093.ニナ
涼太たち三人の次の目的地は、サーレヨック砦である。
涼太は直前の逃避行時、軍組織の動き方を急ぎ学ばなければならないと痛感し、凪と秋穂もまた軍の戦い方を敵としてではなく味方として知りたいと思っていた。
たった三人で街一つを敵に回すような言動を行なう涼太たちだ。対軍の立ち回りを学ぶことは必須であろう。軍とは何処まで戦えて何処からは無理なのか、その線引きをより正確に知りたいと思うのは三人にとって自然なことだ。
だからとこれまで殺し合いをしていた陣営に紹介状を書かせ、最前線の砦での戦闘を認めさせるというのが正しい、もしくは賢いあり方だとは到底思えぬものだが。
涼太はうんうんと頷く。
「サーレヨック砦にいるのは傭兵軍が丸々一部隊で、これまで殺し合ってきたドルトレヒトの兵はほぼなし、なら恨みもなにもないだろ」
凪もうんうんと頷いている。
「敵はあのクソ貴族の親が出した軍で、コイツら幾らぶっ殺しても心は全然痛まないしねっ」
秋穂もやはりうんうんと頷くのだ。
「雇い主の紹介状もあるし、傭兵軍の評判も悪くない。砦の硬さには定評があって守るだけなら勝つ算段はついてる。かんぺきっ」
つっこみ不在のまま物語は続いていくのである。
まあ、こういった著しい誤認を是正するための参陣であるからして、選択としては間違ってはいない、のかもしれない。
街長視点では、既に涼太たちは敵ではなくなっているらしく、来る時周りを取り囲んでいた兵士たちは交渉場所であった屋敷から出る時はついてくることはなく、門番の兵士が涼太たちが街を出るまでは監視の意味で傍にいようとしたのも街長に止められてしまっていた。
街中を自由に歩き回っていいという話のようだが、街長はさておきこれを補佐する立場の者たちの表情を見てしまっては、あまりそこらをうろつき回る気にもならず。
もちろん問題を起こすつもりもなく街をさっさと出る予定であったのだが、三人の中に、或いは三人全員に、トラブルを招く因子でも埋め込まれているのか、街中を行く三人の前に街路より人が飛び出してきた。
随分と足が速い。背が小さい。子供だ。凪も秋穂も涼太も、見覚えがある。
その子供は街路から飛び出すなりすぐに凪と秋穂の気配に気付いた。
「なっ!?」
つい先日、涼太たちを襲いにきた暗殺者の内の一人、武器を拾って逃げた少女である。
少女にとっても想定外であったようで、ひどく焦り凪と秋穂を警戒し構える。意識の全てを二人に向けるぐらいしないと少女には対処できない相手だ。
で、そうすると当然それ以外が疎かになり、後ろから追ってきていた男の蹴りをまともにもらってしまう。
勢いよく転がっていく少女。街路端の軒先に頭から突っ込む。が、咄嗟にそこにあった木の棒を握り構え立ち上がる。
抵抗の構えに、追ってきていた男たちは口々に怒声を発する。だが少女の目は凪と秋穂から一切離さぬまま。
「ふぅん」
とは秋穂。
「へぇ」
と嬉しそうなのは凪だ。
涼太は見ただけではわからないので二人に聞く。これには秋穂が答えた。
「あれで、お前ら止められるのか?」
「距離と棒とで辛うじて初撃は、って感じかな。でも、逃げられないし動けない。集中を切らしてもダメ。それで……」
少女の側面に回った男が飛び掛かり、少女を地面に押し倒す。うつ伏せに引きずり倒された少女の頭やら胴やらを、左右から二人の男が何度も何度も蹴り飛ばす。
「他にも敵がいるみたいだし、結果はこうなる、かな」
男たちの後ろから、もったいぶって現れたのは老婆である。嫌らしい笑みが特徴的な、実に育ちの悪そうな老婆だ。
老婆は怒り顔であったが、凪と秋穂に気付くと仰天した様子で、慌てて男たちに声を掛ける。
「おっ! おいっ! アンタたち! まさかそこの美人二人に手なんて出してないだろうね!」
彼らは少女を捕まえるのに必死でそこまで見ていなかった。言われて初めて凪と秋穂に気付き、そのあまりの美貌に声を失う。
「間違っても失礼な態度なんてとるんじゃないよ! ……あー、すまなかったね、そちらのお三方。盗人の捕り物だ、そちらさんに迷惑かけるつもりじゃあなかったんだ、どうか勘弁しておくれでないかい」
老婆は相手が何者で、今何をしているのかを正確に把握しているようだ。
押さえ込まれ蹴飛ばされながらも、少女は顔を必死にあげて抗議する。
「盗人は! そっちだ!」
「黙ってろ馬鹿が! この人たちが何者かわかってんのかい!?」
老婆は話をまとめてすぐにでもこの場を立ち去りたがっているようだったし、秋穂はこの元殺し屋の少女が再び姿を現したことに作為を疑い警戒していた。
涼太はとりたててこの少女の行く末に関わるつもりもなかったが、凪の表情を見て態度を保留する。
そして凪だ。
押さえつけられた少女のもとへと足を進める。止められる者はいない。
「せっかく見逃してあげたのに、盗人で捕まるのはどうかと思うわよ」
「私は盗んでなんてない!」
見下ろす凪に、押さえ込まれた姿勢のまま首を限界まで反らして抗議する少女。
「じゃあ何したのよ」
「私の武器を、ソイツが捨て値で奪おうとした。だから……」
ぷぷっ、と噴き出す凪。
「殴り飛ばして逃げたと」
老婆の顔にはよくみれば殴られた痣が刻まれている。
すぐに老婆からも反論がきた。内容は、お互いお前が悪いの言い合いだ。
凪はこの街における裁定者ではない。だが、老婆も少女も知っている。凪と秋穂の決定を覆すことができる者なぞドルトレヒトの街にはいないことを。
老婆の言い分もわからないではない。こんな子供が武器を大量に持ち込んだとして、これを買ってくれと言ったとしたら当然盗品を疑う。
もし盗品にも文句をつけないような商売をしている店であるのなら、こんな子供と公平対等な取引というのがそもそもありえない。そんな価値あるものを子供が持ち歩いていたのなら、殴って奪ってお終いだ。せめても殺さないのが情けというものだ。
弱そうに見えても、せめても大人であったのならここまで露骨な話にはならなかったのだろうが、子供が自身で出張ってくるということ自体、後ろ立てなんてないと宣言しているようなものだ。そんな子供が訳アリな品物を持ち込んだとして、まともに相手などするはずもなく。
凪は老婆に向き直る。
「ねえ、この子、誰か殺した?」
「い、いいええ。ただ、何人かがぶっ飛ばされちまっててねえ。このクソガキ、ちぃと面倒なガキみたいでして」
そう、なら、と凪が少女の襟元を掴む。そして、少し捻りながら引っ張ると、上にのしかかっていた男がごろりと転がり落ちてしまう。
「は? え? は?」
男は何が起こったのかもわからない。子供だが面倒な相手だと認識していた男は全力で押さえ込んでいたのだが、凪の動き一つであっさりと、かつ驚くほど優しく外されてしまったのだ。
そのまま少女は凪に襟首を掴み上げられている。
これは少女にとって逃げる好機、では無論ない。握られた襟から伝わる凄まじき膂力に、少女はもう身動きすらできなくなってしまった。
「コレ、私が預かっていい? 武器はそっちで好きにしていいから」
「あっ! あれは私の……」
「所詮拾い物でしょ、変にこだわるのよくないわよ。ねえおばあさん、なんなら私から少しお金出してもいいわよ」
老婆は首を横に振る。
「領主様の御客人だろう。交渉結果がどうなったかは知らないが、今の状況でアンタから金なんて受け取れるかい」
「ああ、それなら……」
「悪いがアンタから何聞かされてもアタシらにゃどうしようもない。領主様から公に対応を明言されてない現状で、アタシらが勝手にアンタと取引するわけにゃいかないんだよ。実際にどうこうって話じゃない、領主様からアタシらに対して公表されてないってことが問題なんだ」
けど、と老婆が続ける。
「そのガキの持ち込んだ武器の処理はアンタたちとは関係ない話だし、そのガキを見逃すことにも文句はない。ただ一つだけ、どうしても聞いておきたいことがあるよ」
「どうぞ」
「この件で、アタシらを恨むようなことは、ないよね? 要望には応じる。だから、ね、頼むよ」
あまりに正直すぎる言い草に苦笑する凪。
子供から金目のものを巻き上げるようなやり口が気に食わないのはあるが、さりとてこの少女がまっとうではないことも凪は知っている。
明日にでも忘れてる、と言ってやると老婆は安堵した顔で引き上げていった。
猫の子のように少女の首根っこを掴んだままで、凪もさっさと歩きだす。秋穂と涼太もこれに続く。
少女は凪に問うた。
「私に、何か用?」
「とりあえず街から出て。それからね」
少女の襟首をつかんで持ち上げたまま、ドルトレヒトで大暴れした無法女が我が物顔で道を行く。街人はひそひそ小声で囁き合いながらも、決してその行く道を塞ごうとはしない。
一行はそのまま何処に寄ることもなく街の外に出た。
そこでようやく凪は少女から手を離し、そしてふところから銀貨を数枚取り出し、手に持たせてやった。
「ま、次は上手くやりなさい」
余計なことは何一つ言わず、さっさと先に進む凪。涼太は呆れ顔、秋穂は嘆息。
「凪はさ、なんとなくで動きすぎだろ」
「理屈じゃないもんねえ、その時その時の機嫌と気分で動くんだから。情けをかけられたほうも困るよ」
二人の抗議に凪はムキになって言い返し、これにまた二人が切り返して、といったやりとりが行なわれている。少女のことなどもう意識の隅にすらないと言わんばかりに。
少女の声が大きかったのは、それ以外のたくさんある理由よりも、ソレが悔しかったからという理由が最も強かった。
「待って!」
少女が声を掛けたことで、三人の足が止まった。その気配まで変わったことに気付いていた少女だったが、止まるわけにはいかなかった。
「わ、私は、役に立つ。私はこんな見た目だけど、実戦に出てやれるって貴方たちだけは知っているはず。そ、それに私は殺しだけじゃない。諜報もできる。隠形に加えて、王都圏のみだけど諜報員として働けるだけの知識もある。私は頭がいいから特別に教わってた。役に立たなかったらそこらに捨ててくれても構わない、だから……」
振り返った凪、そして秋穂から、恐るべき威風が吹き付けてきた。
普段は隠している達人のあり方を、一切隠さず少女の前に立つ。それは戦う相手として少女を見据えているということであり、対峙する少女にはこの恐るべき剣気に抗するだけの胆力を要求される。
凪はとりたてて脅すでもなく、淡々とした口調であった。
「私の、隣に立てるのならいい。それならば私と同じ確率で生き残れる。私たちの基準は私と秋穂が生き残れるかどうかで、そこに、それ以下が混じったらどうなるか、わからない? 悪いことは言わないから、辺境の奥の街に逃げなさい」
「弱い奴らの中で過ごしたら、私も弱くなる。強くなりたいのなら、強い奴の傍にいなきゃダメ。強くなれなきゃ、どの道死ぬ。なら、迷うことはない。私も、連れていってほしい」
「いや、だからね、貴女じゃ力不足だって……」
二人の会話に、秋穂は凪にではなく涼太に目を向ける。
涼太は頬をかきながら言った。
「あの子に裏があるって証拠は見つからなかった、そう言ったろ。ちょっと待ってろ、もう一つ当たってみる」
「さっきのおばあさん?」
「それそれ」
遠目遠耳の術により、街中でさきほど出会った老婆を探す。居場所のアテはある。ドルトレヒトの街図はおおむね涼太の頭の中に入っていて、そのなかで、あの老婆がいるのはおそらく貧民街に近い場所。そのうえで武器の買い取りをしている店、となるとあるていど絞られてくる。
凪は少女を真面目に説得にかかっている。脅せば黙るだろうぐらいに考えていたのだが、思ってたより少女がガチだった。邪魔になったら見捨ててくれて結構、なんて言われても、そういうことを簡単にできないから連れていけないと凪は言っているのだ。その辺がわかってもらえない。
暗殺者出身は伊達ではないらしく、凪たちも少女自身と同様にそういった極めてドライな感性であると誤解している模様。
凪も凪で助けてしまった手前、知るか馬鹿め、なんて放置もできず、困り顔のまま説得していたりする。その間に涼太が老婆の居場所を特定し、彼女が火消しに走り回っていることを知る。
老婆が涼太たちと何やら揉めたっぽい、という話が広がる前に、事実はこうであるという話を関係各所に伝えて回っているという話だ。その必死さは、老婆が少女とグルであるという疑惑を薄めてくれた。
涼太は薄いと思われるリスクよりも、この世界での諜報員や暗殺者のあり方を知ることのできる機会を活かしたいと思った。
それにアルフォンスの時もそうだったが、涼太の傍におく護衛人員が確保できるのなら、凪と秋穂を攻撃に差し向けることができるのだ。そういった意味でも同行者を増やすのは悪くはなかった。
涼太が同行の許可を出してやると、秋穂は口をへの字に曲げて、凪はほっとした様子で、これを受け入れる。
凪が少女に聞いた。
「ねえ、まだ聞いてないんだけど、貴女の名前は?」
少女は即答しようとして思いとどまった。
「名前、は。ちょっと待って、今考える」
「いや誰が偽名名乗れって言ったのよ」
「偽名じゃない、本当の名前っ。前の名前は、アイツらが勝手に決めた名前。私は全然気に入ってない。もう私は自由なんだから、名前も私が自分で決める」
自分で決める、と言ったところで、むふーと嬉しそうに息を吐いた。
そしてああでもないこうでもないと考え始める。
そんな少女を見守る凪、微笑ましい顔で見守っている。秋穂、可愛らしい様にほだされてしまわないよう顔をしかめっつらに固定している。涼太、この子を連れ歩く際の問題点の洗い出しをしているので無反応、である。
少しして、少女は嬉しそうに、誇らしげに胸を張って言った。
「うん、決めた。私の名前はニナ。ニナって呼んで」
由来やら響きやらから幾つもの候補を挙げるのを聞いていた凪がその理由を問うと、よくぞ聞いてくれましたと少女、ニナは答える。
「何十年も前に、王都ですっごい有名だった娼婦。今でも名前が残ってるぐらいすごい人だった」
良い名前だろう、と鼻を鳴らすニナに対し、娼婦の名前はどうよ、と言いたくても言えない三人であった。
ドルトレヒトの街において、現在街長の求心力は著しく低下している。
代わりに発言権を増しているのが長老と呼ばれている、街の顔役の一人だ。
長老はその報告を受けると、とても心苦しそうな顔で嘆息する。
「あやつのあの傲慢さ、結局どうにもならんかったな」
街長が優れた存在であることは、ドルトレヒトの有力者誰しもが認めるところだ。だが生来のものらしい傲慢さが彼の急所であった。
それでも、当人愚か者では決してないので傲慢さを上手くコントロールできていた、と周囲の者は思っていたのだが、街の窮地においてそのコントロールが破綻の兆しを見せてきた。
街の総力を挙げたと言っても過言ではない追撃隊を、完膚なきまでに叩き潰した連中を相手に、挑発を行なうほど馬鹿だとは誰も思っていなかった。
二人の優れた兵がいればドルトレヒトの武威を示せると思ったなんて寝言をほざく彼を見て、長老は現状においてコレに決定権を預けておく危険性を許容できぬと彼を見切った。
直前まで敵であった信の置けぬ恐るべき戦士を、これから街の存亡を賭けて戦ってくれる傭兵たちに押し付けた挙げ句、これを手柄と言い張るのだからもう言うべき言葉もない。
平時であればコレでも十分なのだろう。だが今は、街が独立勢力としてやっていけるかどうかの瀬戸際だ。街の長を街の人間が務めることができるかどうかのぎりぎりのところで、傲慢さを制御できぬような馬鹿が上にいては何時致命的なことになるかわかったものではない。
アレを切れば、ドルトレヒトの発展は大きく後退しよう。ボロースとの交渉も困難を極めようし、王都圏と繋がる商人たちも疑惑の目を向けてこよう。
だがそれでも、何もかもを支配され送り込まれた代官に全てを持っていかれるようなことになるより遥かにマシだ。
そんな決断をするような器ではないのだが、長老は自身がそうせねばならぬ立場にあるとわかるぐらいには年の功を重ねていた。
「やってくれ。郎党は構わない。だが一族は全てだ。街の外の分家は騙して呼びつけろ。一人も残すなよ」
敵対者の全てを無力化するような人間であり、更に彼は傲慢な男であるのだ。全てが落ち着いたから再び街の発展を頼む、と彼に権力を渡したならば最初にすることは権力を奪った者たちへの復讐であろう。
もちろん権力を奪われることにも状況を弁えず全力で抗うであろうし、だから長老は、アレを除くのであれば全てを殺し尽くすしかないのである。
「期待もした、共に繁栄の夢も見た、ドルトレヒトの未来を託すに相応しい男でもあった。ままならぬものよな」
権力者の死の原因は大抵の場合において罪の有無ではない。状況に即した能力の有無である。




