074.エルフをさらうために娼館に行こう
涼太たちの宿にヴェイセルが訪れたのは陽が沈んでからだ。
基本的に、日が昇ると共に起きて日が沈むなり寝る、というのが最も経済的かつ効率的な生活習慣であるためこの時間の来客はあまり好まれないものだが、急ぎだと言ったのは他ならぬ涼太たちなので文句も言わずに受け入れる。
涼太、凪、秋穂、アルフォンス、ヴェイセルの五人が席につくと、ヴェイセルは苦々し気な顔を見せる。
「先に言っとく。この件、これ以上は俺を頼らんでくれ。裏切者扱いはついこの間ので十分懲りてるんだ」
そんな前置きと共にはじまったヴェイセルの話は、つまるところ、エルフの娘を囲っているのは他ならぬオッテル騎士団であったという話だ。
凪はじと目でヴェイセルを見る。
「ほんと、アンタん所ってロクなことしないわね」
「一般的に金儲けってのはそういうものだろう。誰かが不幸になる分、他の誰かが幸せになるって話だ」
そしてちらっとアルフォンスを見たあとでヴェイセルは続ける。
「この件に関しちゃ当事者たちは全員が幸せそうだがね」
「……それ以上そのよく回る口を動かすなよ? 腕の一本ぐらいまでならばリョータも話し合いの範疇だと言っておったぞ」
「言ってねーよ」
「わかった俺が悪かったからその顔はよせ。居場所はドルトレヒトでほぼ間違いないと思う」
「そこでディオーナは辛い目に遭ったりはしていないか?」
「どんな生活してるかまではわからんよ。ただ、目的が目的だ、彼女に嫌がられるような真似はしていないと思うがね。後、敵の数だが……」
ヴェイセルは嘆息しつつ言った。
「当たり前だが、そのディオーナってエルフの件はオッテル騎士団、というか更に上の領主様からの指示だ。である以上、彼女を攫おうとすればドルトレヒトの街全てを敵に回すことになる。……ことになるんだが、どうしてだろうな、お前らじゃなくて、ドルトレヒトの街の人間のほうがヤバイ気がしてならないんだが……」
「どうだかな。ディオーナはまだ若いエルフだ、あまり無理には付き合わせられん。というか行くのは私だけだぞ」
「そうなのか?」
「情報提供の礼はまた改めてするとしても、さすがに街一つを敵に回すというのに付き合わせられんだろ。金で動いてくれるのなら多少なりと払う用意はあるが、ナギやアキホを雇おうと思ったら傭兵の一団雇うのと同額かかってもおかしくはあるまい。そんなもの個人で払えるか」
凪と秋穂は、二人揃ってきょとんとした顔であった。
「何言ってんのよ、アルフォンスも勝手に私たちのケンカに混ざってきたんだし、私ももちろんそうするわよ」
「そういう話だったっけ? 私もう作戦とか考えてあるんだけど」
涼太はそう言う二人に向かってひらひらと手を振る。
「ま、そっちのチョロイの二人はさておき、行って、見てみないことには何もわからんからな、俺たちも行くよ。何処まで手を貸すかはその時決めるさ」
涼太の発言が何処まで本気なのかわからぬヴェイセルは、探るように問う。
「行き当たりばったりって言わないかそれ?」
「何せ知らないことが多すぎるんでな。行って、見て、話を聞いて、それから決めるさ」
これはヴェイセルは知らないことだが、涼太の言う話を聞くはもちろん遠目遠耳の術の使用も含まれる。この術の効果範囲に対象を収めた涼太に十分な時間が与えられたのなら、得られる情報量はとんでもないものになる。
遠目遠耳の術は知らずとも、ヴェイセルは涼太たちが独自の価値観で動いていることには気付いていた。
涼太たちの規範を少しでも知っておくことは今後のためになる、と確信しているヴェイセルであったが、何処まで踏み込んでいいのかは手探りでしかも、下手を打ては即座に殺される。
少なくとも今のヴェイセルにとっては、涼太も凪も秋穂もアルフォンスも、その理由ができたのならヴェイセルを殺すに躊躇しない、そんな相手であると考えている。
「……ソルナの街から報告はする。しなきゃならん。お前たちの目的がドルトレヒトのエルフだってことは伏せるが、ソルナの街の戦力が何故、どうやって壊滅したのかは詳細に伝える。そこまでは、飲み込んでもらえるよな?」
涼太はヴェイセルから視線を外さない。凪と秋穂は、涼太に任せると決めた場面では決して口を挟まない。アルフォンスは、涼太たちとはまた立場が多少違うので、今の段階で涼太たちにどうこう言うつもりはない。
「一応、確認だ。エルフの件、どうやって調べた?」
「調べた事実からこっちの狙いが漏れる心配はないさ。前後の状況から居場所を類推して、後は人の移動を調べただけだ。ま、確実に見た、って話じゃないから、確率は極めて低いが別の街の可能性に関してもいちおー、伝えてはおくよ」
「ほんと、アンタって頭良いよなぁ……なあヴェイセルさあ、ソルナの街がギュルディについたら、アンタも向こうについてくれるか?」
「おいよせやめろ。立地的に下手すりゃソルナの街が最前線になっちまうじゃねえか。そういう危なっかしい真似はしないんだよ」
ヴェイセルのこの返答に、涼太は以後追及を緩めた。
上への報告も、ヴェイセルが必要と思う分はしてくれても構わないと。
全ての話が終わりヴェイセルが部屋を出ると、凪と秋穂は特に意見もない様子だったが、アルフォンスは一言あるようだ。
「途中から妙に甘くなっていなかったか? お前たちにとってオッテル騎士団は敵だという話だったと聞いていたが」
「まーね。でもさ、ヴェイセルは、ちょっと違う、かな。頭が良いのもそうだけど……うーん、なんて言うのかな、そう、ヴェイセルとなら、もしかしたら友達になれるかもしれない、いや違うな、友達になりたい、か。だからもしアルフォンスが本気で腕切り落とそうとしてたら止めてたぞ」
むむ、とアルフォンスは即座に反論はしない。
「確かに、アイツはちょっと毛色が違ったな。……こちらを信用している感じか?」
「信用ってのとはまた違うんだろうけどな。ヴェイセルが俺たちの規範を超えない限り、俺たちはヴェイセルを害することはない、って感じてくれてるのかもな」
「この街で初めて会ったと言っていたよな?」
「ああ、だからその短い間に、何かしらアイツの中でそう判断できることがあったんだろう。すげぇよな、こっちの戦力わかっててそうできるんだから」
「あれ、もしかして結構な傑物なのではないか?」
「そう思うよ。これ以上俺たちが暴れないで済んだのは、街への被害を抑え込もうって動いたアイツのおかげだ。俺たちみたいなとびっきりの規格外を相手に、よくやったと本気で思う」
ソレが味方になってくれればよかったんだが、と涼太はぼやく。
そうそう都合よくはいかない、と残る三人が笑う中、涼太はちらとアルフォンスを見る。
『ま、コイツに会えただけで良しとするか』
シーラの時のように、気が付けば一緒にいることが自然な相手なんて、普通そうそうお目にかかれないものなんだが、と苦笑する涼太である。
ドルトレヒトの街はソルナの街のように街道沿いにある街だが、交通の要衝とまでは言えない場所だ。
田舎の各村に行くための途上にある中継地点、といったところだ。オッテル騎士団がその全てを支配下に置けたのも、こういった規模の小ささ故もあろう。
この街は最近、歓楽街に力を入れている。立地的に、近い、とはとても言えないが王都圏からちょっと足を延ばせば来られる場所にあり、わざわざ時間をかけるだけの価値さえあれば、王国における富の大半をその手にしている貴族たちの来訪を期待できる場所なのだ。
ドルトレヒトの街長は精力的な野心家で、オッテル騎士団配下に入ったことで得られた辺境各町との繋がりを活かし、優れた娼婦としての才ある女性を各地より集め、これを教育できる人員を確保し、王都圏の貴族たちにすら通用する高級娼婦の育成を行っていた。
王都圏にて娼館経営を行なっていた男たちが、そちらでの勢力争いに敗れ命からがら逃げ出してきたのを街長が受け入れたのがこの始まりである。
「いっやぁ、辺境ってなすげぇな、まるっきり宝の山だぜこりゃあ!」
「信じられねえよな、なんだってあれほどの上玉をあんな雑に扱えるんだか。ものの価値を知らねえってのはどうしてこう……」
「それよそれ、この間なんてよ、なかなかに良い女がいたんだけどよ、そいつ何してたと思う? 鍛冶屋の飯炊きだぞ? アホか! そんだけ良い面親にもらっといて鍛冶屋の飯炊きってお前自分の顔の価値わかってねえのかと!」
王都圏から追い出され、まるでこの世の終わりのような顔をしていた彼らも、今ではとても活き活きと仕事をこなしてくれている。
貴族をこちらに招くだけでなく、ドルトレヒトで育てた優れた娼婦を王都圏に送り込むのも良い手だろう。
とはいえ、実際に王都圏に送り出すだけの価値があるような超抜美人なんてものはそうそういないものなのだが。
それでも王都圏ですら滅多に出会えぬようなとんでもない逸材を既に押さえてあるのだから、彼らの意気が上がるのも無理はない。
まだ街全体を歓楽街として発展させていくには不足の部分も多いが、既に通好みの貴族たちの口の端に上るぐらいには貴族の来訪も受けている。
貴族たちが辺境娼館に望むことは、値段の安さからくる王都圏では考えられぬ豪遊か、王都圏では大金を払わねば手配できぬ娼婦への不可逆さをすら伴う狼藉の許可である。
ここの街長はその辺をよく理解しており、高級娼館としての体裁を整える一方で、そういった貴族たちの要望に応えるための準備も整えてある。
整えるというのはつまり、日々の業務の一環として円滑に進むような環境があるということだ。
その日、娼婦の少女は、上司の上のそのまた上にいる恐ろしい老婆から、新たな仕事を仰せつかった。
それまでは直接の上司である男から、客からの人気がないと文句を言われ続けていたのだが、そんな少女に、よほど優れた娼婦でもなければ受けられぬ勉強をするよう言われたのだ。
普段の仕事も多少は減らしてもらえるらしい。少女は降って湧いたような幸運に戸惑いながらも喜んだ。
少女と同じように新しい仕事を命じられた娼婦は十人いたが、少女はその中で一番稼ぎは少なかったが一番真面目に勉強していたので、恐ろしい老婆は十人の中から一人だけ、少女を選んだ。
そこからはみっちり一月の間、勉強、勉強、勉強の毎日だ。仕事は全て免除されたが、とにかく学ぶべき量が多い。
それでも少女は、勉強すること自体は嫌いではなかった。なので厳しい勉強にもきちんと食らいついていったし、老婆からその覚えの良さと熱心さを褒められもした。
夜の仕事では上手くやれず怒られてばかりだった少女は、この誰もが恐れる老婆の誉め言葉に、これ以上ないぐらいに舞い上がり、そして更に一生懸命に勉強をするようになった。
老婆の呟きが聞こえた。
「……んー、この子、このまま教えられるだけ教えて教育係にするのもいいかねぇ。ただ、うーん、この子の容姿じゃ他の娘たちにはなめられるかねぇ……難しいところだ。ここまで育っちまうと安値で売り潰すにはちと惜しいんだよねぇ、とはいえ中身はともかく見た目は高値で売り潰せるほどでもなし……」
ふと、老婆は思い出したように手を打つ。
「そうか、あの新しい化粧、試してみるかね」
老婆が最近になって知り得た新しい化粧のやり方が少女にはよく合った。合ってしまったので、老婆は予定通りに少女を使うことに決めたのだ。
ドルトレヒトの歓楽街は王都の貴族を招けるほど質の高いもので。それは近隣の裕福な人間が通い詰め価値ある時間を過ごせる場所でもある。
価格設定は辺境にしては高額だが、他所では絶対に味わえぬ高級娼婦がいて、またそういった高級娼婦を育てる過程で弾かれた者も他の街の娼婦と比べれば大層魅力的に見えるものだ。
もちろん最優先は貴族たちであるが、それ以外に対してもドルトレヒトの歓楽街は門戸を開いており、その高い評判は近隣にも知れ渡っていっている。
なので少し珍しい客なんてものもいるし、そんな相手に対しても戸惑うのみなんてことはせず、きちんと応対できるだけの能力も備えている。
「いっやー、私ね、一度こういう店入ってみたかったのよ!」
なんて台詞と共に、ドルトレヒトで一番高い高級娼館の正面に堂々と馬車を止めて姿を現した者は、上機嫌に隣の女性に語り掛ける。
「いや、興味が全くないとは言わないけどさー。……まあいいや、ここまで来ちゃったんだし、私も楽しむことにするよ」
「そうそう、軍資金も山ほどもらってるんだし、思いっきり楽しんじゃおう!」
貴族すら訪れる高級娼館の前で、そんなバカ騒ぎをする女が二人。
それこそここほどの高級娼館ですらここまでの美人はおるまい。そんな圧倒的美貌の持ち主が、二人も並んでいるのである。
つまり、不知火凪と柊秋穂の二人である。
従者すら連れておらず、若い女が二人のみだ。意味がわからないにも程があろう。
だがそれでも、ここは高級娼館であり、接客に関しては街一番、いやさ、近隣でもこの店に勝る接客ができる場所はあるまい、それほどの場所である。
「いらっしゃいませ。ご案内いたします」
驚きも動揺も全てを飲み込んで、店の入り口より出てきた正装の男は二人を店内へと招き入れる。
男が馬車にちらと目をやると、そちらには別の者が向かっている。見た目には乗合馬車を借り切ったという感じではあるが、これほど美麗な令嬢が乗っていたのだから、それだけではあるまい、と男は踏んでいる。
ドルトレヒトの噂を聞きつけた世間知らずのお嬢様たち、そんな予想であったがそれほど誤ってはおるまい、と男は考える。
貴族用の応接間に通し、店の料金設定等の説明を行う。貴族対応のできる者たちがそうしているのだから、とても丁重で優雅な対応であった。
必ずしも貴族の馬鹿令嬢、というわけでもないらしく、店の料金云々に関しても、従者もつけず来たのだからこの二人が自身で対応できるようだ。
これだけあれば足りるでしょー、と言う台詞と共に雑に放り投げられた袋に入っていた金額は、十人の最高級娼婦を一晩借りっぱなしにできるほどの額であった。
ただ、男同士の用意はあれど、女同士に関してはこの店で準備をしていない。というかそういった文化自体がない。
なので男は非礼にならぬよう細心の注意を払いながら、どのように遊ぶつもりなのかを二人に聞き出す。
「お酒はいらないわ。おいしい食べ物を色々持ってきてよ。それで酔っぱらったおねーちゃんたくさん揃えて一晩中騒ぐのよ!」
男は凪の言葉を、言葉通りに受け取っていいものか幾つかの質問で確認した上で、その通りにすることにした。
元より高級娼婦とは、ただ男の夜の相手をするのみでは務まらぬ。接待し歓待し、愉快な時間を過ごしてもらうことこそがその本分である。
「確かに、承りました。お二方がご満足ゆく時間を過ごせるよう、我ら一同、全力を尽くさせていただきます」
凪はとても上機嫌で答えた。
「うむっ! よきにはからえ!」
秋穂はさすがにそこまで調子に乗る気にはなれなかったようで無言のままであった。




