071.そしてソルナの街は
涼太は隣であくびをしているアルフォンスに言う。
「だーれも来ないのな」
「ナギの策略の通りだろう。お互いの潰し合いに必死なのだろうよ」
「俺、凪の策が上手くいったとか認めるのすげぇ癪なんだけど」
「諦めろ。彼女には戦の空気を感じ取れる才がある。あれは天性のものであろうよ」
「納得いかねー」
「そんなことより」
アルフォンスは足元の涼太が記した敵の配置図を指す。
「こっちを早く更新しろ。ナギとアキホが出てから結構経ってるんだぞ。出遅れたらどうする」
「ん? もしかしてアルフォンスも手を出すつもりか?」
「当たり前だ。森の中の戦をエルフが見逃せるものか」
「いやお前、凪に手は出さないとかなんだとか言ってなかったか?」
「はっはっはっはっは」
とても晴れやかな顔でアルフォンスは答える。
「エルフはな、前言より気分を大事にするものなんだ」
涼太は思った。
『コイツ、段々と慣れてきたもんで本性が漏れてきやがった』
凪が襲撃者の半数を蹴散らすと、残るは後ろも見ずに山を駆けおり逃げていった。
山中というフィールドでは、凪は秋穂以上に勘が働く。
「いつまで見てるのよ」
少し間が空いて、その男が木の陰から姿を現す。
「おう、まさかとは思ったがバレてたのかよ。お前ももしかして殺し屋の訓練受けたことあるのか?」
男は両手に鋤を持っている。その先端が極めて鋭い、なんてこともない、シャベルの鉄部を細くしたようなごく普通の鋤だ。
「アンタ何処に目つけてんのよ。何処からどー見ても私は剣士でしょ」
「普通の剣士は殺し屋の気配に、それも山の中なんて環境で気付けないもんだぜ」
「それはよっぽど弱い剣士しか相手にしてなかった証拠ね。まったく、そのていどじゃ貴方の実力もほどが知れるわ」
「ははっ、口の悪いねーちゃんだ。まあいいさ、んじゃ、やろうや」
鋤を両手でくるくると振り回す鋤男。
木々が乱立する森の中で、柄の長い鋤をそうしているというのに、先端も柄も、何処にもぶつけることはない。回転速度は落とさぬままに回転は木々や枝々を器用に避けて回っている。
凪にはこの男がこの武器をわざわざここに持ち込む理由がわからない。
鋤、であるが武器としての用い方は槍と一緒であろう。先端が重く取り回しが難しくなっている、そんな利点だか欠点だかわからない特徴を持つ。
障害物だらけの森の中に、わざわざこれを持ち込む理由もわからない。これが慣れた武器だというのなら、殺し屋が長柄の武器を持つというのが変な話だ。
そもそも、見つかったからと呑気に声をかけてから襲い掛かるというのが暗殺者らしくない。
凪は鋤男の視線、気配から罠の存在を探るも見つけられず。周囲の景色にも不審な点はない。
ない、のは、見つけられない、だと凪は教わった。
「あ、そう」
肩に担いでいた剣を、半身になりながら前方へと構えつつ、すたすたと間合いを無造作に詰める。
殺意を最小に収めた状態から、何気なしに懐に手をやり即座に短剣を放つ。
鋤男、油断なくこれを弾くも、凪は投擲を続ける。二本目、三本目と放つと、鋤男も遮蔽を取るべくその場から走り動く。
森の中で遮蔽を取るとなればそれは木の後ろに入るという意味だ。
凪、一気に間合いを詰めるもそれは、鋤男が遮蔽としている木に向かってだ。そして勢いよくこれを蹴り飛ばす。
鋤男、凪の蹴りの隙に木を回り込みながら踏み込む。
近接の先制は鋤男だ。槍とは違い、両手に握った鋤を肩の上に振りかぶって斜め下に向かって突き出す。
初撃は余裕を持ってかわす凪。鋤男は更に踏み込み次撃を。今度は脇の下に引いた後、槍と同様に突き出してくる。
先端の刃部は槍よりずっと重いだろうに、突き出す穂先に乱れは見られない。かなりの膂力があると見ていい。
鋤は槍ほど長くはない。それがこの木々が乱立する戦場にはそこそこ合ってはいる。
鋤男は薙ぎを用いず、徹底して突きを打ち続ける。突く部位を変化させることで、避ける凪の重心を操りにかかっている。
即座の切り返しを許さぬ位置に凪の重心を持っていくのだ。
『ふぅん』
そんな鋤男の動きの肝を既に凪は見抜いている。鋤男が崩しているのは、あくまで凪の剣撃の重心でしかないことも。
剣を敢えて後ろに引き、凪は思い切り深くに踏み込んでやる。そうする以外に踏み込めぬ攻め方をした鋤男も確かに見事であった。
だが凪をただの剣士であると見たその浅慮は、先に秋穂が戦った老婆とは比べ物にならぬ戦歴の差というものであろう。
最もKO率が高いと言われる左フックだ。本来はふらつく敵にトドメの一撃として見舞うが故のKO率の高さでもあるが、これを直接鋤男に叩き込む。
鋤男が最も注視している剣を後ろに引き、振りかぶったと見せてからの左拳はその動きで鋤男の虚を突いたのだ。
凪の拳には会心の手応えがあった。
その瞬間、鋤男の世界はギザギザになった。
五感全てでそう感じたのだ。見える景色も、聞こえる音も、波打つ衝撃も、ひしゃげた鼻孔も、口内を暴れまわる鉄錆の味も、全てがギザギザであったのだ。
鋭角のギザギザが丸みを帯び、鋤男の五感がやんわりと全身の異常をまともに報せてくれるようになって、身体が積み重ねた習慣から膝を伸ばし顔を敵に向ける頃になってようやく、鋤男の判断力が戻った。
鉄塊だ。
何処までも分厚くそびえる鉄の壁。山脈のように広がり、伸びていくのが見える。
いつまで見ていても決して飽きぬだろう極めて女性らしい体躯と天上の美貌など、最早鋤男には見えてはいない。
獣の突進、魔獣の衝突、攻城兵器ですら歯牙にもかけぬ。神の国と人の世とを分かつ理から生じる、絶対無比な城壁である。
これを感じ取れるだけの素養が鋤男にはあった。
拳の一撃のみで、凪という存在の持つ威を感じ取ることができたのだ。
それだけでも特筆に値しよう。鋤男は確かに、武の神に愛されていると称されるだけの才を持ち合わせていたのだ。
だが、故に、鋤男は即断した。
『あ、これダメだ。どうにもならん』
前に出たなら何をどうしようとも弾き返される。ならば鋤男が進むは後ろしかあるまい。
脇目もふらず、鋤男は逃げ出した。凪に背を向ける恐怖もあったが、遮蔽を取り、ただただ速度を上げることのみを考え、自身がソルナ最強の暗殺者集団の一人であることも忘れ、脳が発する危険信号に一切逆らわず逃げに徹した。
その驚くべき思い切りの良さに、思わず凪、追撃を仕掛け損ねてしまう。
殺し屋を逃がしてしまうことがどれだけ危険な行為か凪にもわかっていたのだが、不意を突かれたのとそれ以上に、鋤男が己の全身全霊を逃走に費やしたことが逃がしてしまった原因だ。
凪、その場でうっすらと青ざめる。
「あちゃー、やらかした」
走る速度は凪が上。だが、凪が追撃を諦めざるをえなかったのは、少し離れた場所にある崖に向かって鋤男が一直線に走っていったことだ。
あの逃げっぷりを考えるに、鋤男はそのまま崖を飛び下りるだろう。
凪から逃げきるには、凪にとってすら命懸けとなる死線を潜らなければならない、と鋤男はよくよく理解しているのだ。
もちろんそれは鋤男にとっては分の悪い死の賭けとなる。それでも、微かにでも生存の可能性を望むのならば、そこに向かうしかないと鋤男は拳をもらった直後に決断した。
その決断の速さに凪はしてやられたのだ。
後で涼太に協力を頼んで逃げた暗殺者の後始末を考えなければ、と嘆息する凪。
だがこの時鋤男は、才あるが故にこそ、凪のような決して手出ししてはならない存在をその目にしてしまったが故にこそ、己の暗殺者としての生き方が限界を迎えたと見切ってしまった。
後に、九死に一生を得て山から逃げ降りた鋤男は、ババアの死を知り己の判断の正しさを噛みしめながら、このランドスカープの国から離れていくのであった。
山中に最後に残ったのは派遣組合の組合長たちと、オッテル騎士団支部長たちの集団であった。
派遣組合がオッテル騎士団を襲っていたのだが、何故か途中から別の敵と戦うことになってしまった。
いや、あれが敵なのかどうかすらわからない。オッテル騎士団との交戦中、一人、二人と人数が減っていっていることに気付いたのだ。
だが目の前にはオッテル騎士団がいて対応に動けず、そうこうしている間にオッテル騎士団が手を控えるようになった。
どうやらあちらでも意味の分からない死者が出ているようだ。
殺し屋エイターの気が変わってこちらに襲い掛かってきた、そんな想像に身を震わせる組合長であったが、オッテル騎士団のほうに新手が、こちらは隠れることなく堂々と姿を現し襲い掛かっていく。あの金の髪は、あれこそが標的であるナギだろう。
そして組合長のほうには、フードを深くかぶったままの男が襲い掛かってきた。
明らかに前が見えていないだろうフードでありながら、その男はとてつもなく強かった。
遠くにいるはずのナギとフードの二人は、怒鳴るように言葉を交わしている。
「ちょっと! 手を出さないって話はどうなったのよ!」
「はっはっは! 忘れたなそんなことは! それよりも! 今はお互いの信頼関係構築に勤しむべきであろう!」
「信頼してほしいんなら自分が言った言葉ぐらい守りなさい!」
「言葉如きで信頼が得られるものか! 真に信頼関係を築きたくば! 長き時を共に過ごすか! さもなくば戦場を共にするのが最良よ!」
「…………むむむっ、確かに」
すると組合長のすぐ傍から女の声が聞こえた。
「いやそこ納得しちゃうんだ」
組合長と腕利きの側近二人が即座に斬られた。相手は黒髪。この突然の声の主であることを考えれば、コレこそが配下をいつの間にか殺して回っていた存在であろう。
組合長は、今にも絶えそうな息で、黒髪に向かって虚勢を張った。
「ば、馬鹿共が。幾ら粋がったところで、殺し屋エイターには勝てんぞ。夜の闇に、昼の影に、奴らは潜むのだ。最早二度と貴様らに安眠は訪れ……」
「ああ、それならもう殺したよ。とんでもないおばーちゃんでしょ。他に居たとしても、あのていどの技量ならどうとでもなる。もちろんアレに依頼した人もこの後きちんと殺す予定だから、キミは心置きなく死んでくれていいよ」
依頼主なぞ探せるわけがない、と口にしようとしたがもう声を出す力もない。
今際の際に虚言を吐かれたとて動揺なぞするものか、と睨み返す組合長だったが、黒髪は既に組合長を見ていない。
さっさと次の敵に向かっていく姿を見て、組合長の心中に疑惑の念が湧き上がる。それが広がりきる前に息の根が止まったのは幸運だったのか不運だったのか。
山は広く木々は視界を遮るものだが、上空から見下ろした時、案外に人が移動できるルートは多くないことに気付く。
そのうえで移動し易いルートを取るのが人間というものなのだから、広大な山林であっても涼太が遠目の魔術で侵入してきた団体全ての位置を捉えることもできるし、凪と秋穂とアルフォンスを擁する一行がこれらを全滅させることも不可能ではなかった。
殺すものを全て殺し終えた四人は揃って山を下りる。
道中、凪と秋穂とアルフォンスの三人は今の戦いを振り返り、実に楽しそうに話をしている辺りアルフォンスの戦場を共にする作戦は大成功であったのだろう。
一人納得いかない顔の涼太がとても哀れに見えた。
ソルナの街の裁判所で衛兵長をやっている男は街のエライさんたちに囲まれ、とても苦々しい顔をしている。
衛兵長を招いたのは街長である貴族と、商人たちのまとめ役の老人、農村部の顔役、運輸担当政務官、オッテル騎士団正団員ヴェイセルと、つまるところソルナの街を動かしている主要人物たちだ。
議事進行は商人の老人が取り仕切っている。
現在、ソルナの街を非合法な武力にて牛耳っていた勢力が軒並み消失してしまったことが確認され、これへの対応を審議した結果、衛兵長はこの場に呼び出されたのである。
商人の老人は好々爺然とした笑みだ。
「この機にソルナの街を無法者共より取り戻す。表も、裏も、全てを我らで管理するのじゃ。おぬしにはの、どちらにも対応できる軍の頭領を務めてもらいたい」
衛兵長は内心で思うところあれど、当然それは口に出さず。顔に出てしまっているのはご愛敬というやつで。
「そいつは光栄ですが、連中はどうするんです? 何度も言ってますが、アレとやりあえってんなら俺は降ろさせていただきます」
「そちらの問題は解決した」
「は? 解決? もしかして殺せたんですか?」
「いや、そこのヴェイセルがな、連中との交渉を成功させた。近日中に奴らは街を出ていくし、以後はお互い不干渉ということになっている」
衛兵長は困惑しきりだ。
オッテル騎士団、ワイアーム戦士団、それぞれの支部に加え派遣組合も潰した。そこまでやっておいて、街を出る、というのが理解できないのだ。
それぞれ派遣業にしても、運輸業にしても、娼館経営にしても、連中の持っていた利権を奪うのならば街に留まらなければならないはず。
その利益の大きさを考えれば、並大抵の譲歩では街の退出なぞ勝ち取れまい。
何をしやがった、という顔でヴェイセルを見やる衛兵長であったが、ヴェイセルはこれに返答せず。商人の老人が言葉を続ける。
「とんでもない厄災ではあったが、終わってみれば、街全体としては悪くない結果であったろうよ。オッテル騎士団、ワイアーム戦士団は今後も新たな支部を作りにくるだろうが、真っ向からぶつかっても構わん。君が連中を迎え撃つのだ」
オッテル騎士団支部、ワイアーム戦士団支部は共に既に、それぞれの支部の建物を打ち壊し終えている。
これに街長である貴族が苦笑しながら口を出す。
「老、こちらは貴族をとられておるのだぞ。体裁を整えるのに私がどれだけ苦労したと思っている。それをもって悪くない、はさすがに聞き捨てならんわ」
「おお、これはこれは申し訳ございませぬ。なにぶん卑しき商人の身でありますれば、時折我が目は利益しか映さぬことがございまして」
両者は穏やかな表情で、はっはっは、と笑い合う。衛兵長にはどこが面白いのかまったくわからない。
だがまあとりあえず、衛兵長にもここにいる連中が今回の件でかなりの利益を得ていることだけはわかった。
『死者数は二百に迫る数だったんだぞ。それだけ殺しておいて、手打ちのために得た利権を全て捨てる? 意味がわからん。アイツらはいったいなにがしたかったんだ?』
まさか、売られた喧嘩を買ったまで、なんて話であるとは露ほども思わぬ衛兵長である。
会合では具体的にどれだけの戦力が必要か、予算や引継ぎの問題はどうするか、といった話し合いがなされた後で解散となる。
衛兵長はアレらが街を出るという話がどうしても納得できず、ヴェイセルに詳しい話を聞こうと彼の後を追う。
ヴェイセルは先程話をしていた商人の老人に声を掛けているところであった。
敢えて退出を遅らせたように見えるヴェイセル。その様子に引っ掛かるものを感じた衛兵長は、足音を忍ばせ二人の会話を盗み聞く。
ヴェイセルは戦士を見る目は優れたものを持っているが、当人の身体能力は並みだ。衛兵長ほどに体術に長けた者が、本気で隠形すればそれを察知することはできない。
「どうしたヴェイセル。わしを待っていたようじゃが」
「……一つ、あまり気の進まない話をしなければなりません」
老人は穏やかに微笑みながら言う。
「悪い知らせは良い知らせじゃて。知っておればこちらに対処する余地があるということじゃろ」
ヴェイセルが話しやすくなるようそんな返答をする老人に対し、ヴェイセルは表情を表に出さずに告げた。
「奴らからの伝言です。殺しの依頼は当然ウチへの殺意とみなす。お前は、殺す。以上です」
老人だけではない、聞いていた衛兵長もあまりの驚きに声も出ない。
殺しの依頼というのは、この老人がソルナの街でアレを相手に出したものと考えればそれが殺し屋エイターへの依頼だとすぐにわかる。
つまり連中は殺し屋エイターに襲われておきながら生き残ったと。しかもそれだけではなく依頼主の名まで聞き出している。
殺し屋エイターの悪名は衛兵長が生まれる前からあるものだ。ソルナの街の住民にとっては下手な神話より恐ろしいものである。
なぜ、どうやって、そんな疑問は衛兵長、そしてより逼迫した形で老人が感じていただろう。
しかしヴェイセルは言うべきを言った後はすぐにその場を立ち去る。
呆然と立ち尽くす老人。
衛兵長は気付いた。
会合が終わるなり他の人間たちは早々にこの場を立ち去っており、ヴェイセルは老人と極自然に二人っきりになれるような形になっていること。
会合で決まった内容を思い出してみれば、この老人の権限でなくば決められないことは全て会合にて決め終えていること。
そして、ヴェイセルが会合の後に言葉を伝えたのは、この報せを知った老人が連中を是が非でも殺すという方向に会合を持っていかれないようにしたということ。
『……はっ、ははっ。つまり、このじいさん以外、全員が承知の上だってことか』
衛兵長はヴェイセルにも老人にも気付かれぬようその場を離れた。
この会合に参加した全員を、衛兵長はとても恐ろしい相手だと感じた。剣だけではどうにもならぬ相手だと。
だがそんな会合のおえらいさんたちですら手を出せなかったのがオッテル騎士団でありワイアーム戦士団であり派遣組合だ。そこには暴力だけではない、こうした魑魅魍魎紛いとの競り合いもあったのだろう。
それらをすら、ただ暴力のみで粉砕してみせたのだ、あの金髪のナギ一党は。
衛兵長はここにきてようやく理解できた。
シーラ・ルキュレ、ワイアーム戦士団団長ミーメ、こういった貴族ですら手を出してはならぬと逃げ避けるような怪物が、いったいどういう相手であるのかを。
そんな辺境の悪夢が、また一つ、増えたのだということを。




