080.目的を達成したとて、策が失敗していないというわけではない
凪と秋穂がわざわざ敵を招くような真似をしているのは、当然考えあってのことである。趣味嗜好では断じてない。
涼太が笑いながら隣のアルフォンスに言う。
「どうなることかと思ったが、どうにか狙い通りの形になってくれたようだ」
アルフォンスは苦笑するしかない。
「そのまま娼館で一夜過ごすつもりだ、なんて話になった時はどうしてくれようかと思ったものだが、まあいい、上手くいったのなら文句は言わん」
「そうしてくれ、俺も泣きたいぐらいだったんだ」
エルフ娘をさらうための陽動が、凪と秋穂の役目である。
もし貴族が出てこなかったら、と考えると涼太が泣きそうになるのも無理はない。
現在、予想以上にというか案の定というか、街の戦力のかなりの部分が凪と秋穂対策に費やされている。
それでもエルフ娘の重要性も考えれば、三十から五十の兵が護衛についている、と涼太は当初予想していた。
アルフォンスにその旨伝えたところ、更地で陣形相手に真正面から突っ込むでもなければ百でも問題は無い。と事もなげに言い放ったので、その辺は任せることにした。
平地で陣形組んだ七百相手に三人のみで突っ込んだあの戦争が如何に頭がおかしかったかが間接的にアルフォンスにより証明されたわけである。
そして襲撃前に涼太が魔術でエルフ娘の家を調べると、そこにいたのは十名ていどの、それも兵士ですらないチンピラたちだ。
周辺を調べるも隠れている様子もない。堂々と姿を現している十人弱が、家の前に見張りを立てつつ家の中で酒飲んでげらげら笑っているだけだ。
何度も確認したうえで状況をアルフォンスに伝えると、アルフォンスはとても機嫌を損ねた顔になる。
「まさかとは思うが、そんな状況でディオーナは安心した顔をしているのではあるまいな」
「見てて可哀想になるぐらいびくびく震えてるよ」
「ならば、まあ、人間が極めて愚かしいということで納得してやる」
エルフだなんだと言っても、やはりなめられるのは嫌らしい。
こちらの世界で武器を持つ者は大抵がそうだ。だというのに、ちょっと自分の立場が上だと思うや他者に対して横柄で傲慢な態度をとる者の多いこと多いこと。
『そりゃ争いが絶えんわ』
案外に、利害関係で争うことが多く感情的な齟齬での揉め事は無駄で無益と断ずる人間の多い元の世界のほうが、争い自体は少ないのではないかと思えてならない涼太だ。
隠れ潜むのも面倒だ、とアルフォンスは真正面から堂々とその家に向かう。
「おい、おま……」
技をすら使わない。剣を抜きざま、声をかけてきた男の首を下から斬り上げる。
血飛沫は剣を振りぬいた方向に噴き上がり、男はそちらに身体を向け回りながら倒れる。これにより、斬ったアルフォンスは返り血ゼロである。
「てっ!」
と言葉を続ける前に、振り上げた剣を振り下ろし、二人目も瞬殺。
それも戦うための姿勢を取ってるとも思えぬ、半身になるでもない無造作に身体を相手に向けた体勢のままで、ハエでも払い落とすような適当な動きで二人をあっという間に仕留めたのだ。
『やっぱコイツツエー』
涼太が内心でおっかねー、とか思っている間にアルフォンスは家の扉を開ける。
「あ?」
家の中で酒盛りをしていた馬鹿共が一斉に入り口を見る。
襲撃予告までしてやったのに、待ち構えていた男たちは酒飲んで笑っているのだ。かんっぜんにエルフの襲撃をなめきっている。
アルフォンスの表情が険悪なものになり、それを見たディオーナの表情がもう真っ青を通り越して白くなっている。
「……我らをたばかり、一族の娘をかどわかし、挙げ句襲撃まで教えてやったというのに、このザマだと? 貴様ら、ただの一人とて生かしては帰さんぞ」
酒で気が大きくなっているのか、チンピラの数人がやはり笑いながら立ち上がる。
「おうおう、おめーがエルフか。噂ほどじゃあねえなあ、そんなほそっちい腕で人間サマとやろうってか?」
「おめーらすっこんでろ。そこの枯れ木みてーなエルフ様によ、人間の剣術ってーやつを俺が教えてやっからよ」
アルフォンスの背後から涼太がぼそぼそという。
「いいかアルフォンス。言ってるのは馬鹿なチンピラ共であって、アレは決して人間の代表でも総意でもないからな。アレはチンピラって種族でとりあえず俺とは全然違う生き物だから俺に当たるのは八つ当たりだかんな、わかってるよな?」
そんな涼太の言葉を聞いているのかいないのか、アルフォンスはもう殺す気満々で片手に握った剣を頭上高くへと振り上げている。
その構えを見て、剣術を教えてやるとか言っていた男の表情が変わる。
男は咄嗟に頭上に剣を翳す。アルフォンスは恐ろしく長く速い一歩でその男の眼前へ。男は迎撃の剣を飛ばすことさえできない。
それはアルフォンスにとっては技ですらない、ただの振り下ろしだ。だがそれすらも、男からすれば珠玉の技術の集大成だ。
アルフォンスの剣先が導いたように、ふらふらと頭上より男の剣が外れていき、がら空きになった頭部をアルフォンスの剣が縦二つに叩き割る。
そこからはただの作業だ。
剣を振り上げる、振り下ろす、一人死ぬ。
これを人数分繰り返すだけの簡単なお仕事で。
最後の一人、ディオーナと同じくらい白い顔になった男の段になってようやくディオーナが硬直から解かれた。
「まっ! 待ってアルフォンス! その人は違うの!」
一応、同族であり同胞であると見なしてはいるようで、アルフォンスもディオーナの言葉には耳を傾ける。
「そ、の、ひ、と?」
ディオーナの言い方でその男こそがディオーナの想い人であると察した模様。
なのでアルフォンスはディオーナに免じて一言だけ声をかけてやることにした。
「死ね」
「待ってアルフォンス! その人は私と一緒に行ってくれるって! エルフの森に戻ってくれるって言ってくれたの! 悪い人間とは違うのよ!」
何を言ってるんだこの馬鹿は、といった顔のアルフォンスは、ふと涼太が事前にアルフォンスに言っていた言葉を思い出す。
涼太はディオーナに、恋人に一緒にエルフの森に行くよう説得しろ、と命じていたはずだったと。
まさか人間がその説得に乗るとは思ってもみなかったので適当に聞き流していたのだが、どうもその話のことらしい。
アルフォンスは、眉根を寄せた怪訝そうな顔、男からすればなめたこと抜かすとぶっ殺すぞ顔で、男に一度だけの機会をくれてやる。
「ディオーナに子供ができるような真似はしない、それが条件だったはずだが、お前はそれでもエルフの森に来るつもりか?」
男は涼太が問うた時ディオーナがそうしたように、何度も何度も首を縦に振った。無論、表情はまるで違うものである。
それを見たアルフォンスは見るからに不機嫌顔になる。男は小さく悲鳴を上げて後ろに倒れ込んだ。
「……リョータ。何故、こんな面倒な真似をした。殺してしまうのが一番てっとり早いだろうし、私の気も大いに晴れる」
剣呑な雰囲気のアルフォンスであるが、怖い雰囲気にはこちらの世界にきてかなり慣れた涼太は、少なくとも表面的には平然としたものだ。
「アルフォンス。お前が思っているよりもずっと、納得ってやつは重く大きなもんだと俺は思う。エルフってな寿命長いんだろ? その馬鹿長い時間ずっと、恨みつらみを抱えていくもんじゃあない。お互いが納得の上で話が進むのが一番だ」
「この馬鹿娘の納得を優先しろと?」
「そっちの男のも、だ。ついでに言うならば、ここまでかかわった俺も納得したいし、もちろんアルフォンス、アンタにも納得したうえでの結末を迎えてほしいと思ってるよ」
どーせその娘森に連れて帰った後は暇なんだろうからそのためにこそ手間も時間もかけろよ、と涼太が言うと、ふん、と鼻を鳴らして剣を収める。
「私が納得するためには、約束はきちんと守られなければならない。そうだなリョータ」
「もちろんだとも。ソイツと俺たちがした約束がどれだけ重いものか、理解できない馬鹿ならお前が好きにしてくれて構わないよ」
涼太は男だけでなくディオーナのほうもちらと見ながらそう言った。
凪は街の教会の尖塔の上にいた。
この建物の一番てっぺんに伸びている棒状のものに片手で掴まりながら、眼下を見下ろす。
「誰か! アイツなんとかできねえのかよ!」
「猿かアイツは! ひらひらとあんなところまで登っていっちまったぞ!」
「つーか弓はどうした弓は!」
「アホか! どんだけ射ったと思ってんだ! もう矢なんて残ってねーよ!」
あの後も気を取り直して包囲に走り回っていた兵士とチンピラたちであったが、凪は危なげなくこれらから逃げきっていた。
「んー、ようやくね。んじゃこのぐらいにしときますか」
凪の目が尖塔から彼方を見据える。そこには煙が一本立ち昇っていた。
娼館に火を付ける決断をするのには随分と時間がかかっていた。ドルトレヒトの新たな産業の中心となるべき建物であったのだから躊躇も当然であろう。
なので秋穂は最初の三人と二度目の数を頼んだ襲撃を撃退してからは結構暇していた。
この間に交渉なんてことも行われていたりする。
「あー、中にいる黒髪。お前たちの正体はとうにバレている。街を逃げ回っているのが金色のナギで、今そこにいるお前が黒髪のアキオだろう」
「秋穂だよ! なんで凪ちゃん間違えないのに私だけそういう男の子みたいな間違え方するかな!?」
「お、おう、あき、ホ? アキホ、でいいんだよな?」
「そう、アキホ。名前大事。間違うの失礼。わかった?」
「う、うむ。それでお前の要求は……」
双方にとって時間稼ぎていどにしか意味のない行為であったが。
そうこうしている間に建物に火矢を放ち、八方から多数の弓が狙っている状況で娼館は炎に包まれるのである。
秋穂はといえば、火がついたと知るや相手にバレぬよう建物の屋上に向かい、そこで火が回るのをのんびりと待っていた。
煉瓦造りの建物であるからして火が回るのに結構な時間がかかったが、建物の周囲から幾筋もの煙が立ち上り、そろそろ息苦しくなってきたかと秋穂が思い出した頃、彼方の空に明らかに火事の煙とは違う種類の煙が上るのが見えた。
「おー、完勝の煙っ。ずいぶんと早かったねー」
秋穂は屋上で両足を交差させ、深く低くしゃがみこんでから、強い発声と共に屋上の床を蹴る。
静から動への瞬時の切り替えは、秋穂の最も得意とするところだ。だが、早く遠くに跳ぶのなら、やはり助走をつけて跳んだほうがよいだろう。
それでもこちらの跳び方を選んだのは、やり慣れているため距離の目測が立てやすいからだ。
狙い通りぴたりの位置、向かいの建物の屋根上に着地すると、二歩の助走で再び跳躍、通りを二つほど越えた先の建物の屋根にて周囲を見渡す。
上を見ている者もなし。ぴょんと飛び下り、なんて高さではなかったのだが当人は特に気にもせず綺麗に着地し、何事もなかったかのようにすたすた歩きだす。
後方から、逃げただの追えだのといった声が聞こえてこないのは、秋穂が跳んだ姿を彼らが見落としたせいだろう。
「案外、人間の目なんてアテにならないものなんだね」
火事の煙やらが邪魔になったのだろう。人が屋上から飛び出すなんて考えてもいなかったのかもしれない。
道行く人たちが秋穂を見ては立ち止まって二度見しているのを無視しながら、秋穂はさっさと街を出る。
面白いもので、黒髪の美人アキホという化け物の如く強い人殺しが娼館に立てこもっている、という話を聞いている兵士ですら、堂々と道を歩く秋穂を見て、きっとその当人だから捕まえなければ、とは思い至らなかったらしい。
街を出てすぐのところで、待っていたらしい凪と合流した。
「秋穂、おつかれー」
「はいお疲れ様。問題は?」
「もちろんなかったわよ。ただねぇ、やっぱり極力殺さないようにするのって逆に面倒だわ」
「殺さなかったの? なんで?」
「なんで、って騒ぎ起こすのが私たちの仕事でしょ。死体じゃ騒げないじゃない」
その発想は無かった顔の秋穂である。
悪意は全くなく文字通りの意味で、親の顔が見てみたいと思った秋穂だ。どんな親がどんな育て方したらこんなのが育つというのか。
『多分、おばあちゃんとは話が合うんだろうなぁ』
今の凪の返答なぞ秋穂の祖母が気に入ること請け合いだ。大笑い間違いなしだろう。
頭は悪くないんだが、時々まるで意味のわからないことをする凪にも、最近慣れてきたなぁ、と思う秋穂であった。
楠木涼太が事前にエルフ娘ディオーナにアルフォンス襲来を伝えたことは、涼太たちにとって大いなるリスクとなる行為だ。
それでも涼太にはそうしたい理由があったのだが、だからとリスクをリスクのまま放置することもしない。
涼太からの話を聞いたディオーナがどう動くか、話を聞いた男がどう判断するか、これを見定めなければならない。
それは通常大きな困難を伴うものであるはずなのだが、相手がいつどこでそうするのかがわかっているのなら、涼太にとっては困難でもなんでもない。魔術万歳である。
ディオーナが相談し、深刻そうな顔で男もこれを聞いたうえで、男は守ってくれる者たちに心当たりがあるからそれを頼ろう、というわけだ。
ディオーナは反対する。絶対に勝てないからやめてくれと。そんなディオーナを男が説得すると、それなりに渋りながらではあるが男の説得に応じてしまった。
男に押されると基本ディオーナは逆らうことができないのだろう。惚れた弱みとはまさにこういうものである。
そして男は一度家を出て、その頼れる者たちの所へと。
彼の後を、涼太の魔術がふよふよと追っていく。
男が頼ったのは、街長に繋がる衛兵ではなく、いかにも柄の悪そうな酒場であった。
『あれ?』
この辺りから涼太の予定が狂っていく。
男は酒場に入ると、そこで飲んでいた男たちに話を持ち掛ける。
どう見てもチンピラにしか見えない彼らは、何故か男の嫁のディオーナがエルフであることを知っていて、男の話を聞くや息巻いて立ち上がったのである。
「おう! おもしれえ話じゃねえか! 俺たちに任せろ! そのエルフっての俺たちが追っ払ってやるよ!」
「すまねえ! やっぱ旦那は頼りになる! 正直、俺よぉ、ドルトレヒトの兵長とかがどーにも合わなくってなぁ」
「はっははは、向こうの街からの付き合いじゃねえか。おめーとエルフの嬢ちゃんをここまで護衛してきた仲だ、引きはがされるのは見るに忍びねえさ」
「旦那……」
感動している男に、チンピラの一人がまぜっかえすように言う。
「おいおい、最近目立ってねえからってここで一発また手柄立てようって腹だろ、兄貴は」
「ばっかやろう! 言っちまうんじゃねえよ! いい話で終わらせとけって!」
うはは、とチンピラたちも、男も一緒になって笑う。
そして頭を抱える涼太。
『おい、おい、おい、なんだこれ。お前、人がわざわざ凪と秋穂と別行動なんつー洒落にならない(ドルトレヒトの人たちにとって)危ない真似までして、陽動までかけようってのに、コレはいったいなんだ?』
それに涼太たちの来襲は、ドルトレヒト側がきちんと防衛を考えて備えていたのならば、隠れて奇襲したところで初撃を防ぎ、その間に二人を逃がすなんて動きをされて結局意味のないものになるだろう、とも思っていたのだ。
それが実際はどうだ。彼らがやっていたのは人の口伝いにエルフの存在が漏れぬようするのみで、護衛なんて気の利いたものは一切なし。
護衛をつけぬことで隠す意図があった、なんて好意的に受け取ってはみたが、窮状において男が選んだ行動がチンピラのボスに助けを求めること、なんて段階でもう、ドルトレヒト側にはやる気が欠落していると涼太は考えざるをえない。
涼太は自身のわがまま、こだわりを通すために結構な知恵を振り絞ったものだが、それら全部が、綺麗に無駄になってくれそうである。
『なんだろう、この気持ち。……怒り? 失望? うーん、どれも違うなぁ』
その正体は作戦決行後に知れる。
涼太アルフォンス組はそれほど問題なさそうなので凪秋穂組に魔術を飛ばしたところ、どうもあちらはあちらで問題発生のようで。
凪と秋穂の美貌に目がくらんだ馬鹿が手を出してくるだろう、なんて読みであったのだが、高級娼館としてのあり方か、二人に対してはあくまで客として、極めて丁重な扱いをしていたのである。
そこでようやく、涼太は今の自分の気持ちを言葉にできた。
『色んな情報を手に入れて、考えに考えて状況を予測して、最悪の場合を常に頭に入れておくようにして、ってそれが最善と思ってやってたら、自分がどうしようもない見当違いのことしてたってわかって死ぬほど自己嫌悪してるんだ、コレ』
世界の全てが個人の思考の行きつく先にあると考えるのは、とても傲慢な行為なのかもしれない、と涼太は天を仰ぐ。
だからと思考を止めることが良い手だとも思わないし、準備を整えることも状況を推測することも決して手を抜くべきではない。
ただ今回はちょっと、涼太に経験が足りていなかっただけなのだろう。そう、涼太は思うことにした。




