表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
誰だ、こいつら喚んだ馬鹿は  作者: 赤木一広(和)
第六章 異世界恋愛事情
79/272

079.街を走れ


 逃げる凪を追いかけるチンピラたちも馬鹿ではないようで。

 まっすぐ凪を追う者と、回り込もうと動く者とでそれぞれがきちんと指揮する者のもとで連携がとれている。

 また当初十人ていどだった人数も、いつのまにか直接追っている人数だけでも二十人近くになっている。

 もちろん回り込もうと動いている人数は凪の視界の外なのでわからないが、建物越しに聞こえてくる声から、結構な数が街中を走り回っているように思える。


『展開、速いわね』


 凪も対集団戦闘には随分と慣れた。

 チンピラたちの動きを見ていれば、どのていど頭を使った動きができそうかは予想できる。これは今も周囲できゃんきゃん喚いているチンピラたちが自主的に考え動いた形では絶対にない。


『となると、ヤる指揮官がついている、と』


 面倒にはなったが、凪の望む形にもっていくにはむしろこちらのほうが望ましい。

 となると、と凪は通りの先に馬車の荷台を見つけにやりと笑う。


『こっちの実力、もうちょっと見せてあげないとね』


 馬車の荷台には縄が無造作に置かれている。これを、駆け寄りざまに掴み取る。

 走る凪の後ろに縄が伸びる。少し先に進んだところで凪は急転換。それまでとは正反対、追ってくるチンピラたちに向かって走り出した。


「ははっ! 観念しやがったか!」

「馬鹿が! この数相手に勝てるかよ!」

「ぜはー、かかって、ぶはー、こい、ぜひはー、やー」

「お前ちょっと下がってろ。このていど走ったぐらいで貧弱すぎだろいくらなんでも」

「囲め囲め! はっ! わざわざレンナルトさんに出てきてもらうこたなかったな!」


 先頭の男が凪に剣を振る。凪の走る速度を落とす目的もかねて真横に薙ぐ形にしたのはなかなかに喧嘩慣れした動きだと思えたが、凪の運動能力は彼の想像を容易く超える。

 跳躍一つだ。それだけで男の胸の高さにまで足が上がるのだ。もちろん上体はより上だ。

 空中でその男を蹴りながら着地、次の男が斬りかかる前にそちらを体当たりで崩し、弾かれるように逆側に走る。

 三人目の男の剣をスライディングで潜りつつ、直角に方向転換。わざわざ敵チンピラ集団のど真ん中へと突っ込んでいく。

 ここら辺りになってくると、凪が持っていた縄が次第に邪魔になってくる。


「おいっ! あぶねえよ!」

「縄のせいだっての!」


 凪が器用に手首のスナップを利かせながら縄を放ると、一人の男の首に輪になった状態の縄が引っ掛かる。


「げっ! ぐがっ!」


 男の悲鳴を無視しながら、凪は更にチンピラたちの周囲を走り回ると、ようやくその頃になってチンピラたちも凪の目的を察することができた。

 まあ手遅れではあるのだが。

 最後に凪は手に持った縄を強く引く。


「はい、いっちょあがりっと」


 チンピラたちが二十人近く、一本の縄で絡めとられ身動きが取れなくなっていた。

 さーて、これからどうしよっか、なんて言っていた凪の視界に、革鎧を着た兵士の一団の姿が見えた。


「いたぞ! あそこだ! 追え!」


 三十人近くいる、完全武装した兵士たちである。

 一瞬ここで迎撃するか、と考えかけた凪であったが、それはチンピラではなく兵士であると思えたので、大事を取って逃げるに切り替える。

 さすがにきちんとした兵士を相手に今と同じ動きはリスクがある。


『でも、兵士も出てきたってことは、ますます狙い通りってことよね? うーん、さすが私。まったく、私みたいなゆーしゅーな仲間がいて涼太は幸せ者ねっ』


 以上の言動からもわかる通り、不知火凪には恒常的に楠木涼太に迷惑をかけ続けているという自覚はない。まったく無いのである。







 オッテル騎士団正団員のレンナルトは今年三十を超えたばかりで、社会人組織の一員としては概ね中堅どころにある年齢だ。

 この辺こちらの世界の人間は社会に出るのが早いことから、中堅入りも涼太たちの世界よりは早くなっている。

 だが、管理職としては全くのペーペー、新米であろう。元々こちらの世界では労働者のほうが圧倒的に多く、少ない管理職は各種の旨味を備えた特権と化している。

 労働者たちを管理する、という意味での管理職は存在するが、あくまでまとめ役的な立ち位置でしかなく、役職手当もあったとして微々たるものである。

 そしてオッテル騎士団の正団員であるということは、この数少ない管理職の一人であるということだ。

 もちろんオッテル騎士団は騎士団を名乗っているだけに、武力をもって団員として認められている者もいる。だが、この騎士団で大きな権限を持っているのは、オッテル騎士団配下の組織を使って各種仕事を回し管理職の仕事をこなしている団員なのである。

 オッテル騎士団団長オッテルはまだ若造と呼んでいい年ではあるが、こうした正団員には年配の者も多い。

 そんな中にあって、まだ三十を超えたばかりで正団員を名乗れるのはよほどの功績があるか才があるかだ。


「……おい、なんの騒ぎだ?」


 隣で寝ていたはずの娼婦は既にベッドから身を起こしており、木窓を開けて外を確認している。


「レンナルト様。今日はこちらに来て正解だったみたいですよ」


 女が招くとレンナルトは窓から外を見る。通りの奥にある、レンナルトの立場ならいくら使っても文句を言われないこの街最高の娼館で、騒ぎが起きているのが見えた。

 レンナルトがこちらの店にきたのは、今日はゆっくりと休みたいと思ったからだ。あちらの店はレンナルトの感覚からすれば騒がしすぎる。

 そこそこの見た目でも、変に気取らぬ女と居たほうがレンナルトは気が休まるのだ。


「なんだあれは……っておい待て。あれ、貴族じゃないのか?」


 女もレンナルトの隣から一緒に外を見ている。


「あら。貴族様を引きずってって、無茶をしますね」


 そんな呑気な感想も吹っ飛ぶことが起きる。貴族を引きずっていた女たちがこれを空中に蹴り上げた挙げ句、空中で蹴り飛ばして木壁に叩き込んだのだ。

 レンナルトと娼婦と揃って絶句している間に、これをなしたとんでもない美人二人はそれぞれ館の外と中へと逃げ出した。

 ふと娼婦が我に返った時には、レンナルトは既に衣服を身に付けていた。


「お仕事、ですか?」

「うむ。あれはマズイ。連中だけでは対処できまい。ああいう化け物への対処法を心得ている者などこの街にはおるまいよ」


 仕事のことは娼婦にはわからないが、レンナルトがこれから大変な仕事をするということだけはわかった。

 娼婦は機嫌を取るのが仕事だとか金をもらっただとかそういったことを一切考えず、思ったままを口にする。


「ご苦労様です。いってらっしゃませ」


 レンナルトは、そうだよ、こういうのがいいんだよ、とにやつきながら部屋を出た。




 兵の集結場所にレンナルトが到着した時、彼らはまだ兵を出すかどうかで揉めていた。

 なのでレンナルトが一喝する。


「以後、指揮は私が執る。兵は集められるだけ集めろ。さもなきゃあれは止まらん」


 レンナルトはこの街の人間ではない。だが、現状ではこの街におけるオッテル騎士団最高位の人間だ。

 その横柄な言い草にも逆らえる者はいない。

 初老の男がおずおずと彼に問う。


「で、ですが、貴族同士の争いに巻き込まれるのは」

「馬鹿が、とうに巻き込まれている。貴族が死んでいるんだぞ、連中がこれを黙って見過ごすわけがあるか。……私の立場で言うことでもないかもしれんが、このまま事態の収束もできずではボロースから統治能力無しと断じられお前ら街から放り出されるぞ」

「そ、そんな! ボロースが守ってくれるというから……」

「黙れ間抜け。協力者の立場を維持したいのならば力を尽くせと言っているんだ。街をまとめることもできん愚者に、責任ある地位を任せるわけがなかろうが」


 それだけ言い放つとレンナルトは初老の男を突き飛ばし、兵の隊長たちに次々と指示を飛ばす。

 隊長たちは皆この街の人間で、レンナルトと初老の男とどちらに従うべきか、と問われれば初老の男に従うと答える者が大半であっただろうが、レンナルトの指示があまりにも明快で適切なものであったため、隊長たちも即座に了解し言われるままに動き出す。

 立場でいうのならば初老の男を無視するのはよろしくないのだろうが、隊長たちもドルトレヒトの街で好き放題暴れている連中を黙らせてやりたいと思っていたのだ。

 兵士も兵士で、チンピラほどではないが面目を気にするものなのである。


 兵士にもチンピラたちにも、同じ人間とはとても思えぬ力を持つ存在がいることは知らされている。滅多にお目にかかれぬ、といわれているがドルトレヒトほどの規模の街であれば兵の隊長をやっていたり、チンピラたちの元締めをやっていたりするもので。

 だが、そういった相手を敵に回した時どうするかなんてことを、準備したり訓練したりしている者は少ない。

 兵に一定以上の練度を要求されるのもそうだが、指揮する者に多大な負担を要するのだ、強力な個体を兵で効率的に圧し潰すという戦い方は。

 そしてレンナルトは己こそがそうできる優れた指揮官の一人であると自負していた。

 これは年下に師事し学ぶなんて屈辱的な真似をしてまで身に付けたものだ。レンナルトは必要とあらば一時屈辱に耐える忍耐力も持ち合わせている。

 その年下の身の程知らずは騎士団の主流派から睨まれ団を追放同然に放り出されているので、レンナルトも溜飲は下がったとこれ以上の報復は勘弁してやった。もちろん、その追放劇にレンナルトが大いに関わっていたりもする。


「一気に包囲できると思うな。好きに走らせ、暴れさせ、疲れたところを仕留めるぞ。いいな、無理押しは絶対に禁物だ。各隊長はこちらの被害を少なくすることを第一に考えろ」


 そのためには決して失われてはならないものには、早々に避難をさせなければならない。

 街長含む街の主要人物とその家族は皆、早々に街の重要区画へと避難させる。逃げ込ませてはならない場所を減らしておくのだ。また預かっているエルフの娘も重要だ。

 オッテル騎士団団長がボロースの領主フレイズマルより直接頼まれた件である。この件に関して失策は決して許されない。

 既に第一報はボロースへ向かい走っている。第二報以降でよい報告ができるかどうかはレンナルト次第だ。


「……どの道、ドルトレヒトはかなり厳しいことになるが……さて、オッテル様はどうなさるか。貴族が動くとなればフレイズマル様にまで持っていったほうが確実ではあるのだが……」


 ドルトレヒトはオッテル騎士団配下、ということはつまりボロースの影響下ということであり、その去就はボロース領主フレイズマルの管理するところだ。

 相手が王都の貴族となればボロース全体として動く案件にもなりうるし、オッテル騎士団の中で解決すべきこととみることもできる。

 殺された貴族はオッテルの紹介でドルトレヒトに来た、と知っていればレンナルトももう少し正確な推理ができたかもしれないが、案外にこういった情報は出回ったりはしないものなのだ。

 いずれどの場合においても、下手人を逃がしたなんて無様な話になってはドルトレヒトは極めて厳しい立場になろう。


「忘れるなよ、犯人の女を捕らえられるかどうかにドルトレヒトの未来がかかっているんだ。ドルトレヒトの兵は貴族殺しの下手人をみすみす取り逃がしたなんて言われたくなければ、必死になって我が指示を守れよ」






 敵に兵士っぽいのが混じるようになってからは、凪もあまり楽ができなくなっていた。

 まず、間合いを決して詰めようとはしない。そのうえで遠巻きに矢を射かけてくるのだ。ご丁寧に矢を放つ兵の前には盾を構えた兵を並べている。

 見えれば避けられるし、遮蔽も多い。だが、飛来する矢を一本でも見落としてしまえば致命的なことになろう。常に緊張を強いられたうえでの逃走である。


『ふむ、ふむ。ああ、なるほど、そういうことね』


 飛来する矢に怒ってつっかかっていけば、まず盾持ちの兵がこれを支えている間に、周囲に展開している別部隊が凪を取り囲み、八方より矢を射掛ける算段だろう。

 一方向からならばともかく、八方より同時に射掛けられては避けるも受けるも難しかろう。

 味方に矢が当たることにもなるが、これは前面で盾を構えた兵が防ぐ仕組みだ。


『よくできてる。でもそれ、私が走っても対応できるの?』


 盾の壁にしか見えない封鎖された道に背を向け、凪は街路を曲がり走る。

 狭い道だ。土壁に覆われた建物と建物の間をすりぬける道で、この両端を塞いで矢を射掛ければ確実に仕留められるだろう。そんな道だが、敵の姿がない。

 そうしたならば壁をぶち抜いて回避するつもりだった凪だがアテが外れ、そのまま狭い通りを抜けてしまう。

 大きな通りに出るとそこはT字路であり、その双方に敵が待ち構えていた。

 いや、左方は兵士が盾を持って構えているが、右方は剣を持ったチンピラが五人いるだけだ。


『この場合はどうするの?』


 凪はチンピラに向かって走る。チンピラは盾を持っていない、そちらに射れば彼らにも当たる。

 チンピラはというと兵たちの作戦がわかっていないのか、勇んで突っ込んでくるのみだ。

 敢えて殺さずいなしながら彼らをかわす。兵たちから怒鳴り声が聞こえた。


「馬鹿共が! 当たって死んだら運が悪いと諦めろ! 射よ!」


 彼らは躊躇していたようだ。

 それでも指揮官の一喝と共に矢は放たれる。

 チンピラたちは仰天してその場で蹲り、凪はといえばようやく撃ったかと悠々と建物の陰を遮蔽にする。

 そして、こんな人間味のある対応はここまでであった。

 以後凪への追撃は激しさを増し、指揮下にないチンピラが勝手に動いた場合、容赦なく矢を射掛けるようになる。




 他での話を聞いていないのか、馬鹿なチンピラがまた凪の前に立ちはだかった。

 背後には兵の壁がある。距離はかなり離れているが射線は通っているのだ、ならば必ずくる。

 凪はチンピラの足元をスライディングで滑り抜ける。ついでに、腰を使って跳ねるようにチンピラを蹴飛ばしてやると、凪の背後から降り注いだ矢がチンピラに数本突き刺さる。

 足を止めたらヤバイ。

 凪は蹴った勢いで立ち上がりそのまま走る。角を曲がろうとしたところで、曲がった先の道に集まっていた六人のチンピラが突っ込んできた。

 通りに飛び出せば矢の雨がくるというのに、それを知らないためにチンピラたちはありえぬほどに勇敢であった。

 凪は基本右側、右側に避ける。左側からは矢が飛んでくるのだからそうするしかない。

 かわした後でチンピラの身体を盾にするのだ。

 ただ右にかわすだけでは動き自体が止まってしまう。凪は横に回転しながら敵の剣を手で弾き、敵の身体を弾き、足を払って次々敵の攻撃範囲から逃れていく。

 凪からの攻撃は必要ない。左方から合図と共に放たれる矢がチンピラたちを仕留めていくからだ。

 このチンピラたちの死に際に見せる呆気にとられた顔だ。寝覚めが悪いなんてものではない。

 真横からの矢に射掛けられて死ぬチンピラたちを見て、後続のチンピラ数人が角を曲がった先の通路に逃げ戻っていく。

 その背に追いすがり、凪はチンピラの背を蹴り飛ばし更に上へと跳び上がる。

 更に壁を二度蹴って建物の屋根の上にまでのぼった凪は、思わず舌打ちを禁じ得ない。

 兵の集団が今凪の視界の内にあるだけでも四つはある。

 彼らは今の凪の位置云々を考えもせず、何かに命じられたかのように目的地目掛けて脇目も振らずに駆けている。


『これはこれは……まさかここまでできる奴がいるとはね』


 兵を二十から三十ていどの隊にしておき盾と矢とを用いた先の作戦を全部隊に伝えてあれば、一息に抜かれるという心配も少ない。そうしておいて、各隊が連携し街路を用いて凪を追い込み追い詰めていく作戦であろう。

 これが口で言うほど簡単な作業でないことは凪にもわかる。

 見たいものは見れた凪は、屋根を幾つか跳び伝い一階の高さの屋根から飛び降りる。走るのならばやはり地面の上が一番速く走れる。


『お見事。いいわよ、そっちがそのつもりならノってあげようじゃない』








 凪は狭い通りを抜けざま、傍らにあった木板を引っ張り盾とする。

 通りに飛び出した途端矢が降ってきた。木板を盾に防ぎつつ、この木板を矢の放たれた方角目掛けて蹴り飛ばす。

 蹴り抜くではなく蹴り飛ばす蹴り方であり、木板はぐるんぐるんと回転しながら兵たちに向かい飛んでいく。この後を追う凪。

 落着と同時に木板は盾を持った兵士が盾にて弾き返す。が、飛ぶ木板の陰に入った凪は既に近距離へと。


「構わん! 射よ!」


 度胸のある指揮官の声に応え、弓を持った兵士たちは、盾持ち兵士の上に乗り出すようにして矢を放つ。

 至近距離からの矢は、思った以上に恐ろしかった。

 が、それでも反応しきれぬ速さでもない。


『こんのっ!』


 両手で二本、肩を落として一本をかわす。

 肩を落とした際、身体を傾けることになったので、そのまま回転しつつ跳躍。盾持ち兵の頭上を越えていく。

 空中で回し蹴りを弓兵の頭に叩き落しつつ着地。同時に弓兵の持つ短剣をちゃっかりと抜き取っている。

 今の凪の居場所は兵の群のど真ん中だ。真正面に位置する兵士の斜め上から肩にかけてを短剣で突き刺す。すると、刺された痛みで兵士は反射的に刺された側とは反対側に身体が泳ぐ。

 大柄な男であったが、故にこそその真後ろに抜けていくのは兵士たちにも予想外で、凪がまっすぐ兵の群を突き抜けていくのに正面の兵以外は反応できず。

 腕で兵の片足を掬い上げると、兵士は頭が下になる勢いで回転し、その先の兵の引き手を握って真下に落としてやると、その兵士は突如重心を失ったかのように勢いよく倒れる。

 最後の兵には股下に腕を通しつつ、肩で腰を持ち上げそのままぶん投げる。

 大きな動きとより大きく動く肩上の兵の身体で、周囲の兵は近寄れない。そして投げられた兵士は空中で横に回転しながら追撃に動く兵の群のど真ん中へと落下した。


『これやっても駄目なのよねぇ。ホント、こいつら指揮してる人、大したものよ』


 兵の群を真正面から突破した形だ。だが、これは既に二度目である。

 敵の指揮を崩すつもりで一度やったのだが、それでも敵の包囲は崩れなかったのだ。

 まるで凪の思考全てが敵指揮官の手の内にあるかのようで。

 そして三度目の正面突破は許さぬよう、更に何か手を打ってくるだろう。そういう意味で、凪はこの敵指揮官を信じている。

 案の定、抜けた先の通りにも、兵の一団が盾を備えて待ち構えていた。

 さきほどの近接しての矢ではなく、矢の最も適正な距離で十数本の矢雨をくらうのは、さしもの凪にも対応が厳しいもので。

 できぬとは言わないが、敢えて難しい対処をしようとも思わない。

 そんな対応を積み重ねた結果、凪は今の通りを駆けることになっている。




 通りに入ったという報告を聞いた瞬間、敵指揮官レンナルトは大きく息を吐いた。

 レンナルトのすぐ隣では、抗議にきたチンピラのまとめ役が仏頂面で座っている。

 チンピラを射たことに文句をつけにきたのだが、逆に権力の差を見せつけられチンピラたちもレンナルトの指揮下に入ることを了承させられたのである。


「ようやくか。随分と手こずらせてくれたな」


 部下に確認のため指示内容を口述させる。


「はっ、あの通りの先の急坂下に、兵を五十待機させてあります。また、普段は危険だからと置いてある木壁も撤去し、その先に走って抜けられるようになっている、と誤認させるための準備も整えてあります」

「ああいうのは坂ではなく崖というのだ。なんだってあんなものが街中にあるんだか。準備はお前がその目で見たのか?」

「はいっ、そういうご指示でしたので」

「よろしい」


 レンナルトは敵の身体能力を把握することにも努めていた。

 あの女は、三階建ての高さの建物の屋根から飛び降りるような真似は決してしなかったことを確認済みである。ならばあの崖を落下すれば間違いなく致命傷となろう。

 そのうえで五十人を揃えて構えているのだ。レンナルトは、そうするよう教えられた通り、敵を侮ることを決してしてこなかった。




 坂、というか崖であるからして、走りながらその高さを確認するのは不可能に近い。

 だから走る凪の視界からは、妙に視界が開けてはいるが、それがちょっとした段差なのか、大きな落差になっているのかの差は判別つかない。

 それでもこれまでの街並みを考えれば、急に対処不能な高さが待ち構えているというのは考えにくい。

 走り逃げる凪の後を追う者たちは、凪がその撤去した木壁の向こう側に向かって勢いよく飛び込むのを見た瞬間、思わず歓声を上げてしまっていた。

 それを不自然に思ったのは、崖下で待ち構えている兵の中に幾人かいた。

 その女が崖上から飛び込んできた瞬間、真下で待ち構える兵士たちも快哉を叫んだものだが、その幾人かはその時の凪の挙動に不自然さを感じたのだ。

 凪は、明らかに、崖の端を蹴って、自ら奈落に向かって飛び込んできたと。

 そしてその落下姿勢だ。

 慌て焦る挙動が一切ない。

 まさか、そんな馬鹿な、兵士はそう思いながら数歩前に進み出る。

 そして、上から見下ろす兵と下で待ち構える兵士全てがまったく反応できなかった次なる凪の挙動だ。

 足から着地。

 しかる後、くるりと地面を前回り。

 終わり。

 たったそれだけだ。

 たったそれだけで落下直後の凪は、全身の骨が砕けひしゃげるように潰れ死ぬと思われていた凪は、何事も無かったかのように立ち上がったのだ。

 いや立ち上がっただけではない、転がる勢いそのままに走っていた。

 誰一人反応できぬままの兵士たちの群に向かって。

 ぶっ殺すぞオーラに溢れていた凪であったが、全員が呆気に取られた顔のままで武器も持ち上げぬ有様の兵士たちを見て、殺すのも馬鹿らしくなったのかその殺意が急速に薄れていった。


「じゃ、横失礼」


 そんな台詞と共に兵士たちの脇を走り抜けていく。

 待ち構えていた兵士たちも、上から見下ろしていた兵士たちも、誰一人、動ける者はいなかった。




 涼太が遠目遠耳の魔術でドルトレヒトの街を探っている間、凪や秋穂も遊んでいたわけではない。

 それぞれが与えられた役割を果たすための準備を整えていて、凪と秋穂のした準備は街の下調べである。

 結果凪が、この街で罠を仕掛けるなら何処か、といった命題に対する答えを幾つか用意し、敵指揮官が優れているからこそ、これを用いた凪の仕掛けた罠に乗ってくると信じた。

 普段は浅慮が目立つ凪であるが、事が戦にかかわることならば驚くほどの明晰さを見せる。

 そんな理不尽なところがあるのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 落とし前付けにボロースまで行楽しに行ってるけど、寄り道で斬った張ったしすぎで笑う 任侠もので斬られるのは、自分勝手やって来た暴力装置の連中で、ほぼ敵対してきた連中ですしね [気になる点] …
[気になる点] 何で今回の凪は、わざわざ手間をかけてまでチンピラや兵士を殺す事を避けるの?今まではいきがかり上だろうが相手が貴族だろうが、いったん自分たちの前へ武器を手に立ちはだかったり気に入らない事…
[一言] ヴェイセルを騎士団内で陥れた奴でてきちゃったかー それがヴェイセルのダメージになったかはともかく 読者としては冥福を祈るくらいだなー
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ