070.凪さん、学ぶ
長剣使いは補佐を真っ先に斬った。そうできるのなら指揮官を最初に落とすのはどの場合においても有効な選択であろう。
するとチンピラたちはあっさりと崩れる。三分の一ほどを斬り、残りは山中であるとはとても思えぬ凄まじい勢いで逃げていった。
不甲斐ないと凪は憤慨するも、頭上から降ってくるなんて意味の分からん戦い方されて、怯えないほうが逆にどうかしている。
そんなどうかしている兵である山岳兵は、こちらは秩序だった動きで整然と後退を行う。
動きを完全に見失うでもなければ、枝から飛び降り斬り掛かるという行為は、普通に踏み込んで斬るよりよほど避けやすいはずなのだ。
飛び下りざまの一閃はどうしてもその剣筋が制限されるし、そうであれば技量差があろうと避けるだけならばどうにかできる場合も出てくる。
それでも山岳兵が三人斬られた。だが、別段全滅を狙っているでもない凪も長剣使いも、それ以上は無理に追撃しようとはしなかった。
そして今、凪は森を駆けている。
『巧い』
高度にして五メートル。
上下は一メートルの幅で枝を蹴って中空を舞う。
顔に細い枝やら茂った葉っぱがびしびしと当たるが、目に入らなければそれでいい、と大きな歩幅で、枝を捉まえ跳び続ける。
エルフの中でもこの森跳びに熟練した者は、夜間ですらこれができるらしい。人類には到底不可能な真似であろうと凪には思えてならない。
ただ、敵手である長剣使いは、凪より遥か上位の森跳び熟練者により近い存在であろう。
長剣使いは枝に飛び移る時、跳ぶ先の枝を見ていない時すらある。五メートルの高さを、枝を蹴って移動するなんて人間離れした真似をしているのに、ノールックとかありえないにもほどがある。
このせいで凪は迂闊に長剣使いに踏み込めない。
逆に長剣使いは、跳び移る枝を見極めるのが凪より速い分、進路の組み立てで優位に立て、仕掛けるのはほぼ長剣使いからだ。
だからと長剣使いが圧倒的優勢かといえばそうでもない。
『強い』
長剣使いは、己が樹上戦闘の技量において凪より優れていることはすぐにわかった。
だが、その剣閃の鋭さは長剣使いの及ぶところではない。
そして、枝々を跳び移る際の判断が遅いにもかかわらず、その場その場の咄嗟の判断のみでこの極めて困難な樹上戦闘を成立させてしまっているありえぬ身体能力だ。
長剣使いがそうできるのは、樹上戦闘を何年も繰り返し行なってきた経験によるものが大きい。
しかも空中での身体制御能力自体は長剣使いより明らかに上だ。長剣使いでは折れる危険性が高く足場にはできぬと断じた枝を、危なげなく軽やかに用いてくる。
恐るべき敵だ。もし地上でぶつかっていたなら勝算は低かっただろう。
『だが、木の上ならば俺が勝つ』
枝に片足をつき着地しつつ、即座に幹を蹴って急転換。上下が逆になるよう跳び上がる。
凪の頭上にあった枝を下から蹴り急降下。この一瞬の速度は、より優れた脚力を持つはずの凪をも凌駕した。
「なんとわああああっ!?」
意味のわからない奇声をあげながら凪はこれを剣にて受ける。
空中で、頭上から降ってきた剣を、身を捻りながら剣にて受けたのである。
『アリか!? こんな動き!』
内心の驚愕を抑え込み、長剣使いは剣を振り抜く。
受けるといっても大地の支えを頼れぬ空中でのことだ。盾でもない細い鉄棒一本で受けきるのは不可能のはず。
だが凪は、長剣使いの剣筋を完全に見切り、その剣の動きに沿う形で刃が一切凪の身体に触れぬよう、繰り返しになるが空中で、受けの剣を長剣使いの剣撃に合わせて動かしてみせたのだ。
具体的には、頭上から背中に向かって振り下ろされた長剣使いの剣を、肩に自らの剣をかつぎ受けた後、背中に向かって片手で剣を伸ばしていく、といった形だ。
『キサマ! 本当に人間か!?』
こんな挙動ができる人間がいるなどと、長剣使いは夢にも思っていなかった。
そして当の凪自身も。
『あっぶなっ! あっぶなっ! あっぶなあああああああ! ってコレ受けるので精一杯いいいいいい!』
そのまま真下に落下していく凪。一方の長剣使いは予定通りに片手で枝を掴み、凪の頭上を確保したまま。
凪はこの状況で、地面を確認している余裕がない。地面との距離は一瞬のみ見て把握したうえで、頭上の長剣使いから目を離さず。
長剣使い、凪が大地に落着すると同時に、剣を口でくわえるとこれまで一切見せていなかった投擲武器を用いてきた。
剣から手を放しつつ、凪は両腕で大地を叩いて受け身を取る。右腕は綺麗に大地を叩けたが、左腕は大地から曲がり伸びる木の根を叩いてしまってとても痛い。後、尻の上にも変な形の岩だか根っこだかがあった。
地面を叩いた手は、その勢いで自らの身体の前に振り上げ、降り注ぐ短剣を素手で掴む。短剣は三本。最後の一本は足の爪先で弾いた。
長剣使いの動きを見定める。
地面に寝転がる凪、その頭上にて片腕で枝に掴まる長剣使い。
飛び降り攻めるには絶好の位置。
だが、長剣使いは身体を大きく振って別の枝へと跳び移る。
『あんにゃろっ。よくもまあこっちの嫌がること嫌がること選んでくれるわね』
地面に飛び降りてくれれば、最初の一撃がかわせるという前提のもとでならば凪に優位に働くはずだったのに。
すぐに身を起こし長剣使いを追う。
『ま、いいわ。木の上での動き、すっごくタメになる。それにあの剣技。面白い。木の上であんな長いの振り回すとか理不尽すぎて腹立つけど、でも面白い』
その腹の立つ面白い奴に、勝てればきっともっと面白い。
勝つ算段は既にある。
『私が、この戦いの前の私のままだなんて思わないことね』
凪と長剣使いの戦いにおいて、両者が絶対に避けていたことがある。
それは片方が太く安定した枝の上にある状態で、残る片方が空中でこれに襲い掛かる形になることだ。
当然、空中にあるほうが圧倒的に不利。その状況に如何に追い込むかも両者の駆け引きには含まれている。
凪はその好機を見るなり、ここが勝負所と今まで見せていなかった技を披露する。
長剣使いは枝から枝へと飛び移る時、途中の枝や葉を掴んで減速するという、凪がやっていなかった技を見せてきた。
これは加減が難しく、また掴む枝の強度を見ただけで判別しなければならない難しさがある。
だが、長剣使いが数度そうするのを見て、凪はこの技術を理解し、把握した。
『自分の技食らって驚きなさい!』
ちょうど良い場所に枝がある。これを掴んで空中にて減速。しかもこの瞬間を、長剣使いは目にしていない。
凪の枝への着地を確認しようとして、そしてタイミングがズレたことに気付くだろうがその時はもう遅い。凪が枝にあり、長剣使いを待ち構える状況ができあがっている。
殺った、そう確信した凪は、枝に遅れて着地した後、長剣使いの次なる跳躍先に向けて跳ぶ。これで先回りが完成する。
『はあ!?』
その枝には、既に長剣使いが跳んで向かった後であった。
いったいどうやって凪の動きに気付いたか、そもそも先回りをしようとした凪の更に先に跳ぶには枝を掴む減速技では不可能なはず。
だが、それらも含めて全て長剣使いの手の内だ。
枝を跳び動く敵と自身も枝を跳びながら戦うなんてこと、長剣使いにだって初めての経験なのだ。それは、様々な新しい発見があるということでもあり、更なる進化を期待できるということでもある。
戦いの前のままでないのは、凪だけではなく長剣使いもそうであったのだ。
そしてより枝跳びの技術と経験に長けた長剣使いのほうが、新たな経験に対応する手管を多数確保していた。
万全の態勢で待ち構える長剣使いに、凪は冷や汗一つで挑みかかる。
『こっちはできるかどうか、わっかんないのよねー』
でも、やらなきゃ死ぬのだからやる。
斬撃の瞬間だけはわかりやすい。これの狙いを制限させるため、剣を前に頭から突っ込む形に。
敵が動く直前、凪は全身をよじって横に回転する。
空中でこんな真似ができてしまうのだから、長剣使いのほうにこそやってられないとぼやく権利があろうて。
だが、そんな細かな動きで負けてやるほど長剣使いはぬるくはない。
剣の先端を引っ掛けるような斬り方ではない。受けた剣ごと骨をも砕く強烈な一閃を、放った。
『なんと!?』
放った剣と凪の剣が激突する。
そして、長剣使いが剣を振るに合わせて、なんとこれを剣で受けた凪もまた回転したではないか。
自ら回転を生み出していたのは、これを為しやすくするため。空中で支えも何もない凪は、長剣使いの剣撃をこそ支えに、受ける挙動の力としたのだ。更に。
『こんっ! にゃろっ!』
真横にぐるりと回れば、長剣使いの剣は虚空に流される。そして凪の剣は、一回転して再び長剣使いを捉える位置に。
袈裟に一閃した後、凪の身体は勢いそのままに長剣使いに激突し、両者は木の下へと落下する。
凪、完全に体勢が崩れきったところから、落下までの僅かな間で上下感覚を取り戻し、猫のように受け身を取って着地。
長剣使いも苦痛に顔をしかめながら両足でずしんと着地。そして、その衝撃で中身が飛び出した。
その意味を理解している長剣使いは、全身から力を抜き、背後の木にもたれかかるようにして座り込む。
もちろん凪もわかっている。
長剣使いに向かって歩み寄り、ふふんと得意げに笑う。
「どう、私の勝ちよ」
長剣使いは苦笑する。剣を使う奴なんてみんな一緒だ。どうしようもないほどに負けず嫌いなのだ。
「ああ、負けだ負け。あー、くそ、木の上で私が負けるとはな。なんて腹の立つ奴だ」
長剣使いの率直な感想に、凪は大輪の花のよう朗らかに笑う。人を斬った直後とはとても思えないほど、楽しそうに、嬉しそうに笑うのだ。
「木の上のことだけだったら私のほうが負けてたわよ。ま、地力の差ってやつかしら」
「それはそれでやっぱり腹が立つな。おい、お前はこの後も、ワイアーム戦士団と揉め続けるつもりなのか?」
「どうかしら? でもワイアーム戦士団って貴方みたいなのがぞろぞろいるんでしょ? それはとても楽しみよね、揉めるにしても仲良くするにしても」
「はっ、団の中でも私はそうそう負けるつもりはなかったがな。ミーメさんは別だが」
「確か、一番強いって人じゃなかったかしら?」
「ああ、あの方ばかりはどーにもならん。なんだ、お前、やる気か?」
「やらせたくて仕方がないって顔してるのは貴方でしょうに」
「まあな。私の目標だった方だ。私を倒したお前には、是非とも挑んでほしくはある」
「覚えておくわ。私の友達はそういうの大事にするから、私もそうしよっかなって思って……」
ふと凪は気付く。男の呼吸が荒く、視線が凪を見ていないことを。
「ああ、金髪、確か、ナギ、だったか。私はな、ついさっき、人生の真理を一つ見出したんだ、聞くか?」
「え、ええ。是非聞きたいわ」
「そうか……そうだろう……いいか、もし、この先、どうしようもないクソ外道だと思う奴がお前の前に現れたら、理屈を無理にでも整えてさっさと殺してしまえ。お前がまだ被害に遭っていないとか、そういうこと考えてかっこうつけていても……いいことはない、ぞ」
「そうなの?」
「外道ってのはな、放っておいても勝手に好き放題した挙げ句、まるで道理の通らんことでこちらに絡んでくる。そして、絡まれたら最後だ。面白いことは何一つ起きない。ただただ不快な思いをするだけだ。たとえそいつを殺したところで不快さは何もなくならず、自身だけが著しく損を被る。だからそうなる前に、いずれ誰かが殺すのならば被害が大きくなる前に見つけるなりさっさとこの世から消えてもらうのが最善なのさ。そいつが味方だろうと仲間だろうと上役だろうと関係ない。外道は見たら殺せ。たとえ法を犯そうともそれでお前の味方もぐんと増えてくれるからな」
長剣使いの言葉は、凪の心に実にしっくりときた。
「そう、そう、殺しちゃったほうがいいんだ。うんうん、そうよね。とても良い発想だわ。貴方やっぱりわかってる人ね」
長剣使いは、だろう、と言って笑う。その笑みもまた、凪にはとても心地よいものだと感じられる。
なので長剣使いがここで絶えることが、惜しいと思えてしまう。
「ね、ねえ、貴方。私に剣の技、何か教えなさいよ。きちんと使える技だったら私、貴方の技使ってあげてもいいわよ。もし……」
そこで言葉を切る。
長剣使いの目は開かれたまま。しかし、手は落ち、その瞳は最早動くことはない。
そんな彼に、凪は彼の真理に対する反論を問う。
「ねえ、ならさ、外道じゃなくて、逆にすっごい良い奴だったら。敵だろうと殺さないほうがいいの?」
もし剣先に手心を加えていれば、この長剣使いはまだ生きていて、もっと凪と楽しく話をしてくれたのだろうか、と。
「殺す時は、良い奴か嫌な奴か、見極めてから殺したほうがいいの?」
返事はない。
凪はじっと考え込みながら、長剣使いの死体を見下ろし続ける。
痛いし苦しかっただろうに、長剣使いは笑った顔で死んでいた。
そんな死に様も、弛まぬ鍛錬を積んできただろう恐るべき技術も、戦いを通じて知ったこの男のあり方も、凪にはとても好ましいものに思えたのだ。
或いはコンラードのような、尊敬できる友人になれたかもしれないと思えてならないのだ。
凪は彼を見下ろした姿勢のまま、随分と長い間考え込んでいた。
基本的に、己の規範をはっきりと持っている凪が悩むことはない。
だが、心を強く動かすようなことに対し無感動ではいられないし、そういった出来事をきっかけに己を見直すこともある。
そうなった時の凪は、普段が悩まぬだけにその悩みは深く重いものとなる。当人はそれを苦痛であるとは思ってはいないのだが。
己の内面と向き合っていた凪が、不愉快げに顔を歪めながら周囲に目を向ける。
「おっ、いたいた。いいねえいいねえ、しかも一人ときた」
がさりと音を立てて歩み出てくる男。そのすぐ後ろに二人が続く。
もちろんそれだけではない。右方より左方より、後方より、いやさ八方全てから、男たちがぞろぞろと茂みをかきわけ姿を現す。
凪は彼らが包囲すべく動いていたことにも気付いている。森の中では、凪の勘は特によく働く。
言葉は交わさない。
というか、その表情から何を言いたいのかはわかったので、一々耳を汚すのも嫌なのでさっさと先頭の男を斬った。
そして彼らもまた悪党共だ。凪の動きに即座に対応し、怒声罵声と共に全員が斬り掛かってきた。
一人、二人、三人。早々に斬り倒してからはたと凪は気付く。
『あれ? 見極めるって思ってたんだけど……』
だが、武器を手に殺意を持って襲い来る彼らに対し、凪は当たり前のように身体が動いてくれる。
『ほら、この人。仲間がやられないよう前に出てきた。馬鹿共の中にもこういう人っているものなのよね』
当然彼も斬った。
『いい人っぽい、んだけど。んー、でも、手、止まらないわね』
自身の感情が全く動かない。殺しにきたのなら殺し返す。いや、殺意を向けてきたのなら、だ。
凪を殺す、そんな意思の存在を、凪は決して許す気になれない。
『……随分と、殺し合いに慣れたものね、私も』
ふと、凪は父とおじさんのことを思う。
二人は、特におじさんは凪が間違っても人を殺すことのないよう、いつも気を配ってくれていた。
そして人を殺すとどうなるかを何度も教えてくれた。この世界にきて凪は、おじさんが言っていたことが全くそのまんまその通りだったので、流石はおじさんだなぁと、とても嬉しく思ったものだ。
そんなおじさんの考えていたことが理解できた。そして機会が来たなら迷わず殺せと教えてくれた父もまた、おじさんと同じことを考えていたこともわかる。
『ココに、来てほしくなかったんだ、二人共』
良い奴かもしれない、尊敬できる人間かもしれない、それでも、殺意には殺意で返す。それが戦士のあり方で。
剣を抜いたならそこから先の世界に容赦も躊躇もあってはならない。したら死ぬ。
そんな気の休まらない世界に、タバコや麻薬よりよっぽど寿命を削る世界に、凪の父もおじさんも、凪には来てほしくなかったのだろう。
だが、もう遅いし、そもそも、逃げたところで解決はしないのだ。
何故ならそんな世界は確かにここにあって、凪が己の意思のままに生きようと思ったならば、それは絶対に避けては通れぬ世界であったのだから。




