039.絶招、打雷爆炸
総勢百人はいようか。その隊伍の見事さに、シーラが感嘆の声を漏らした。
「こんな田舎で、コレが見られるとは思わなかったよ……」
シーラから見えるのは横一線に並んだ兵士たちの姿だ。
もちろんその一線の後ろにも兵士たちがずらりと並んでいるだろうことは想像に難くない。
一糸乱れぬとは正にこのこと。右手に長い長い槍を、左手に人の身体が丸々隠れてしまうほど大きな盾を手にした兵士たちは、左手の大きな盾で自身と左隣の戦友の身体の半ばを守り、最前列の兵士は盾の隙間から槍を前方へと突き出している。
二列目以降の持つ槍は頭上に伸びていて、前列が倒れればすぐに二列目が槍を下ろし前に出ることができるようになっているのだろう。
ある程度の練度が無ければできぬ、故に戦闘経験のない徴兵兵士やチンピラの延長でしかないヘボ傭兵には決してありえぬ、歩兵たちによる陣形であった。
シーラは知っている。この陣形は正面が馬鹿強いのだと。さりとてシーラほどの跳躍力を持ってしても、二列目以降が斜め、そして上へと構えている槍のせいで一飛びに陣形のど真ん中に突っ込むこともできない。
とかくめんどうくさい陣形なのだ。
「隊列前進! 五十歩!」
これだけの人数の動きを揃えておきながら、彼らの機敏な動きたるや。そしてそれが幾重にも列を為し足音を鳴らし進み来る恐怖。
殺意の壁、歩兵の極致、陸上最強戦力の一つ。
そんな形容も大袈裟には思えぬ。歩兵の密集陣形であった。
凪が足早に進み来るこの陣形を睨みながら言う。
「シーラ、これの弱点わかってる?」
「前にやったことあるよ」
皆まで言わせずシーラが答えると、二人は左右に分かれてこの陣形の弱点である側面をつこうとする。
だがこれを秋穂が止めた。
「ちょっと待って。ここは一つ、私に任せてよ」
そう言うが早いか二人の返事も聞かず一人で秋穂は前に出る。
「必殺技、見せてあげるっ」
腰を落とすでもなく、手にしていた剣はなんと鞘に納めてしまっている。
無手で、しかし恐るべき歩兵の群に向かって両手を広げ、獰猛な笑みと共にこれへと踏み出していく。
もちろん秋穂の動きにも歩兵たちに変化はない。歩調を変えず、唯一秋穂の前になる兵たちが槍先を秋穂に狙い定めたぐらいか。
背筋をぴんと伸ばした姿勢。両手は広げたまま。そして、秋穂の視線が不自然さを一切感じさせぬ動きで上を向く。
「消えたっ!?」
歩兵たちが初めて動揺した。
今回彼らは兜を使ってはいるものの、視界を大きく遮るような金属の兜ではない。その状態で真正面、それもかなり距離が空いた場所にいる人間一人を、障害物も何もない状態で見失うなぞありえない。
それも、最前列の兵全てが同時に、一斉に、その女一人の姿を見失ってしまったのだ。
もちろんそれは騎乗し指揮をとっていた兵士も同様だが、命令は変えない。そして幾ら動揺していようと歩兵たちも命令変更がない限りその歩を止めることはない。
次に彼らが秋穂の姿を認めたのは、視覚によってではなく聴覚によってだ。
『行くよ。絶招、打雷爆炸』
その大地を踏みしめる震脚の音は、凪ですら一度も聞いたことがないほど大きなもので。
踏み込んだ秋穂の身体を頑強な大地がそのままで支えきることもできず、足形に深く沈み込んでしまうほどで。
突き出す打撃の型は秋穂の一番やりやすい片腕を前に出した掌打。
防御を一切考えずただただ強打のみを追求した動きは、知らず当人の力みを誘発し発勁を阻害してしまう。
これを鍛錬にて捻じ伏せる。
右腿の、左わき腹の、右足親指の、左二の腕の、首後ろの、胸上部の、身体中様々な個所が振り絞ったありったけを、精緻絶妙な身体操作によりただ一点へと収束させる。
秋穂の意識としては、ありったけの力でラケットを振り回すといった感覚ではなく、コート隅ライン上をかすめるようにボールを打つような難しさのほうがより近い。
力を込めるではなく、身体が自然に持つ力を引き出してあげる。
全てを引き出しきることができれば、それは達成されるのだ。
「はっ!」
先の発声とは響き方からして違う。
兵士たちの群に対し物理的な障壁がそこにあるというのに、秋穂の声がそれらを突き抜け兵士全ての耳へと波のように広がり届いていく。
誰が、とは見えない兵士ですら思わなかった。
これは敵が出した声だ、そう中央、後方に位置する者にすら伝わる明確な敵意。或いは心優しき配慮か。これからすぐ死が波のように貴様らに襲い掛かるぞという警告の声だ。
秋穂の身体は視線のフェイントにより兵士たちの視界から外れ、槍の隙間へと踏み込んでいた。
後は簡単。槍に沿って走ればそこに辿り着く。
歩兵陣形のど真ん中。
大きすぎる予備動作、隙だらけの構え、それら全てを槍の群が覆い隠してくれた。
その最前列の兵士に向かって秋穂がやったのは、表面的に見ればそこへと踏み込み片腕を突き出し手の平で突く、見た目でいうのならばたったそれだけのことだ。
だがその一撃で、最前列の兵は即座に、瞬時に、身体の内より破裂した。
表皮はその破裂に耐えきったようで、血飛沫が飛び出したのはあくまで身体の穴からのみ。
だがそれは、決して秋穂の一撃が甘かったせいではない。
元よりこの兵士に及ぼされた影響なぞ、秋穂の発した衝撃波のほんの一部にしか過ぎない。通りすがりに砂を巻き上げたていどのことだ。
打ち込んだ一点より、放射状に波は広がる。
上より見下ろす視点を持てればよりはっきりとわかるだろう。
異常をきたした兵士は、その一点より広がっていったのだ。
ある者は最前列の兵と同じく、内側より弾けた。
ある者は真下に弾かれ地面に向かってひしゃげ潰れた。
ある者は不可思議な力に飛ばされ、空高くへと舞い上がった。
ある者は真横の仲間の兵に飛び掛かり十人近くを共になぎ倒しながら吹っ飛んでいった。
突如首がねじ切れ、真上へと飛んでいった者がいた。
突如手足が逆を向き、胴が千切れた者がいた。
身体を突き破り内臓が飛び出した者もいれば、肋骨のみが背中より突き出した者もいる。
衝撃波は触れた者を壊し進み、後方に行くにつれてよりわかりやすい破壊を彼らへともたらす。
特に最後列周辺の者たちは、皆が皆その場から真後ろに向かって大きく吹っ飛ばされてしまう。
飛ばされた兵士は皆あまりの衝撃に気を失い、ごろごろと転がる姿に人のそれは感じられず、まるで関節のない人形が転がっているようにも見える。
そう、密集が仇となったのだ。
隙間があれば、衝撃が途切れる、或いは緩和される余地もあったのだろうが、ぎっちりと詰まった兵士たちはその衝撃波を余すところなく受け止めきってしまっていた。
生き残りが多かったのは最前列だ。中央部の人間以外は、衝撃に引きずり倒されるていどで済んだ。
また衝撃の伝わり方にもムラがあったようで、無残極まりない死体がばたばたと転がる最中でも、痛い、で済んでいる者も幾人かは見受けられる。
「なに、コレ」
呆気に取られた声で、残る兵士たちを片付けながら呟く凪。
「魔術? じゃ、ないよね?」
同じく生き残りを始末しながらシーラが問う。
秋穂は無言のまま。
そして凪とシーラ以上に、驚愕の表情でこれを見守る敵兵士たち。
密集陣形の歩兵たちをただの一撃で蹴散らす魔術を単身にて易々と行うなぞ、それこそ神の領域のできごとだ。
そんなありえぬ奇跡を目の当たりにし、絶句と呆然をもって足を止めてしまっていた。
秋穂は、自らのこめかみを片手で押さえる。
生き残りの歩兵全てを殺した後で、凪が、そしてシーラが秋穂の表情を伺うように下から顔を覗き込む。
シーラが問うた。
「え? 痛いの?」
「うん」
「反撃でもくらった?」
「ううん。強く、打ち過ぎた。すっごい痛い。腕とれちゃいそー」
凪は秋穂の一撃で潰された兵士たちを眺める。
「そりゃまあ、こんだけやればねえ。腕折れた?」
「ううん。でも痛い。いー、たー、いー。もうコレ二度とやんないー」
「はいはい。んじゃ少し休んでなさい」
シーラは興味深げな様子だ。
「ねえねえ、これ、技だよね。魔術じゃないんならどうやったの?」
「発勁、前にちょっと説明したよね。アレをね、おばあちゃんが自分で出し切れる最大の一撃を打てるようになっとけって。おばあちゃん戦車を素手で倒したかったらしくて、かなり研究してたんだって」
凪が眉根を寄せる。
「戦車ぁ? 素手でどうにかなるものなの?」
「ううん。装甲車でやってみたけど、ひっくり返すのも無理だったって」
「……ああ、そう、試したんだ、その対戦車パンチ」
「もーっ、おばあちゃんこんなに痛くなるなんて言ってなかったー。ひどいよー」
「力が劇的に向上してんだからそのぐらい想像しときなさいって」
二人の会話の意味がわからないシーラが、秋穂の腕の裾を掴んで引っ張る。
「ねーねー、戦車ってあれでしょ? 秋穂のさっきのでも無理なの?」
微動だにしない、いやできなくなったウールブヘジン傭兵団の中から、一台の戦車が走り出てきた。
もちろん金属の塊である戦車ではなく、馬に御者台を引かせるタイプの戦車である。
「いや、おそれいったぞ! あの歩兵陣をただの一撃で吹っ飛ばすとはな! 大した魔術師だ! いや戦士か!? どっちでもいい! しかも三人! 三人というのが最高だ! なあそう思わんかお前たち!」
戦車の上に立つ大男が叫ぶ。いかつい、といった形容の似合う男にも見えるが、何処かに品の良さも感じさせる不思議な印象を持つ。
戦車の左右には徒歩の兵士が一人ずつ。とはいえ片方の女はともすれば戦車以上に目立つ。
身長二メートル五十以上。それだけでその全てを表せてしまうだろう。最初の大男すら普通以下に見えてしまう、とんでもない巨体の女である。
最後の一人は、前二人に比べれば全然まっとうな見た目であるが、彼が担いでいる得物が凄い。
歩兵たちが振り回している長柄の槍、これと同じ長さでありながらその先端部に金属の槌がついている。
良くみれば柄の部分も金属製で、純粋な重量もとんでもないことになっていよう。だがそれ以上に、そんな長く、重いものを振り回せるような男にはとても見えないのだが、そんな彼が肩に長槌を担いで歩く様に不安定な様子は見られない。それが何より不気味である。
大女は笑う。
「確かに。これなら揉めることもない。ぴったり三人なら余ることもない。いやぁ、こういう日もあるんですねぇ」
長槌の男はしかし不満気であった。
「なー、順番から言えば次俺だったんじゃねー? なー、これ、なーんかズルくねー?」
戦車の男はフロールリジ、大女はレスク、長槌の男はシャール。それぞれウールブヘジン傭兵団が擁する人外の戦力たちであった。
フロールリジは馬車から降りる前に、馬車に積んであった妙なものを取り出した。
柄のない槌。これに縄をつけてある。
馬車から降りたフロールリジは、縄部を両手に持ち、槌部をだらりと垂らす。腕に力を入れると、この槌部が回転を始めた。
これはいったいなんなのか、シーラには見当もつかない。いや、フロールリジの表情と気配から、これが武器だというのはわかった。だが、どう使うものなのかがわからない。
回転は速く、まるで縄を持つ右の手に円形の盾でもあるかのように見える。
『重りのついた紐? 投げて、引っ張って戻す?』
凪はこの武器を多少なりと見たことがあるような気はしていた。
ただ、これが強い武器なのかどうかは全くわからない。
『ぐるぐる回しながらあの槌部をぶつけるんだっけ? 縄斬ったらそれまでじゃないの?』
フロールリジは戸惑っている二人を見て満足気に語り始める。
「ふっ、見たことがないのも当然だ。これぞ俺と我が友との合作。その名も……」
秋穂が、驚きと喜びに満ちた声を上げた。
「嘘!? 流星錘だ! え? なんで! なんでこんなところに流星錘があるの!? え? 使えるのそれ!?」
凪とシーラがどんな武器であるのか知りたいと顔で言うと、秋穂は嬉々として語り出す。
「流星錘はね、あんな感じでぐるぐる回して敵にぶつけるんだよ。飛んでいく重りを手元の紐で調整しながら使うものだから、かなり訓練しないととてもじゃないけど使いこなせない。凄いよね、まさかこんな所で見られるとは思わなかったよ」
「え? いや違うぞ。この武器の名は……」
「かっこいいよね、流星錘って。投擲武器とはまた違った使い方、そうだね、中距離が強いかな。でもきちんと使いこなせば接近戦でも使えるし、一発の威力が大きいから不用意な踏み込みを防ぐのにも使える。きちんと当てれば鎧の上からだって倒せる武器なんだよー」
「だから名前は……」
「ねえ! そこの人! その武器使えるんだよね!? なら私とやろうよ! 私本職の流星錘使いとやったことないんだ!」
かなりむっとしたので本気の文句を口にしようとしたフロールリジだが、それを遮るように女の子二人が口を挟んでくる。
「ちょっと! また!? 秋穂エドガーもアンドレアスもやったじゃない! なのに今回も大将持ってくつもり!?」
「そーだよ! 一番おいしい首ばっか持ってってアキホずるいずるいずるい!」
「そんなこと言わないでよー。流星錘使いなんて向こうでだって滅多に見ないんだから、おーねーがーいー」
凪とシーラが一緒に口をへの字に曲げる。が、残った二人を改めて見ると機嫌を直した。
「ま、いっか。あのでっかいの、アレ大きいだけじゃなくて相当動けそうよね。あっち私もらうわ」
「あの長い槌、本当に使えるのかな。うん、試してみたいかも。使えるんならきっと面白い敵になる」
一瞥しただけでわかる。フロールリジだけでなく、巨漢女レスクも、長槌の男シャールも、フロールリジに劣らぬ優れた戦士であろうと。
強者を殺せば力が上がる。
だからこの異世界においては、一騎打ちには面目以上の意味がある。
ウールブヘジン傭兵団にしても、こうした手出し無用の一騎打ちはよくあることなのだろう。兵士たちが文句を言うことも戸惑う様子も見られない。
絶大なる信頼を寄せる最強戦士の戦いを、その目に焼き付けようと興奮した状態で身を乗り出している。
誰からともなく、三人と三人は距離を空ける。それぞれの戦場がお互い干渉しあわないような距離で、六人は対峙した。
「私秋穂、よろしくね流星錘使いさん」
「……一つ言わせろ。貴様、他人の武器に勝手に名前を付けるのはとんでもなく失礼なことだと覚えておけよ」
「ごめん、先に謝っとくわ。私貴女みたいな大きな人との対戦経験ないから、最初は動き鈍いと思うけど気にしないでね。すぐに慣れるから」
「なんだそりゃ。負けて死ぬ言い訳を先に言っておく馬鹿は初めて見たぞ」
「私、シーラ・ルキュレ。そっちは名前、言えないかな? まだウールブヘジン傭兵団の別動隊だって、隠してるつもりなんでしょ?」
「シーラ? ああ、お前がそうなのか。コイツはいい、当たりは俺が引いたってことだな。豪旋風のシャールだ。死人になら何言ったって構いやしないさ」




