097.即落ち二話
最初から援軍なんてなかった、そう思い込むことで自らを慰めるアッカ団長は、副長がにこにこ笑顔で涼太を伴い部屋に入ってきたことに怪訝そうな顔をする。
「なんだ、随分とご機嫌じゃないか」
「ええ、団長。まずはこれを見てください」
大きな紙だ。皆で作戦を話し合う部屋の大机でもなければ全ては広げきれないだろう、かなりの大きさである。
副長がこれを机の上に広げていくと、アッカ団長は即座にこれがなんなのかを察し、勢いよく席を立つ。
そのまま、広げられている紙、細部まで涼太とニナで調べた考えられぬほど精緻な、そしてそれを彼は今ここで確認することができないが、ありえぬほどに精度の高い地図である。
アッカ団長はこれを隅から隅までじっと見た後で、大きく深い嘆息を漏らした。
「信じられねえ……なんだこの地図。こんな地図、どうやったら作れるんだよ。地図見ただけだってのに現地の様子がまるで目に映るようじゃねえか。遠くを見られるってだけで、こうまですげぇもんこしらえられるようになるもんなのか? いや、魔術師ってなおっそろしい連中なんだな。改めて思い知った。こんなすげぇ奴抱えてて戦に負けるとかありえねえだろ」
隣でむすーっとしているニナへのフォローのつもりで涼太が言う。
「俺だけじゃない、ニナにも随分と頑張ってもらったよ。地図各所の注意書きは全部ニナが現地を調べた結果だぜ」
「おお、そうかそうか。よくやったなニナ。これさえありゃ、シェルヴェン軍なんざへみてぇなもんだ。本当にありがてえぜ」
ふふーん、もっと褒めろ顔をして胸を反らすニナ。涼太は思う。この子のどこが暗殺者なのだろうと。
暗殺者であった頃のニナの生活は、聞く限りにおいては衣食住足りた生活であったようだが、ニナは常に不満を抱えていたと言う。
あるべき暗殺者像なんてものを涼太が知っているわけではないが、暗殺者として望まれるようなあり方を強要される生活は、ニナにとっては大きな苦痛を伴うものであったのだろうことはわかる。
ニナほどの年で、世界の全てはその暗殺者としての生活であったはずのニナが、どういう経緯で管理者を殺してまで逃げようと思うようになったのか。涼太も興味がないではないが、ニナが自ら口にするまで追及するつもりはなかった。
涼太は思考を目の前の地図に戻す。
「で、だ。アッカ団長の目で見てヤバイって思う所はどこだ? 何か所か注意点を書いておいたんだが……」
サーレヨック砦を落とす側の立場で、アッカ団長と副長は地図を見ながら色々な意見を述べてくれる。
これに対し、現地はどうだった、といった話をするのはニナであり、涼太である。
団長と副長が次々と口に出してくる策、小細工、戦場のセオリー、そういった諸々は、ニナにも涼太にも驚きの連続だ。
そして団長と副長が思いつく全てのサーレヨック砦攻略法を、如何に潰すかを話し合う。
アッカ団長は笑っていた。
「こういうの普通は斥候が回って見るもんなんだが、どうしたってここまでの広さをここまでの精度で見て回るのは難しい。その斥候の技量や知識によっても精度ってな変わってくるし、なかなか完璧に備えるってな難しいんだよ」
「ラーゲルレーヴの斥候もそうなのか?」
「まあな、別に腕が悪いってんじゃあない。普通は指揮官が指定した場所と、斥候自身がヤバイと思う場所だけ見てまわるもんで、どこをヤバイって感じるかなんてその指揮官や斥候次第なんだよ。だが、コイツなら、この地図がありゃあ全部押さえられる。ヤバかろうとヤバくなかろうと、関係なくぜーんぶ書いてあるんだからな。いやはや、こんなとんでもねえ手間がかかるもん、たった数日で、しかも二人だけで仕上げちまうんだから大したもんだよお前さんたちは」
地図を見ての作戦案の提示で、アッカ団長と副長の戦場での有用さはこれでもかというほど涼太にもニナにも理解できた。
そんな人にこうして手放しでほめられるのはニナだけでなく涼太にとっても、とても嬉しいと思えることだった。
遂に、シェルヴェン軍本隊二千五百がサーレヨックの地に現れた。
敗走した先遣隊を吸収し周辺の土地の情報も手にしているのだろう。その動きに一切の迷いはない。
軍勢が見える場所に凪と秋穂はわざわざ移動してまで見にいったが、山間、林中であり、軍の全容を一目で見ることはできず、平野に七百の兵が並んでいたリネスタードでの戦の時のほうがおっかないと思えるものであった。
一方涼太はといえば、二千五百。あますところなくその全容を確認することができた。
「やべえ、めっちゃいる。上から見ると蟻がたかってるみてぇだわ」
二千五百人の人間が多い、というのではない。あれら全部を、殺し合いをしなければならない敵だと認識しているからこそ、多いと感じるのだ。
とりあえず、五百を相手に野戦を挑んだ勢いでアレに突っ込んだら間違いなく磨り潰されることはわかる。
ここでもまた遠目の魔術は仕事を果たしていた。
凪と秋穂と三百の兵を相手に、五百の兵が如何に抗い、如何に挫け、如何に敗れたかを空より見下ろすことができた涼太は、他の数多の将がそうするよりずっと早く、戦の妙を学ぶことができていたのである。
涼太は基本的には戦場に出ない。である以上、凪や秋穂と違って戦場の動き、機微にそれほど敏感になれる動機がない。
それでも涼太が戦の流れを知ることに強い執着と意思を持ち続けられるのは、リネスタードでの経験が元であろう。
たった一回、そして決めたことは一つだけ。城壁上から戦場を俯瞰し、コンラード率いる騎馬隊の突入時期を指示することのみ。
たったそれだけのことのために、涼太は開戦直後から集中して戦場の動きを見続けていた。
結果として、それはさほど難しい判断を必要としないものであったが、それでも、そんなことは結果を知っている者の視点であり、当時の涼太は自らの決定決断により凪と秋穂のみならず、コンラード率いる騎馬隊、更には後ろにあるリネスタードの民たちの生死をも分かつことになると理解していたのだ。
そのとてつもない重圧と、決断に必要な知識経験を一切持っていなかったことに対する後悔は、涼太が戦を学ぶ一番初めの強い動機となった。
その後も涼太は機会毎に戦を学んだ。二度目の後悔はドルトレヒト軍による追撃時だ。
優れた将というものを初めて体験した涼太は、絶対的優位を約束するはずのチート魔術まで使ったというのに危うく負けかけたのだから、遠目遠耳の術頼りで戦を乗りきることの危うさをよくよく理解することができた。
そして、今。
涼太は考える。いや、これまで考えていたことの答え合わせを行なう。
戦とはこういうものなのではないか、いや全く別のシロモノか、いやいやほんの少し認識がズレているだけか。わからない。だから涼太は答え合わせをする。
今、サーレヨック砦へと迫る二千五百の兵たちと、砦に篭る三百の兵たちを使って。
「野戦は何度か見た。だから、城攻めが知りたかった。俺は運が良い。こんなにも早く機会が得られたんだからな。俺は、運が良い」
後は、うっかりくたばっちまわないよう気を付けるだけだ、と思わず口に出してしまうと、すぐ隣にいたニナの顔が見えた。
とても驚いた顔で、そして少しすると、堪えきれぬと笑い出した。それはそれはもう愉快そうに、涼太を指さして笑っている。
「あ、あはは、リョータ。それ、その顔、こわくってこわくって仕方がないって顔」
「わーるかったな臆病で」
「ううん、それわかる。私もそれだった。ほんのちょっと前。同じこと言ってた。運が良いって。それが、おっかしくて。だって、リョータも同じこと言って、それで、きっと私も今のリョータと同じ顔してたって思うと、ぷぷっ、あ、あはははははは」
恥ずかしそうな顔をしていた涼太だったが、嬉しそうに、意外そうに言う。
「なんだよ、ニナはそういうの無い、どっちかっつーと凪や秋穂側だと思ってたんだが」
「ううん、違う。私はリョータ側。嫌で怖いけど我慢してる。けど、どうしようもなく怖い相手ってのもいる。敵に回ったナギとアキホとか」
「そりゃ怖い。俺だったら全身全霊を賭けてでもそんな事態は避けて逃げるね」
気持ちわかるわー、的意気投合っぷりを見せつけられているのは、ニナなんかよりもずっと長く一緒にいるはずの凪と秋穂である。
秋穂は、心中より湧き上がる焦りの感情に戸惑いながら、しかしそれだけではなく、何処か一歩引いたような感覚があり、その冷静であってくれた部分が言うわけだ。隣を見てみろと。
すると隣の凪も珍しい、どうしていいのかわからないといった大いに焦った顔をしていた。
『あー、うん、ニナが笑ったのはこういうことね。あ、あはは、私もこんな顔してたと。これは、確かに笑えるよ』
凪はもちろん、冷静さの残っている秋穂も、こういった時の対処の経験がない。なので、表情が表に出ないよう取り繕いながら沈黙を守ることしかできなかった。
素直に拗ねてみせることすらできぬほど、拙い立ち回りしかできないのである。
凪と秋穂の焦燥感も翌日には嘘のように収まっていたし、以後そういった事態が頻発するなんてこともなく。
当たり前だが、ニナも涼太もお互いを恋愛対象だなんて欠片も思っていないのだし、気持ちわかるわー、的意気投合っぷりは時間を長く濃く共に過ごしている凪や秋穂との間にこそ多いに決まっている。
秋穂は、そういうものだとあっさりとしていたが、凪などはよりにもよってニナを相手にそんなことを考えてしまった自分に結構ヘコんでいたり。
そして涼太であるが、決して涼太は鈍くはないのだが、人間、口にしなければ大抵のことは伝わらないものである。
そんな思春期な悩み事たちは迫りくる現実と比べれば取るに足らぬものであり、涼太は接敵の直前まで砦での備えに知恵を絞り、その指示に従ってニナだけでなく凪や秋穂も動き回っている。
敵影が砦付近にまでくると、涼太の緊張はピークに。
しかし敵集団は砦からの矢の間合い付近で盾を構えてうろうろするのみ。
何時来るか、どの動きが来る気配であるのか、涼太は目を皿にしてそれこそ兵一人一人の動きすら見落とさぬよう注視する。
涼太の緊張が伝わったのか、凪も秋穂も警戒した状態のままでじっと敵の様子を窺っている。
そしてニナは、妙に緊張している涼太に向かって、口に手を当て欠伸をしながら言った。
「私、どーせ暇だし向こうで寝てるねー」
用があったら起こしていいよー、と呑気な声で言う。
その反応を見て涼太は初めて周囲を見る余裕ができた。城壁上の兵士たちは全員、気は抜いてはいないが臨戦態勢というわけではない。突撃とその直前の戦士たちの気配を見てきたからこそ、涼太にも兵たちが今すぐ戦いになると思っていない、とわかった。
「あれ?」
城壁上にアッカ団長が登ってきた。
「ようリョータ、お前も見たろ。どーも連中、まずは向こうの砦に行くらしいな。向こうが動いたら一当てしたいからお前んところの二人借りていいか?」
涼太はじっとアッカ団長を見る。涼太からすぐの返事がないことに、アッカ団長は驚いたようだ。
「ん? おいおい、またなんか面倒な問題でもあんのか?」
「はっはっは、問題といえば問題かな。俺、なんでアッカ団長が敵さんが向こうの砦を優先したって判断したのかわかんない。んでもって、だからと一当てする理由も」
え、マジ? といった顔のアッカ団長。
敵兵力二千がこちらの砦に来ている。どう見てもこちらを優先していると思えるのだが、と涼太が言うと、アッカ団長は片手で自身の頭を掴み、乱暴にがしがしとこれをかく。
「まず二千で囲んで砦周囲の要地を押さえる。二千いれば邪魔はされない。んで要地を押さえたあとで最低限の兵だけ残して第二砦に。こっちが砦から出た時迎撃しやすい要地は押さえてあるから、残す兵はこちらの同数で十分」
「お、おう」
「んでコイツを許さないために、迎撃されるのがわかっていてもこっちから出ていく。最低限砦を出て攻める姿勢を見せとかねえと、第二に総力を向けられる。それじゃ砦が二つある意味がねえ」
「凪と秋穂で強引に突破するって話か?」
「どうだろうな、確かに二人はすげぇが、どっちかっつーとこっちの兵に損害出さずに難所を突破するのに二人は使う。敵は徹底的に被害を減らす戦い方してくっだろうからな。地形利用しながら守りに徹されたらさすがにあの二人でも好き放題殺して回るとはいかねーよ」
本来ならば犠牲を出してでも攻める姿勢を見せるところだが、凪と秋穂がいればこちらの犠牲を本当に最小限に抑えることができる。
そんな気はしてたが、とアッカ団長は呟く。
「堅い手でくる。勢い任せに突っ込んでくる奴相手なら第二の連中も生き残れたかもしれねえけど、コイツは多分ダメだわ。一当てで下がる敵のケツに食いつけるぐらい踏み込めりゃいいんだが、そこまでは許してくんねえだろうなぁ」
敵が勢い任せに突っ込んでくること自体も誤りではない。
今回は偶々涼太の作った地図と魔術があるためかなり堅い守りになっているが、こちらの状況が悪ければ、たとえば先遣隊との交戦で負った損害が大きかったとか交戦の結果なにかの不具合が発生していたとかがあれば、これが塞がれる前に一気呵成の攻撃を仕掛けるのが最善となる。そもそも小細工をする気がないのなら、さっさと攻め掛かって徹底的に攻め続けるのが良いのだ。なら即戦の決断も決して間違いではない。
アッカ団長は笑って言う。
「その土地毎に戦い方、定石ってな違ってくる。自分でその土地を見て、そのうえで昔の戦の資料見せてもらうってのが一番早道な気がするぜ」
特に平城ではなく山城を攻めるのなら、画一的な戦い方しか知らないと痛い目を見る、とアッカ団長は話してくれた。涼太がそういった知識を求めているのを知り、こうしてくれているのだろう。
涼太は今度は怯えとかなしに、俺は運が良い、と心から思えたのである。
アッカ団長に、涼太は戦のいの字も知らないなんて思われていなかったように、凪と秋穂が戦の機微を知らないなんてこと、一緒に攻めていた兵たちも思いもしなかったのである。
敵陣の一つを瞬く間に食い破ったラーゲルレーヴ傭兵団攻撃隊は、次なる敵陣付近にまで辿り着く。
ここには多数の敵が待ち構えていることは涼太が遠目の魔術で把握しており、これを出撃前に凪も秋穂も聞いていた。
兵たちは敵が待ち構えている場所から考えて、そこから放った矢が当たる場所の直前で足を止める。
敵が待ち伏せしているだろう場所の情報は兵たち皆が共有しており、こんなことは誰に言われるまでもなく、全員が自然とそうするものだ。
だが、内の二人。その恐るべき技量と戦果から歴戦の猛者と思われていた凪と秋穂が揃って、最終ラインを無造作に走り越えるとは誰もが思っていなかったのだ。
「は!? ちょっ! おまっ! ヤバいぞ戻れ!」
多数の待ち伏せがある場所だからこそ、凪と秋穂が先頭きって飛び込むべし、なんて考えていたのである。
そして待ち構えるは、事前に聞いていた化け物二人をすら押さえ込めるよう考えられている待ち伏せ陣。超矢雨である。
ありえないほど速く、アホみたいに腕力があっても、刃が当たれば斬れるのだ。堅いけど。だから、敵側もありえないほどの矢をぶちこんでやれば、ありえない速さにも当てられる、と暴論かまして備えていたのである。
『にゃぎゃあああああ!』
『うわひゃあああああ!』
それぞれ凪と秋穂の心中の悲鳴である。
鏃が陽の光を照り返しきらきらきらきらとそこら中で光っている。鏃の小ささからきらきら、というよりはちらちら、であったかもしれないが、そのきらきらだかちらちらだかが、ものっすごい数ある。
それはもう意識してどうこうしたわけではない。見えたから動いた。これを凄まじい速さで繰り返しただけだ。
面白いことに、どちらも避けるのを諦め小さく蹲ったりはしなかった。避けることのみを考え飛来する矢と矢の隙間に身体を滑り込ませていく。
その一斉射が全てだ。とてつもない怪物を仕留めるために、射手全員が渾身の力を込め狙いを定めて放ったもので、どれ一つ疎かにしていい矢はない。全てに必死必殺の意志が込められている。
これを、全部、かわしたのだ。
かわす挙動は一瞬だ。だが、矢が全て抜けていった直後は、さしもの凪と秋穂も動けなかった。
ぶはあ、とあまり行儀の良くない息を吐きだす。先に口を開いたのは凪のほうだ。
「秋穂! 戻るわよ!」
「うん!」
次、同じことされたら無傷で切り抜けられる自信はない。両者共がそう思い、二射目がくるまえに身を翻す。
避けるのに必死で足が止まってしまったのもあり、ここから再び加速して敵陣に飛び込めるかどうかはかなり分の悪い博打になりそうで。
しかももし敵の二射が間に合った場合、今度は超至近距離でコレをかわすハメになる。絶対に無理だと即座に判断したのである。
来るな来るな来るな来るな、と祈りながら走り抜け、木陰に勢いよく飛び込む。間に合わないのがわかっていても、敵は二射目を放ってきたが、凪も秋穂も遮蔽を取ることが間に合ってくれた。
感心したような呆れたような声で、大斧を持った大男モルテンが言う。
「お前ら、あれ、当たってないのか?」
「あ、あんなおっそい矢に当たってたまるもんですかっ」
すぐ後ろにいたミッツが、こちらは完全に呆れた声でいう。
「いや、めっちゃくちゃ焦った顔してたじゃねえか」
「うるさいわね! 全部避けたんだからいいじゃない!」
「……ああ、うん、全部本当に避けやがったよな、お前ら。ありえねー。で、どうする? もっぺんこの二人を頼るか?」
秋穂がうんざり顔をする。
「二度とやりたくないよ」
モルテンが肩をすくめる。
「だろうな。大盾を持ってこい!」
これを秋穂が止め、木陰の奥にある木の前に立つ。
「大丈夫、ここに良いのがあるよ」
とりゃー、と木の根元を蹴る。蹴り削る。すると凪も加わって見上げんばかりの大木が二本、あっという間に蹴り倒されてしまう。
適度な長さに整えた後、これを傭兵たちが一斉に押し転がしながら進む。
矢は、飛んでこなかった。
陣地のすぐ傍までこれで近寄った後で、凪と秋穂が転がした木の後ろから飛び出したが、その時には百人近くいたはずの敵兵は一人たりとも残っていなかった。
凪たちが木を蹴り倒したあたりでこれを防ぐことは困難と見極め、さっさと退却したのだろう。敵隊長の見切り、判断の速さは大したものだ。
すぐに追撃にうつるが、やはり矢は警戒しなければならず、この斬り倒した二本の木を凪と秋穂が肩にかつぎながら、傭兵たちは敵兵を追う。
敵兵にとって、木を蹴り倒して盾にするなんて話を予想していたはずがないのに、次に敵が待ち構えていた場所は、坂道を下ったあとで少し上り、そこに岩の遮蔽がある場所である。
坂を上るのならば木を盾にしつつ押しながら上れるが、坂を下るのは無理だ。かといってこの木を投げて坂を転がし落としても敵に被害は出ない。
こちらの打つ手に対し、即座に対応してくる。もちろんラーゲルレーヴ側も無策ではない。
ここは岩場で起伏が激しいことから、敵に対し遮蔽を取りながら近寄っていくこともできる。こうした判断をそれぞれの軍の小隊長が次々繰り出していく。
ラーゲルレーヴ傭兵団の小隊長は凪と秋穂の膂力を考慮し、あの岩を投げてくれだとか邪魔だからあの大岩どかしてくれだとか二人でなければできないことも指示していく。
ちなみにモルテンにはこの手の芸当は無理のようで、こういう時は黙って頭の良いやつらに従っている。
彼らの指示に従う形になっているが、言われている凪に不快感はない。むしろ感心することしきりだ。
『ドルトレヒト軍に追い回されてた時、向こうじゃきっとこういうことしてたんでしょうね。ウールブヘジンとやった時平地だったのは、もしかしたら私たちのほうにこそ有利だったのかもしれないわね』
敵陣を岩陰から見張っていた小隊長が怒鳴る。
「おーいナギ! そっからで構わねえから連中のところに木ぶん投げてくれ!」
「任せなさい!」
どっせーい、と大木を投げつけながら、ふと思い出す。
涼太以外の人間の指示を聞いたのは久しぶりだなと。というかそもそも、ナギに指示を出すような人間、周囲にはいなかったなと。
きっと小隊長も、ここ以外でならナギに指示を出すだの命令っぽい真似をするだのは絶対にしないだろう。だがここではそうしなければ死人が増える。だから、それが必要なことであるのなら遠慮なんてしない。そういう場所にいるのは、ナギにとっては心地よいと感じられるものであった。
結局、敵本隊に追いすがることはできず、残された敵が迂回しサーレヨック砦を窺う動きを見せたことで、それが陽動であるとは百も承知であるが、ラーゲルレーヴ側は引かざるをえなくなる。
だがそれでも、第一砦側は執拗に出撃を繰り返し、包囲の任を受けているシェルヴェン軍部隊に消耗を強いる。
埒外の存在であるナギとアキホがいることで、本来ならば攻勢に出たところで逆にラーゲルレーヴ側に損害が出るような状況であっても、敵に被害を与えることに成功し続けていた。
包囲されている砦の動きとしては十分以上の働きではあったのだが、それ以上に第二砦が失策を重ねれば総合的にはマイナスになろう。
第一砦から敵主力が離れて一週間。
第一砦からでも見える高台にある第二砦から、煙が上がっているのが見えた。
煙があがるまでそうと気付きづらいのだが、第二砦は城壁上から見える岩場の一つ、まるっきり岩にしか見えないそこにあった。
アッカ団長の依頼を受け、城壁上から涼太が第二砦を見る。
視界を遮るものが多く、極一部しか見ることができない。のは直線でしか視界が通らない場合で、涼太はほぼ全てを見ることができた。
『……くっそ』
もう戦ではなくなっていた。
第二砦への遠目遠耳の魔術を維持したままで、涼太は隣にいるアッカ団長に言う。
「駄目だ。もう、どうにもならん」
直接見ることのできない他の兵も正しく理解している。
砦から幾筋もの煙が上がっているのだ。そこで何が行われているかなんて誰よりも傭兵である彼らが熟知していよう。
涼太が首をかしげる。遠耳の術の調子が悪いのか、声が二重に聞こえる。
いや、他の兵がその原因を言ってくれた。
「おい、なんか叫び声、聞こえてきてねえか?」
距離は十分離れている。だが、それでも微かにだが聞こえてくる。涼太はその原因へと遠目の術を飛ばす。
いた。
第二砦の第一砦側へと突き出した城壁の上に、捕虜が並べられている。
いやあれは捕虜ではなかろう。もう、連中はソレを人とみなしてはいない。
思いつく限りの苦痛を与え、その悲鳴と絶叫が第一砦に届くようにと、拷問を加えているのだ。
涼太は別所に目を向ける。
そちらでは城壁端に追い込まれた兵士が、祈りを捧げながら壁の外へと飛び降りている。
絶望したのではない。斬り殺されるより、十メートルを超える城壁の上から飛び降りたほうが、生き残れる可能性は高いと考え飛んだのだ。当然落下して死んだが。
また更に別の場所。
砦の最奥。頑丈な木の扉の奥で、若貴族が喚いていた。
「おいっ! 聞こえるか! 私はドルトレヒト貴族だ! 降伏だ! 降伏する! こちらには身代金を払う用意があるぞ! 傷一つつけることがなければ更なる謝礼を父は用意するだろう! 私の名誉に懸けて、必ずや約束しようではないか!」
木の扉が蹴り開けられる。
「てめえが指揮官か。よし、んじゃ残りはいらねえ、殺せ」
「まっ! 待ってくれ! 彼らの分も……」
若貴族が何を言っても聞く耳持たず、次々と斬り殺されていく側近たち。そして最後に残った若貴族に縄をかけさせる。
やかましいからと口にも縄をかませた後で、彼は残忍に笑った。
「サーレヨック砦じゃ傭兵が籠ってるんだって? ははは、ああいうのにはよ、こっちにゃ商売なんざ通用しねえってイカれたところ見せるのが一番よ。なあ、たとえば、金になる貴族の捕虜を目の前でずったずたに斬り殺してやればよ、俺たちに理屈は通らねえ、俺たちとやりあうのはワリに合わねえ、そう思うって寸法よ。はははっ、良い手だろ」
若貴族は彼の言葉を聞き、涙と鼻水をたらしながらもがき始めるが、抵抗は縄によって無意味で言葉も発せない。そしてその哀れさを誘う有様にも、彼らはただただ笑うのみ。
涼太は、情報収集の手前見たくもないこんな光景を延々見せられることになった。
涼太は彼ら若貴族たちが出ていくのを止めることはできなかったのか、と何度も自問したが、何度思い出してもこれを翻させることはできなそうであった。
アッカ団長から、城壁上から見るのはもういい、と言われても涼太は遠目遠耳の魔術を維持したまま、第二砦で少しでも多くの情報を集めようとしていた。
その間ずっと、彼らを救う手立ては本当になかったのかと考え続けたが、何一つ良い案は思いつかない。
さんざん考えて考えて考えた後で、腹腔にたまった疲労感を吐き出しながら呟く。
「結局、どうしようもない、って言ってたアッカ団長の判断が正しかったってことだ。ああ、くそ、アレが、ああいうのが普通の敵だってことかよ」




