038.接敵、開戦、さーころせー
ウールブヘジン傭兵団別動隊七百は、遂にリネスタードの城壁の見える場所まで辿り着いた。
勝てる、そう兵士たちは聞いている。内応者が街の中に多数潜んでおり、街の兵は百人にも満たぬという。城壁の威容は大したものだが、これなら七百の彼らでも十分蹂躙できよう。
だが兵士たちからは緊張が見てとれる。
彼らは各地を回り様々な戦いを経験してきた歴戦の兵士たちだ。中には村を襲うなんて経験のある者もいる。
だがそれでも、人口が万を超える規模の街全てを焼き払うなんて真似を、したことがある者など一人もいない。
賊上がりの者はそれすら余裕でこなせそうだが、ウールブヘジン傭兵団の古参団員はお行儀の良い兵が多く、どうしても兵士でない者を殺すことに抵抗を覚えてしまう。
それが故の緊張だ。
その辺りは指揮官級の者は皆理解してるが、それでも、それが命令であれば確実にこなしてくれると彼らは信じている。賊でなくとも命令に忠実な兵士であると。
七百の兵は街を包囲なんて動きはしない。
一塊になってリネスタードの西門側へと堂々と進軍していく。対魔物のために作られたこの城壁を、正面より攻略する自信があるのだろう。
西門へと続く道は、商人の馬車が通りやすいよう綺麗に整備されており、この通りやすい罠の仕掛けようもない道をウールブヘジン傭兵団は進んでいく。
その先頭が、まだまだリネスタード城壁までは距離があり飛び道具も届かない場所にいる、その三人を見つけた。
「い、いやぁ、軍隊なめてたわ。ね、ねえシーラ。これで七百なんでしょ? めっちゃくちゃ多く見えないコレ?」
「今更何言ってるかなぁ。んー、でも、確かに、いつもと見え方違うかも。なんていうか、妙に左右が寒々しいというか」
「そりゃ、私たち三人だけだしねぇ。ていうか凪ちゃんもシーラも、ぜんっぜん震えてるよーに見えないんだけど。私、膝が笑っちゃっててもうどーしよーもないよー」
とても驚いた顔で振り返る凪とシーラ。
「「え? 怖いの?」」
「そりゃ怖いよ! なんでそこで不思議がるかな!」
「ほら、秋穂っていつも飄々としてるし、別に七百ぐらいよゆー、って感じの顔付きしてない?」
「うんうん、わかる。ま、始まっちゃえば怖がってる余裕もなくなるから、今のうちにいっぱい震えておくといいよー」
「……二人を見て呆れる涼太君の気持ち、ちょっとだけ理解できたかも」
ここで凪が首をかしげる。
「ねえ、ねえ。これ、もう始めちゃっていいの? 私戦争ってのよくわかんないから、何か、こう、最初に一言言ったりしなくていいのかしら」
「あ、それ私も気になってた。ねえシーラ。その辺どうなの?」
「んー、いつもは指揮官のとつげきー、って声聞いて突っ込むだけだったから……」
三人の見たこともないような美女たちが軍の進行方向を遮る形で突っ立って騒いでいるのを見て、ウールブヘジン傭兵団先鋒小隊長はとても困惑していた。
が、すぐに彼なりの推測を立てると、数騎の騎馬兵を伴い彼が先行する。
殺気立った軍隊の前に美女ぶら下げるなぞ正気の沙汰ではないが、これほどの美女ならば足を止めるなり話を聞くなりするかもしれない、といった考えで寄越されたものであろうと。ならばこれは交渉の使者であろう。
「おい! 貴様ら何者だ!」
その類まれなる美貌にも、先鋒の小隊長が動じた様子はない。或いはこれから戦であるという緊張感も良い方に影響したのかもしれない。
出番だ、と両端から凪と秋穂がシーラをつつく。シーラは仕方ない、といった風で前に出た。
馬上が相手だ。シーラは相手の兵を見上げながら、とても楽し気に語った。
「こんにちは。ウールブヘジン傭兵団べつどーたいを、皆殺しに来たよ」
言葉の末尾と共に、シーラは剣を抜き飛び上がりながら振り上げる。
馬の首と兵士の胴が二つに裂かれ、それぞれ半ばからへし折れるように真横に崩れ落ちた。
その行為もそうだが、ウールブヘジン傭兵団別動隊であるとバレていることにも驚いた残る馬上の兵士たち。
「それ、せっかく教えてあげても全部殺しちゃ意味ないんじゃない?」
凪が騎馬の真横に回りこみ、兵士の脇腹を下から斬り裂く。
「開戦の合図ってそーいうもんじゃないかな。一応言っといたーってのが大事ってやつ」
秋穂もまた別の騎馬の真横から兵士の脇腹を斬る。そこにしか急所は届かないのだから防ぎやすくもあるはずなのだが、馬上で機敏に武具を振り回すのはそれだけで大変なことなのだろう。
シーラは馬の正面からぴょんと飛び跳ね、一飛びで馬の頭部と同じ高さにまで跳ぶと、片手で馬の頭の上を押さえつつ、残る手で持った剣で兵士の首を突き刺した。
「え? いや全部殺すし本隊には伝わらないから言ったんだけど。開戦の合図って言うんなら、こうやって殺してみせてるだけで十分じゃないかな」
小隊長含め全部で四騎。全てを斬り伏せた後で、シーラは残る兵士たちに向かって、ゆっくりと手招きをしてみせた。
凪と秋穂からは抗議の声が。
「えー、もーちょっとこう、かっこいい台詞とかないの? この道は通行止めだ他を当たれ、とか」
「他当たられたら困るよそれ。でも、一世一代の晴れ舞台って考えたら何か欲しいとも思うかな」
ぶすーっとした顔で振り向くシーラ。
「なー、んー、でー、私が文句言われてるかなー。もうっ、何か言いたいんなら二人が言えばいいでしょー」
「やだ、めんどい」
「やだ、恥ずかしい」
「もうっ、なら……」
そこで三人の会話が止まる。
三人を敵とみなしたウールブヘジン別動隊が雄叫びを挙げて突っ込んできたのだ。
これを見て、三人共が乙女が決してしてはならないような顔で、笑った。
凪はまだ血の滴る剣を肩に乗せ、一歩、二歩と歩を進める。
秋穂は手の内で剣をくるくると回しながら凪に並ぶ。
シーラはだらりと剣を下げたまま、首を左右に振って音を鳴らし、二人の横に。
殺意に満ちた兵士たちの突進は全て、この三人の乙女に向けられている。
なのに、三人は横一列に並び、平然と、いつもの散歩のように、こちらからも足を進め近寄っていく。
凪の笑みが深くなる。
「さあ、楽しい楽しい、戦いの時間よ」
相手はたったの三人のみだ。この状況では戦術も何もあったものではなかろう。
景気付けの血祭りとでも思った騎馬が数騎先行して突っ込んできた。
三人共が優れた技量を持つのは見てとれた。不意打ちとはいえ騎乗している戦士四人を苦も無く殺したという事実を、彼らは軽視していない。
それでも、勢いよく馬で駆けよれば、馬体で轢き殺してやれば、それだけで勝負がつくと考えたのも妥当であろう。馬の重量は人の数倍でこれが速度を付けて突っ込んでくればどう足掻いても防ぎようがない。
先頭の騎馬には秋穂が行った。
防げぬ、止められぬ、はずの馬の正面に立ち、足を前後に開いて腰を落とす。受け止める構え、兵士はそう見た。
「馬鹿めがっ!」
ゆっくりと息を吸う秋穂。
吸気十分。
「はっ!」
気合いの乗った、鋭い呼気を伴った、実に良い発声であるのだがこれを発する秋穂のそもそもの地声のせいか、凛々しさはあれど何処か愛らしさの残る声となった。
両手を開き前方へと突き出す。
掌打は馬の胸の辺りに。そこで、この世を支配する自然の法則が著しく乱れる。
馬と人とを乗せた大質量が高速で飛び込んだ、はずなのに、馬の巨体が大きく後方へと弾き飛ばされてしまったのだ。
胸部を下方より突き上げられる形であったため、馬の頭部が上、そして後ろに向かってゆっくりと逸らされていく。
馬はそれを吹っ飛ばされた空中でそうしていたのだ。それは当然馬の身体全体も伴う大きな動きで、馬は空中にて後方半回転という馬の骨格では絶対にありえぬ芸当をしてのける。
見えない壁に当たって弾かれた、ではない。それは最早なんとも比較しようのない、敢えて言うのであれば見上げんばかりの巨人が手にした攻城槌で馬ごと蹴散らした、とでもいった有様だ。
空中高くより落下した馬体に圧し潰され、騎乗していた兵は死んだ。
「次は私ね」
二騎目には凪が出る。
こちらもまた正面からであるが凪はとりたてて構えは取らず、さりとて足も止めず剣もかついだままだ。
先と同じく馬体にて圧し潰さんとする騎馬に対し、凪は衝突の寸前左方へと跳ぶ。この小刻みの足捌きが騎乗する兵士には見えず理解できず、まるで真横に凪が突然現れたかのように見えた。
「よいしょっ!」
凪の右脇を騎馬が抜けようとした時、凪は走る馬の前足、その膝上辺りを力任せに蹴り上げた。
こちらは秋穂の時とは逆だ。
足を取られた馬は前方へとつんのめる形になってしまう。
だがそのまま頭部が地面に、とはならない。凪は蹴り上げていたのだ。だから馬の身体は前方に倒れ込みながらも上へと跳んでもいる。
馬の頭頂を地面がこするが、そのまま馬は尻が上に、そして前にくる形で半回転。
騎乗していた兵士はやはり、大地に激突した馬の背に圧し潰され圧死した。
「もういっちょ!」
やたら雄々しい声で今度は左方を抜ける馬の足を蹴り上げる。
こちらも先と同様馬が尻から半回転。いや、蹴りの勢いが良すぎたのか更に回転してしまい、騎乗していた兵士は馬の後ろに落下してしまう。
「ああいう騎馬のいなし方は初めて見たよ。二人共、あんなの何処で覚えたんだろうね、ホント」
落下しうずくまる兵士の脇でそう呟いたシーラは、兵士の首に剣を刺した後、危険を察し手綱を引いて衝突を避けた残りの騎馬と、その後ろから突っ込んでくる歩兵に目を向ける。
「剣で来てくれるんだ、嬉しいね。やっぱり戦はこうでなくっちゃ」
ウールブヘジン傭兵団。その実力のほどが凪と秋穂に理解できたのは、歩兵が踏み込んできた正に今、この時であった。
『ん?』
最初の一人目からして、違和感があった。
凪の振るう切っ先が一人目の急所を切り裂いた後、返す刀でもう一人の男を狙った。
だが位置が悪く半歩の踏み込みを要した。
決定的だったのは四人目だ。
それは凪の剣が見えてのことではないようだったがそれでも、その男は凪の剣にほんの僅かでも反応したのだ。剣を振った後に、である。これまでこのタイミングで動けたのは凪が猛者と見なした者のみ。
『そっかコイツら、盗賊でもチンピラでもない、れっきとした兵士って言ってたわね』
その動きに一本筋が通って見えるのは、系統だった訓練を積み重ねている証であろう。
そしてチンピラ共と一番の違いだ。
「何をしている! 回り込み囲め! 同時に仕掛けろ!」
そう怒鳴ったのは少し後ろにいる男。この男の指示が聞こえると、兵士たちの動きが目に見えて変わった。
指示内容は、複数人で襲い掛かるのなら当然のものばかりであるのだが、その当たり前がなかなかできないもので。
仲間の兵士が何処でどう動いて次どう動こうとしているのか、そこまで見える者はそう多くはない。小隊長の役にある者はそうしやすいような場所に位置し、そうすることこそが己の役割であると任じているからこそ、本来よほど優れた兵士でもなければできぬことを行えているのだ。
『けーど残念っ! 貴方の想定じゃ私は抑えらんないわよ!』
凪は回り込まれるのを待っていたりしない。抑えの兵士が必死に防戦に徹したところで、凪の剣先をその目に捉えることができないのだから、闇雲に防ごうとしてもそう上手くいくものではない。
『そして、隊長っぽいのやれば……』
隊長へと迫る最後の障害である兵を、勢いつけて袈裟にぶった斬る。倒れていくこの死体を飛び越え、一息に隊長のもとへと跳躍しようと膝を落とす凪。
しかし、甲高い金属音が聞こえた。
「「あ」」
凪の踏み込みに驚き下がろうとした小隊長と、勢いよく斬りすぎて鎧の金属部に当ててしまい剣が半ばから折れてしまった凪とで、思わず同時に声が出た。
どしゃりという兵の倒れる音。予想外のことに動きを止めてしまう小隊長と凪。
「かっ! 囲め!」
「隊長を守れ!」
「剣が折れたぞ! 今だ!」
大慌てで直前に斬り倒した兵が握っていた剣を拾う凪に、声を掛けながら殺到する兵士たち。
兵士たちが一斉に襲い掛かってきたが、逆に人数が多すぎてお互いの動きを阻害する形に。咄嗟のことで連携が取れていない。
連携が取れずともこの好機、或いは危機に戦況を動かそうと兵士たちも考えたのだろう。
その隙を、動揺から即座に立ち直った凪につかれた。
これまで一人ずつしか斬る隙を見いだせなかったのだが、一挙動で二人を屠り、その動きに驚く兵をまた斬った。
すると、凪の視界が急に広がった。
立っているのは凪、そして秋穂とシーラ。残る敵兵は少し離れた場所で、じっと三人を見つめていた。
彼らの視線に込められた意思は、先発隊を皆殺しにした者たちへの恐怖ではなく憤怒。
だが怒りに惑わされず、彼らは指揮に従い隊伍を為す。
それは凪と秋穂が歴史の教科書で見た、重装歩兵による密集陣形に酷似したものであった。




