084.アーレンバリ流の剣士
秋穂は今回は付き合いだけだ。口も手も出すつもりはない。
凪のやる気もそうだが、因縁には敬意を払おうというつもりもあるのだ。せめても殺される相手ぐらいは選ばせてやろうというていどの敬意であるが。
とはいえ油断はすべきではなく、だからこそ秋穂は付き合っている。
仮に、凪が瞬く間に殺されるほどの相手であったとしたら。
その時はその時だ。剣を手にするというのは常に存在する死の可能性を許容するということでもある。
戦士同士の敬意は、そうやって成り立っているのだ。
「んじゃ、行ってくるわ」
「気を付けてね」
敵は林に身を隠しながら街道を監視している。
幾つかの部隊に分かれ、そのなかで第三小隊と呼ばれる分隊が監視している街道沿いに、凪と秋穂はこっそりと近づく。
標的の二人組はとてもわかりやすい姿をしている。
凪は二人の内の一人、細身のほうにだけ見えるよう、林から姿を現す。
細身の男、目が零れ落ちるんじゃないかってぐらい大きく目を見開く。
凪が剣の鞘を持ち上げながら手招きし、林の中に姿を消すと、しばらくその消えた場所を凝視していたのだが、どうやらこちらの意図は通じたようで、彼はにたりと笑った後、相棒の巨漢の男と二人だけで林の中に入ってきた。
林の奥、剣戟の音が兵士たちに聞こえぬ場所にまで来て、ようやく凪と秋穂が顔を出した。
凪は何処か呆れ顔だ。
「誘っといてこんなこと言うのもなんなんだけど、さすがに不用意すぎない?」
答えるは細身のほう、バートだ。
「勝てば文句も出ねえさ。それに……おいっ、まずは俺からだ。そういう約束だったし文句はねえよな?」
バートの後ろの巨漢が今にも動きたそうにしているのをバートが制すると、彼は不服そうに眉をひそめる。
「そ、そう、だったか?」
「おっまえ、忘れたフリとかどこでそんな高度な技覚えてきたっ。いいか、あの金髪は絶対に俺がやる。何持ち出してきても譲らねえからな」
「く、黒髪のほうをやればいい。あれもいい女だ、だろう」
「いーやーだーねっ。俺ぁあの金髪がいいんだ」
秋穂は苦笑しながら言う。
「モテるねえ凪ちゃん」
「こういうモテ方なら大歓迎よ。ほらっ、そこの二人! 揉めてないでさっさと出る! そんなにやりたいんならどっちもまとめて私が殺してあげるからつまらないケンカしないの!」
この時ばかりは揉めるのを忘れ、同時に凪のほうを向くバートと巨漢。
「「あ?」」
剣術流派を誇る剣士が、こんな挑発されて黙っていられるわけもなく。
それはもちろん二人同時にという意味ではなく、一人で十分だクソがという意味である。
「ば、バート。あのクソ女の寝言、叩き、つ、潰してこい」
「おうよ! ぬかしやがったなねーちゃん。楽しむ前にまずは、その大口後悔させてやるよ!」
凪とバートが前に出る。
間合いはどちらからともなく、バートの踏み込み距離から三歩離れた間合いに。
バートにとっての一番自然な開始位置であり、それは同時にこれまでこの世界で対峙してきた戦士たちにとっての距離だと凪も知っていた。
逆説的に、この距離から始めようとするこのバートという剣士は、この世界でこれまで出会ってきた戦士たちと似通った間合いを持つということでもある。
『どの間合いでも知ったことか顔のシーラと、そもそも間合いの概念が薄いコンラード、そして……』
凪は後ろに控える相棒を思う。
『ありえないほど馬鹿広い間合いの秋穂。ふふっ、そんな面々より、この世界の常識的な剣士のほうが間合いが合い易いっていうんだからねえ』
両手に剣を握り、中段の高さに剣先を置く。
二人がかりで来いとは言ったが、だからと凪はこのバートという男をなめてはいないのだ。
凪の構えに対しバートがどう動くのか。この予測を立てられる分立ち上がりは圧倒的に凪有利である。
バートの流派がアーレンバリ流であるというのは既に知れている。ならば以前に凪が戦ったアーレンバリ流の恥晒し、女殺しのカスペルの剣がこの男の剣に近しいものなのであろう。
凪の特異な構えとすり足を見て、バートのこれに対する警戒の仕方も、最初にカスペルと剣を交えた時とほぼ同じだった。
が、最初の一刀で凪は意識を切り替える。
『ああ、コイツ。カスペルより上手いわ』
元より剣術全盛期であるランドスカープにて隆盛を誇る流派である。実戦における優位性がなければこんなにも流行ったりはしない。
初見流派相手の対処の仕方も当然、こなれているものだ。
カスペルはカスペルで他の誰にも真似できないおそるべき技術を持つ男であったが、純粋な剣技として見た場合、このバートという男の技術がより勝る。
凪の非常識なまでに速い剣先にも、初見でありながら見事に対応しきっている。
大男が、同じく見物姿勢の秋穂に問うてきた。
「お、おい。あの剣は、な、なんだ。あんな流派見たこと、もない。打ち込みが浅い? なのにバートが、押し込まれている? あの振りで、もしかして重いのか? あ、ああっ! そうだあの剣! 押し引きで斬るあの剣! カスペルの剣に近い! 奴から剣を盗んだか!」
秋穂はそのカスペルとやらの剣は見たことがないので、当たり前に浮かんだ疑問を口にする。
「そのカスペルっての、凪ちゃんより押し斬る引き斬るが上手いの?」
「あ…………い、いや、そうか。バートが踏み出せないのは、ソレを警戒、してる、か、からか。カスペルはあんなに、綺麗に斬れなかった。……アレ、カスペルの趣味でそうしてたと思って、たん、だが。あの斬り方できると強いのか?」
「実際に貴方の相棒苦労してるよ?」
「むむむむむ。ま、まあ、カスペルはアーレンバリ流を極めきれてなかった。だ、だが、バートは違う。バートの剣術はカスペルの上だ」
カスペルの持つ恐るべき避け勘というものがなければ、の話であるが大男は敢えてその点を無視して話をしている。
それにカスペルが女と戦うとなれば、アレは女で楽しもうとする。それこそがカスペルがこの女に敗れた最大の理由であると大男は見ていた。
更に問いを重ねようとする大男は、戦場の動きが変化したことに驚き口を閉ざす。
「ああああああああ! だーめだ! もう辛抱たまらん! おっまえ! 洒落になんねえいい女だわ! さすがカスペル! あのドクズ野郎、女の趣味だきゃあわかってる男だったんだよな!」
体系立った技術に基づいた完璧なる防御にて凪の攻勢を凌いでいたバートは、そう喚くと構えを切り替える。
それは大男が思わず口を出してしまうような真似である。
「お、おいバート。お、おおお前、まだその剣、見切れてないだろ」
「うーるせえ! 俺ぁなあ! 今すぐ! この女斬りてえんだよ! これ以上まだるっこしいことやってられっか! 行くぞ金髪! き、きききき斬るぞおめええええええ! 手足、斬り落としてよお! その後で、ぐへっ、ぐっへひゃひゃひゃひゃひゃ、た、たまんねえ!」
秋穂だけでなく大男も大いに引いている。
秋穂、思わず大男に言わずにはおれず。
「ねえ、あれが、アーレンバリ流のやり方?」
「お、お前、アーレンバリ流なめるなら、俺が、ゆ、許さねえ」
「そう思うんなら今すぐ彼止めてあげるべきじゃないかなぁ」
「…………い、いつもは、ああじゃねえんだ」
さしもの大男もこれはフォローできない模様。
二人が話をしている間にも、凪対バートの戦いは動いている。
「斬りてえなあその顔! だがな! 顔は最後だ! まずはじっくりたっぷりと手足を切り落としてからよ! 畜生カスペルの野郎! いーい最期見つけたじゃねえの! この女とやって終わるなら悔いはなかったろうよ!」
「最後まで未練たらたらだったわよ、アイツ」
「そりゃそうさ! お前を斬れずに終わっちまったってんなら未練塗れに決まってらあ!」
「……そろそろ会話も成立しなくなってきたわね……」
バートによる一気呵成の攻勢に対し、今度は凪が鉄壁の守りで受けに回る。
攻撃の間中、バートは興奮の極みだ。実に気持ち悪い有様であったが、凪はといえばこれを見ても動じる様子はない。
凪を見て、どうにもならないぐらい自制が利かなくなる、そんな相手とは、それこそこちらの世界に来る前からの付き合いである。
「せめてもこっちの世界でなら、こういうの八つ裂きにして殺していいってのが救い、かな。向こうじゃ反撃さえさせてもらえなかったし……改めて考えると、ホント理不尽な話よね」
バートは絶好調で喚き散らしている。
「カスペルとは違ってなあ! 俺ぁ自制ができる男だからな! きちんとやっていい状況を整えてからやるんだよ! あの馬鹿とはそういうところで話が合わなかったんだよ! 酒飲むといっつもケンカになっちまう! すえながーく楽しみたきゃよう! あ、た、ま、を使えってこった! あの馬鹿にゃそれができて……」
「馬鹿はアンタもよ」
攻勢を途中でぶった切って凪の剣が飛ぶ。
「あ?」
凪の強烈な籠手が決まり、バートの左手からだらりと力が抜ける。
手首を深々と斬り裂かれながらも剣は握ったまま。しかし左手はもうバートの言うことを全く聞いてくれなくなっている。
咄嗟に片手持ちに切り替えるバート。もちろん、凪がそこで止まってやらねばならぬ義理はない。
ただの一閃で、バートの剣は左方へと大きく弾き飛ばされる。
「ちっ、待ってろ。二度目はねえ……」
「そうね、二度はないわ」
飛ばされた剣を拾おうと動くバートの首元を斜めに斬り下ろす。
バートが何かを主張しようとしているが、首から息が漏れ出しているせいで言葉が音にならない。
それでも必死に主張している。その表情から抗議をしているようにも見えるが、どうでもいいことだ。
ほどなくバートの全身から力が抜け、その場に崩れ落ちる。バートはその状態で、手を何度も何度も前後に動かしていた。
凪を見上げながら腕を動かし、口惜しさに涙を溢しながら息絶えた。
「……こんなにも同情できない涙って初めて見るわね」
凪は絶命したバートから目を離し、大男を見る。
そちらはバートの欲望に塗れた顔とは対照的に、氷のように冷たい表情で凪を見据えていた。
「ど、どうする? 二人で、来るか?」
大男が持っていた鉄の棒を右に左にと振り回しながらそう言うと、凪は苦笑しながら言い返す。
「その寝言、叩き潰してあげるからかかってらっしゃい」
大男は真顔のままで言った。
「お、お前、なかなか強い。アーレンバリ流をやれば世界一になれるかもし、しれねえ。もし、俺に勝てたら、是非、そうしろ」
「……うん、そうね。それは貴方を確かめてから考えるとしましょうか」
大男は剣術流派に思い入れがあるようだが、その割に持っているのは鉄の棒である。
かなりの重量があるそれを、大男は剣を構えるように握る。
まずは大男の先制。
牽制の突きに対し、凪は距離を取って突きを外す。突きを戻すと大男は左袈裟を振り下ろし、手首の返しを用いた素早い切り返しにより連撃を放つ。
この動き、超重量の鉄棍を振り回しているとは思えぬ速度だ。
見た目からして力がありそうだが、それよりも更に膂力があるのだろう。鉄棍にて剣術を用いるなんて無茶を大男はその膂力を頼りに成立させているのだ。
もちろんこんな剛撃相手に受けるなんてありえない。
全撃回避が必須だ。だがそれも、大男の鉄棍の速さから難しい。凪は単純に大男の間合いから外れるように動くことで回避を行なっている。これは回避をしやすくするが、反撃を完全に捨てている動きでもある。
身体の大きな男が、重量のあるものを振り回し続ける。著しく体力を消耗する行為であるはずだが、大男の呼吸に乱れる様子はない。
その身体のキレから凪が想像していた通り、この大男、体力向上のための鍛錬をきちんと行なっていたようだ。
その言動から馬鹿だと思われたバートも、この大男同様に身体のキレはよく、それは何度も何度も素振りを繰り返した証であろうし、喚きながら剣を振っていたにもかかわらず呼吸が乱れることもなかったことから、高い体力を保持していたのだろう。
アーレンバリ流というのは、そういった地道な鍛錬をきちんとおこなう流派なのだろう、と凪はこの流派への印象を新たにする。
『うん、強い。流派、道場がきちんとしてる。それが動きにきちんと出てる。けどっ』
凪が足捌きのみで一撃を回避し、その後で深く一歩を踏み出す。
咄嗟に大男、身体を真横にかわすことで凪の踏み込みから逃れる。この逃れる動きが同時に剣を振りかぶるのと同じ効果を持つように動くあたり、型の鍛錬が身体に染みついている証であろう。
それでも凪が先だ。
ロクに振り切る空間もないというのに、凪は大男の胴目掛けて剣を横薙ぐ。
まるで魔法のように剣が大男の胴を突き抜けていく。いや、大男が同時に身体を横に回転させる。
『えっ』
凪、剣を振り切ったが手応えがない。
『うそっ、外された!?』
凪は剣を振り切ってしまっている。そんな凪の背後より鉄棍が襲い掛かる。
しゃがんでかわす、いや、それだと後が続かない。仕方なく凪は鉄棍の間合いの外へと跳んで逃げる。
『その巨体でそんな動きできるの? あーもう、びっくりしたっ』
大男の息は荒い。疲れたのではない。九死に一生を得た直後であるのだからそれも当然であろう。
そして今の攻防で、大男にも理解が及んだ。大男の鉄棍の速度では、凪の動きを捉えきれないと。
戦い方を変えるのも手だ。鉄棍ならば、剣のように用いるのではなく、通常の棍のように振り回す動きができるのも利点であろう。
だが大男は剣を握るように、再び鉄棍を構えた。
凪、怪訝そうな顔に。
「ちょっと、まだわかんないの?」
「わ、わかっている。だが、それでも、俺はこれしか知らん」
むっとした顔で凪は言う。
「言わせてもらうけど、剣は剣の形状だから速いのよ。その棍で同じことしたって同じ速さにはならないわ。それに、そもそも貴方、身体大きすぎよ」
大男は渋い顔のまま、凪の言葉を聞いている。
「剣術って、同じ体格の者同士の戦いが前提よ。まああっても頭一つ、二つ分ぐらいの差までよね。それが、貴方の大きさじゃ普通の成人男子でも大人と子供ぐらいの差ができちゃうじゃない。ましてや私みたいなの相手じゃ、その剣術を全く活かせないわよ」
「…………」
「身体が大きいのは悪いことじゃないんだから、貴方はその身体に相応しい戦い方をすべきだったんじゃない?」
口惜しそうに歯軋りしながら、大男は絞り出すように言った。
「それじゃあ、最強のアーレンバリ流を学べない。お、俺は、最強になるんだ。だ、だから、アーレンバリ流をやらなきゃならないんだ」
彼の言葉で、凪は全てを察した。
大男が鉄棍を使っている理由は単純明快。この男の膂力に耐えられる剣がなかったのだろう。だから平べったい形状の剣ではなく、曲がらず折れずな棍の形を使っているのだ。
それ故に剣速が遅くなり、懐に入られることも多かったのだろう。入られてからの大男の動きに迷いはなかった。
そういった不利を背負ってでも、大男にとってはアーレンバリ流を使うことこそが最強へと至る道であると信じたのだろう。
「……そう、悪かったわね、変なこと言って。アーレンバリ流は貴方で三人目だけど、もっと奥、あるんでしょ? 見せてみなさいよ」
「応よ! 最強のアーレンバリ流! と、とくとその目で見よ!」
大男は、最後の瞬間まで闘志を失わなかった。
それは彼が信じた最強の姿を自身が体現することができれば、きっと凪にも届くと信じていたからだろう。
決着がつき死の間際になっても、大男は己の不甲斐なさを悔やみはしたが、アーレンバリ流の強さを疑うことはなかった。
凪はこの大男のあり方を、真似しようとも思わなかったし、己の強さの参考になるとも思わなかった。
なのに何故か、綺麗だとは思えたのだ。




