090.あいるびーばっく
凪は剣を両手で握りしめ、全然止まってくれそうにない冷や汗もそのままに、目の前のエルフを睨み付ける。
『なんっっっって化け物!』
エルフは見た目で年齢の判別がつかない。だが、その口調からかなり年経たエルフだとわかる。
「くふふふふ、よいか若いの。剣の術というものは、極めればほれ、このように」
エルフは剣を握っていた手を、ゆっくりゆっくりと開く。
手を開けば、当然剣は落ちる。だが、落ちない。
「剣を握る必要すらなくなるのじゃよ」
完全に手を離してしまったエルフは、空いた手をぽんと叩く。すると空中に浮いている剣が凪目掛けて飛び斬り掛かってきた。
凪、咄嗟に飛来する剣を強く弾く。
「ほほっ、やるのうニンゲン」
凪の剛力で弾かれた剣は、しかし何処までもすっとんでいくなんてことはなく、空中で軌道を変化させぐるりと回って凪へと再び襲い掛かる。
二度、三度、と凪はこの剣を強く弾き返し続ける。
「見事っ、一瞬でこの技の特性を見切るとはの」
空中で自在に軌道を変化させられる、という特性があるとしたら、普通にただ受けるだけであったなら、受けの剣に当たった瞬間、弾く勢いもないのだから軌道を思うがまま変化させられ、凪の剣を回り込むように凪へと迫るだろう。それはさながら蛇が這い寄るかのような剣撃となり、目の前にうねるように剣が迫ってきたなら回避は極めて困難だ。
これを防ぐために、咄嗟に凪は強く剣を弾いたのだ。
「うむうむ、実に結構。ならば、ほれ、更に極めた剣術を見せてやろうぞ」
空中を飛ぶ剣が、エルフの声に応えて三つに分かれる。
『んなあ!?』
二つ弾いて、残る一本は転がって回避。だが、逃がしはしない、と三本ともが凪を追いまわしてくる。
凪、必死の形相でこれらを受け、かわし、凌ぎ続ける。
「ほれほれ、まだまだまだまだじゃぞー」
ぽんぽんぽんぽんと手を叩く度、剣は続々と増えていく。
最終的に、十四本になったところで凪の受けが破綻し、全身の急所という急所に剣を突き付けられ、勝負がついた。
「あー、しんどかったー。なんなのよあれ。こっち来てからこうまで勝てる気がしない相手って、初めてよ私」
対戦したエルフはからからと笑っている。
「アホウ、ワシが剣に割いた時間がどれだけだと思っとる。お主のジジイババアが生まれる遥か以前から剣振っとるワシに勝てるわけなかろーが」
「私のおじいちゃんおばあちゃんが生まれる前から剣振ってる相手でも、そう簡単に負けてなんてやらないわよ私はっ。エルフでも私が絶対に勝てない相手なんてアンタぐらいだったでしょうがっ」
「くはーっはっはっはっはっは、ほんに不甲斐ない連中よな。まあ森には後三人ほどおるでな。間違ってもエルフに勝ったなぞと勘違いするでないぞ」
「アンタに負けてる時点でそんな寝言言う気ないわよ。てっきりアルフォンスが一番強いかと思ってたらおっそろしいのがまあいるわいるわ。楽しすぎて苛立ちが止まんないわよもうっ」
「結構結構、外からの刺激大いに結構。特にお主の剣はワシもまるで見たことがないものであるしな、いやいや、見れば見るほど理に適っておる。くはは、多数の剣相手はちと惨かったかのう。ソレ、どちらかといえば一対一により向いてる剣じゃろ」
「そのつもりはなかったんだけど、まあ、基本的に一対一で訓練してたから自然とそうなっちゃったんでしょうね。何が腹立つかって、アンタが出発の前日に顔出してくることよ。何コレ、私に負けっぱなしのまま出てけっての?」
「お主が勝つまで付き合ってたらそこの大樹も枯れ果ててしまおうて。人間ではそこまで長生きはできまい。くはーっはっはっはっはっは」
「ほんっと腹立つエルフよね……まあいいわ、今日は負けたんだから好きに言わせてあげるわよ。後、秋穂、その顔やめなさいって」
完全に拗ねてしまっている秋穂である。
「……なーぎーちゃーんー、ずーるーいー。わーたーしーもー、やーりーたーいー」
「涼太を説得できなかったんだからしょうがないでしょ。エルフの森にはまた今度絶対来るから、その時は秋穂も一緒にやりましょ。あー、次は絶対張っ倒す」
「やれるもんならやってみー」
「うがあ! 覚えてなさいよ!」
凪はとりあえずエルフ流暗黒格闘術の連中とは随分と仲良くなったようで。
涼太はこのエルフの森のあり方を気に入っていたようだが、凪も、そして見ているだけであった秋穂も、ここの空気は悪くない、と思えたのだった。
涼太が馬の横腹を両足で強く叩くと、馬は涼太の意思に従い速歩で進み始める。
この時の縦揺れがキツイのだ。もう慣れはしたが、気を抜けば危ないし、足が鐙からすっぽ抜けてしまわないか、重心を崩してしまわないかと不安でならない。
馬は、金を多く払って特に持久力のある馬を選んでもらった。
お世辞にも整ったなんて言えない道であり、徒歩で歩くと道のでこぼこがひどく歩きづらいのだが、馬にとってはそうでもないようで、随分と気持ちよさそうに走っている。
そして馬の後ろに、不知火凪と柊秋穂の二人が走って続いている。
「うん、重りアリでちょうどかな」
凪がそう言いながら走っている。
「ホント、以前とは比べ物にならないぐらい、尋常じゃないほどに体力ついたよねぇ」
秋穂もまたそんな台詞を吐いているが、鉄鎧を腕やら足やら胴やらにつけたままで、馬の速歩に走ってついてくるのはどうかと涼太は思うのだ。
このまま延々走った後で、馬がへばる前に休憩を取る。ついでに涼太も休む。馬の速歩にずっと乗ったままなのは、まだ今の涼太ではひどく疲れるのだ。
そしてこの間に凪と秋穂の二人はといえば、木剣使ってお互いに打ち合ったり、型の稽古やら筋トレやらを行なっているのだ。
そんな体育会系な旅路も、この三人でならば悪くない。こちらの文字に慣れるために持ってきた読書用の本を取り出し涼太は、金属鎧脱ぐの面倒だから先に筋トレするー、とか言ってる二人を眺めながらそんなことを思う。
トレーニングでは大いに汗をかくので水分の補充が確実な状況でなければトレーニングはダメ、と涼太が言ったら、絶対に水分補給できるルートでの移動を強要された涼太である。時折涼太は先の展開を読むのを怠るところがある。
涼太が鍛錬中の二人を見ると、どちらもかなりキツそうな顔をしている。
それでも鍛錬ができる時間と環境を整えようとするし、どんな鍛錬が効果的なのかを話し合う二人はとても楽しそうだ。
つまるところ、二人共鍛錬をすること自体も好きなのだろう。涼太にはあまり理解できない感覚である。
涼太は本に目を落としながら、しかし別のことを考える。
ボロースに加須高校襲撃に関する落とし前をつけさせに行く、それが最初の目的であった。だが、それは言うほど急ぐことでもなく、何処かで向こうからやらかしたことに見合った詫びが入ったのならそれで済ませるていどであるのだろう。
それよりもドルトレヒトを優先させたのは、責任云々ではない部分で、自分たちが引き起こすきっかけになった戦というものに興味があるのだろう。
ドルトレヒトに行き、敵と敵の敵と、もしかしたらいるかもしれない味方を見て、それでどうするか決めようということだ。
こういうやり方は、決して効率的な生き方ではない。目的に対して、最善の道を選んでいるとは到底言い難いものだ。
これまではなんとかこなせてきたが、決して楽な道行きではなかった。知恵を絞り、工夫をこらし、代償を、手間や労苦や怪我や金を、支払ってもきた。
それでも。
『きっと、自由に生きるってのは、こういうことなんだろうな』
そうするにはとんでもなく大きな力が必要なのだろう。そしてそうできるだけの力を持った人間が、こんな生き方をするというのもまずありえない話なのだろう。
それに、いずれそうできなくなる時が来る。人と人とのしがらみから逃れるつもりもないのだから。
『だから凪も秋穂も、行けるところまで行ってみよう、ってことなんだろうな』
いつ死んでもおかしくないってのに随分と呑気な話だよな、と涼太もまた呑気に考えるのである。
ギュルディ・リードホルムは周囲全てを敵意に囲まれた会議室にて、この手の輩は何処でもやることは一緒だな、と冷笑する。
直接的に相手を害することはしない。だが、人数を集め権威を揃えて相手を圧倒し、一方的に言葉でやり込めるのだ。
それは王都にて最も権威ある魔術師の集団、王立魔術学院においても同様であった。
「ランドスカープの民として、あるまじき蛮行よ。のうギュルディ、何故にいまだにかの地では連中のような犯罪者共が闊歩しておるのか」
「さて、リネスタードの統治責任者は私ではありませんのでなんとも」
周囲から一斉に怒声が飛ぶ。
仮にも知識の殿堂たる王立魔術学院にて高位にある者たちが、話し合いの場にてこの有様であるというのだからその程も知れよう、などとギュルディは考えるのだが、魔術学院の中でそのほとんどが完結してしまっている彼らにとって、そういった外からの目線といった発想は絶望的なまでに薄い。
ここに集まった半数ほどは、魔術学院だけでなく外の貴族たちとの交流も盛んであるはずなのだが、それでもこうなのは貴族たちもそうであるという証左か。
「誤魔化されまいぞ。リネスタードの現在の実質的支配者は貴様だギュルディ。いいか、これはランドスカープという国に対する反逆にも等しい行為ぞ。王都で追捕の命が出ている元魔術師共を即刻逮捕せよ。国外に逃げるなぞ到底許せることではない。ただの一人も逃さず、全てを捕縛せねば王の権威にもかかわろう。その重要性を貴様は理解しておるのか」
そうだそうだ、といった野次が飛ぶ。
王立魔術学院の要求はつまるところ、リネスタード近辺の森中に潜むと言われている魔術学院を追放になった魔術師たちを捕まえろ、というものである。
魔術学院は貴族たちとも繋がりがあり、魔術学院からの追放は同時に王国にとっての犯罪者となる、という前例を幾つも作ったうえで、これを同一視するよう慣例化したのだ。
法に明文化されているものではないが、王都圏においてはこの理屈は通用し、魔術学院よりの追放者は即座に逮捕されてしまう。だからこそ、追放者たちは王都圏より離れ辺境に逃げ込むのである。
リネスタードにて涼太たちを召喚しその反動で死亡した魔術師たちは、こういう連中の集まりだったのである。
また彼らの隠れ蓑の一つであったのが、リネスタードに存在するダイン魔術工房である。
リネスタードに魔術に関する物品が流れ込むのも、人員が集まるのも、全てダイン魔術工房が理由である、と言い張ることができるのだ。
この魔術師ダインだが、王立魔術学院にとっても無視できぬほどの権威と名声を持つ者で、無理押しが効かぬ故これまで魔術学院は黙認してきた。
だが今、多数の魔術師がリネスタードに集まっており、それは当然新たな魔術の研究といった内容であろうと予測されている。
魔術学院はいつもそうするように、諜報員を送り込みこれの調査(という名の技術の奪取)を目論んだが、表裏双方でそのほとんどが蹴散らされてしまった。
中に潜り込んだ魔術師もそれなりにはいるが、彼らからの反応は芳しくない。
魔術学院の息がかかっている者は重要研究にかかわることはできず、寝返り工作も上手くいかない。むしろ工作員として潜入すると研究できる種類に制限が加えられるため、リネスタード側に寝返らんとする魔術師まで出る始末だ。
「なんでもリネスタードには言葉を話すネズミがおるというではないか。そういったものへの調査はどうなっているのだ? 辺境如きではまともに調査も行えまいて」
言葉を話すネズミを作る魔術なんてものはない。あったとしてもそれを禁じてはいない。
だが、彼は遠回しに言っているのだ。魔術を行使できるネズミがいることはこちらも知っているぞ、と。それは学院の禁術を用いた結果ではないのか、と。
ギュルディは彼らが最終的に望んでいることを読む。
リネスタード郊外に集まっている森の魔術師の捕縛もそうだが、これを口実にダインの魔術工房に圧力をかけようというのだろう。それこそ存在を丸ごと消滅させるほどの圧力を。
『それに加え、森の魔術師たちやダインの研究成果を横取りしよう、と。なるほど、これでは宰相閣下が呆れるのも無理はなかろう』
国より多大な予算を分捕っておきながら、その研究成果は他所から奪うもの以下のお粗末なものだというのだから、宰相でなくとも腹が立つだろう。
数を集めて高圧的な態度で圧力をかける、そんなやり方でギュルディに無理を強いようとしたのだろうが、当然ギュルディも無策でこの場にいるのではない。
「随分と余裕のある態度ですな、皆様。国より実のある成果を挙げるようせっつかれていると聞きましたが」
ギュルディはそちらの事情は知っているぞ、と暗に教えてやったのだが、向こうはまだギュルディにそこまでの情報収集能力があるとは思わなかったようで。
口々にギュルディの言葉を否定してきたが、ギュルディはぴしゃりと言ってやる。
「宰相閣下は失望されておりましたぞ。私も商人ですからな、お気持ちはわかりますとも。出資に対し、利益の還元が割に合わぬでは出資自体を見直すのも道理」
言葉の後半を彼らはほとんど聞いていない。宰相とギュルディが話をしたという事実に衝撃を受けている模様。ギュルディ如きの立場で、直接面会なぞ本来ありえぬ相手なのだ。
ギュルディは続ける。
「申し訳ありませんが、宰相閣下がそう動かれるということであれば、我らもこれに倣うが筋でありますれば。取引の幾つかは停止させていただきます。我らも商人の立場でしかなく、お国の方針には逆らえませぬので」
そのお国の方針を知るのは上層部のみであるはずで。これを知る者は決して魔術学院に味方はせぬと思ったからこそ、ギュルディのような上との接点を持ち得ぬはずの者を使って利益を確保しようとしたのだ。
ギュルディは嫌がらせのように言葉を付け加える。
「後日、宰相閣下と会談の予定がありまして。もしよろしければ、短い言葉でしたら閣下への申し開きをお伝えすることもできますが、どうされます?」
ギュルディが言ったところで何がどうなるわけもない。それは魔術師たちにもわかっているので、これはもうただの嫌がらせ以外のなにものでもないのである。
ランドスカープの国の宰相は、高位貴族にはあまりいない、やせ細った体型のひょろりとした印象の老人である。
当然食うに困っているというわけではなく、若いころよりずっと食べても太れない体質らしい。
ギュルディは宰相との二度目の会談に臨む。
宰相はすぐにソレを見せるよう要求する。ギュルディが宰相の従者に箱を渡すと、彼は魔術により腐敗防止処理がなされている箱を、緊張しきった様子で開く。
中にあったのは首だ。
リネスタードを襲った傭兵団ウールブヘジン頭領であるフロールリジの首である。
宰相はこれをじっくりと見て、頷いた。
「……確かに、面影はあるな。なるほど、辺境ではお主でもなくば気が付けぬことよ。しかし、何故といった疑問は残る」
「予言といった話が出ておりました。正直、あちらの国の予言なんて話が出ては、そこに道理を見出すのは困難かと」
「だが、隣国アーサの王族らしき者まで関わっているとなれば無視はできぬ」
このフロールリジの顔の特徴から、ギュルディは隣国アーサの王族の血筋を見てとったのだ。
ギュルディはにやりと笑う。
「で、金にはできそうですかな?」
「ははは、十分だ。アーサの奴らは捨て駒にでもしたつもりだろうが、実際に王族が動いたと確証が得られたのなら幾らでも責める余地はある。くっくっく、久しぶりに大きな外交案件になりそうだ、腕が鳴るわい。よくやったぞギュルディ」
高位の立場の人間が低い地位の者と簡単に会わない理由は色々あるが、その内の一つに、話が合わないというものがあろう。
どこにどれだけの価値を見出すかの基準が違いすぎて、商談が成立しないのだ。低位の者にとって相手にも利益のある話のつもりで持ってきた話も、高位の者にとっては時間を割く価値すらない話であるということは珍しくない。
そういった価値観の齟齬に関して、宰相はギュルディに不安を持っているようには見えない。
宰相は機嫌よく言う。
「ギュルディ、これでお主も貴族に復帰だ。だが、忘れるなよ。お主が王都圏にいられたのは貴族位を持たぬからこそ。王都圏の権益を放出したのは良い判断だ。お主の目的が辺境であると皆に強く印象付けられよう」
「ありがとうございます。……まだ、恨まれていますかね」
「恨みよりも、お主の復讐が恐ろしいのであろうよ。私の目からは、お主は望んで貴族位を放り出したようにしか見えなかったがな」
「商人の立場が自由で爽快であったことは否定いたしませぬとも」
カカカ、と宰相は愉快気に笑った後、表情を改める。
「苦情が一つ入っておる。根回しも無しで貴族子弟を殺すのはやりすぎだ」
「申し訳ありませんでした。ボロースに牙を向けてくれた礼は、根回しなしであった詫び分も含め必ずや」
ギュルディが指示したことではないが、言っても無駄なので黙っておく。
「ならばその件はもうよい」
これを聞けたあとで、宰相は付け加えた。
「アクセルソン伯がボロースと交渉を持ったそうだ。ギュルディ、私の期待を裏切ってくれるなよ」
ギュルディは無言で頭を下げた。
『ふん、せいぜい期待しててくれよ。私が、貴様を裏切るその瞬間までな』
エルフの森付近での戦闘に敗れ、必死に逃げ出したドルトレヒト兵たちは金も食い物も無しでドルトレヒトの街にまで戻ることはできない。
なので生き残れた幸運な兵は、途上で鎧や剣を金に換えての帰路となる。足元を見られ、或いは犯罪に巻き込まれ、その数を更に減らしながらであり、それでもレンナルトが目を付けた者は皆うまく立ち回りどうにかこうにかドルトレヒトの街まで辿り着いた。
報告の内容は最悪に近いもので。オッテル騎士団から頼まれたエルフは奪取されたまま、貴族殺害犯にも逃げられ、オッテル騎士団正団員に死者も出ている。
敗残の兵たちは、街長から怒鳴られ貶され散々詰られたうえで解雇された。当然給金の支払いもなしだ。
王都圏の貴族が軍を出したとの報せは既にドルトレヒトに届いている。街長が冷静さを欠いてしまうのも無理は無かろう。
ボロースは援軍の派遣を約束してくれたが、それまでは王都圏の貴族軍三千を相手に、ドルトレヒトが単体でどうにか持ち堪えなければならない。
そんな切羽詰まった顔の街長と、事態の深刻さをこの期に及んで理解していない楽観的なドルトレヒトの辺境貴族と、主力を軒並み持っていかれた挙げ句ほとんどが壊滅し生き残りも解雇され絶望的なまでにまとまりを欠くドルトレヒト軍と。
それらが右往左往している間に街長が急遽雇った傭兵たちは、勝手に防戦に向けて動き出している。
「要は援軍来るまで山を越えさせなきゃいいだけの話だ。それもサーレヨック砦使っていいってんなら、どーにかなんだろ」
砦を運用するための最低人員を満たした上でならば、よほどの大軍でもなければ力押しに落とされることはまずないと考えていい。サーレヨック砦はそういったきちんと作られた砦なのである。
また山中にある山城であるためか地形の関係上完全包囲が難しい。いわゆる堅城であり、傭兵団が依頼を引き受けたのもコレあってのことだ。
楽勝ではないし、予断を許さぬ状況であるのも確かだ。
だが、決して絶望的でもなければ、先を見通せぬわけでもない。
ドルトレヒトのそれなりに先の見える者は、そう判断していた。なので解雇された兵も、だからと腐ることなく、ドルトレヒトのために働いている。
街長が馬鹿をやらかしたと認識している街の有力者が、街長が解雇した兵たちを全員引き受けていた。
彼は兵に問う。
「オッテル騎士団の俊英でもどうにもならなかったその化け物二人は、既に目的を達した、そういうことでいいのだな」
「はい。レンナルトさんの考えでは、あの二人はボロースと王都圏を揉めさせることと、エルフの奪取を目的としていた、とのことですし、それならばもうこちらに戻る理由もないだろうと」
「次はボロースの街で何かを起こすやもしれん、が、それはもう我らの考えることではないか。このうえあんなのに暴れ回られてはとてもではないが手が回らん。せめても連中が消えてくれたことを幸運と思うほかないな」
「良い話がそれぐらいしかないのがなんとも。こういう時のために普段の狼藉を我慢して囲い込んでいた連中も、軒並みあのナギとアキホに殺されてしまいましたからなぁ」
これを、既にドルトレヒト近辺にまで戻ってきていて遠耳の術にて聞いていた涼太は、本当に申し訳なさそうな顔で漏らした。
「なんか……ほんと、ごめんな」
やったことに後悔は無いし、本来謝罪はもちろん賠償も知ったことかと思ってもいるのだが、実際に涼太たちがやらかしたことで迷惑を被っている者がいるのを見ると、どうにも申し訳ないという気持ちになるのも事実なのである。




