053.キャンプ地襲撃
秋穂は、既にボロース商人の連れた傭兵を斬っていたので、彼らにいきなり攻撃することに一切の躊躇を感じなかった。
真面目に不意打ちするつもりもないので、服もリネスタードを出た時のもののまま。
そんな格好でのんびり歩いていて、向こうから発見されても特に焦ることもなく。
とても森の中から出てきていいようなシロモノではない美貌に、キャンプ地の傭兵たちが目を丸くしていても、これといって話しかけることもない。
そしてそんな秋穂を見ていたのは傭兵たちだけではなかった。
「柊? 一年の柊秋穂じゃねえかあれ?」
キャンプに残っていた学校の生徒が秋穂を見てそう呟く。が、傭兵たちには言葉の意味がわからず、あの不審極まりない美人が何者なのかは、最初の一人が接近するまでわからないままで。
秋穂は堂々と、これ見よがしに、ゆっくりと剣を抜いた。
それを宣戦の合図と受け取るのは何処の世界でも一緒だ。一緒なのだが、秋穂の呑気すぎる足取りと、なによりもその美麗な容貌のせいで反応が遅れた。
一人目は剣を抜くどころか反応すらできず斬られた。
二人目はどうにか剣に手を掛けたところでやはり斬られた。
三人目、四人目は大きく後退。剣を抜く。
「敵襲だ! お前ら出てこい!」
「ブロルさん呼べ! 急げ!」
技量差は著しい。だがそれでも、下がって下がって下がりまくりつつ防戦に徹すれば、それなりに時間は稼げるものだ。
その場にて斬るは見えなくても、大きく踏み込んで斬るは見える場合もある。間合いがあれば踏み込むほうも一撃で急所を突くのは難しくなる。
必要なのは距離と人数だ。
秋穂の技量がどれだけ優れていようとも、自身に当たる軌道にある剣撃に対しては避けるか受けるかしなければ怪我を負う。
その挙動一つで、こちらへの攻撃を一つ潰せるのだ。まあ甘い踏み込みは、避けると同時に斬られるのだが。
秋穂に誘われ、深くへと踏み込み過ぎた一撃を放った傭兵は、避けると同時に放たれた一閃で胴を薙がれた。
「くっそ! やべえやべえやべえやべえぞコイツ! ブロルさんまだかよ!」
すぐに秋穂が恐るべき怪物であると見切り対策を打てるのだから、ここに集っているのはなかなかに優れた傭兵たちであったのだろう。
並の怪物ならこれで、ブロルが来るまでほぼ損害無しで乗り切れたはずだ。だが、それでもなお殺されてしまう。
傭兵たちは、これが誰かだの、どういう理由で襲ってくるかだのといった部分にもう意識はない。殺すべき敵で、殺しにきた敵で、どう殺すかどう殺されないかにしか意識も興味もない。
その割り切りの速さに、学校の生徒たちは誰一人ついていけてないのも仕方のないことであろう。
生徒たちは、味方と認識しているはずの商人の傭兵たちが、同じく味方と認識している同じ学校の生徒に殺されている状況にも、呆然としているのみであったのだ。
そうこうしている間に十人弱の死体ができ、そしてキャンプ地のボス、ブロルが駆けつけてきた。
「なんだよなんだよなんなんだよ! なーんだってんだよ! 人が最高の時間過ごしてるってのによ! これまでずっと延々暇だったのがよりにもよって今この時に来るかこういうの!?」
仲間の死体が転がっていても、それほど深刻なようには見えない。
実際、深刻なこととは思っていないのだろう。だが、それがたった一人によってなされたことであるのと、その血刀を下げた佇まいを見て、ブロルの表情が真剣なものへと切り替わる。
「……コイツぁ、なかなかどうして。良い雰囲気持ってんじゃん。それがこっちに来たか。まったく、旦那の慧眼には恐れ入るぜ。幾つも部隊が分かれてる中、お前と遭遇するのがこの俺とはな」
今回集まった傭兵たちの中で、最も優れた戦士なのだ、このブロルという男が。
この男が登場した時点で、秋穂は他の兵士への攻撃を中断している。
男は無造作に距離を詰めてくる。いや、その歩法は隙を生じるようなものではない。そして、間合いの外から勢いよくステップイン。
『!?』
さしもの秋穂も驚いた。
剣も抜いていない男が、勢いよく踏み込んだと思ったら秋穂目掛けて跳躍してきたのだ。それも空中で身体を斜めに傾け、横にぐるりと一回転しながら。
あまりに大きすぎる挙動だ。隙の全くない秋穂に対しての大技に、逆にそれこそが秋穂への奇襲となった。
しかもその動きだ。
『これっ! 速っ!』
空中で回転しつつ斬る、のではない。空中に跳ぶのも回転するのも、その全てが鋭く速き剣撃を実現せんがための動きで、見た目よりずっと、行動の起こりがあってから実際に剣が降り注ぐまでの時間は短い。
秋穂は受けない。それまで雑兵相手には一度たりともしなかった後退を躊躇なく行う。
これだけ派手な動きながら着地時にもブロルに隙は無かった。
「へえ、コイツをかわすか。本気でアンタ、良い腕してやがんな」
受けずかわすにはよほどの反射神経が必要だった。それも、予想だにしない攻撃に対して反応しなければならないのだ。もちろん下手に受ければ受けごと潰せる強烈な一撃である。
ブロルがこれをしょっぱなからかましたのも久しぶりだが、完璧にかわされたのはもっと久しい。
「『軽業師』ブロルだ。死ぬまでの短い間、よ、ろ、し、く、な」
「秋穂だよ。芸人に殺されるほど抜けちゃいないかなぁ」
最初は剣を交わす。
一合目。ブロルの背筋を悪寒が走る。
二合目。悪寒の正体を知る。膂力で自らが劣っている。力でぶつかったら間違いなく負ける。
三合目。速すぎる秋穂の切り返しに、剣での勝負では話にならないと後退。
四合目。秋穂の追撃。隠しておきたかった袖口に潜ませていた短剣を投げ、強引に距離を空ける。
「……やべえやべえ。こうまで強いたぁな。だがっ!」
ブロルの身体が宙を舞う。
筋骨隆々、戦士然とした体躯を持つブロルの身体が羽のようにふわりと跳び上がった。
その身体は一跳躍のみでテントの屋根部の高さへと。そして屋根部の縁に足をつく。そこに柱はない。はずなのに、テントの縁に両足揃えてブロルは立っている。
そして秋穂の周辺には、この時ブロルが放っていた短剣が四本散らばっていた。
「ちっ、勘の良い奴だ」
「芸はもう終わり?」
「抜かせ! こっちはもうてめえの間合いには入らねえ! この俺の身の軽さを……」
ブロルの目がおかしくなったのか。
秋穂の大きさが変だ。この大きさになるはずがないのだ。秋穂は助走をつけるでもなく、走り出そうという動きになっていない。敢えていうのならば腰を落としてはいたが、それにしたところで跳躍なら跳躍でその予備動作、重心移動が見えるはず。
同時に起こった轟音が、秋穂が大地を蹴った音であるとブロルが気付くことはなかった。
一度の踏み出しで爆発的な跳躍を可能とする。そんな技術を秋穂は修めていた。
「私と貴方とじゃ、そりゃ私のほうが軽いに決まってるでしょ」
テントを巻き込みそのど真ん中に落下するブロルの胴体以下部分。秋穂の身体はテントを飛び越えて着地。その脇に、ぼとりとブロルの首が落ちた。
柊秋穂の大暴れを、キャンプ地の生徒たちは皆が目撃している。中にはハネが飛んじゃってる子までいた。
秋穂がブロルをぶった斬った後、傭兵たちは逃げられる者は皆逃げ、それができなかった者は皆秋穂に斬られた。
全てが終わった後で、秋穂襲撃開始からまったく身動きの取れなかった生徒たちに向かって、秋穂は手を叩いて言った。
「はーい、みんなー、しゅー、ごー。集まって集まってー」
キャンプに残った生徒の中で三年生の男子が代表して口を開いた。
「お、おい。お前、一年の柊、だよな」
「そうだよ」
「こ、これはいったい、どういうことなんだ? お、お前、この人たち、殺しちまった、のか?」
「いやそれ自分の目で見たでしょ。そんなことどうでもいいから。全員集まったの? 確認して?」
「お、おう」
三年生の男子生徒が一人見当たらない。それ以外は女生徒が一人遅れただけで、全員が集合した。
「はーい注目ー。じゃあみなさん、今すぐ持ち出したバッグ、私の前にもってきてー」
男子生徒の一人が、苛立たし気に声を上げる。
「だからっ! なにがどうなってんだって聞いてんだよ! 事情を説明しろよ! いきなり出てきてお前何様だよ! 意味がわかんねえんだよ!」
「んー、わかった。キミは、自分の立場がわかってないってことが、よくわかった」
「は?」
秋穂は彼がこれ以上なにを言うよりも早く、その襟首を掴みあげると逆の腕で顔面を殴りつけた。
秋穂の鉄拳だ。彼にこれを堪えろというのは無理があろう。だが、襟首を掴んでいるので彼の顔の位置は変わらぬまま。
何度も何度も殴っていると、彼の身体から力が抜けていくも、秋穂が襟首を掴んでいるので彼の身体はやはり動かない。
片腕のみで人一人を掴み支えているという恐るべき所業なのだが、生徒たちにはその凄さが伝わらなかったようだ。
「おい! お前なにしてんだ!」
秋穂を止めようと、男子生徒が一人その腕を掴んだ。いや、掴もうとしたところで逆に秋穂に腕を掴まれ、軽く手首を返すていどの小さな所作で、その男は地面にうつ伏せに倒れ伏してしまう。
立ったまま腕を捻り上げている秋穂のせいで、うつ伏せに倒れた生徒はその場を動けない。秋穂はそんな生徒の顔を上から足裏で踏みつけた。
最初の男を何度も殴った時のように、こちらも何度も何度も顔を踏む。
そして、腰に差していた剣を抜く。
「一応、同郷の誼ってやつもあるし、怪我はさせないようにしとこうかなって思ってたんだけど。まあ、わかんないんなら、仕方がないかな」
うつ伏せの男の腕をまだ秋穂は掴んだままだ。この状態で逆腕に握った剣を男の腕に当てれば、なにをするつもりかは一目瞭然であろう。
「ちょ、ちょっと待て! お前! な、なにすんだよ! そいつがいったいなにしたってんだよ!」
たまらず叫んだ男に対し、秋穂は剣を止めて言う。
「持ち出した、バッグを、そこに置いてくれる?」
一言一言丁寧に告げると、他の生徒が非難じみた声を出す。
「そ、そんなことのために普通そこまでするかよ」
「なに考えてんだ。普通に言えばいいじゃん。頭おかしいんじゃねえのか」
文句を口にしながらも、彼らはそこで気付いた。
抵抗して、文句を言って、そうしてどうすればいいのか。この柊秋穂もどきが今やったことを思えば、彼らが彼女の言葉に逆らうなんてことをしたらどうなってしまうのか。
すぐに彼らの頭の中で否定の文字列が並んだが、だからと彼女のこの脅しに逆らうのにはとんでもない量の勇気を必要とする。
皆が渋々といった様子でバッグを指定の場所に集めると、秋穂はこれを一つ一つ開いて中身を確認し、空のバッグに中身を移し替えはじめる。
女生徒が一人、まだ現状が把握できていないっぽい多少強気な声を出してきた。
「なにしてんのよ。それ、私たちのよ」
腰をかがめて作業をしていた秋穂は、すっくと立ちあがり女生徒に向かって一歩、大きく飛んだ。
拳だ。平手ではない。握り込んだ鈍器のような拳を、彼女の左頬に叩き込むと彼女は勢いよくその場に倒れ込んだ。
彼女は非難の声を上げることもできない。激痛と、天地がひっくり返ったかのような衝撃とで。
「全部、学校のものだよ。ねえ、ここに五条ってのいる? 随分ひどいことしたって聞いてるんだけど」
男子が二人、見てわかるほどに身体を強張らせた。
そちらをじっと見る秋穂。彼らは首を横に振る。
「ち、違う。俺じゃないっ」
「そ、そうだ。五条は先に行った。もうここにはいない」
「あっそ。なんだ、ハズレかぁ」
彼ら二人は五条と一緒になっていわゆるヒドイことをしようとした者なのだが、秋穂にもそこまではわからない。
足元の女性を二度蹴り飛ばしたうえで秋穂はバッグの山に戻り作業を続けた。これを咎める者はもういない。
バッグの数と集まった生徒の数と、おおむね一緒だったので秋穂はこれで許してやることにした。
移し替えたバッグは十個。食料はいらないので本やらなにやらだ。一応、学校の備品以外、生徒たちの私物っぽいものは残してやっている。秋穂なりの誠意というやつなのだろうが、絶対に彼らには伝わらないだろう。
そのまま大量のバッグを抱えてさっさと立ち去ろうとした秋穂だが、一歩、二歩と進んだところで足を止め振り向いた。
「……あー、もう。言いたくないなぁ。でも、仕方ないかぁ」
本当に、渋々といった様子であった。
「学校戻りたい人いる? もし戻るんなら、嫌でしょうがないけど私が道中付き合うよ。ついてくるかは今すぐ決めて」
学校のリーダー、高見雫は彼らの帰還を望んでいた。学校に残った人間が死ぬような選択をした彼らを、まだ仲間であると思っていた。
だからその想いに敬意を表して秋穂は帰還を彼らに勧めるのだ。気に食わないし、ソレさえなければ斬ってやろうかとすら思っていたほどなのだが。
「ボロースの商人、もうここ来ないと思う。もし向こうに行くんなら自力でそうしなきゃだけど、道、わかる?」
生徒たちは無言。秋穂は続けた。
「学校にきた商人たちは全部殺した。ここの連中も皆死んだ。先に出発した集団もどれだけ辿り着けるやら。そんな場所に、ボロースの商人再度人を出したりしないと思うよ。ここを去るんなら、自分たちだけで全部こなすつもりでなきゃ間違いなく飢え死ぬと思う」
やはり生徒たちは無言のまま。秋穂は構わず続ける。
「貴方たちが学校を出た後、ボロースの商人が学校に襲い掛かってきた。ただの一人も見逃すつもりはなかった、ってね。当然、全部殺したよ。ねえ、貴方たちが騙されるのは貴方たちの勝手、そう思ってるのかもしれないけどさ。その結果死ぬのは貴方たちだけじゃなくて、学校に残ってたみんなも死ぬことになるんだよ」
最後に、と彼らに告げる。
「涼太くんが言ってたんだけどね。自由も、平等も、公平も、正義も、本来全部がタダじゃないんだって。これを享受するだけの代金を支払えないのなら、戦って奪うしかないんだってさ」
きちんと稼いで支払い済ませるほうがお勧めだよ、と秋穂は言った。そして、そうでないほうを選ぶべきでない理由は口にはしなかった。
秋穂は身を翻し、キャンプ地から立ち去った。
少し行った先で、秋穂は足を止める。戻る気がある者のためにここで待とうと思ったのだ。
しばらく待つと、まず最初の一人目が来た。
彼女はこちらの世界の荷袋のようなものを背負っており、袋の口からはなんに使うつもりか剣の先っぽが突き出ていた。
「ねえ、柊さん。貴女のその余裕、もしかして学校の食料どうにかする方法、心当たりあるの?」
「あるよ」
「方法、聞いてもいい?」
「学校からだったら、ボロースの街よりリネスタードの街のほうが近い。ウチの頼もしいのが手を貸すつもりっぽいし、ならきっと、学校に居る生徒たちはこっちでの生活もなんとかなると思う」
そう、そう、と何度も頷きながら頭の中でなにかを確認するその女生徒に、逆に秋穂が聞き返す。
「ねえその大荷物、あそこのキャンプ地の?」
「ええ。みんな死んだか逃げたかしたんでしょ? ならもう連中にはいらないじゃない」
結局、キャンプ地にいた生徒たちは、秋穂に殴られた者も含め全員が学校に戻ることを選んだ。
だがキャンプ地から物かっぱらってこようなんて根性のある奴は最初の彼女のみであった。
一番油断ならない、そんな人物に見えるかもしれないが、じっと彼女を見ればそうではないと気付く。
彼女は必死だった。必死に先を考え、必死に生き残る術を考え、なにをしてでも生にしがみつこうと、そんな顔をしていた。
彼女から漂う体臭から多少なりとも状況を想像することができた秋穂だったが、秋穂はそんな彼女を、ほんの少しだけかっこいいと思ったのだ。




