089.世間様も動いております
リネスタードから徒歩で三日ほどの距離に、巨大な石造りの建造物、加須高校はあった。
これの周囲は森であるのだが、この校舎が異世界より飛来した時の影響か、校舎の周辺は大きく円状に木々がなぎ倒されており、この大きく開けた空間は実験を行うのに都合のよい場所であった。
ここに全長三メートルほどの金属の塊が鎮座していて、その周囲には魔術師と職人たちが集まって何やら調整を行なっている。
彼らから大きく離れた場所に、当人の希望に背きリネスタードにおける有力者の一人となってしまったコンラードという男が立っている。
「なんだ、あの鉄の塊?」
リネスタード合議会議員であり加須高校生のまとめ役でもある高見雫は、コンラードの隣で手にした紙の資料をひらひらと振る。
「コレ、読んでないの?」
「読んだが、何を言っているのかさっぱりわからん」
「魔術師がいなくても魔術を使えるようにする機械よ」
「…………なに?」
「厳密に言うのであれば、その場に魔術師がいなくても、って言うべきかしら。事前に魔術を行使しておいて、それが必要になった時にこの機械を操作すれば魔術が使えるようになる、ってこと。操作するのは魔術師でなくてもできる、と言っているわよこの資料では」
「できるのかそんなこと?」
「それを今から実験しようって言うんでしょ。ただ、幾らなんでもあの大きさじゃ実用的とはまだまだ言い難いわねぇ」
十数人の魔術師と鍛冶職人が周囲で作業をしている機械の大きさは全長三メートルにもなり、火を噴く魔術を実験するそうだが、書類を見る限りにおいてはそれほど有用なものとも思えない。
魔術師数十人がかりで魔術を行使しておいて、噴き出す火は魔術師二人分ていどでしかないようだ。
首を横に振るコンラード。
「魔術師の考えることはよくわからん」
「これからもっと小型化、効率化していけば凄い技術になるんでしょうね。……ただ、普通こういうのって国で管理してやるんじゃないの? 街一つで開発するような事業じゃないと思うんだけど」
「辺境区ではあるが、リネスタード配下の街は既に七つある。経済的な影響だけで言うんならもっと増えるし、規模の大きな魔術工房作るのもそれほど不自然じゃあないんだが……やっぱりダインの影響だろうな。っと、そろそろ動くか?」
魔術師たちがその場を離れ、残った職人たちが機械を操作する。職人たちの中には加須高校生も数人混ざっている。
不意に、その加須高校生が大声を上げた。
「逃げろ!」
彼の声と同時に、一緒に作業していた職人たちも気づいた模様。
全員が一斉にその場から逃げ出し、そして、機械のてっぺんから真上に向かって火が噴き上がったかと思うと、機械全体が盛大に爆発してくれた。
魔術師たちはといえば、事前に用意してあったらしい土壁の後ろに隠れており、職人たちもまた一人の逃げ遅れもなく全員がその土壁の後ろに隠れるのが間に合っていた。
つまり、爆発も想定していた、ということであろう。
大きく距離を取っていたはずのコンラードと雫の傍にも、爆発で飛んだ機械の破片がころんと転がる。
「……失敗、か?」
そう問うコンラードと、こめかみを押さえて額に青筋を立てたまま無言の雫。
「どうした?」
「……あの機械一つに、上麦蔵二十個分の金がかかってるのよ」
「なに!? 袋でもなく馬車でもなくか!?」
「そう、蔵よ蔵。誰よ、爆発損耗の可能性は極めて低いなんて言ったの……」
コンラードはそのあまりの金額に動揺しながら、吹っ飛んだ機械を指さして言う。
「は、ははは、そりゃなんかの間違いだろ。見ろ、吹っ飛んだ機械にわらわらと寄ってく魔術師や職人たちを。そんだけのモンぶっ壊したってのにアイツら全員、ビビるどころか笑ってる奴までいるぞ」
「ホント、人様の金だと思ってアイツら好き放題してくれるわよね……ギュルディさんここに居なくて本当に良かったわ。実際にお金を工面したあの人が見てたら卒倒してるわよ」
「……いいのか、あれ放っといて」
「予算は組まれてるし、ギュルディさんの認可も出てる。でも、ねえ。後あれ三つ作るってことで予算組んでるから、後三回吹っ飛ばされたら研究自体が止まっちゃってつぎ込んだ予算が無駄になる……」
「蔵二十を後三つだと!? ギュルディは何を考えてあんなもんに予算出してんだ!」
「あの機械と同規模の研究、これ以外にも後二つあるわよ。ここまで予算を食う研究はその三つぐらいだけど、残る二つはそれぞれダインさんと橘が指揮してるやつだから、二人の立場を考えても止めるのも難しいわね」
「それじゃコレはせめても止めろよ」
「コレは、ほら、あの人がまとめてる奴だから」
火を噴き爆発までしておきながら、機械の骨組み自体は残っていて、そのてっぺんにまでひらりひらりと駆け上っていくネズミが一匹。
「おおっ! そうか! ここに衝撃が集中したか! そう来るのならば対策は……」
眼下の魔術師や職人たちに対し、嬉しそうに語るはネズミ魔術師ベネディクトである。
現在、加速度的にその規模を拡大させているダイン魔術工房であるが、この組織における頂点はもちろん魔術師ダインであり、知識においてはより勝るとまで言われているネズミの魔術師ベネディクトが次席であり、イセカイという国から来た若き賢者タクミが第三席にある。
ダインの魔術工房においては実際に研究に有用な知識や思考を保持している者に権限が与えられるため、ベネディクトと拓海が古参の頭を超してしまうようなこの形が成立している。
ダイン工房の古参は、ダイン同様王都魔術学院の権威主義やら権力争いやらが心底嫌でこちらに来ている者が多く、名誉よりも実のある研究を望むが故に、これでも軋轢なく回っているのだろう。
とはいえ、いずれ新しく来た優れた魔術師たちが台頭してくればまた違った形になっていくのだろう。ただそこで問題が発生した場合でも、人事権に介入する権限を予算を握る外部のギュルディが持っているので、解決のための道筋は立ててある。
手で顔を覆うコンラード。ダイン、橘拓海、ベネディクト、いずれも新生リネスタード発足からいる信頼できる人間であり、彼らが魔術工房の権力を握っている限りここは問題がないだろう、そう思える相手だ。
そんな連中が率先して馬鹿をやっているのだから、頭を抱えたくもなろう。
「お前ら、さあ。どうしてリョータを行かせたんだよ。ギュルディが留守でもアイツがいれば……」
「あの三人を誰が止められるっていうのよ。ホント、このクソ忙しい中、何を考えて街を出るなんて言い出したんだか」
「……ソルナの街の話は聞いてるか?」
「ええ。何故そうなったのかは全く理解できないけど」
「んじゃ、連中が今度はドルトレヒトで暴れたって話は?」
「ドルトレヒト?」
「王都圏に近い街だ。王都圏の貴族とボロースとで戦になりそうで、その件に首を突っ込んでいたんだと」
「……ギュルディさん、なにか仕込んだ? いえ、違うわね。ギュルディさんが本気で仕込むんならあの三人みたいな不確定要素の塊には絶対頼まない」
ぶくく、と笑い出すコンラード。
「その通りだ。だが、どうも世間様では全部ギュルディの策ってことになってるらしくてな。この間来た手紙じゃ随分と憤懣が溜まってるようだったぞ」
「アレを外で暴れさせる、ってこと自体はギュルディさんの策みたいなもんなんだから、必ずしも間違いではないんじゃない? 王都の貴族っての、こっちに来たりしない?」
「今のところ、その気配はないそうだ。ただ、いずれ、いずれな。辺境にボロースの向こうを張るほどの勢力ができていることに連中も気付く。その時、どう動くかは予想もつかんよ」
「コンラードさんはどれぐらいかかるって見てる?」
「普通に考えるなら五年は大丈夫だと思うんだが。どーも最近は、物事の展開が異常に速まってきている気がしてな。馬鹿みたいに集まってくる人員ですら、賄いきれないほどの速さで増える仕事とか、な」
「シーラさんがいなきゃとっくに破綻してたわね」
「まったくだ。こんだけ他所から人が来てるってのに、一番奥にシーラがいるって聞くだけでほとんどの荒くれ共が大人しくなっちまう。稀にいる本物の強者だろうと、シーラだけはどうにもならん。いや本物であればこそ、シーラのヤバさは見ただけでわかる」
「当人、活きの良いのが多いって喜んでるらしいわね」
「人ってのは定期的に斬ってないと腕が鈍るんだと。……俺、いまだにアイツと仲良く飯食ってる現状に慣れないんだが……」
「一生慣れなさそうよね。シーラさんって、きちんと腕の立つ戦士が見たら、おっかなくって視界に入れるのも怖がるんだって?」
「馬鹿野郎、俺は最近、アイツの剣の鍛錬に付き合わされてんだぞ。見るどころか毎日アイツに剣向けられてんだ。泣くぞ、本気で、女みたいにぼろぼろ泣くぞチクショウ。何度やっても何度もやっても何度やっても、ぜーんぜん慣れないんだよ。おっかねーんだよ。その後で何事も無かった顔で飯誘ってくんじゃねーよ。おめーの血の臭い嗅ぎながら食う晩飯はまるっきり味がしねーんだよ」
それでもコンラードは友人であるシーラに誘われれば断らない。こういうところが、たくさんの人間から信頼される所以であろう。
その辺はシーラにもわかっているのだろうが、今は甘えられる相手がコンラードぐらいしかいないせいか、色々と頼ってしまっているようだ。
コンラードを宥めながら、雫は校舎のほうへと目を向ける。
校舎の周囲を取り囲むように足場が組まれていて、橘拓海が足場の上で怒鳴るように指示を出しているのが見える。
昔感じていた線の細い様子はもう全く見られない。
男の子ではない。れっきとした男の姿だ。
ぼやくように、呆れた声で雫は呟いた。
「私も、五条のこと笑えないわね」
ワイアーム戦士団団長ミーメは、その巨体からは想像もできぬほど静かにボロース城内を進む。
時折すれ違う城の使用人は、偉い人間に出会った時そうするように足を止め壁に寄り会釈するのみだ。だが、兵士はそうはいかない。
ミーメの放つ威風に気圧されぬよう、その場に踏ん張らなければ倒れてしまう。
別にミーメに彼らを脅そうなんてつもりはなく、ただ自然にあるがまま歩いていて、そうなってしまうのだ。
なので父の執務室の前に立つと、部屋の前にたつ歩哨が緊張しきった顔をするのにも慣れている。
「よう、親父殿に呼ばれてきた」
本来は、家族同士であればそんな一言も不要なのだろうが、彼ら歩哨を慮ってそう声を掛けてやる。
歩哨もそんな気配りに気が付いているが、相手がミーメとあってはどうしても身体が警戒し緊張してしまうので、申し訳なさそうに了承の意を伝えるのみだ。
執務室に入ると、ここボロースの街の主でありミーメの父であるフレイズマルが、執務机の奥に座りまっすぐにミーメを見る。
室内には他にも秘書官がいて書き仕事を行なっているが、ミーメがそちらに注意を向けることはない。
「ミーメ、傭兵業はどうだ? 儲かっているか?」
いきなり話に入るのはフレイズマルの悪癖だ。この男、せっかちなところがある。
「最初にかけた金が戻ってくるには、後丸一年はかかるんだと。これって順調って言っていいもんなんかねぇ」
「十分だろう。私が送った他所の数字は見たのだろう?」
通常、同業他社の数字なんて見れるわけがないのだが、ボロースの支配者であるフレイズマルにとっては難しいことでもないだろう。
「まあな。あれ読んでると部下共が随分と頑張ってんだなーって思えてちょっと嬉しくなってくる。んで親父、俺になにか用事か?」
「うむ。ドルトレヒトの話は聞いているか?」
「おう、オッテルの奴がやらかしたってんだろ。暗殺でもするってんならウチの連中回してもいいぜ」
「いや、王都からは軍が動く。ならばこちらも軍を出さねばなるまい。五千出す。お前、指揮してみるか?」
驚き目を見張るミーメ。
今までフレイズマルがこんなことをミーメに勧めてくれたことは一度もなかったのだ。
そしてフレイズマルは決してこの手の冗談を言ったりはしない。
「本気かよ、親父」
「その気にならんのなら他に回すが」
「いや、いやいやいやいや、やりてぇよ。やらせてくれよ親父。五千が全部傭兵でも嬉しいぜ」
「王都の兵と張り合おうというのに傭兵では格好がつかんだろう。ボロースの兵が三千、傭兵が二千だ。お前の武名があれば傭兵二千も手足のように動いてくれよう」
怪訝そうな顔になるミーメ。
「なあ、親父よう。もしかして俺の知らないところで何か起きてるのか? 将だって俺じゃなくてもできる奴いるだろ。それに、傭兵団の営業数字だってよう、今まで親父俺にこういうことしてくれたことなかったしさ、なんかヤベェことでも起こってんじゃねえかって気になってな」
フレイズマルは、それはそれはもう盛大に嘆息してみせた。
「ミーメ、自分の胸に手を当ててよく考えてみろ。これまでのお前は、ただひたすら自分が強くなることしか考えてなかったよな? それで私にお前をどう援助しろというのだ。お前ほどの戦士がより強くなる方法なぞ、私が知るわけがなかろうが。だが、最近は組織を運営することを考えるようになったし、更にその先も見るようになってきた。それならば、私にも教えられることは幾らでもある」
呆気に取られた顔のミーメだ。
「……俺、親父はオッテルとレギンしか期待してないと思ってたわ」
「馬鹿かお前は。我が一族の竜の血を誰よりも色濃く継いでいるお前に期待せんわけがなかろうが。いいかミーメ、お前は戦を学べ。誰よりも戦いを繰り返してきたお前なら、きっと誰よりも戦に長けた男になろう」
ミーメは照れくさそうに鼻をこすり、頭をかきながら笑う。
「ああ、わかったぜ親父。俺に任せとけ」
そこでふと思いついたことのあるミーメは、子供の頃以来ずーっとしてなかった、父に甘えるということをしてみた。
「なあ、ついでって話じゃねえんだけどさ、軍隊やるんならさ、すげぇ奴俺知ってるんだわ。そいつ、親父の力で引き抜いてもらえねえかな」
「ん? ボロースの人間か?」
「うんにゃ、オッテルん所の」
今度もまたわざとらしく嘆息してみせるフレイズマル。
「……軍から副官を付ける。それで我慢しろ」
「へーい」
細かな話は軍の詰め所に伝えてあるからそこで説明を聞いておけ、とフレイズマルは指示する。ミーメは頷き退室しようとして、一度振り返る。
「なあ、親父」
「ん? どうした?」
そこで言葉に詰まったミーメは、あー、と言った後で、頬をかいて背を向ける。
「なんでもね。詰め所、行ってくらぁ」
ミーメが退室した後、少ししてから書き手を止めた秘書官が口を開く。
「随分と、お可愛らしいところのある方なのですね」
フレイズマルは口元を手で押さえている。
「意外だったか?」
「そりゃあもう」
声を堪えられなくなったフレイズマルが含み笑いながら言う。
「実は私もだ。アレを御するのがこんなにも簡単であるというのなら、もっと前からそうすべきだったな。まさか、アレが父に認められたいなどと殊勝なことを考えているとは思いもよらなんだわ」
「孝行息子ばかりで羨ましいかぎりですな」
「はっ、オッテルは今抱えている事業が倍ほどの大きさになる頃には、私を追い落とすことしか考えなくなるだろうよ」
「経験談ですかな?」
「それはレギンのほうだ。アレは完全に叛意を隠しきっとる。あの周到さは私に似たのだろうな。オッテルの調子の良さはアレの母そっくりだ」
「ミーメ様は?」
「奴は完全に例外だ。竜の血と共に祖先の性質を色濃く受け継いだ、といったところか」
「なるほど、権謀術数の不要な世界であったのなら、ああいった性質は当主として好ましいのかもしれません」
「生まれるのが百年以上遅かったということだ。せめても戦ぐらいでは役に立ってもらわんとな」
フレイズマルは少し言いよどんだ後で、小さな声で口に出す。
「……オージン王と、繋ぎが取れた」
秘書官は表情を硬くする。
「そう、ですか。感触は?」
「悪くない。いや、思っていた以上に向こうはノリ気だ。しかも連中、リネスタードをかなり気にしている」
思わぬ話に秘書官の眉根が寄る。
「こちらの状況を随分と調べてあるようですな。国も違うというのに勤勉な連中です」
「やはり何かに利用しようとしてのこと、と考えるか。報告者は向こうがリネスタードを知っていたのは、あくまで偶然だと言っていたが」
「隣国の王が、辺境の一都市の何に注目するというのですか」
「……それが、昨今のリネスタードの変革に繋がっている、と見るのは考えすぎか?」
秘書官は沈黙する。これを話題に出したのは、フレイズマルも判断に迷っているせいだろう。秘書官にも判断は難しいし、どうすれば判断できるようになるのか、良き案も思いつかない。
フレイズマルが事前に考えていたらしい案を披露する。
「オージン王がリネスタードに本気で手を出したがっているのか、試す意味でもホーゲ男爵を紹介してみようかと思うが、どうだ?」
ほほう、と秘書官は感心気だ。
「なる、ほど。なるほど、後ろ立てにさせ兵を出させる、ですか。……ここはいっそアクセルソン伯を紹介してみては?」
「何? それは……さすがに王が黙っておらんだろう」
「いえ、ギュルディは王都圏から商会の撤退を行ない影響力が低下しております。ならばアクセルソン伯であれば、王の調整を掻い潜って辺境懲罰軍の編成を押し切れるでしょう。最低でも三千、上手くいけば八千、一万なんて軍も期待できましょう」
秘書官の申し出に、フレイズマルは小さく頷きながら考え、そして結論を出す。
「ふむ、悪くないな。男爵では千以下で様子見ていどでしかないが、伯ならば本気で潰す戦ができる。そして後ろにオージン王がいれば資金の心配もいらん。……そこまでこちらで段取りしてやれば、オージン王ならば動くな、恐らくは」
「オージン王は我が国が乱れる機会を絶対に見逃しませんからな。もしオージン王がその気にならなかったとしても、オージン王からという体でこちらからアクセルソン伯に金を回してやればよろしい」
「二正面作戦はあってはならぬ愚行、であったな。よかろう、その策を採る。…………だがそれはそれとして、オージン王が金を出してくれる可能性はどれほどだと思う?」
「九割」
「うむ、実に良き話である」
リネスタードとボロースの利権がぶつかる位置にある街、というものがある。
両者の交易の中心地であるその街は、その時々によってボロースが優位な時とリネスタードが優位な時とで、街の有力者がころころ変わる街だ。
そんな立地条件であるため、そこの住人はどちらか一方のみに肩入れするようなことはせず、どちらに転んでもそれなりに上手くまわるよう立ち回っている。
ただ、栄達を夢見る者であればあるほどに、どちらか一方のみに肩入れして大きな利益を得ようとする。そんな者たち同士の小競り合いもこの街ではよくあることで。
「てめえら! 遂に手ぇ出してきやがったな! このままで済むと思うなよ!」
「おいおいおいおい、聞き捨てならねえこと言うじゃねえの。リネスタードはいつだってボロースたぁ仲良しこよしだぜ。手を出した? そいつはぁいったい誰のことだ?」
「ふっざけんな! ソルナで貴族に手を出しやがったじゃねえか! そっちがその気ならこっちだってなぁ、てめえらとの取引ぶっ潰してやったっていいんだぜ!」
「ああ、聞いたよその話。ボロースが守ってやるってさんざ吹いてたあの街でなぁ。通りすがりの女に片っ端からぶっ殺されちまったってみっともねえ話。そいつがリネスタードの人間だと、こう言いてえってんならまずはそいつを引きずってこいよ。領主様たち公認の公証人の前で、きれーに証言させてみちゃどうだい?」
「くっ、くっ、クッソ野郎が! まさかてめえら! この件知らぬ存ぜぬで通そうってんじゃ……」
「知らねえもんは知らねえしなあ。大体だ、ソルナの貴族がやられたってんなら真っ先に動くのはボロース本領じゃあねえのか? おめーらみたいな端っこのチンピラ風情がきゃんきゃん喚いて、ボロースからは音沙汰無したぁ妙な話じゃあねえか。なあおい、どうなんだ? オッテル騎士団から通達でもあったか? ワイアーム戦士団から戦士でも来たか? ん~~?」
形勢有利と見たリネスタード側のチンピラたちが一斉に囃し煽り立てる。
そして不利なボロース側がキレる前に、街の衛兵が仲裁に入る。
ボロース側のチンピラたちは衛兵たちが引っ張ってこの場を去らせ、残るリネスタード側はといえば、中年の男が数人、鬼のような形相で彼らの前で腕を組んでいる。
「だああああああれが! 仕事さぼっていいっつったんだこのクソボケ共があああああああ!」
リネスタード側チンピラが抗議する前に、別の中年の男がリーダー格の男の頭を全力で殴る。叩くではない、殴るだ。
「ぶっ殺されてえのか! 納期明後日だっつってんだろうが! てめえらもだ! 今日さぼった分は給料からさっ引くからな! くっだらねえことしてねえで仕事に戻れボンクラ共!」
リネスタード側のチンピラは、仕事があるのだ。それもこんなボンクラチンピラにすら回さなければならないほどの大量の仕事が。
対するボロース側はそれほど仕事に追われてはいないので、ソルナの街の話を聞くなり頭沸騰して乗り込んできたのだが、その話を聞いてリネスタード側チンピラは仕事ほっぽりだして迎え撃ちにきたのである。
そして仕事の頭領たちがブチキレていると。
その怒りのすさまじさに、彼らは驚き恐れ、大急ぎで仕事へと戻っていく。
その場に残るは、怒鳴って殴った二人の中年男である。
「ほんっと、あのボケ共だきゃあ……」
「なあ、ソルナの街の話、聞いたか?」
「あ? ああ、まあ、な。だが、リネスタードじゃ特に仕掛けるだなんだって話は聞かねえぜ」
「向こうからくるって話は聞いてねえか?」
「今のところはな。つーか、リネスタードじゃどこも俺たちの倍は忙しいって話だ。ケンカなんざしてる暇ねえだろ」
「だからこそちょっかい出してくるって話じゃねえか?」
「……こいつはあくまで噂だ、広めるなよ。あの侠人コンラードが結構な規模の戦士団組織してるって話だ」
「辺境の悪夢シーラにぶった斬られて、それでも平気な顔してたってあのコンラードか? そいつはすげぇな。奴ぁ何処にいっても悪い噂は聞かねえし、それならボロースのちょっかいも怖かねえや」
「リネスタードの勢力図ががらっと変わっちまった時はどうなるかと思ったが、前と比べりゃいい話が随分増えたと思わねえか?」
「そうだな、景気はすげぇよくなったわ。あのボンクラ共はさておき、ウチの若い奴らにもガンガン仕事させてやれる。っと、やべえ、俺たちもそろそろ戻るか」
「そうしよう。はははっ、コンラード戦士団ってか。オッテル騎士団だのワイアーム戦士団だのにデカイ顔されねえような、ごっついのを期待してぇところだ」
コンラードは、自身は指揮官なんて器ではないと知っているし、できてせいぜいがチンピラ共のまとめ役ていどと思っているので、大規模兵団の指揮を頼むと言われたら全力で断るだろう。
ギュルディにも今の時点でボロースを刺激してしまう、大軍を集めるような真似をするつもりは一切ない。
だが、市井の者たちの願望というのは、とかく好き勝手なものである。
そしてこうした願望から生まれた噂というものに、責任ある立場の者が振り回され右往左往するというのも、よくある話なのであった。
「ねえ涼太くん。あの後、貴族が死んだことに対して、なにか動きあったかわかる?」
「それが気になるのか? 王都圏の貴族が軍を出すらしいな」
「ふーん」
「……あの街で貴族が死んだからあの街が責めを負う。そいつは、王都の貴族共の理屈であって俺たちの道理じゃない。街が損害を被るのは、責めを負わせないって選択肢を敢えて取らない貴族だかの責任だと俺は思うね。である以上、知ったことか、が俺の出した結論なんだが」
「打てば響くだねぇ。言いたいことすぐにわかってもらえるのってちょっと嬉しいよ。でも、ねえ、凪ちゃん?」
「涼太の意見に私も賛成よ。あの街を守るだの、私たちが悪いだのなんて気は欠片もないわ。でも、そうね、秋穂。やりたいだけやってさっさと逃げたなんて思われるのは、ちょっと気分が悪いわ」
「そうそう。やりたいことを徹底的にやり尽くしたからもう帰る、なら納得はできるかな」
「…………そんな風に打たれても響いてなんてやんねーぞ。あー、もう、アルフォンスに言った通りだわ。お前ら、馬鹿じゃないんだけど、選ぶのはいつでも馬鹿なやり方だよなぁ」
目的地であったはずのボロースとの距離を比較すると、ボロースの街自体は辺境の端にあることからエルフの森が一番近く、次にソルナの街、そして一番遠いのは王都圏側のドルトレヒトだ。
このドルトレヒトに涼太、凪、秋穂の三人は再び戻ることにしたのである。




