056.異世界への影響? 知るか! そんなことより今日の飯だ!
ダインの魔術師工房から出る時、涼太は事務員に翻訳の魔術が使える魔術師の手配を頼んでおく。
元より最終的には生徒たち全員に翻訳の魔術を使うつもりはあったのだが、取引の目途が付くまではこれを一般生徒には伏せておくつもりだった。
だがそれももう意味はない。むしろこのまま拓海含む五人だけに翻訳の魔術がかかった状態でいるというのはあまり好ましくない。
ギュルディにその旨伝えると、ギュルディもこれを了承する。
「リョータ。お前の判断を聞きたい。私はもう中途半端に手を貸す段階ではなくなったと思うのだが」
「ああ、俺も同じ認識だ」
「よしわかった。百だろうと二百だろうと全部引き受けよう。全員街に来るか?」
「いや、異世界の資料が山ほど向こうにある。だからあっちはむしろ研究施設にしちまうのが良いかなと。ボロースの街にも存在が伝わってるから護衛は必須だけどな」
「至急手配して送ろう。……まったく、リネスタードの衛兵はまだまだ足りんというのに」
「……ギュルディ。これからきっと、もっと色んな人間が必要になる。リネスタードの街はどれだけの人口を受け入れる余地がある? 今の倍に増えてもなんとかなるか?」
ダインの反応と事務員から聞いた幾つかの検証内容から、そこに事業を大きく広げるきっかけが幾つも転がっていると感じていたギュルディだ。
涼太の言葉も大袈裟とは受け取っていない。
「細部の調整は必要だが、倍ていどならどうにかなる。元々、城壁のうちだけで賄わないといけないような状況ではなくなっているからな。問題は、如何にして人を集めるかだ」
「その辺はすまんが全く力になれそうにない、ギュルディ頼りだ。なんとかしてくれ」
「できぬ、とは言わんさ。ただ、そうだな、なんというべきか」
「ん?」
「私が十年二十年かけてやろうとしていたことをほんの数か月でできると言われ、その論拠を示され混乱している、といったところだ。たった一つの武器をやりくりしてどうにかこうにか戦ってきたのに、いきなり百も二百も武器を渡されたようなものだ。贅沢な悩みとは思うが、とても悩まずにはおれんよ」
涼太は真剣な表情だ。
「今俺たちも学校組も、ギュルディに全賭けしちまってる状態だ。アンタがコケたら全員コケる。だから、アンタがコケないよう全力で援護をするつもりもある。悪いが、楽はさせてやれないぜ」
「ふん、望むところだ」
二人は涼太が教えた合図を行う。涼太が突き出した拳に、ギュルディもまた拳を軽く打ち付ける。
で、とすぐに話を切り替え、高見雫に向き直る涼太。
「高見さんたちにも翻訳の魔術を使うことにした。残りの学校組にもな。問題は?」
「無いわ。幾ら借りることになるの?」
「正直、金額にできるものじゃない。大いなる借りってことになるかな」
「……借りられるだけマシ、って思うことにするわ」
「もうしばらくすれば拓海さんも戻ってくるし、そうしたら具体的にどんなプロジェクト組むか、そこからどんな金儲けができるかって話になると思う。そこまでは借りられるだけ借りておくのが良いだろうな。インフラ整備と雇用の確保はいつの時代でも最優先事項だ」
「職業訓練校なんてものに通う暇は?」
「ない。とはいえ職人は徒弟制度が一般化してる世界だし、新入りを受け入れる態勢も整ってはいるだろ」
「現代高校生が、中世の徒弟制度に耐えられると思う?」
「……やっぱ無理、かな。配属するんじゃなくて、いっそ全く新しい職場作るぐらいでないと駄目かぁ」
雫が目を丸くする。
「前から思ってたんだけど、楠木って発想からして高校生らしからぬわ。貴方本当にウチの学校通ってたの?」
「今更だから言っちゃうけどな、俺中学生までずっと大人に混じって工場で働いてたんだよ。そのせいだろ」
「バイトしてたってこと?」
「いいや。きっと、俺はバイトみたいに金のために働いてたんじゃなくて、給料なんて本当はどうでもよくて仕事を上手く成功させるためだけに働いてたから、余計に色々と学べたんじゃないかなって思ってる」
高見雫には、涼太の言葉の中に含まれた意味を汲み取ることはできなかった。涼太が高校生離れした発想をすることの理由が今の言葉の中にあるのだろうが、それを雫は読み取ることができなかったのだ。
わかったことは、雫には楠木涼太の底を簡単に見抜くことはできそうにないということだけだ。
「そう」
なので曖昧に返すしかできなかった。
加須高校の生徒たちは、このリネスタードへの訪問より、生活が大きく変化していくことになる。
その場凌ぎではない衣食住の確保を、己に降りかかった出来事への調査を、異世界の住人との交流を、行なえるように。
結局、第一次リネスタード訪問からの帰り道には、橘拓海とその仲間四人は同行しなかった。
ダインの工房に勤める魔術師たちと一緒に、朝から晩までああでもないこうでもないと騒ぎ、そして皆がばたばたと疲れ果てて寝てしまうまで議論検証を繰り返し、翌朝目が覚めたらまたこれを行なうといったことを何日も何日も続けている。
四人の仲間のうちに女性もいたが、幸いダインの工房には女性の魔術師や女性の事務員もおり、この世話になることで女性として最低限のラインは死守させることに成功している。
女生徒もまた知識欲のためなら女であることを平然と捨て去るような感性の持ち主であったから、彼女に女性らしさを守らせた女性事務員の労苦は並々ならぬものがあったろう。
その有様を見て、コイツらのがよっぽど高校生らしくないだろ、と楠木涼太くんは漏らしたものである。
そして学校へと戻った時、涼太たちは魔術師を一人連れていた。
彼はベネディクト以外で翻訳の魔術を行使できる数少ない人間で、また彼にはもう一つ頼んでいる仕事があった。
「んー、これで全部ですね」
学校に着くと、魔術師には生徒たち全員に翻訳の魔術をかけてもらいつつ、その魔力のほどを見てもらった。
魔力を持つ者にはそれと知らせず全員を弾いてもらい、弾かれた総数、なんと二十六人。
「こんなに当たりを引けたの初めてですよ。異世界人ってのはみんなこうなんですか?」
こちらの世界でも魔力を持って生まれる人間の数はあまり多くはない。割合にして千人に一人ていどらしい。
それがこの学校内に限っていえば、二割ちょっとだ。
不知火凪さんも懲りずにもう一度見てもらったが当然魔力は無しである。彼女は魔力があると判定された者たちに、とても大人げない視線を向けていた。
この話を伝えとんでもなく浮かれている加須高校魔術師候補生たちには、ダインの工房の魔術師を師匠として推薦しておき、それ以外の人員はそれぞれ仕事探しである。
街に行くことに抵抗がある学校に残っていたい者には、学校図書室にある書籍の翻訳作業に当たってもらうことに。
リネスタードから派遣された代筆屋に、書籍を読み上げていく作業だ。それほど難しくはないのだが、こればかりは生徒たちがするしかないので、あまり仕事をするといったことに前向きになれない者でもこなせる比較的楽な作業である。
リネスタードの街に向かった生徒たちだが、ここが一番多い。大体八十人近くが街に来た。
ギュルディが用意してくれた大きな建物に全員で住む形だ。元ブランドストレーム家の持ち家で、分家の連中をまとめてこの屋敷に住まわせていたことから、そこそこ豪華でかなり広いという、生徒たちに向いた建物であった。それでも人数からくる多少の狭さは我慢しろということであろう。
この中で比較的あっさりと仕事が決まったのは、ダインの工房に手伝いに行く者たちだ。
異世界の知識があるというだけで、ここでは仕事があるのだ。
面白いのは、最初にダインの工房に行き彼らと延々議論していた橘拓海を含む五人には、魔力は一切なかったことだ。
とはいえ彼ら五人は話し合いの結果発足した幾つものプロジェクトを進める主要メンバーになっており、それぞれ魔術師たちと協力して事に当たっている。
また、魔術とは関係が薄いプロジェクトに関しては、リネスタード鉱山街の鍛冶屋たちに任されることになった。
こちらにも生徒は派遣されており、彼は手にした本『近世テクノロジー史 ~産業革命以前の技術~』とにらめっこしながら必死に鍛冶職人たちとやりとりをしている。
橘拓海の勧めもあって、最も力を入れているのはいわゆる農業革命だ。食料の生産性を劇的に向上させ人口増加を促す、といった目的であったがリネスタードにおいては今後爆発的に増加していくだろう人口に対応できるだけの食糧確保といった意味合いが強い。
涼太はギュルディに問う。
「一度に色々やりすぎじゃないのか? 人、物、金、全部足りなくならないか?」
「金はあるからな。人も物も、賄えないほどじゃあない」
「マジか」
「投資先を変えるだけだ。まあ、これまでの投資先からは文句を言われるだろうが、今後連中のご機嫌を取らずに済むと思えば悪口雑言を聞き流すぐらいはなんでもない」
「……あんま他人に恨み買うよーな真似すんなよな」
「はっはっは、諸経費含めると年率コンマ一割にも満たない利率のくせに、ああまでデカイ顔されればそのケツを蹴り上げてやりたくもなる。それとお前が言うな」
パーセントって表現の仕方はこっちじゃ一般的じゃないんだな、なんてことを考えながら、実に清々しい顔で笑うギュルディを見て苦笑する涼太であった。
戦隊と袂を分かった小男は学校に戻った後も、いつまで経っても戦隊が戻ってこないことに不安になっていた。
それは一緒に戦隊と別れた他の生徒も同様で、さりとて探しに向かう気にもなれず。
そうこうしている間にボロース商人による襲撃とこの撃退が起こる。彼らが凪と秋穂の雄姿を見て思ったのは当然、レベルアップであった。
あの二人と同行していたという涼太に、小男はそれと気付かれぬようさりげなく傍に行き、小声でぼそっと聞いた。
「く、楠木。お前、レベルアップ、知ってるか?」
別の人間と話してる真っ最中に、斜め後ろからそんな声を掛けられてもそれが自分に向けたものだとは思い難いものだ。
それでも、声が近くで聞こえたことで振り向く涼太。
「え?」
「れ、レベルアップ、知ってるか?」
楠木涼太が、コイツはなにを言ってるんだ顔をしたので、小男は即座にその場から引き上げる。
小男はすぐに仲間たちのところに駆け込む。
「お、おいっ、楠木の奴。レベルアップ知らなかったぞ」
「マジか。じゃあ不知火と柊は楠木にコイツを知らせてないってことだよな」
「ああ、上手いこと不知火に利用されてるって感じかもな。ひでぇ話だ」
彼らの中で不知火凪の評価はとても低い。能力ではなく人格的な意味で。
そしてそんな彼らにとっての狙い目は、残る柊秋穂となる。
隙を見て柊秋穂と話をしよう、そう決めたのだが結局彼は、他にもたくさんあるやろうと決めたことと同様に、それを実行にうつすことはなかった。
学校で待っていたら、なにか知らない間に食べ物をもらえるようになったし、しかも異世界の言葉も話せるようにしてもらえた。
小男たちのグループの認識はそんなものだ。
すげぇすげぇ、こっから異世界始まりだろ、と喜び勇んでいた彼らを絶望させる話が直後にあった。
学校の生徒の中から魔術師になれる人間を調べていて、それがなんと二十六人もいたと。
だがその中に小男たちのグループの人間は一人もいなかった。
他の駄目だった生徒は冗談交じりに、もう一回見てくださいよー、とか笑って言っていたが、小男は本気でそれをお願いしたかった。これはきっとなにかの間違いだと。だがそれを言い出す勇気もなく。
魔術師候補生たちは皆リネスタードにあるという魔術師ダインの工房に行くことになった。
それ以外の生徒にも、リネスタードで仕事をしようと高見雫は呼び掛けていてほとんどの生徒が応えていた。
だが小男はそれ以外の道を考える。
『レベルアップするためには森を離れるわけにはいかない』
幸い、学校に残っていても仕事はある。
かなりの時間を仕事に取られるのが不満だが、食生活は改善されたし、先行きにも希望が持てるようになった。小男は仲間に漏らす。
「ようやくかよ。オープニングイベント長すぎじゃね?」
「ぶはははは、だよな。設定の整合性なんかよりプレイ環境のほう優先してほしいよ」
小男たちが学校に残ることにしたのは、森に狩りに出てレベルを上げるためだ。
そのために彼らの仲間と日々どうやってあのトカゲを狩るかの話をしている。新たな道具を用意し、また学校に来た兵士の人にトカゲがどういう生き物かを聞きもした。
だが小男たちが森に入ることはない。
小男の仲間たちもそれを口にすることはない。
しばらくして、学校が再び賑やかになった。
ダイン工房の魔術師たちがぞろぞろと学校を訪れたのだ。
そこには多数の大人たちと、その中に混じって最近姿を見なかった橘拓海がいた。
小男は驚いた。こちらの世界の大人たちの中で、橘拓海は堂々と自らの意見を口にし、そしてそれを彼らが受け入れている。
中年の人もいれば老境に至っている人もいる。そんな彼らも全員が、小男と同い年の橘拓海に敬意を払っているのだ。
いわゆる内政無双のようなことをし始めたという話は小男も聞いている。だがそれを、彼と同い年の、ついこの間まで同じ学生であった橘拓海がやっているのだ。橘拓海が内政無双で現地の人間の敬意を勝ち取っているのだ。
小男は自らの心中に渦巻く感情を、制御もできないしそれがいったいなんなのかもわからない。
ただ、橘拓海を見ていると、とても心が切なくなる。
よく見ると、大人たちに交じっているのは橘拓海だけではなかった。
他にも一年生や二年生の生徒もいて、彼らは実に堂々と大人たちと渡り合っていた。
そんな中の一人、小男とは趣味が合うので時々話をしていた同級生が、小男の姿を見て駆け寄ってきた。
「よう、久しぶり。そっちはどうだ? なにか問題はないか?」
小男は胸のうちが苦しすぎて言葉が出せない。それを彼はなんと勘違いしたのか、声の調子を落とした。
「……そうだな、悪い。戦隊のこと、残念だったよ」
小男は彼の勘違いに噴き出しそうになった。戦隊は自業自得だと小男は思っている。何度か戦隊のことを思い出してとても心苦しくなったが、小男はその都度あれは戦隊の自業自得だと考え、そうすると苦しさは少し収まってくれるのだ。
変なことを言ってくれたおかげで小男は多少余裕が持てた。なので、口からついつい恨み節が出てしまう。
「そっちは調子よさそうだな。魔法使えるなんてとんでもない幸運だろ」
「ん? 俺、魔術使えないぞ」
「…………は?」
「いやだから、俺魔術使えないって。すっげー悔しいけどな! めっちゃくちゃ訓練して後天的に使えるようになった事例もあるらしいけど! そんな時間とれねーっての!」
「な、なんで。なんで魔法使えないんだよ。お前、だって、魔法使いの人の中で仕事してるって……」
「別に俺に魔術なんか求められてねーって。そんなもん覚えたての人間がこっちの本職相手になに話すんだっての。俺たちは現代の技術とか理論とかをさ、魔術師の人たちとすり合わせてこっちでも通用する新しい技術作ろうってやってんだよ。魔術師ってみんなすっげー頭良い人ばっかでさ、正直、俺もついていくのに毎日必死だわ」
仕事の途中であることもあり彼は、後で飯一緒に食おうぜ、と言ってこの場を去っていった。
小男は、それを呆然と見送っていた。
「嘘、だぜ、絶対。アレ。だって、おかしいじゃん。高校生に、アレ、相手大人じゃん。大人の仕事に、すぐに入れるわけないじゃん」
小男と彼との間に、小男が納得できるような差などなかった。
もし小男がなすべきことをやっていたとしたら、小男もまた彼が今いる場所に、立っていたかもしれないのだ。
いや、無理だ、と小男はわかる。できるわけがない、と思う。だって小男にはそんな勇気はないのだから。
そうと認めてしまうと、もう一つの目をそらしていた事実にも気付いてしまう。
小男はもう、あんな恐ろしい大トカゲに挑む気など欠片もないのだ。
あんな死ぬような目に遭うのは二度とごめんなのだ。
更にもう一つ。
小男は、助ける機会があったのに、戦隊を見殺しにした。それが誤魔化しようのない現実だ。
戦隊の死体は既に確認されている。周辺を警戒していた兵士が見つけてくれた。
小男はその死体を見ることができなかった。
時折戦隊のことを思い出すたび、凄まじいほどの罪悪感が胸を締め付ける。
そして小男は理解した。
きっとこの罪悪感は一生消えてくれなくて、小男はこの学校を出ることもできず、一生、恐れ怯えて生きていくのだと。
もう二度と、一歩を踏み出す勇気など持てないのだろうと。




