052.異言語コミュニケーション
校舎に戻った高見雫は、生徒たちの惨憺たる有様を見ると、さもありなんと嘆息する。
戦闘があった場所まで校舎からだとそこそこ距離があるのだが、きちんと見れば斬り飛ばされた死体の破片が何処の部位であるのかもわかるような距離でもある。
せっかくもらった貴重な食糧を吐き出してしまっている者もいるのは致し方ないところなのかもしれない、とこれを責める気にはなれない雫だ。
そうでなくとも、みんな真っ青な顔であり、まともに動けるようになるにはもう少し時間がかかりそうだ。
この間に雫は、二階にある雫がいつも事務処理を行なっている部屋に行く。ここが雫にとって一番落ち着ける場所なのだ。すぐに橘拓海が部屋に入ってきた。
「よう」
「ん」
雫は拓海に対しては信頼の証か結構雑な対応をするようになっている。彼は雫と同じ立場になって物を見ることのできる稀有な相手であった。
拓海は雫の座っている椅子の隣に、自分も椅子を引っ張って持っていき座る。
しばし無言。先に口を開いたのは雫のほうであった。
「まいったわ。さすがに、脳の処理が追いつかない」
「だな。なんだありゃって感想しか出てこない」
結局、と雫は呟く。
「溺れた者に垂らされるものなんて、それが何本あろうと全部が藁でしかないんでしょうね」
雫たち学校組が交渉材料として提示できるものは、もしかしたらあるのかもしれないがそれがどんなものなのかを判断するための知識が絶望的に少ない。
そしてその知識を得る手段がない。そのための時間もない。善意の協力者なんて夢物語は、異邦人たる自分たちには望むべくもないのだろう。
同じ学校出身なのだから元の国の価値観を共有しているだろうし、きっと善意の協力者になりうる、なんて夢を微かに見もしたが、あの尋常ならざる立ち居振る舞いを見てしまっては、とても価値観を共有しているなんて思えない。
楠木という一年生が言っていた通り、その必要性が生じたならば自分たちをあのように斬り殺すなんてこともしてくるのだろう。そしてこれを防ぐ手段は雫たちには存在しないのだ。
背負いきれぬリスクを抱えることになろうとも、そちらの手を取るしか雫たちに道はないのである。
「不知火凪、柊秋穂、この二人の評判聞いたことある?」
「俺はそーいうの興味なかったからなぁ。どんなのだ?」
「不知火凪はひっどいわよ。冷酷、冷徹、高慢、人の心を持ってない、色々言われてたわね。金髪美人なんてとんでもないもの学校に放り込んだらそりゃ嫉妬も出るとは思うけど、にしたって彼女の悪評は度を越してたわ。入学してまだ二か月でこれだもの」
「……もう一人は?」
「三年の女の子大好きな生徒曰く、とんでもなくガードが堅い子、だそうよ。男子とはもう最低限すら口を利くの避けてたみたい。まあそれでも不知火ほど悪いこと言われてるわけじゃないけど」
はぁ、とため息をついた後、雫は拓海に感想を問う。
「橘はどう見たの? あの二人」
「すげぇ美人としかわかんないって。ただ、なあ。あの二人、人を殺すのにまるで躊躇しなかったぞ。てか、不知火はアレ、殺しながら笑ってなかったか?」
「うん、笑ってた」
「ありえねー……それだけ見るんなら、あのクソ商人のほうが余程マシに思えてくる」
「もう一人、楠木も凄かったわよ。あの二人が片っ端から人殺して回ってる間に、そっちを見ようともしないで、両腕切り落とされたクソ商人の腹やら胸やらにざくざく剣刺して、ボロース商人がどれだけ出張っているのかとか、対リネスタードに誰が動いているのかとか、ずーっと聞いてた。アレ、本当に一年生? 私たちの二つ下? ホント、もう、どうなってるのよアイツら……」
でも、と続けた後の言葉はどちらも口にしない。
雫たちの存在が確認されるなり、あの三人は山ほどの食料を持ってここまで来てくれたのだ。
その後も大トカゲを仕留めてこれを捌き、みんなに振る舞ってくれた。
不知火凪も柊秋穂も、相手が先輩だろうと全く遠慮する様子も敬語を使う気もないようだが、彼女たちがみんなに振る舞った肉は、食べやすいように、焼きやすいように、とても気を配った大きさに切ってあった。
それに楠木涼太も、最初のうちはこちらが混乱しないよう、一年生の後輩である、というあり方で話を進めてくれていたのだ。
そしてその言葉が信用できるかどうかはさておき、話してくれている内容は雫にとって受け入れがたいようなものでもなく、きちんと先のことを考えてくれているものだった。
「随分と甘そうな藁よねぇ」
「棘を隠そうともしない藁よりはマシなんだろうけどな」
二人は同時に嘆息するのだった。
ボロース商人たちは森の奥への道が途切れる前に、キャンプ地を作ってそこを移動探索の拠点としている。
なんやかやと今回の仕事に駆り出された人数は総勢で百人を超える。
よほどの儲け話があるのだろう、と参加した者たちはそのおこぼれを期待していた。
すると、森の奥から商人が連れてきたのは、貴族と見紛うほどに小綺麗な若者たちだった。
商人曰く彼らは客人らしいが、上手いことだまくらかして売り飛ばせれば、相当な金が手に入るだろうことは下っ端たちにすらわかった。
ただその人数が凄い。百人弱の人数がいるのだから、現在の戦力では無理はできない。と思ったら、若者たちを何隊かに分けて移動することに。
商人たちも何隊かに分かれ、このキャンプ地の責任者は傭兵隊の隊長の一人であるブロルという男に任された。
傭兵の一人が、ブロルを見上げて言った。
「なーブロルさんよー。これ、手出ししちゃなんねーってどんな拷問よ?」
ブロルはその傭兵より二回りは大きい。がっちりとした肉体を持ち、見るからに戦士然とした男であった。
「さて、な。旦那衆がなに考えてんだか知らねえが、儲け話はあの人らに任せときゃいい。間違ってもその足引っ張るような真似はできねえだろ」
「だーけーどーよー」
「ま、確かに。良い女揃ってるよなぁ。あの真っ黒い髪もよ、なんつーか、気味悪いっちゃ気味悪いが、あの身体についてると思やあれはあれでアリなんじゃねって思えるわ」
「そっすよねー。つーかあの女共の身体、ホント、もう、やっべえっしょ。いーい育ち方しやがってよぉ」
「それな。……って俺を乗せても無駄だぞ。旦那の言うこと無視したら約束の金減らされちまうからな」
はぁ、と力なく肩を落とす傭兵。
傭兵はもう一人いるが、彼は特に不満はないのか文句を言うことはなく沈黙を保つ。
すると、ブロルと傭兵二人の目がある一方に向けられ、そこで止まった。
商人が連れてきた男と女が、そそくさと隠れるように木々の間に入っていったのだ。
ブロルは傭兵二人と顔を見合わせる。
「逃げ、た?」
「いや連中、自分の意思で街に行くって話でしたよね」
「でもなあ」
三人はキャンプ地を管理するよう言われてはいるが、コイツらを見張れとは命令されていない。
とはいえ問題が起こったなら対応しなければならない。なので、三人はとりあえず二人の後を追う。
バレないように遠目に見ていると、ブロルには聞きなれない言葉が聞こえる。
なにを言っているのか全くわからないが、なにをしようとしているのかは三人共すぐにわかった。
というか、男と女で人目から離れて、いちゃつき始めればなにするつもりなのかは誰でもわかろう。
「「…………」」
傭兵二人は、結構本気でコイツらぶっ殺してやろうかと殺意を漲らせる。自分たちは仕事で女無しの日々だというのに、この馬鹿二人はこんな野外でおっぱじめようというのだから。
だがもっとキレているのが居た。
「あ、やべっ」
気付いた傭兵がそんな言葉を漏らすが、ブロルは彼の言葉など聞こえていないのか、ずんずんと歩いていき、いちゃついてる二人の前に堂々と姿を現した。
もう一人の傭兵は本気で危険だと走り出したがもう遅い。
ブロルはわからぬ言語で喚いている男を、問答無用で蹴り飛ばした。
「あーりーえーねーだろ! てっめえ! それはあれか!? 俺をおちょくってんのか!? 俺を煽ってんのか!? 俺に殺されてえってのかお前ええええええ!」
ブロルが抜いたのは剣ではなく短剣だ。
これを、怒鳴り喚き散らしながらざくざくざくざく、と男子生徒にぶっ刺していく。
「別にな! 一月や二月女抱かなかったからってどうこうならねえよ! だけどな! 目の前に良い女ぶらさげられてほれほれ羨ましいだろーなんてやられりゃそりゃ黙ってらんねえだろ! そんなこともわかんねえのか! お前頭悪ぃだろ! つーかやっぱり死にてえんだよなあお前!」
言語が違っていても悲鳴にはそれほど差異がないらしいな、と傭兵二人が感心している中、ブロルは話しながらより興奮していっているのか男子生徒の肩を掴んで木に押し付け、彼が倒れることも許さず短剣を刺し続ける。
「もういいわ! つーかさ! 俺がやっちまってもさ! そこの女が黙ってりゃそれでよくね!? なあ嬢ちゃん! お前黙っててくれるよな!? なあ!?」
言葉は通じないというのにブロルは女に向かって喚き、そして彼女を脅すように男子生徒の頭頂に短剣を刺し、これを滑らせ傷を刻む。
「なあ!? いいよな!? つーかやらせろてめえ!」
皮に指をひっかけ、一息に剥ぎ落す。女生徒はもう、恐怖のあまり悲鳴もあげられぬ。
そんな女生徒に一方的に喚き続けるブロルであったが、傭兵の一人がつっこんでやる。
「だーからブロルさん、言葉通じてねえって」
「…………あ」
ようやくそれを思い出したブロルは、少し考えた後、女生徒の前で大きく両足を開く。
そして股間を何度も何度も指差した。満面の笑顔で。時々腰を前後に振りながら。
心底から呆れ顔の傭兵たちである。
「あの人、馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど……」
「女が相手だからって普通ああいうことするか? アレ蹴飛ばされても知らねーぞ」
だが、どうやらブロルの意図は通じたようだ。女子生徒は恐怖に震えながらも三度、大きく頷いてみせた。
首を縦に振るのは了承で、首を横に振るのは否定。案外と二つの世界には共通点があるようだ。或いは人間の社会同士であるのなら、同じ発想に至り易いということか。
それを見たブロルの嬉しそうな顔ときたら。
「よっしゃああああああ! どおおおおおおだ! 見たかお前ら! 人間同士なあ! きちんと伝えようと頑張りゃどうにかなるもんよ! なあ嬢ちゃん! よし、さっそく行こうぜ! 俺のテントにゃな、いーい酒もあるんだよ! そうだ! とっときの砂糖もあんだよ! すげぇだろ! あっまいんだぜコイツぁよう!」
男子生徒にそうしたのとはまるで違う、腫物壊れ物を扱うように丁寧に彼女の肩に手を乗せ、自分のテントへと案内するブロル。
二人を見送りながら、傭兵二人は呟いた。
「……やべえ、俺あの人ちょっと尊敬したかもしんねえ。つかやるだけやったら俺たちにもおこぼれとか、ねーかな?」
「あんだけ気合い入れて口説いた女、他の奴に触らせるとかありえねーだろ。あーあ、それにこの死体どーすんだか……」
遠くからブロルの声が聞こえた。
「そーだお前ら! ソレ片付けといてくれよなー!」
とても機嫌の良さそうな声であった。
「……だってよ」
「やってらんねえええええええ!」
世は弱肉強食。強いものは欲しい物を得て、弱い者が得るのは手間と労苦だけなのである。
涼太は一人、校舎の中を歩いて学校がどういう状態なのかを自分の目で確かめている。
廊下も教室も案外に綺麗にしてある。
ちょっと面白かったのは、トイレの扉には何処も張り紙がしてあって『絶対に使うな。トイレは屋外特設トイレにて』と書いてあることだ。
上下水道が止まっているのだからトイレを使えばどうなるか誰にでもわかろうものだが、それがわからない馬鹿が結構な数いたということなのだろう。もしくは、習慣というものの恐ろしさとでも言うべきか。
高見雫から聞いた事件のあった視聴覚室も見たが、今はもう臭いも感じない。
一通り見て回って思ったことだが、各所に様々な工夫がなされている。
ここで、二百人弱の生徒たちが協力しあって一か月近く生活してきた、そんな跡が見られるのはちょっと嬉しくはあった。
三階の誰も使っていない一室に入り、教室の片側に寄せ整理されてある椅子を一つ、引っ張り出して座る。
そのまま床に座ってもよかったが、なにかが起こった時、椅子のほうが動き出しは速いのだ。
「まいったな。さすがにここまでの事態は想像してなかった」
転移者百八十人という人数なぞ考えてもみなかった。そんなにいたら間違いなく食料不足で皆死んでいるはずなのだ。
それが食料を積んだトラックのおかげでここまで生き永らえていたなど。しかも森の中での水の確保も、犠牲は出しているがどうにかクリアしている。
「人間ってな、本当に凄い生き物なんだな」
人は数が増えればできることも増えていくがその分問題も起こりやすくなる。それを高校生だけで乗り越え、最後はあまり上手くいってなかったようだが、なんとかここまでしのいできたのだ。
不知火凪、柊秋穂という規格外の存在に助けられてきた涼太と比べて、それはどれほど険しく苦しい道のりであったか。
自らのここ一月を振り返って比べてみる。
「……いや、まあ、うん、俺たちのは自分で選んだ結果だしなぁ……」
厳しさの比較対象として、涼太たちはまったく相応しくなかった。
盗賊砦陥落に端を発したリネスタードの騒動は、概ね涼太の望む形で収束した。その後の意味のわからん軍隊の攻撃は、どうも攻撃理由をほとんどの兵士が知らされていなかったらしい。
辛うじて聞き出せたのは、予言、という言葉だけだった。
そちらは引き続きギュルディが調べてくれる。
そして今、涼太は隣街ボロースの商人と揉めることになった。
リネスタードの大きな変革に対し、絶対にボロースもその影響を受けている。それはきっと、好ましからざる変化ばかりだろう。
ギュルディはよりリネスタードが利益を得るやり方に切り替えていってるのだから、当然、その分のワリを食うのはリネスタード以外であり、近隣の取引相手であるボロースなどはその最たるものであろう。
リネスタード内の、リネスタード全体の利益を損なってでも自身の利益を追求しようという者が他の街に便宜を図っていて、これをギュルディが排除していっている。
道理で言うのならばギュルディに一切の非はないのだが、そんなこと損害を被った相手に言っても意味はない。どれだけ道理に外れた収入であろうとも、それが失われれば失った者は失わせた者に対し必ず報復に出る。
今回の揉め事はそういったリネスタードに対する仕掛けというわけではないだろう。幾らなんでも秋穂と凪を知らないで仕掛けたとか間抜けにもほどがある。
だが、きっかけにはなるだろう。
ボロースがどうやってこの件を活かしてくるか。こちらの世界のやり方をあまり知らない涼太には予想もつかない。
ふん、と鼻を鳴らす涼太。
「きっかけになるのは、こちらにとってもなんだぜ」
それでも一度リネスタードに戻ってギュルディに確認はするつもりだが、その後涼太は、今回の件に関しボロースの何処の商人かは知らないが、きちんとケジメは取らせるつもりであった。
順調に、順調に、凪と秋穂の暴力思考に染まっていっている涼太である。




