091.殺し屋稼業も大変です
涼太もいきなりドルトレヒトに乗り込むほど考え無しでも恐れ知らずでもない。残る二人はさておき。
一度近くの町に滞在し、簡単な情報収集だけしてから動こうと考えていた。
基本的に移動の際は凪も秋穂もフードを深くかぶっているし、涼太の顔つきは多少珍しくはあるものの似た顔がないわけでもない。
涼太の真っ黒な髪は珍しいのではあるが浅く被ったフードで隠しておけば、とりあえず見た目でどうこう言われることはない。
もちろん最低限の警戒は必要だが、正体バレといった部分ではそれほど危険視はしていない。
宿を取った後は、涼太は宿に篭って遠目遠耳の術にて諜報活動、残る凪と秋穂は宿の一室を借り切って屋内で訓練か、町から離れた場所に行って外で訓練かのどちらかである。
事件が起きたのはこの町に来て三日目の昼時だ。
涼太と凪と秋穂は三人で揃って町を歩く。この町に美味い鳥を食わせてくれる店があるというので、早速行ってみようとなったのだ。
昼時であるからして、町にはそれなりの数の人出がある。
町の人間っぽいのもいれば、町の外から来たようなのもいるし、見るからに農民っぽいのもちらほら見掛ける。
元の世界の感覚で言うのなら、道行く人間たちの衣服のみすぼらしさたるや、といった様子であるが、いいかげんこちらで過ごすことにも慣れた三人だ。
異国情緒あふれる建物にも、人の装束にも、これに溶け込むことにも、特に違和感を覚えるようなことはなくなった。
昼時だけ農作業を抜けてきたのか、年老いた農夫が腰を曲げながら隣を通り抜ける。
涼太はその音を何度も聞いたことがある。凪と秋穂のような達人にしか出し得ぬ、斬撃が人の肉を斬り裂いた音である。
ほんの一瞬、何が起こったのか理解できなかった涼太だったが、あくまでそれも一瞬のことであり、すぐに危機的状況かと緊張感と共に音のほうを見る。
「あー」
農夫の老人の右腕が肘から落ちている。地面には右腕と小さい肉塊が見える。
凪と秋穂の戦いを何度も見てきた涼太は理解した。凪と秋穂が同時にこの老人の右腕を斬った。結果、二か所すぱりと斬れたので、腕と、輪切りになった小さな腕との二つが落ちたのである。
涼太が見た時は、既に返す二撃目が飛んでいる。
秋穂は老人の左腕を、凪は老人の腹部を刺し貫いている。
凪の刺した部位はとんでもない苦痛が伴う場所なはずなのだが、老人はといえばきょとんとした顔のまま。
「およ? もしかしてワシが外したのか? いやいやこりゃこりゃ、こういうこともあるんじゃのう。長生きはするもんじゃ」
そう漏らし、前のめりに倒れる。
周囲の町人、いきなりのことに誰一人反応できず。
凪は小さく息を吐いた。
「おっどろいた。もう私たちがここにいることバレてたのね」
涼太は苦々しい顔をする。
「……甘く見たつもりはなかったんだけどな。くそっ、こういうことなら今日の鳥肉はナシだ。今日からまたしばらくは警戒状態を維持な」
秋穂は思わず抗議の声をあげる。
「えー、コレ、ソルナの殺し屋でしょー。ようやく仕留められて安心できるようになったんだよー」
「狙っているのがわかっている殺し屋はこいつだけだが、俺たちはいつ殺し屋に狙われてもおかしくないんだぞ。居場所の特定がされてる時は常時警戒してなきゃだめだっつーの」
「もー、これだから街の中は面倒なんだよー。早く街を出て外で休もうよー」
野宿のほうが気が休まるとか、元とはいえ女子高生の持つ感想ではなかろう。
そんな話をしていると、人殺し云々と悲鳴が聞こえてくるようになったので、涼太はこの場の全員に聞こえるように言った。
「そこのじーさんの落ちた右腕見てみろ。剣握ってるだろ。しかもその刃のところ、毒つきだぞ毒。襲われたのはこっちなんだから警邏にはそう言っといてくれよ。俺たちは街の宿にいるから、用事があるんならそこまで来いって伝えといてな」
じゃ、後よろしく、と言い捨てて、三人はこの場を去っていく。
町中で、いきなり抜剣した挙げ句老人を斬り殺して平然としているようなのを、声を掛けて止められるような勇敢な町人はここにはいなかった。
この農夫に見える老人は、実際に普段は農夫として過ごしている、ソルナの街の殺し屋エイターの最後の一人である。
依頼に基づき、涼太たちの動向を追い続けていたのだ。その情報を涼太たちはエイターに殺しを依頼した人間から直接聞いていて、いつくるかと待ち構えていた。ソルナの街を出てからこれまでの間ずーっと。
余裕の顔をしてはいるが、涼太も凪も秋穂も、ようやく来てくれたか、というのが正直なところである。
見た目も所作も、身体に染みついたものまでもが徹底的に農夫な殺し屋である。発見は困難を極めるが、それが来る、とわかっているのだから対応はできないでもない。
それと、奇襲特化の殺し屋に狙われ続けていた涼太たちが、これをようやく仕留められたことで安堵してしまったことも、仕方のないことであろう。
涼太たちはこの町でできる情報収集に見切りをつけ、次はドルトレヒト近郊に野宿しながら潜みつつの諜報に取り掛かろうと街を出た。
町を出るのは夜だ。人目を忍ぶという発想は、当然この三人にもあるのだ。
町を出てほんの一時間といったところで、街道を塞ぐように立ちふさがる人影を見つけた。
物陰からずいと現れるは三人。二人は成人、一人は子供か。
凪と秋穂、同時に動くがそれは前ではなく後ろと側面にだ。剣を抜きざま斬り上げると、飛来した矢をそれぞれに弾いてみせる。
涼太は内心かなりビビっていた。
『夜目が利くとは聞いてたけど、月明かりのみで飛んでくる矢を弾くんだもんなあ。つくづくありえねえよ、コイツら。つーか今日の今日でまた殺し屋来んのかよ!』
表面的に平然とした態度を取ることにはもうかなり慣れた。正面の相手に涼太は声を掛ける。
「よう、いきなりの攻撃にはとりあえず目をつむってやるから、まずは自己紹介でもしないか? ほら、人違いの可能性ってやつも否定できないだろ?」
返答を期待していたわけでもなかったのだが、正面の三人の中で最後尾にいる男が口を開く。
「ナギ、アキホ、それと男だな。エルフは森に残してきたか。命乞いならばまずは武器を捨てることから始めろ間抜けめ」
「あー、そうか、人違いじゃないか。んじゃもう一つだけ。できればでいいから教えてくれないか? お前ら、どの件だ? いや心当たりが多すぎてどれがどれやら」
「ふん、無頼漢を気取ろうが、所詮は王都圏に顔も出せぬ雑魚共の中でのことよ。身の程を知り、そして己の浅慮を悔いながら死ね」
男が合図とばかりに手を振った。
敵は左方に二人、後方に一人、右方に一人、そして元よりいた正面の三人。
最後尾の男以外が、一斉に動く。
「は?」
最後尾の男の声。それは、見える景色が不自然極まりないものであったから。
男の左方にいた子供が一歩、二歩と駆けだした姿勢のまま、みるみる巨大化していくのが見えたからだ。
男に見えるのは大きくなっていく子供の背中。ゆっくりと進む時間の中、空中にて男のほうを振り返る子供、少女、男がフェムトンと呼ぶそいつの顔が、目が見えた瞬間、この少女の叛意を男は知る。
もちろん暗殺行に参加するだけあってこの男も心得はある。だが、完全に、決定的なまでに不意を突かれてしまえばどうにもならない。
前へと踏み出すフリからの後方への跳躍、そして振り返りざまに首をかっ斬る。少女のこの一連の流れに、男は何一つ抵抗できぬまま致命の一撃を受けてしまった。
踏み込んでいた他の暗殺者たちは、聞こえてはならぬところから聞こえた人の肉を斬る音に驚き、踏み込みを止め凪と秋穂を警戒しながらも音のしたほうを見る。
「ざ、ま、あ、み、ろ」
少女はゆっくりと、かみしめるように一言一言を口にしながら、男の後ろ首にトドメの一撃を叩き込む。男はそれで完全に絶命した。
暗殺者たち残る五人はあまりの事態に驚き反応もできず。それは涼太たちも同様で、凪と秋穂は動きの止まった暗殺者に対し、踏み込むかどうか一瞬考えたあとで様子を見ることにした。
最初に動いたのは、左方にいた二人の内の一人だ。
「きっ! 貴様! 裏切ったか!」
女の声だ。涼太は、きちんと服装にも気を使えば女に見えないようにすることもできるんだな、と場違いな感想を抱いていた。
状況を理解したらしい女の声。そして、同じく左方にいたもう一人も、何が起こったのか、何故今この場でなのかを、即座に判断した。
怒りに任せ少女へと飛び込もうとする女。その背中に追いすがるようにしながらもう一人の男は抜いた剣を女に突き刺した。
凪は愉快そうに笑う。
「あらら、こっちも」
立場を表明していない暗殺者、残り三人。
右方にいた暗殺者は、誰よりも早く身を翻した。
後方にいた暗殺者はそれを見て、自分もそうしようと動きかけたところでぎりぎりで思いとどまった。
そして女の背中を刺した男に向かって言う。
「おい、これは、つまり、脱走の好機だということか?」
「そうだ。ここは王都圏から外れていて……」
二人の会話を少女が遮る。
「待って。その前に、先に絶対やっておかなきゃならないことがある」
少女は交渉を担当していると思しき涼太に目を向ける。
「私に、敵対の意思ない。剣は抜いたけどあくまで相手はこの男。だから、まだそちらに剣は向けていない。だから、だから、どうか見逃してほしい」
凪と秋穂はこのやりとりで暗殺者たちの中での順位を付ける。凪と秋穂の技量を戦う前に見抜いたらしい少女が一番。
それに気付けていないらしい残る全員はそれ以下だ。
ただ真っ先に逃げた奴は、暗殺者としては一つ上と思われる。凪たちがこれを好むかどうかはさておき。
この間に涼太が動いた。少女は、涼太が魔術の詠唱を始めたのを見て緊張に身を固くするが、抵抗しようと身体が動きたがるのを必死に堪える。
涼太の代わりに秋穂が言ってやる。
「やる気ないって今、ここで、示して見せるんならまあ、無理に殺す気もないよ」
残る暗殺者たちも涼太の詠唱に反応したかったが、凪と秋穂への警戒から動けず。動いて勝てるかどうかの判断がつかないためだ。
秋穂の言葉に応え、少女が手にした武器を、彼方の方向に放り投げる。そして服の内に隠していた武器を全て外して同様にぶん投げる。少し躊躇した後で、残る暗殺者たちも少女に倣った。
秋穂は詠唱の終わった涼太に視線で問う。
涼太は頷いてやると、秋穂は暗殺者たちに問い掛ける。
「依頼者の名前は?」
少女は女の背中を刺した男を見る。彼は小さく嘆息しつつ秋穂に問われた問い全てに答えた。
更にその男は少女の一番近くにいる、こういう状況になってからまだ一言も口を開いていない男に言う。
「お前はどうすべきか迷っているんだろうが、迷わず離脱し上に状況を報せるべく駆け出さなかった時点で、お前の選べる道はもう残ってないぞ。悪いことは言わん、俺たちと来い」
彼は頷き、最後の一人が脱走を表明した。これに異を唱えたのは少女である。
「俺たち、に私は含めないでほしい。私はあなたとは行かない。せっかく逃げ出せるっていうのに、また上役がいるなんて絶対に嫌。私のやることはぜんぶ、私が決める」
「そう、か。無理強いはせんよ。おい、俺たちはもう行っていいか? こうなった以上、上に報せが届く前にできる限り遠くに逃げておきたい」
秋穂は敢えてソレを言ったりはしなかった。
「いいよ。……次に会う時は味方だといいね。敵だったら、ちょっと笑った後で今度こそきちんと殺してあげる」
「……ああ、そうだな」
立ち居振る舞いや会話から、男はようやく凪と秋穂の二人がまるで手に負えぬ獣であると察した模様。
少女以外の全員がその場から一斉に走り出した。そして残された少女は、彼らが見えなくなってから言う。
「ねえ、捨てた武器、回収していい? ほら、私もね、これから一人でやってかなきゃなんないし、色々と入用になるから……」
その図々しい要求に秋穂は冷たい視線を向けるが、これまで黙って見ていた凪がつい噴き出してしまった。
「ご、ごめん。でも笑っちゃったから負けよ、私の。いいじゃない、武器持ったていどで、しかもたった一人になってどうこうできるなんて思ってないでしょうし」
「ほんと、凪ちゃんてこういう子好きだよねぇ」
許可してやると、少女は自分が捨てた武器だけでなく仲間たちの武器までも回収しだす。もちろん、死体からも残さずいただいている。
これを一々全部確認する必要もないので、涼太に促され凪と秋穂はこの場を離れた。
去っていく三人を見ながら、少女は呟く。
「迷わず一直線に動く、か。あの、魔術。多分、逃げたやつを探す魔術だ。アイツら、絶対にマズイ。ウチの総員でかかっても皆殺しにされてた。私は、運が良かった。アレと王都圏でぶつかってたら、生き残れる可能性がいくら低くてもそれに賭けるしかなかった。現場がここならまだ、逃げられる可能性がある。私は、運が良い」
自分に言い聞かせるようにしながら、少女は武器を回収しこの場を立ち去る。
そして少女の予測通り、唯一逃げた男は既に涼太の魔術に捕捉されており、彼が逃げ切る前に凪の剣にて仕留められた。これにより、暗殺者の失敗が依頼者にまで伝わるのにかなりの時間がかかることとなる。
涼太たちが滞在していた町は、ドルトレヒトの経済圏に取り込まれている町であるからして、ドルトレヒトがコケればこの町も大きな損失を被る。
なので基本ドルトレヒトの言いなりであるこの町で、超弩級危険人物を発見してしまい即座にドルトレヒトに通報したまではよかったが、この人物が遂にやらかしてくれた。
町の警邏の責任者は、ひどく痛む胃を押さえながらその死体を見下ろす。
農夫だ。兵士でも、傭兵でも、もちろん無法者でもない。警邏が守らなければならない農夫なのだ。これが殺されたとあっては動かぬわけにもいくまい。彼はそれを当たり前と考える、純朴で善良な男であった。
だが調べが進むにつれ、話は妙な方向に転がっていく。
「何? この農夫がどこの人間かわからない?」
「はい。該当する人物が存在しません。老人の捜索依頼を出している家人に面通ししましたが一人も引っ掛かりませんでした。そもそも、この老人を知る人間が居ません。少なくとも近隣の農村の人間ではないかと」
老農夫の持ち物は何処にでもいる農夫らしいもので、農夫が昼休憩に農地から町に戻って食事を取りに来た、という体に何一つ不自然さはなかったのだ。
もちろん、この農夫が持っていた毒のついた剣以外は、という話である。
「……わかった。ドルトレヒトに報告し、この件の捜査はこれまでとする」
ドルトレヒトから伝え聞いた話によれば、エルフを含む四人組の狼藉者は、貴族を殺しドルトレヒトの民を殺し、追撃に出たドルトレヒト軍を徹底的に殺し尽くした極悪非道の人間で。
そんな相手が、殺した農夫は実は殺し屋だったんだ、なんて主張したとて誰が信用するものかと思っていたのだが、どうもその話が真実であるようだ。
もし本当に暗殺者云々だの諜報員だのといった話であった場合、下手に手を出せば藪蛇になる。
はあ、と嘆息して彼は呟いた。
「殺し屋だってんならきっちり仕留めてみせろってんだ。返り討ちに遭う程度の戦力で吹っ掛けるとか、連中は戦のやり方すら知らんのか」
数日後、近隣にてどう見ても素人さんではない死体が二つほど転がっているのを発見する。
彼はこれを仕掛けた誰かさんに向かって聞こえぬ抗議を叫ぶ。
「だーから! 勝てない戦力で仕掛ける馬鹿があるか! 普通戦ってのは勝てるって踏んだからこそ攻めるんだろうが! 敵の戦力も調べず闇雲に吹っ掛けてんじゃねえ! 後始末するこっちの身にもなりやがれってんだ!」
案外、しがらみの少ない地方の警邏長のほうが、当たり前の意見を当たり前に主張できるものなのかもしれない。殺しを依頼された者にはコイツを口にする自由はなかったであろうし。




