078.かかってきなさい
楠木涼太は椅子に腰掛けながらゆっくりと語る。
「俺はさ、きちんと双方の主張を聞くのって、結構大事だと思ってるんだ。だから、まずは何をするよりも先に貴女に話を聞こうと思ったんだ」
昼日中、その家には女が一人いるのみで。
真昼間であるからして皆が仕事に出掛けている中、家のことは残ったこの女性が行なっている。
家屋の管理なんてものに全く慣れていなかったはずの彼女であったが、涼太がざっと見渡した限りではそれほど問題が起こっているようにも見えない。
「アルフォンスから話を聞いた時、真っ先に思ったことがある。まずはそれに答えてくれ」
招かれざる客である涼太は、エルフの森のアルフォンスの使者と名乗り、その家に入り込んでいた。
人間の男と駆け落ちしたエルフの女性、ディオーナの家に。
「…………」
ディオーナはじっと涼太を見つめたまま無言。外に逃げるでもなく、助けを呼ぶでもない。
一番初めに涼太が出した、アルフォンスの名にはそういった効果があった。
「何故、逃げた? 森のエルフを説得しようとは思わなかったのか? そしてアルフォンスの言っていた子供の問題は、どうするつもりなんだ?」
ディオーナは黙り込んだままだ。
涼太は詰問するように続ける。
「男に誘われたんだな。きっとエルフの森を説得するのは無理だ、一緒になるには逃げるしかない。そんなことでも言われたか?」
ディオーナはびくりと震える。
「寿命に差があるんなら尚のこと、今、一緒にならないと一生後悔する、そんな感じか? なあ、逃げようと言い出しアンタを誘ったのは、男のほうってことでいいんだな?」
そして、妙に整っている段取りに従って今ここにいると、と続けるとディオーナは観念したかのように頷いた。
「怪しいとは思わなかったのか?」
「……思った、けど……」
「別に、男がアンタに惚れているのが嘘だとは言ってない。ただ、それを利用しようという人間がいることはわかってるんだよな」
「はい」
「逃げずに、きちんと話し合うべきだった、それもわかっているのか? それとも、男の言うように話しても無駄だ、むしろ警戒されて駆け落ちできなくなるから余計なことは言わないほうがいい、なんて本気で思ってるのか?」
「だ、だって、その通りだし……」
「ここの連中の、人間たちの、何百倍もアンタのことを考え心配してるやつらに、お前、何も言わずに飛び出してきちまったのか?」
「そ、それはっ、……でも、私はあの人と……」
はぁ、と嘆息する涼太。もう既に涼太の腹は決まっていた。
「まあいいさ、俺はアンタにわざわざ説教してやるほど義理があるわけじゃない。けど、わかってるよな。アルフォンスがここに来た以上、もうアンタの自由は終わりだ。アルフォンスと会った時アンタが真っ先にすべきこと、わかるか?」
「……見逃してもらえるように……」
「アンタの彼氏の命乞いだよ。死人と添い遂げるなんて真似できるほどアンタ根性入ってなさそうだしな」
ひっ、と小さく悲鳴を上げる。
だが涼太のこの指摘に異を唱えなかったのは、アルフォンスならばやると理解しているからだろう。
ディオーナはすがるような目で涼太を見た。
「ね、ねえ。貴方からアルフォンスに言ってもらえない? 殺すことはないって、どうか、どうか彼だけはお願い……」
「願いも話も、聞くことすらせずお前は逃げたんだったよな。言っとくけど、アルフォンス相当怒ってるぞ。そいつを宥めてアンタの希望を通そうと思ったら、アンタが男を説得しなきゃならないんだ。それ、できそうか?」
「え?」
「だーかーらっ、アルフォンスは何があろうと絶対にお前を森に連れて帰る。それでも男と一緒にいたいと思ったら男も一緒に連れていくしかないだろ。それ、男に納得させられるのか?」
ディオーナは勢いよく前に出る。
「そっ! それならあの人殺されずに済む!? 私たち! 一緒にいられるの!?」
「そんな面倒をアルフォンスが飲み込んでくれるかどうかはわからん。きっと追撃もあるだろうし、許されるのなら即座に殺してやりたい足手まといを連れていくなんつーそりゃーもーな案件を承服させなきゃならんのだけどな」
結局のところ、と涼太は続ける。
「子供ができるのが問題なんだ。なら、子供ができるようなことしなきゃいい。できそうか?」
ディオーナは何度も何度も首を縦に振る。その表情は心なしか嬉しそうですらある。
それを見て、涼太は今後このディオーナという女の判断力をアテにしないことに決めた。
『男、絶対にゴネるぞ、この条件じゃ。やっぱりアルフォンスの力を見せることになりそうだ』
また来る時までに説得を済ませておくよう言っておき、涼太は家から出ていった。
男が涼太たちをハメて待ち伏せされることになろうと、涼太の魔術ならばその気配を察せられる。
そして、人間側が考えるだろう強いエルフ像とやらの数倍アルフォンスは強いのだ。森でのアルフォンスの戦闘を魔術で見たが、武の心得の無い涼太の見立てではあるが凪や秋穂と比べても遜色ないほどであった。まず間違いなく人間側の備えなぞ物の数ではなかろう。
ディオーナはアルフォンスの恐ろしさをよく知っている。ディオーナがアルフォンスの目をくらませて逃げおおせられるなどとは絶対に考えないだろうていどには、とはアルフォンスの談だ。
まあ、魔術も使える、剣も使える、体術も極めて優れていて、森で枝をぴょんぴょん飛ぶほど身が軽い、なんて相手に狙われてはどうにもしようがないと涼太も思うのだ。
待ち構えた兵を皆殺しにされれば男も彼我の戦力差を正しく理解してくれるだろう、と涼太はむしろ待ち伏せ推奨なのである。
娼婦館の前。
多数のチンピラたちが一斉に襲い掛かる。
秋穂が目を向けると、凪もそちらを見て頷く。そして、二人は走り出す。
お互いに向かって一直線。チンピラたちも走る。二人も走る。周囲一帯を取り囲んでいるので走って逃げる隙間なぞない。
だから上に飛ぶ。
二人が同時に地を蹴ると、その一跳躍で易々と人の身長をすら超える高さに。
お互いがお互いに向かって走りながら跳んだのだから、両者は空中でぶつかる軌道になる。
予め打ち合わせていたのだろう。どちらも同時に足からぶつかるような姿勢に。空中でそんな姿勢を取ってしまえるぐらい高く長く跳んでいるのだ。
互いの足裏が重なり合う。
「「せーのっ!」」
掛け声一つ。両者は曲げた膝を思い切り伸ばす。
伸ばし方に差があったのか、凪と秋穂で挙動に差が生じる。
凪はといえば空中であるというのに、蹴り出した勢い全てを推力に、空中を真横にかっ飛んでいく。
その跳躍は殺到するチンピラたちの頭上を超え抜けていくもので。勢いよく突っ込んでしまっていたチンピラたちは軌道修正もままならず。
チンピラの一群全てを跳び越えると、勢いを殺さず着地し数歩テンポ良くステップを刻み、くるりと後ろを振り返る。
回った勢いで凪の金の二つ尻尾が弧を描く。これが収まらぬうちに、凪は跳躍を馬鹿面で見送ったチンピラたちを指さし、笑う。
「てっ! てめえええええ!」
あっという間に沸騰したチンピラたちは走ってこの場を去る凪を追っていく。
そしてもう一人の秋穂だ。
こちらは凪を思い切り蹴り飛ばすと、凪は勢いよく飛んでいったのだが、秋穂はその場で全ての勢いを失い失速、地面に吸い寄せられるように落下する。
空中で回る勢いすら殺されてしまっていたが、身をよじることで着地の姿勢を辛うじて確保する。
凪の近くにいたチンピラはそちらを追っていったが、全周囲を取り囲んでいたのだからして、かなりの数が秋穂の周囲に残ったままで。
「はっ! 仲間を逃がしたってか!? だったらてめえはここで死ね! ぶっ殺せてめえら!」
秋穂は思う。
『ぶっ殺す、の一言が本当に殺すって意味なんだよね、ココだと。ならもっと重い言葉になってるはずなのに、向こうで聞くのと大差ない軽さに聞こえるのはどういう理由なんだか』
答えは簡単。向こうとは比べ物にならないほど、人の命自体が軽いだけだ。
そんな答えを自分で見つけ、苦笑しながら秋穂も走り出す。
まだ秋穂は剣を抜いていない、というかそもそも娼館に遊びにくるのに剣なんて持ってきていない。だが、人ごみの中を抜けるのなら剣は無いほうがやりやすい。
一番危ないのは、最前列の男が拳には遠い間合いから剣を振り下ろす時だ。
逆にいえば、ここを抜ければ秋穂の土俵になる。
右前の構えで数歩滑り進む。秋穂が武器を持っていないことがわかった男は反撃を恐れず思い切った一撃を放つ。
『うん、正解。けどっ』
左足を大きく前に踏み出しながら左前に切り替わると、秋穂の正中線の位置がズレる。これを狙った剣は軌道修正を行おうとするも、前に出した右腕に注意を向けていたせいで構えが切り替わり前に出てきた左腕への対応が遅れる。
すれ違いざまに男の左肩を手の平下部にて押し出す。その一撃で、男はぐるりぐるりと三回転して弾き飛ばされてしまう。
『ぜんっぜん功夫が足りないっ』
異世界に功夫を要求するのはどうかと思われる。それこそ中国拳法並に地道な鍛錬の積み重ねを重視するような文化がない土地ではどうにもなるまい。
その辺は秋穂にもわかってはいるのだが、稀にいる強者などを見るとどうしても、きちんと幼い頃から鍛錬を積み重ねていれば、ともったいないなんて思えてしまう。
それは例えば、今、こうして背中で敵を押しのけている動きだ。
人の群に勢いよく割って入った秋穂は、多数のチンピラたちと超接近状態に。ここまで近寄ってしまうと剣なんてものも振れない。だが、近すぎて相手の動きが全く見えなくもなる。
視界に映るのは前方のチンピラが一人か二人。それも近い距離のせいで足は見えず、胴と腕が片方辛うじて見える、といったていどで。
秋穂は左右の手を伸ばし、更に身体を押し付けるように幾人もの敵に触れながら、この人の群をすいすいと潜り抜けていく。
地道な鍛錬の積み重ねにより、秋穂は聴勁という技術を身に付けていた。
目によらず敵の動きを見切るための技術で、その鍛錬はお互いの腕と腕を組み合わせて行う。この技術に長じるようになれば背後の敵の動きすら察することができるようになる。そこまでやれなくとも、相手に触れていればその動きの先を読むこともできるようになる。
後はその動きに合わせて敵の身体を流してやるだけだ。
端から見れば、チンピラたちが密集して押し込んでいるように見えるのだが、当の秋穂は危なげなくこの人波をかいくぐっている。そしてその狭い視界故、チンピラたちには秋穂が上手くすり抜けていることがわかっていないのだ。
「はははっ、いいぞ、そのまま押し倒しちまえ」
「おいおい、こんな外でおっぱじめんなよ」
「ちょうどいい、娼館借りて遊ぼうぜ、コイツ使ってよ」
「アホか、この人数でやったら朝まで待っても順番回ってこねーっての」
もう捕まえた気になってそんな話をしているチンピラたちであったが、囲んでいるチンピラの一人が怒鳴った。
「やべえ! 逃げられる! お前ら囲め! なんなんだコイツ! 全然掴めねえ!」
その言葉と共に、秋穂が至極あっさりと包囲を抜けた。
そして振り返り、掴みかかろうとしてきたチンピラの胴に手の平を添え、秋穂の身体が深く沈み込む。
両手を左右に大きく広げた独特の打ち方だ。
人間相手には決して打ってはならないと教えられた打ち方。秋穂の渾身の震脚と共に放たれたこの衝撃は、打ち込まれたチンピラの身体を貫通し奥の男を真横に向けて弾き飛ばした。
飛ばされた男は五人のチンピラを巻き込みながら地面を勢いよく何度も転がり、回転が止まる頃にはもう力も入らぬ人形のようになりその場に倒れた。
ここに集まっていた集団まとめて吹っ飛ばすことも可能なことを秋穂は知っているが、アレは二度とやらないと心に決めている。
それでもコイツらをビビらせるには十分だ。震脚の大轟音だけで連中は震えあがっているが、実際に人間が軽々と吹っ飛ぶ様を見せつけられれば彼らの足も止まろう。
秋穂はその隙に、娼館の建物の中に入っていく。入り際、彼らに向かって振り返り手をあげ、小さく手招きしてやった。
『さーて、来れるかな』
怯え恐れてくれれば、娼館を取り囲んで矢を射るなり火をかけるなり考えるだろう。
娼館の中で、二階に上る階段のところまで歩いた秋穂は、入口から人が入ってくる気配に気づき振り返る。
彼は、堂々と娼館の扉を開き、あれだけの武威を見せつけた秋穂を恐れる気もなく踏み込んできた。
いや一人ではない。三人もいた。そんな勇敢な馬鹿が。
「おい、おめーにはまだキツイんじゃねえのか?」
「けっ! 抜かしやがれ! 俺ぁなあ! こういう化け物とやりあえる機会を待ってたんだよ!」
「好きにさせてやれよ。コイツのとんでもねえ思い切りの良さぁ、間違いなく役に立つぜ」
三人共が剣を手にしている。ランドスカープという国ではやはり剣が流行りの武器なのだろう。
コイツらはさきほど外で下卑た野次を飛ばしていたクズと同じ人種だろう。だがそれでも、たった三人で入ってきたというただ一点においてのみ、秋穂は好ましいと思えた。
だが油断はなしだ。障害物の多い屋内を戦場に選んだのは、多数が雪崩れ込んでくるという展開が一番可能性が高いと思ったからこそ。
この三人のみで入ってきたが、いつ残りが雪崩れ込んでくるかわかったものではない。
秋穂はそのまま二階へと駆け上がる。三人は競うようにこれを追う。時折、ちらと後ろを見て三人の様子を観察する秋穂。
『んー、結構速い、かな。三人共、少数で突っ込んでくるだけあって動きは悪くない』
実際のところ、この三人共、単騎で複数人を相手に無双できるほどの猛者である。
指揮を執る者を無視してさっさと突っ込むことが許されるだけのことはあるのだ。
建物の一室、厨房と食堂が繋がっている部屋に駆け込む秋穂。後を追う三人。
部屋に入った後、三人からは一瞬秋穂への視界が切れる。通常はここで待ち伏せを警戒し、部屋へは注意しながら入るものなのだが、三人の内の一人は全く躊躇せず飛び込んだ。
「あいっかわらず、クソ度胸だけはあるな、あの馬鹿」
「ああいうのは不注意っつんだよ」
それは度胸だけではない。不意打ちにも咄嗟に反応できるだけの反射神経あってこそ。
飛び込んだ男に、秋穂が屋内にあった椅子を投げつける。男は反射神経のみで反応し、床をごろりと一回転しつつ椅子をかわし、そのまま一気に秋穂へと飛び込む。
その迷いのなさに、或いは異世界に来る前の秋穂であったなら様子見なんて選択もあったかもしれない。
だがこの世界で戦いとは殺し合いのことであり、優勢勝ちは存在せず、一本取ったらそれまでなのだ。だから秋穂は、隙を見たなら罠を警戒するよりも踏み込むことを選ぶ。
先にかすり傷一つつけただけでも大いに有利になりえるのだから、先制することやできるだけ早く攻撃することが試合よりもずっと重要になってくる。
負ける可能性を潰すのではない。勝つための手法を繰り出し続けるのだ。
弾丸のように踏み込んでからの秋穂の掌打は、男の反射神経で急所だけは回避しえたのだが、胴脇にもらってしまい、身体が勢いよく半回転してしまう。
後は、重心を低く落としながらの肘打ちで終わりである。
秋穂の肘打ちで吹っ飛んだ男を、残る二人が見下ろす。みぞおちの部分に背中まで貫通しているのでは、と思えるほど深い穴が穿たれている。
「やるねぇ」
「馬鹿が。いつかこうなると思ってたんだよ」
そして秋穂であるが、ちょっと計算が狂ってしまっていた。
『剣、取り損ねた……』
二打目の肘打ちを強く打ち過ぎたのである。
残る二人は秋穂が相変わらず無手なのを見て、二人で挟むようにしながら踏み込んでくる。
秋穂は仕方なくそこらに転がっている椅子を一つ持ち上げ構える。
左方から突きが。椅子の背もたれで受け止める。思ったよりずっと左の男は膂力があり、剣が背もたれを貫通してきた。
『わひゃっ!』
背もたれ部から伸びてきた剣をかわしながら椅子を捻る。剣も一緒に捻られ、ついでにこれを持っていた左の男も捻って転がる。
背後に回り込んだ右の男が来た。実に小癪なことに、背後を取ったというのに油断はせず、慎重に秋穂の足を狙ってきた。
読みを外された秋穂は咄嗟にその場で跳び上がる。跳んでしまうといかな達人とてその後の動きが制限されてしまうものだが、今の秋穂の手には椅子があるのだ。
『よっ!』
一撃目を跳んでかわした後、着地際の足を狙った二撃目を、椅子を置いてこの上に立つことで上手くかわす。
椅子の足の間を剣が抜けたのを見て、さっきと同じように椅子を捻り剣を弾こうとするも、右の男は咄嗟に剣を引きながら、回し蹴りを放ってきた。
『ほっ!』
椅子を捻り身体をかがめながら、椅子の背もたれで横から来る回し蹴りを受ける。
と、左の男が秋穂の背後から飛び蹴りをしてくる。
『とっ!』
秋穂は椅子にもたれかかるようにしながらそちらに倒れる。
秋穂が椅子を抱えて縦にごろりと回転すると、椅子の座面部分が上に向けられ、左男の飛び蹴りをコレで受け止める。
椅子の座面が蹴りにてぶちぬかれるも、秋穂はこれをブラインドに既に避難を完了している。
不運なことに、秋穂が転がった先に使えそうな椅子も机もなかった。戦いながら厨房傍まで来てしまっていたのだ。
左右を一瞬で確認した後、秋穂はその厨房に向かって走る。
食堂から厨房へは回り込まなければ移動できないが、この二つの間には、食事を出し入れできる小さな取り出し口がある。ここの上端を掴みながら秋穂は足から滑り込む。
狭い窓口ではあったが、秋穂の利用予定のまるでない無駄にデカイ胸もつっかえることなくするりと厨房側へと抜けていった。
右男、左男、どちらもこの隙間を素早く抜けられる自信なぞなく、仕方なく回り込んで厨房の中へと。
待ち構えていた秋穂は、右手に鉄鍋を、左手に長さが三十センチほどの豚の骨付き肉を握っている。
右男、秋穂が椅子ですら武器として活用する器用な人間だとわかっていたので、何かを握っているというだけで警戒を露にする。
左男は耐えきれず噴き出していたが。
「肉て」
「油断するな馬鹿っ」
「油断はしねえが笑うだろありゃさすがに」
厨房の通路は当然ではあるが狭く、二人の人間がぎりぎり並んで通れるぐらい。もちろん戦闘移動なんてものは絶対に無理だ。一人ですら戦闘は動きが極めて制限されるだろう。
だが、右男、左男は二人並んで狭い通路を進む。お互いを上、下に分けて、剣での間合い差を利して一方的に攻め立てる算段だ。
これに対し秋穂、一歩後ろに下がって助走をつけ、床を蹴り出し壁面を蹴り、男二人の頭上を越えていく。
上段狙いの右男は咄嗟に剣を上へと振り上げるも、秋穂の骨付き肉でぐちゃりと止められる。
同時に空中で鍋を使って右男の頭をすかーんと一撃。
二人を飛び越えその奥へと抜けた秋穂であるが、下段を狙えなかった左男が秋穂の着地際を狙う。だが、秋穂は床ではなく厨房の机の上に片足をついて減速し剣撃を外す。
敵の裏側に回り込むことに成功した秋穂は、そのまま一気に間合いを詰める。背中を押し付ける形。これは、秋穂が最も強力な一撃を放つ体勢でもある。
二階の床が砕けぬていどに調整しながらも、その震脚は娼婦館中に響き渡るほどの轟音を響かせる。
これの直撃は身体が秋穂側にあった左男だ。衝撃の全てを胴に叩き込まれた左男は後ろにいた右男共々後方へと吹っ飛ばされる。だが。左男の身に起きた災難はそれだけではない。
左男の胴が吹っ飛ばされると、当然頚椎で繋がっている頭も一緒に飛ぶことになる。だが、頚椎の上にあるのは重く大きな頭蓋骨だ。これを引っ張るに充分な強度を、頚椎は持ちあわせていなかった。
つまるところ、秋穂が吹っ飛ばす威力が強すぎて、胴だけが先に吹っ飛び、残された頭が首に引っ張られる形になってしまい、吹っ飛ぶ速度のせいで首が頭の重さに耐えかねへし折れてしまったのである。
二人は折り重なって壁に叩き付けられる。
まだ起き上がれる右男はのしかかっている左男をどかそうとしたところで、それを見た。
「くそったれ!」
秋穂が既に、どうにもしようのない距離にまで迫っていたのだ。
滑り回るように秋穂の背が左男の身体に当てられ、そして再び震脚。男二人はもとより、これを支える背後の壁も衝撃に耐えかね砕け散った。
二人の男は壁の外、建物の外へと放り出される。
建物の外側には一階屋根の高さに木製のひさしがあり、二人はここに頭とケツから突っ込んだ。木切れをまき散らしながら落下した二人。
下も見えずに受け身を取れるはずもなく、また某有名アクションスターが言うには木材にクッション能力はない、だそうで、その前の秋穂よりの打撃もあって落下した二人はその後ぴくりとも動かなくなった。
それはちょうど玄関側の壁であり、吹っ飛ばされた二人は、玄関前に集まり包囲していた男たちの眼前に降ってきたのである。
もちろん秋穂はこれを狙って行なったわけで。
驚き目を見開きながら見上げるチンピラたちに向かって、崩れた壁からその姿を見せた秋穂は、くすりと笑った後で手招きしてやり、建物の奥へと消えていった。




