじゃないが城壁で振り回すなんて真似もできそうにねえ。あの投石だよ。アイツをどうにかしなきゃこっちが全滅するまでやっても城なんざ落とせねえぞ。んであの投石をどうにかするには城壁上の化け物女を仕留めなきゃならねえときた。これじゃどーにもなんねーよ」
これまでの攻防から敵の手の内を読み、そして対策を練る、それが軍議である。
だから最初の攻防は被害を最小限に押さえこみながら敵の手を一つ一つ暴いていくのが目的だ。
もちろん下手な対応をしたなら即座に城を落とす、そんな備えがあってこそ敵は全力で対応してくるのだし、その全力の対応を見ることができて初めてその対策を考えることができるのだ。
禿げ頭の隊長がオーヴェ千人長に問う。
「例の件、確認は済んだんですかい?」
「ああ、先遣隊隊長の言っていた通りだな。……お前ら、さんざ彼を馬鹿にしていたが、彼の作った策、よくできていたぞ。少しは認めてやれ」
即座に返す、打てば響くといった性格悪い小隊長クンだ。
「負け犬の策なんざゲンが悪いにもほどがあらあ。クソの役にぐらいは立ったんですかねえ」
「ああ、決まれば必殺の一撃だ」
オーヴェ千人長の断言は珍しい。禿げ頭が確認するように問う。
「もしかしてご自分で?」
「ああ、見た。あの崖ならば技術のある者であれば登れよう。そしてその技術のある者は、先遣隊隊長が用意してある。先の戦でもその者だけは意地で守り切った」
別の小隊長が感心した顔で言う。
「確か千人長も崖登りの心得がありましたよね。先遣隊のボケが揃えた人間はどうです?」
「腕は見た。十分だ。夜間登攀の訓練もしていたそうでな、援軍の要請がいって出陣までの短い時間で、よくもまあここまでのものを揃えたものよ。よほどサーレヨック砦陥落に賭けていたのであろうな」
オーヴェ千人長はそれが敵であろうとなんであろうと、優れた技術や見識といったものに出会うとこれを率直に称え、とても上機嫌になる。
そのせいでいらぬ敵を作ることもあるが、優れた味方を作ることもあるので、部下たちもこれを咎めるのが難しい。敵をすら賞賛するオーヴェ千人長のあり方は、本来はあまり好ましいものではないはずなのだが。
部下たちも色々と言いたいことはあるが、とりあえずは本題に関してだ。
やたら手強い砦だが、どうにか勝つ算段はつきそうであった。
サーレヨック砦の最も攻めづらいところは、この砦の完全包囲がほぼ不可能であるということからだ。
峻険な山岳地帯に相当な苦労を伴って建てられた砦は、砦の裏口側へ、王都圏側から兵を回すことが崖や岩場によって妨げられているのだ。
この山岳地帯を大きく迂回するつもりでもなければ裏口側に至ることはできず、しかしそちらに行くには今度はそちらはそちらで別領地であったり、国外であったりといった場所を抜けなければならず、王都圏がドルトレヒトを攻める、というのであればその選択は現実的ではない。
最後の最後では逃げ道がある。それは心理的な余裕に繋がるし、攻城戦における追い込まれるが故の士気低下はあまり考えなくてよくなる。どうしようもなくヤバくなったら逃げればいいのだ。
それまで戦い続けられるし、そもそも敵が砦を攻めてくるというのは守る側からすれば、わざわざありえぬほどに有利な態勢で戦えるということでもあり、砦の持つ優位点だけを活用して敵を殺しつつ自身が負う危険は小さいと、戦意維持に困らぬ素晴らしき戦況となる。
これがサーレヨック砦が堅城であると言われる所以の一つだ。
この大前提はサーレヨック砦建設以来一度も破られたことのないもので、もちろん前提を崩しにかかる者もいたが、これを為し得た者はいない。どういった試みがなされてきたのかもドルトレヒトは資料として保管しており、サーレヨック砦防衛任務につく者にはこの情報が開示されることになっている。
つまり傭兵であるアッカ団長もこの知識は持っていて、故にこそ、用心深い彼ですら気付くのが遅れてしまったのである。
夜間、砦で見張りをしていた者が遠くの火に気付いたのはとりたてて不自然なことではない。
真っ暗闇の中、視界を遮るものもない場所で火を付ければ嫌でも目立つ。当初その兵はその場所に火があることの意味を理解しておらず、なんだありゃ、ととりたてて急ぐ様子もなく、一応で報告だけはあげておいた。
それを聞き、血相変えて砦上に駆けてきたのは副長だ。
自身の目で火の位置を見て、それがとんでもない企みの存在を示唆するものだとわかった副長は大慌てで砦全体への警戒態勢を指示する。
こういう時、一番速いのはやはりアッカ団長だ。
副長から人をやっていた涼太も少し遅れて城壁上へと走ってきた。
団長は深刻な顔で涼太に言う。
「リョータ。あの火の傍の人間が何をやっているか、見えるか?」
もちろん、と請け負った涼太だが、まだ涼太はそれの意味を理解しておらず。遠目遠耳の術により火の傍までこれを飛ばしたところで背筋が凍った。
「んなっ!? 嘘だろ!」
思わず声に出してしまった涼太に、団長と副長は揃って苦い顔だ。
「……リョータ。もしかして、夜間の崖登りか?」
「冗談じゃないぞ! 命綱も無しであんなところ登れるものか!?」
「しかも夜ときた。よっぽど登攀に自信のある者を連れてきていたか。いや、それでもあの崖は簡単に登れるようなものじゃ……」
「クソッ! クソッ! クソッ! 連中少し登ったら崖に杭打ち込んで足場と手をかける場所を確保しながら登ってる! ありゃ博打じゃない! 時間をかけてでも確実に登るやり方だ!」
副長はすぐに小隊の一つに裏口側からの出撃を命じる。
あの崖さえ登り切れてしまえれば、砦の裏口へ行くルートが繋がってしまうのだ。これを裏口側から潰しに行くという話だが、崖までは砦裏口からはぐるりと大回りしなければならない関係上、とてもではないが間に合うとは思えない。
一応、あの崖のある場所まで行く方法はないではないのだ。
だがそこへは裏口を出てすぐのところにある峰を通っていかねばならない。峰は、左右が崖といっても過言でないほどの急斜面になっていて、人が通るための足場なぞそれこそ足一つ分の幅しかない。しかも山の上であるからして、常に強風を覚悟せねばならない。たとえるのなら、落ちたら死ぬ足場がでこぼこの平均台、といったところか。
それでも昼間に慎重にこれを進むのならばなんとかなるかもしれないが、灯りもない夜間にここを通るのはそれこそ凪や秋穂にとってすら自殺行為でしかない。
団長は焦った口調で問う。
「リョータ。裏口から出ていった奴らがあそこまで行くのに、明け方近くまでかかる。間に合うと、思うか?」
「あのペースで登って、上から縄をたらして下の兵士たちが上まで登って、か。敵がもたついてくれれば或いはとも思うが、ここまでのことしてくれた連中だ、望み薄だな。崖の上の確保を防ぐのは難しい……か」
小隊長の一人が、隊を集めて松明を用意させている。
「団長! 俺たちが峰を行く! 松明つけてゆっくり行けばなんとかなんだろ!」
「頼む! こっちからじゃ援護のしようもねえから、ヤバそうだったらすぐに引き返してこいよ!」
暗闇の中、火をつけてのろのろ移動していては敵の良い的だ。なので、峰を渡り終えるところに待ち構えているだろう兵を如何に蹴散らすかが問題になる。
凪と秋穂もこれに同行しようとするが、団長がわざわざ声を掛けてこれを止める。
凪、思わず団長を睨んでしまうが、彼は真正面からこれを睨み返す。
「奴らは斥候でもある。こっちの切り札を安全確認もせず出せるか。いるのが敵兵ならともかく、あの斜面を落ちたらお前らでも助からんぞ」
団長の正しさを認めた秋穂が凪を止めると、凪も渋い顔ではあるが引き下がった。
小隊が出る。松明の列が峰を進むのが城壁上からでもよく見える。
が、すぐに反応があった。
何処から飛んできたものか、巨大な矢が松明周辺に打ち込まれてきたのだ。
攻城兵器にも使われる巨大な石弓、バリスタだ。敵側も、砦周辺の地形を把握しているようだ。サーレヨック砦からあの崖に行くのならば、この峰を通るか大きく遠回りするかの二つしかないと知っていて、バリスタなんてデカくて重い武器を峰に向けていたのだろう。
あの崖登りを防がなければ致命的なことになる、それがわかっていても、峰を行く小隊長は戦況極めて悪しとなれば躊躇いなく引く。バリスタの直撃を受けた者はいないが、歩く足元に命中し峰の上端ごと崩れ落下した者が三人ほど出た。
「くそったれ、完全に、狙ってやがったな……」
団長の口惜しそうな呟き。
敵の持つ登攀能力ならば、他の崖に挑むこともできたのだろうが、敢えてあの崖にした理由がこれだ。
サーレヨック砦裏口から行くには地形の関係上遠すぎる距離があり、唯一近道ができるのはあの峰のみ。しかも夜間にこれを行なえば峰の通行も至難の業で、そのうえこれを邪魔するバリスタまで備えていたと。
涼太は遠目の魔術を使ってバリスタの配置場所を探る。今回の攻撃では一機のみであったが、自分だったらそんな真似はしない、と思ったからだ。
『やっぱりかよ、チクショウ。しかもこれ、砦正面に展開していた数より多いじゃねえか。……ん? んん? おいおい、ちょっと待ておい!』
涼太は更に別のものを見つけてしまった。
峰の下。暗がりの中に潜むように、兵たちが配備されている。距離は、峰の上に矢が届く位置。
絶対に、断固たる決意をもって、この峰は通さじという意思の表れだ。
しかも最初の小隊をバリスタ一つだけで追い返し大した損害を出させず、残るバリスタや弓兵を隠したということは、ここでこちらに損害を出させる気などなく、とにかく少しでもこちらの対応を遅らせることに注力している証拠だ。
涼太は遠目の術がバレる可能性をわかったうえで、バリスタと弓兵の存在を団長に伝える。
ほんの一瞬、戸惑う様子が見られたが、団長はそれだけで涼太の矛盾を飲み込んでくれた。
実際、今はそれどころではないのだ。
あれだけ構えられていたら、とてもではないが普通の兵では峰を走らせられない。きっと昼間であっても無理だったろう。
峰であるからして、敵がいる側とは反対側の斜面を移動すれば、という考えもないではないが、斜度がキツすぎて、峰の上を移動する以外の選択が難しい。
崖を登ってる連中の真似をして、斜面に杭をうちながら移動する、というのもありえない。そんなチンタラした移動では間に合わない。そもそも、あの崖の下に陣取っている敵兵を蹴散らせるだけの戦力でなければならないのだ。
そんな無茶を、ほんの僅かでもこなせる可能性があるとすれば、凪と秋穂の二人のみ。
だが峰を見に行った二人は、凪は無言のまま、秋穂は凪がアホなことを言い出す前にこれを制するように言う。
「歩けば抜けられる。でも、バリスタと矢で狙われたら、盾を持っていっても耐えられない。矢だけなら、足場だけなら、バリスタだけなら、あの峰に強風が無ければ、どうにかなるかもだけど全部一緒にこられたら絶対に無理だよ」
秋穂が駄目出しをした後で、そのうえでもどうにかできるかもと思った可能性を凪は口にする。
「足場さえ見えれば走れる。峰に火矢を打ち込んでおくってできる?」
これには先ほど峰に突っ込んで戻った小隊長が答える。
「火矢は長くはもたねえし、そもそも距離が届かねえ。峰の四分の一も照らせねえぜ」
「……そこから先は、盾と火矢持った私が自分で矢を射れば……」
「凪ちゃん弓使えないでしょ。それに、火つけたままで足を止めたら集中攻撃されるし、あの足場じゃかわすも受けるも難しい。その上火矢を射るなんてしてたら……」
時間がない。一刻も早く動き出さねば手遅れになるが、勝算も無しに動くのもありえぬ話だ。
不覚だったわね、と凪が溢す。
「昼間のうちにあの峰をよく見て覚えておけば、まだ可能性はあったのに……」
そこで、それまで無言であった小隊長、モルテンが口を開いた。
「おい、それ、一度見れば覚えられるか?」




