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誰だ、こいつら喚んだ馬鹿は  作者: 赤木一広(和)
第五章 ソルナの街の無頼漢たち
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069.秋穂の弱点


 ブルーノという無法者がオッテル騎士団に所属しているのは、ブルーノがこのソルナの街であまりに無法に暴れすぎてきたせいだ。

 元々ソルナの生まれであるブルーノは、派遣組合に近い立ち位置にあったのだが、派遣組合の幹部親族を半殺しにしたことで派遣組合から追い出され狙われるようになった。

 そこで出てきたのがオッテル騎士団だ。支部長の声かけに対し当初渋っていたブルーノであったが、オッテル騎士団ソルナ支部の幹部、軽業師ブロルと意気投合し共にオッテル騎士団でやっていくことに同意する。

 こう言えばブルーノは運良く庇護者に恵まれた、と思うかもしれないが、ブルーノはオッテル騎士団から声を掛けられるまでの一年間、たった一人で派遣組合を向こうに回し張り合っていたのだ。

 そうできるだけの何かを持っていなければ、この男はとうに殺されていただろう。


 ブルーノの構えは、低く低く、両膝が大地につくほど低いものだ。

 構えた剣の柄先が大地につき、逆腕は三本目の足であるかのように地面より身体を支えている。

 柊秋穂の表情には驚きと称賛が見える。


『それ、よっぽど足腰が強くないと、まともに動けないよ』


 秋穂は足先で転がっている槍を蹴り上げる。

 この槍、ついさきほどブルーノがさんざっぱら剣を突き刺し楽しんでいた男が使っていたものだ。

 右手に持った剣を左手に投げ、空いた右手に槍を掴む。こういった曲芸じみた動きは秋穂の得意技である。

 槍を蹴り上げてから剣を移動し、この槍を振りかぶり投げるまでの速さが尋常ではない。

 地面に転がっている槍の存在を認識していなかったのなら、突如秋穂の手に槍が握られたと錯覚しかねぬ速さだ。

 そして投げつけられるは槍である。短剣や剣ではない。重量のある槍を相手に、剣一本で容易く弾くとはできぬもので。

 これに対しブルーノは、その場を僅かも動くことなく、握った剣の柄本近くで槍の先端を弾き逸らす。

 弾きすぎず過不足なく流すその技、そして飛来する槍の重量を相手にそうできるだけの力は、腕力のみならず大地を蹴り押す力から生じたものであろう。

 秋穂の目には、この挙動にもビクともしない下半身が見えていた。


『見事』


 ブルーノがどれほどのクズでもクソでも外道でも、今見せたこの技は、それだけは称賛に値するものであったと秋穂は思うのだ。

 この構え相手に不用意な踏み込みは厳禁だろう。

 低すぎる構えの今のブルーノを相手に、有効な斬撃というものは限られており、上段中段はどう考えてもブルーノの超下段のほうが早い。

 かといって下段で攻めたとて、重心の位置がより低いブルーノのほうが力を伝えるという点では圧倒的に有利だ。

 だが、秋穂は行く。

 順手に剣を持ったまま、外に手を開くように回し、剣先を斜め下前方に構える。その姿勢のまま、ステップを踏んでまっすぐブルーノの間合いの内へと。

 外に回している手は、どう見てもこれ以上外には回せないだろう位置。つまり、剣の動きはそこから内に回転させるしかできぬはず。

 しかもぎりぎりまで腕を捻っているのであれば強い受けは不可能だ。

 だが、それとわかっていてなお飛び込んだ秋穂に、ブルーノは警戒しながら低い一閃を見舞う。

 秋穂の右側より迫る剣に対してはこの構えで受けられるはず。だからブルーノはその逆側より足首を狙う最も低い斬撃を放った。

 秋穂の剣先が回る。それは魔法のように、剣の重みなどまるで感じさせぬ羽のような速さで、ブルーノの剣を受ける位置までくるりと回った。


『マジか!?』


 そう、剣は間に合っても体勢が間に合わなければ受けは行えない。ブルーノの剣の威力に負け弾かれるだけだ。

 なのにブルーノは、この剣が弾かれる前提で次を組む。

 秋穂の飛び込んだ姿勢は、何時、何処で、どのような攻撃を受けようとも、その全てに対し強い受け姿勢が即座に取れる、そんなある種理不尽極まりない構えであった。

 剣先に剣を受けたのに、これを支えるのは秋穂の両の足である。そうできるよう構えを取れたのなら、如何なブルーノとてこれを打ち破ることはできない。

 これによって、ブルーノの最も有利な機会は終わる。後の先を取る最初の会敵時こそがブルーノの最も優位である時であった。


『真っ向からコイツを破られたのはブロル以来だよクソッタレ!』


 最初にブルーノの剣を受けた時と同じ、どうやったのかまるでわからない速さで秋穂の剣が返り、ブルーノの右肩目掛け左袈裟に降り注ぐ。

 この左袈裟を、ブルーノは更に低く、地面を滑るように真横に移動しかわす。

 上体をそらすだのといった簡易な動きではない。足を使って全身で移動してかわすなんて真似を、秋穂の鋭い斬撃を相手にやってのけたのだ。

 これはもう反射神経でどうこうできるようなものではない。


『読まれた? ううん、違う。でも、読まれてる』


 秋穂の構えや剣閃はこちらの世界ではとても珍しいもので、初見でこれを見切った者なぞ居はしない。

 なら、行動の予備動作を見抜いたとしても、その予備動作から何が起こるのかを予測なぞできるはずがないのだ。

 それでもブルーノはかわした。それは、動きを読んだのではなく、秋穂の攻めっ気を読まれたのだろう。


『攻めっ気が見えるだけで、攻め方まで見抜く人なんて初めて見るよ』


 秋穂はこの推論を試すべくブルーノが初見の技を連続して繰り出すも、その全てを、決して攻撃手段を見抜いたでもないはずのブルーノに完璧に受け避けられてしまった。

 こちらの世界にきて強敵に出会う度に思う。

 向こうの世界にもこんな怪物が存在したのかどうかと。

 もし、これらの怪物が向こうにいたのならそれはもう、手に負えない、歴史に残るようなファイターになったのではないだろうか。

 だがしかしここは異世界、ランドスカープの国で。

 相手は柊秋穂で、やっているのは殺し合いなのだ。


『来てすぐだったら、無理だったかも。でも、今の私なら、やれば勝てる確信があるんなら』


 秋穂は握った剣から、必殺の拳から、樫をすらへし折る蹴り足から、身体の全ての部位より、戦意を消し去った。

 戦うつもりなんてない。受けすらしない。全てを放棄し投げ出しながら、ふらりと身体をブルーノ目掛けて倒し、意識もないまま一歩、二歩と足を進める。


「あ」


 そうブルーノが言葉を漏らした時にはもう遅い。

 近接戦闘の最中に、戦闘行為全てを放棄するなんて恐ろしすぎる真似をやってのけた秋穂は、ブルーノの身体によりかかり、そして再び戦意を取り戻す。

 攻めっ気に反応するのなら、攻める気のない踏み込みをすればいい。

 ブルーノの攻め気を見抜く勘の良さは天性の才能でそうしていたのだろう。それを頼りにここまで戦い抜いてきたのだろう。

 もし彼が優れた師に巡り合えていれば、傍若無人な自我を制することができていたのならば、この特異な技術を用いて更なる高みへ至ったことだろう。先に戦ったアンドレアスもそうであった。

 だが彼は悪漢に堕ち、今こうして、より優れた戦士に打ち倒されようとしている。

 剣は位置が悪い。むしろブルーノのほうが早いだろう。

 だが、剣を握らぬ逆腕の、拳がブルーノの胴に当てられている。そして密接状態で用いられる必殺拳なんてものを秋穂は身に付けているのだ。

 震脚、そして、突き出された拳。ブルーノは身をよじるも、追尾していく拳をかわしえず。

 数多の難敵に痛打を与えた秋穂の拳。これをまともにもらったブルーノは身体が捻じれるままに回転しながら後方に飛ばされる。いや、飛んだのは自分でやった部分もある。

 せめて距離を取ろうという目論見だ。このブルーノという男、攻めっ気を読めるだけでなく、その身体能力も生半可なものではない。

 そのブルーノが絶望の表情でそれを見た。


『馬鹿な! 何故ソレがそこにある!』


 ブルーノも存在を忘れていた、さきほどブルーノが受け流した槍が、秋穂の足元に転がっていたのだ。

 もちろんブルーノを攻めながらこの位置へ誘導したのは秋穂である。

 先ほど同様、あっという間に地面の槍が秋穂の手の内へ。しかし今度は受け手のブルーノの体勢が悪すぎる。

 右脇の激痛を堪えながら、ブルーノはそれでもと剣を払う。足を踏ん張る。腰を捻る。


「がっ! あっ!」


 声を隠せなかった。

 殴られたのと逆の脇腹を槍が抉る。

 両脇の激痛でもう腕も上げられない。握っていた剣がからんと落ちる。

 ブルーノは、強く秋穂を睨み付ける。


「ちく、しょうっ」


 柊秋穂はトドメを刺せる好機を決して見逃さない。


「ちっくしょおおおおおおおおお!!」


 ふと、ブルーノが不思議に思うことがあった。

 首を前から斬られたブルーノの視界は、自身が何もしていないのに上へ上へと向いていく。

 ブルーノは敵から目を離すのが嫌で、上へとズレ動く視界の中、目だけで無理に下を見た。

 するとにっくき黒髪の女は、ブルーノから完全に目を離してしまっているのだ。

 この女が、油断なぞと最も縁遠い女が、まだ息がある、万が一があるブルーノから目を離してしまっていることが不思議でならなかったのだ。

 そもそもこの女、最後の踏み込みは妙に甘くはなかったかと。

 ブルーノが弱っていようと絶対に手なんて抜きそうにないこの女がそうしたことが、ブルーノはどうにも納得がいかず。それでも、納得のいく返答がもらえるでもない。


『……なんだよ。おめー、さいごのさいごに、てかげん、したってのか?』


 ブルーノは最後の瞬間まで、柊秋穂がもう一人の敵をずっと相手し続けていたことに気付けなかったのだ。




 これが最後の機会にして、最高の機会になる。

 秋穂はそう確信していた。

 恐るべき手練れとの激闘。その決着となる最後の一撃。この瞬間こそが、秋穂が森に入って少ししてからずっと付いてきていた正体不明の者が、秋穂を狙う最大の機会であると考えていた。

 さんざん誘うように隙を見せてきたのに、ただの一度も攻めっ気を漏らさなかった恐るべき敵だ。

 ブルーノへと踏み込む最後の一歩。これを、秋穂は突如軽く、薄い一歩に切り替えた。

 それまでの秋穂からは絶対にありえない、斬撃直前の一歩で強く音を立てなかったのだ。

 そして注意力を周辺に向けていたからこそ気付けた微かな音。

 この音の主は、秋穂の踏み込みの音に被せるように己の踏み込みの、音を決して消すことのできない斬撃直前の一歩を隠そうとしていた。

 秋穂の剣がブルーノの喉を捉えると同時に、秋穂の身体は真横に吹っ飛ぶ。

 身体を捻りながら跳んだ秋穂は、斜め後方を見ることができた。


『っ!?』


 思わず脳内で舌打ちする。そこにいたのは小柄な女、いやさ老婆であった。

 老いて皺だらけの顔に似合いの呑気顔で、テーブルから落ちたスプーンを拾おうとするような何気なさで、短めの剣を横薙ぎに振るってきていた。

 山に入るとのことで厚手長袖の服にしてきたのだが、これがすぱりと切れた。

 伸びあがるように斬りにきていた老婆は、秋穂が着地と同時に老婆のほうに向き直っているのを見ると、更なる踏み込みは止める。

 秋穂、着地と同時に剣先で自らの腕の一部、今の剣にて傷のついた部位を斬り弾く。


「あらま」


 そんな呑気な声は老婆から。

 秋穂は老婆の声から、自らの行いが正しかったと知る。


「まいったねぇ、いつからバレてたんだい」

「教えてあげない」

「不意打ちも毒も見抜くなんてねぇ。そこのアホガキが抜かした言葉、真に受けたってか?」

「あれは面白かったね。思わず笑っちゃいそうになったよ」


 ブルーノが、殺し屋エイターが山に来ている可能性を示唆していたことを言っているのだ。

 秋穂は老婆に目を向けたまま、ブルーノの使っていた剣を拾い二剣とする。

 とりたてて気負った様子もなく、しかし、首元まで迫っている確かな死の感触に震えながら秋穂は言った。


「さ、やろうか」





 老婆が初撃で殺せなかったのは、実はもう二十年以上前の話になる。

 年を取る毎に敵が初撃をかわせなくなっていくのは、老婆がそのための準備と訓練と研究を欠かさなかったからだ。


『もう私から逃げられる者なんて、一人もいないと思ってたんだけどねぇ。それがこんな小娘にしてやられるとは』


 見た目通りではない。気付かれずに殺すための数多の手法全てをきちんと一つ一つ全て無力化してきたからこそ、老婆の一閃を回避しえたのだ。

 そして、この小娘の何が小憎らしいかといえば。


『はっ、剣を構えて動かずときた。私ととことんやり合う気らしいね。逃げる気配すら見せやしない。可愛くない、可愛くないねえ』


 老婆が走る。

 右、左、そして左に揺れてから右に。

 この歩法、剣を眼前に構える人間の死角になる位置を移動するもので、見た目以上に相対している人間は受ける間を測り難い。

 その剣閃は軽い。軽やかで伸びやかで。しかし、受ければわかる。凄まじい威力を秘めている。

 これを真っ向から受け止める秋穂の右剣。勢いよく駆け寄りざまの一撃を、片腕のみの剣で弾く。剣と剣が激突した瞬間、老婆の剣より飛沫が飛ぶ。

 かすり傷でもこの毒には十分だ。そんな剣を振り回されているというのに、秋穂はこれを恐れず、老婆の二撃目、三撃目は、受けるではなくぎりぎりで避けてきた。

 いやそれだけではない。飛んだ毒が衣服に触れるのを確認している。

 酸のような外皮を溶かす毒ではない。体内に浸透して初めて影響の出る毒だ。肌に触れたていどでは意味がない。

 だが、秋穂は一瞬ではあるが、衣服についた毒を見た。山用の厚手の衣服を、毒が腐食するようなことがないのを確認したのだろう。


『用心深い……いや、ああ、なるほど。前提が違ったか。コイツも、暗殺者か』


 それも相当に優秀な暗殺者だろう。少なくとも老婆が長年にわたって研鑽し磨き抜いてきた技術と同等のものを持つぐらいには。そのぐらい、老婆の奇襲を見破るということは難しいはずなのだ。

 老婆が更に一つ上の速度に切り替える。

 コレを相手に技の出し惜しみは命に関わる。

 だが、老婆はくけけと不気味に笑う。


『同格の、それも暗殺者ときたか。くっかかか、長生きはするものだねぇ。こんな面白い敵とまみえるだなんて、世捨て人の田舎者にゃ過ぎた幸運さね』




 秋穂は、はっきりと言ってしまえばこの敵が、とても苦手であった。

 何よりも老婆というのがよろしくない。

 秋穂がこの世で最も強いと信じている、たとえ今の異常な膂力をもってしても絶対に勝てないと思っている祖母を思い出してしまうのだ。

 祖母に殴られ蹴られ斬られ叩かれ刺されてきた日々を、思い出してしまうのである。

 修業は好きだったし祖母も大好きだ。だが、戦ううえで苦手、というのはもうどうにもしようがない。

 祖母ならばどう動く、というのが頭にこびりついてしまって秋穂の反撃が鈍る。相手がかすり傷一つで死に至るだろう毒を使っているのも悪いほうに働いてしまっている。


『ごめんおばーちゃーん。毒を恐れすぎるなって言われたけどー、むーりー。だって相手おばーちゃんみたいなんだもーん』


 めちゃくちゃ動ける殺し屋ババアなんてシロモノ、秋穂は自分の祖母以外に存在するなんて思いもしなかった。

 秋穂が殺し屋エイターの老婆の暗殺をかわしてみせたのは、祖母の教育の賜物である。

 山中というフィールドはそれほど得意でない秋穂だが、それでも殺しの動きを見逃すことはなかった。

 秋穂の予定では、必死必殺の一撃を仕掛けてきた敵暗殺者の、その瞬間をついて殺してやるつもりだったのだが、敵の踏み込みが予想を遥かに超えて鋭かったせいでかわすので精一杯だったのだ。

 挙げ句毒までもらってしまう始末。

 だが、それでも、暗殺特化の人間ならばその後はもう秋穂有利となる、はずだったのだが、いざ姿を現したのは老婆である。

 めちゃくちゃ動く、めちゃくちゃ速い、めちゃくちゃ強い、ババアであったのだ。

 秋穂は二剣を構えた時、かなり本気で死を覚悟した。


『だから、逃げられないよね』


 何十年もの長い間暗殺を積み重ねてきた達人。そのうえで年にまるで見合わぬ身体を維持している。

 殺しの技術も、秋穂の仕掛けた罠をすら乗り越えてくるほどのもので。どう考えても秋穂より上の暗殺者だ。

 不用意な仕掛けは死を招く。しかし、防戦一方もまた同じ結果であろう。

 丁寧に丁寧に、暗中を手探りで進むような覚束なさの中、己の最高の技にて老婆の手の内を一枚一枚剥いていく。

 二剣に構えたのは、老婆の速度に置いていかれないため。案の定、恐るべき速さで老婆は秋穂の周囲を動いて回る。

 今の秋穂は、身代全てを賭けたギャンブルの最中と同じだ。

 勝てなければ死ぬ。逃げないのだから負ければ死ぬ。なのに、勝ちの目が全くわからないまま、格上と秋穂が断じた相手から逃げずに待ち構えるのだ。

 こうなった時、秋穂の悪癖である色々と物を考えてしまう癖は影を潜める。


『……周囲の地形に武器はなし……援軍、なし……狙撃、なし……隠し武器、問題なし……身体改造、なし……後は、魔術ぐらいかな……』


 わかっていたことだが、魔術ばかりはどうにもならない。相手が魔術師であった瞬間、打てる手が無限に広がってしまう。

 もちろん無限に魔術を使えるという意味ではなく、可能性を絞れなくなるという話だ。だからこちらの世界の戦士は、何処かで見切って踏み込むことを要求される。

 そして柊秋穂は、死を恐れることを、何よりも恐れる。


『無駄に死のうとは思わない。無意味に危ない真似をしようとも思わない。でも、それでも、私は、死ぬのが怖くて逃げるのは嫌だ』


 ソレが試されていると感じた瞬間、秋穂は自制が利かなくなる。

 愚かで浅慮で短絡的な、尋常ならざる潔さが顔を出す。

 秋穂の知識ではどうにもならないもの以外全ての可能性を潰すと、それまでの守勢が嘘のように、秋穂が勢いよく前へと出て凄まじき攻勢をかける。

 老婆に対応の隙を与えぬよう、これまで見つけてきた警戒すべき事柄に触れてしまわぬよう、それでいて敵を圧倒できる攻勢を、秋穂は体力を振り絞って行う。

 それは敵の失策を誘う戦い方だ。

 このままどこまで秋穂が攻勢を維持できるか相手にはわかるまい。もし秋穂がこの攻勢を老婆の体力尽きるまで続けられるのであれば、老婆には分の悪い博打に出るしか打開策はない。

 難敵との連戦は通常よりもずっと多くの体力を消耗する、毒を相手の戦いもまた消耗激しく、だからこそ、こんな後先省みぬ攻勢に出た、そう推測することもできる。

 だが。


『いきなりっ、この豹変っぷりは、さすがに……』


 これまで防戦に徹していた秋穂であるからしてその攻撃の組み立て方の癖などを、老婆はまったく知らないままだ。

 そのうえ見たこともない技術体系の武術をぶつけてくるのだ。経験豊富な老婆とてこれに対応するのは極めて至難。

 秋穂の急変は老婆が想定していた戦いの予定を大いに狂わせており、老婆は年を感じさせぬとはいえやはり老婆であり、突然ぶつけられた新たな未知の状況への対応力も若い時と比べれば間違いなく劣化している。


「ぬがっ!」


 悲鳴は老婆が上げたもの。秋穂の剣撃を凌ぎ凌いできた老婆の顔面に、どこから生えたのかまるで見えぬ足裏が叩き付けられたのだ。

 老婆ほどの熟練の暗殺者をして、気配もない第三者の参入を疑うほどにその蹴りは意味がわからなかった。

 超接近距離まで踏み込んだ後、秋穂の背後から肩越しに足裏が飛び出してくるなど、予想できるわけがない。中国拳法の技の一つではあるが、これを有効活用する場面は滅多にないだろう。

 そうしてできた隙が、均衡を崩す致命の一打となったのだ。


 肩口が裂け、胴半ばまでが斬れている老婆を見下ろし、秋穂はぽつんと呟いた。


「……ああ、やっぱり。おばあちゃんじゃないんだ」


 祖母を重ねて見て死をすら覚悟していた秋穂は、そんな自分の有様を笑うしかない。


「ホント、ぜんっぜん修業が足りてないなぁ私」


 祖母の呆れた声が聞こえてくるようだ。

 秋穂は拾った剣のほうを捨て、じっと老婆の死体を見下ろす。

 その無残な姿を見ても心動かされることはない。遠目に、この前に殺した男を見るが、やはりそちらを見ても一緒だ。

 盗賊に殺された村人の遺体を見た時のような、心動かされるようなものは何もなかった。


「慣れた、かな」


 自身が溢したそんな一言を自らで否定する。

 盗賊砦、リネスタード騒乱、ウールブヘジンとの戦い、学校への襲撃者、一族ごと潰す暗殺、そして山でチンピラとの交戦。

 その全てで、秋穂は心に咎めるものはなかった。だが、一つだけ、秋穂がとても気になったものがあった。

 それがリネスタードでシーラたちが処理したという諜報員の死体を見た時だ。

 これを見たことを、きっとシーラや他の人間には気付かれてはいない。

 だから秋穂はこの時感じたことを誰にも言っていなかった。


『殺すほどじゃ、ってどこかで思ってるね、私』


 随分と強引な手でリネスタードを嗅ぎまわっていたようだし、貴族だのといった連中がシーラに殺されたと言われても特に思うところはなかった。

 だが、秋穂より年下の少女がいて、彼女はリネスタードのとある有力者子息との結婚を目的にこの街にきたという。

 そんな彼女も、彼女の身の回りの世話のために派遣された侍女も、残らず殺された。その女の子たちの死体を見た時、それまで殺した死体を見た時とは確かに違いがあったのだ。

 秋穂は考える。違うと感じるのならば、むしろ今殺した老婆にこそ、違うと感じるべきなのではないのかと。

 少なくとも今まで秋穂が自身で考えていた規範に沿えば、年下の少女だからと殺さない理由にはならないし、逆に大好きな祖母に似た空気を持つ人を殺したならそれは、衝撃を受けるなり嫌な思いなりをすべきはずだ。

 色々と考えて、とりあえずではあるが出た結論に苦笑する秋穂。


『結局、殺すことに私自身が納得してるかどうか、それだけが問題なのかもね』


 納得には色々な理由がある。正しい行いだと思えた、信頼する涼太の指示だった、身を守るに必要だった、等々。それらもその時々で程度が変わる。

 ここに元の世界だったら法律だから、が加わるのだが、どうにもこの世界の法律に全て従おうとは思えない。でもきっと、ギュルディやコンラードが決めたルールであったなら従おうと努力すると思う。

 なるほど、と秋穂は納得する。

 涼太が外に出ようと言ったのは、この国を知ろうと言ったのは、正にこれが理由であろうと。

 国を、法を、人を知れば、従うことに納得できるかもしれない。或いは従わないことに納得できるかもしれない。いずれ、知らなければ判断しようがない。


『つくづく思うよ、涼太くんって私たちの飼い主にぴったりだ』


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― 新着の感想 ―
[一言] 人を殺すことは大変なストレスですから、ちゃんとした理由は必要ですよね。
[一言] 女の子飼い主って聞くとちょっとえっちな関係を想像してしまうが、雌犬ではなく狂犬なので色気は全くなかった
[良い点] ひええ、熟練の暗殺者に暗殺者だと思われてる女の子に飼い主認識されとる!
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