035.忍び寄る軍隊
リネスタード騒乱と呼ばれた殺戮劇が終わって一週間。遂にコンラードが皆の前に姿を現した。
涼太が毎日通い治癒術を施しつつ食事の管理や睡眠時間の指導を行なったのが良かったようだ。負った怪我の重さからは考えられぬほどに早いコンラードの復帰である。
街の人間たちはこれを驚きと歓喜で迎え入れた。コンラードが恨まれている可能性を考え、身体が回復するまではとその無事は皆に伏せられていたのだが、どうやらその必要はなかったようだ。
地主たちも、農民たちも、街の職人たちも、商人たちも、鉱山街の鉱山権利者たちですら、コンラードの復帰を喜んでいた。
そして彼らは一斉にコンラードのもとを訪れる。その無事を喜ぶと同時に、今回の騒ぎの真相を信頼できるコンラードの口から聞き、できればこの後の街の行く末をコンラードに保証してもらいたいと思っていたのだ。
また幾つかの利害調整も依頼される。
暴力装置のほぼ全てが失われ、今後揉め事は全て話し合いにて解決すべし、といった空気が街中に流れてはいたが、引くに引けない案件は何処も持っていてそういった者同士の間で揉め事になりそうな件を、穏便にまとめられる人物として最適であるとリネスタードの街の誰もが考えていたのだ。
法や理屈の部分はギュルディがほぼ完璧に整えることができるが、やはり感情的な部分はコンラードのような信頼のおける人物が必要となってくる。
実に幸いなことに、ギュルディもコンラードもその辺をよく理解しており、また両者とも己に足りない部分を他者に頼ることに抵抗のない人間であったので、話は極めて順調に進んだ。
涼太は、クソ忙しいらしいコンラードを他所に、同じく余裕のあるギュルディとのんびり会食中である。
「なあリョータ、気持ちは変わらんか?」
「気持ちも何も、俺はこの街に残るのが最善かどうか判断することすらできないんだから、まずは自分の目で外を見てないことには始まんないだろ。この街に腰を落ち着けるかどうかはその後の話だ」
「お前らが他の街に行ったらまず間違いなく揉めるぞ。他所で手配書出されても、それがよっぽどデカイ事件じゃなきゃウチで匿ってやれるが、さすがに盗賊砦潰すよーな派手な真似されたら私にもどーにもできん。悪いことは言わん、ウチできちんと立場作ってからにしろ」
「心配すんな。行く街はできるだけ、アンタの敵になりそうな街にしとくからさ」
「そいつはありがとよ! ……覚えとけよリョータ。シーラが、サシでやっても勝てるかどうかわからんって奴がこの国には何人かいる。あまりなめてかかるんじゃないぞ」
「こっちは三人と一匹だぞ、なめるも手加減もやってる余裕なんかねえよ。なあギュルディ、無理に引き止めないでもこの街にはもう俺たち必要ないだろ。それとも外からちょっかい出されるような心当たりあるのか?」
こっち基準では柔らかい、涼太基準ではフランスパンかよ的硬さのパンを、ギュルディは手で千切る。
「領主代行のすぐ傍に隣街ボロースの紐付きがいる。ボロースとの取引がウチに不利な条件なのはそいつのせいだ。今、その紐付きの権限を奪ってる最中だが、コイツをボロースが黙って見ているとも思えん。あそこの領主はウチにいる出来損ないなんかじゃない本物の貴族だ。手強いぞ」
「なるほど、じゃあ次はそこ行くとするかね」
「手強いって言ったろーが人の話聞けお前っ。ああ、それともう一つ。商業組合全体で大規模傭兵団を雇うって話が出てる。間違ってもそことは揉めてくれるなよ」
「募兵、やっぱ上手くいってないのか」
「まあな。商業組合がまたデカイ武力を持つのはどうかと思うんだが、件の傭兵団を他所にもっていかれるのも面白くない」
「有名なところなのか?」
「隣国から来たばかりだ。活動拠点を辺境近くにもってくるつもりらしいから、ボロースとの取引の可能性もある。……かなり早い段階で傭兵団の動きを知れたからな。ボロースはまだ動いてもいないだろうさ」
隣国から来た三百の傭兵団、ウールブヘジンは以前の任務でランドスカープ辺境付近の領主に恩義があり、隣国での仕事が終わったのでそちらに腰を落ち着けるつもりらしい。
リネスタードは衛士の募兵が済んでしまえば武力的にはそれほど不足はなくなるので、それまでの繋ぎとしての戦力を欲していた。
この際の報酬を弾めば、もしボロースと揉めることがあったとして、その依頼が彼らに来たとしてもリネスタードときちんと天秤にかけてくれるだろう、とギュルディは考えていた。
予言なんて攻めるための動機を、この時点で見抜ける奴なぞいようはずもない。動機がないのであれば疑う理由も激減しよう。リネスタードには傭兵団が最も欲しがるものであろう金で、他所の街と競えるだけの地力があるのだから。
不知火凪はその日単身でリネスタードの街を歩いていた。
秋穂とシーラを加えた三人でいつもつるんでいる凪だが、一人でいる時間が欲しいと思う時もある。
ギュルディが当座の金を結構な額用意してくれたので、凪はかなり贅沢な買い物をすることができる。
が、今の凪が欲しい物はこの街にはない。口に合うおいしい食べ物、肌触りの良い衣服と下着、あったかいお風呂。
普通の女子高生にはどれ一つとして我慢できないものであろうが、凪はといえば無いなら無いで仕方がない、で済ませてしまう。
「食べたいものがないと、面倒くさくなって食事するの忘れちゃうのがねぇ」
栄養補給は何より大事だ。それができるのであれば味には目をつむれる凪である。大した苦労もなくそうできるのは、元々食事にはそれほど興味がないせいであろう。
消化できて栄養になればなんでもいいわよ、と涼太に言ったら凄い顔をされた。秋穂も同じ感覚であると知った時の涼太の絶望顔はかなり愉快なものであった。
だが、そんな味気ない異世界食生活であっても、多少の例外はあるもので。
店先に置いてある身の丈ほどもある麻袋いっぱいにつまったりんごは、リネスタードで食べた幾つかのものの中でほぼ唯一、おいしいからともっと食べたくなる食べ物であった。
よく採れるのか大量に店先に並んでおり、中でも特に良いものを店主に聞いてから、ほんの少し割高の金額を渡して買うのである。
「ありがと」
店主に凪がそう言うと、店主はとても強張った顔で頑張って微笑もうとしていた。
リネスタードの街では何処でもこうだ。当然である。凪は街中様々な場所で、それはもう斬って斬って斬りまくっていたのだから、目撃者も相当な数にのぼる。
そして目撃者が青ざめた、或いは土気色の顔で、凪の脅威を皆に喧伝したのだから、もう街中で凪を見てビビらない人間は絶無と言ってよかろう。
間違っても話し掛けてくる者はいないし、必要があって声を掛ければ相手も機嫌を損ねないよう全力で対応してくれるので、環境としては悪くはないと思っていた。
後ろからの音に気付いた凪は、上体はそのままにそっと片足を後ろに曲げる。
ここ最近、音に敏感になっている。
そちらを見ずとも、音だけを聞いていれば見えないその場所がどうなっているのか、想像ができるようになっていた。
規則的に刻まれていた軽快な足音が、突如その規則を狂わせ大きな足音を立てた、つまりつまずいたのであろうと予測する。そのうえで足音の軽さと何より聞こえた声の位置が低かったことから、子供が転びかけているのだと見たわけだ。
凪が曲げた足に勢いよくもたれかかる子供。咄嗟に掴むところがあればそれに掴まるのは異世界云々関係ない人間共通の動きであろう。
「大丈夫?」
曲げた足を見下ろしながらそう声を掛ける。振り向いて手を伸ばさず足を出すあたりに、凪の他者に対して雑な性格が表れているようで。
子供はきょろきょろと周囲を見た後、凪の足を見て驚きの声を上げる。
「え、すっげぇ。ねーちゃんこれ、俺が転んだの見てから足伸ばしたのか?」
見ないでそうしたのだが、説明するのが面倒なので肯定する。
「そんなところよ」
「おいすっげぇな! 今の見たかよ!」
凪の言葉に被せるように、他の子供たちも一斉に凪の傍に駆けより騒ぎ出した。
「見た見た! 俺ばっちり見た! このねーちゃん後ろも見ないでこうさっ! 足をくいって曲げたらそこに吸い込まれるみたいにすっ転んでったぜ!」
「かっけー、すっげーかっけーよ今の! え? わかってないでやったの?」
騒ぎ出す子供たちを他所に、凪は足にもたれかかる形になっている子供を、足をくいっと更に曲げることで起き上がらせる。
ここでも手を使わない辺り実に雑であるが、ここまでの間ずっと片足で立ち子供一人を支え続けていたのだから、店主などは驚いた顔を隠せずにいた。
「どうせ前も見ないで走ってたんでしょ。気を付けなさい、人にぶつかったら危ないからね」
「うん! わかったよ! 後ねーちゃんすっげー綺麗なのな! 俺こんな美人見たことねえよ! 街には最近来たのか!?」
凪の話を聞いているんだか聞いていないんだか、子供たちは子供らしい自由さで自分の思い付いた知りたいことを羅列していき、凪はやはり雑ではあれど聞かれたことには一応全て答えてやった。
ここは通りで人が多いから向こうで遊んでらっしゃい、と送り出すと子供たちは元気よく返事をして走り去っていった。
果物を売っている男が、ちょっと嬉しそうな顔で言う。
「子供、好きなのか?」
声を掛けられたことに多少驚いたが、凪は子供たちを相手にしていた時ずっとそうであったように、微笑みながら答える。
「まあね。あんなに可愛いんだから、誰だって好きになるわよ」
「違ぇねえ」
普段の男ならばもっと話を広げるのだろうが、やはり怖くもあるのだろう。凪が身を翻すに合わせて言葉を止めた。
だが、凪が去った後で仲間たちには、あの金色の剣鬼は案外話せる良い奴らしいぞ、と話してやろうと心に決めていた。子供を好きな奴に悪い奴はいない、と彼は信じているのである。
凪は宿に戻る。
凪が出る前は秋穂の部屋に秋穂とシーラがいたのでそちらに行くと、ベッドの上で、秋穂とシーラが二人並んで寝そべっていた。
寝転がったままで二人は色々話をしているのだが、もう話というか寝言というか、うつらうつらとした様子で二人共何を言っているのかよくわからない。
「……昼間っから何してんのよアンタたちは」
日はまだ高く、ベッドで寝るような時間ではない。
「昼寝だよー」
「おーひーるーねっ」
「昼寝が必要なほど動いてないでしょうに」
買ってきたりんごを一個ずつ秋穂とシーラに投げる。
「ほら、それ食べたら外で昨日の続きやるわよ」
「えー」
「えー」
「嫌なの?」
「寝たい」
「眠いっ」
以前から凪が思っていたことだが、秋穂とシーラは、口調とかもそうだが、その雰囲気全般が非常に似通っているように思える。
それは当人たちにも自覚のあることらしい。
秋穂が眠そうな声で言った。
「なんかねー、シーラと話してるとー、落ち着くんだよねー、もうだれーって感じで」
「うん、それー。もうなーんにもしなくていいかーってー、思えてー、おーやーすーみー」
わがままな猫が二匹、シーツにくるまってもごもごした後、万全の姿勢でガチ眠りに入る。
この二人に凪が加わると途端に賑やかになるのだが、この二人だけで放っておくとこうなるらしい。
あっという間に寝入ってしまった二人の寝顔を覗き込んだ後、凪は起こすのを諦め鍛錬は自分だけでやることにした。
「びっくりするぐらい安らかな寝顔してるわ」
秋穂の寝顔は何度も見たが、今日のが一番安らか度は高い。
相性なのかしらねえ、と呟きながら凪は部屋を出た。
この日の夜、なんか眠れないんだけどー、とか当たり前のことを抜かす二人に付き合わされて夜更かしするハメになった凪は、きっと怒っていいだろう。
リネスタードの街には対軍に用いられるような立派な城壁があるとはいえ、常備軍は百程度。街の官憲ていどにしか兵士を必要としない土地柄であり、徴兵も間に合わぬ速度での進軍が可能であるのなら、千もの兵がいれば攻略は赤子の手を捻るようなものだ。
いや、よしんば徴兵が間に合ったとしても、軍務に慣れているとは到底思えぬ雑兵の群であり、事前に兵を街中に潜ませることすら可能である状況をみるに、これで負けたらそれこそ傭兵廃業ものである。
「唯一の懸念は、コイツが予言者から出た作戦だってことか」
森の中を進みながら、細身長身の男、シャールは呟いた。
ウールブヘジン傭兵団の別動隊七百を率いるシャールは、リネスタード近隣の森林地帯より国境を越えた。
道なき道を行く厳しい行軍であるが、この森に詳しい十人の案内人を使い、どうにか予定通りの行程を消化できている。
シャールの傍で、その副官の役目をしている優男が問い返す。
「それ自体が懸念になるのですか?」
「予言だから念を押したのか、ヤバイ敵がいるって予言だから念を押したのか、待遇が良すぎて逆にどっちか判断つかねえんだよ」
この副官の男は軍を指揮するという一点において、シャールはもちろんウールブヘジン傭兵団団長フロールリジをすら超える力量を持つ。
それがわかっている団長もシャールも、この男には伝えるべき情報は全て伝えている。
「辺境最強の戦士がいるとか。それがよほどの難敵であるということでしょうか」
「事前調査からはそれしか出てこなかった。後は妙に盗賊が幅を利かせてるってぐらいか。……予言ってな厄介だよな。結果だけわかって途中経過が一切わからねえんだから」
「結果だけとはいえ未来がわかるというだけで、十分凄まじいものだと思いますけどね」
「ははっ、それもそうか。後は俺たちのようなふつーの人間でも、知恵を絞って工夫すりゃどうにかなるって話だしな」
優男は少し聞きづらそうにしながら問う。
「で、辺境最強はどなたが?」
「お前……それ聞くか? 聞いちゃうか?」
「どう動くべきかに影響しますから、申し訳ありませんが……」
「あー、わかったわかったよ。早い者勝ちだ、が。前回はレスクに、その前はフロールリジ様にもってかれてる。俺もそろそろおいしい敵が欲しいんだよ」
「なるほど。で、それを言い渋るということは、早い者勝ちの条件の内に私の支援は受けないこと、というのでもありますかな」
「くっそ、そうだよその通りだよ。聞いてさえいなきゃ自然と俺に回してたろお前」
「そりゃ、まあ同部隊ですし。ですがそういうお話でしたら機会は公平になるよう差配させていただきますが」
「くそー、くそー、くそー、お前には血も涙もねーのかー」
「ありますよ、失礼な。……辺境最強の名、決して見くびっていいものではないと思いますが」
「そうかぁ? ランドスカープの有名所ってかなりの頻度で入れ替わってるし、歴戦なんて奴ぁほとんど見ないぜ。しかもこれまでにやった何人かも全員剣ばっかだ。対剣戦法学んでる俺たちの敵じゃねえと思うがね」
「ウチと違って国中で争っているからこそ、あちらこちらで修羅場を潜り抜けた戦士が生まれているんですよ。それを、ランドスカープの中央は恐らく把握しきれていません。つまり何処にどんな強者が紛れ込んでいるのかわからないのですから、油断は禁物でしょう」
ぶすーっとした顔でそっぽを向くシャール。
「わかってっけどさぁ……」
「最高の技量を発揮したいのなら、油断と慢心は最大の敵ですよ」
「はいはい、わかったよ、わーかーりーまーしーたっ。そんだけ強い奴だってんなら、こっちだって望むところだっての」
そんな話をしていると、斥候に出していた兵が深刻な表情で戻ってきた。
曰く、奇妙な砦を見たらしい。
人の気配もあり、放逐されたものではない。何故こんな森の奥深くに、といった疑問は当然斥候も持ったが納得のいく理由を見つけることはできなかった。
何より不気味なのは、案内人もこの砦を知らなかったということだ。
「ハズレ案内人つかまされたか?」
「まさか。そんな真似をすればどうなるか、手配を依頼したのはそれがよくわかっている連中ですよ」
「やるか?」
「……いえ、盗賊砦と同じ対応でいきましょう。敵の斥候が出ればこれを潰す。ここまで来て雑は抜きにしましょう。丁寧にすり抜けるのが上策かと」
「斥候隊の悲鳴が今から聞こえてきそうだよ。これだけの軍勢を、森の中見つからんよう誘導するってな並大抵じゃないんだぜ」
「これが終わったら十分労ってやらないとですね。大丈夫、ウチの連中ならどうにかしてくれますよ」
彼らは森を進む。
リネスタードの街までは、後一週間のところまで来ていた。




