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誰だ、こいつら喚んだ馬鹿は  作者: 赤木一広(和)
第三章 ウールブヘジン
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032.涼太が涼太である理由


 涼太、凪、秋穂の三人が迷い込んだここは、まごう事無き異世界である。

 だがその世界は人知の及ばぬ次元すら異なるほどの異世界ではなく、人が居て自然があって大気も大地も三人が生息するに相応しい環境である程度にしか異ならない世界であった。

 である以上、異世界であっても涼太たち三人の知る法則が当てはまることもある。

 曰く、世界は不条理と理不尽に満ちている。





「フロールリジ様!」


 大きな天幕の中に向かって男が怒鳴ると、天幕から大男がのそりと姿を現した。


「おう、どうした」

「兵、揃いやした! 俺たちで百、残り九百でぴったり千でさ」

「きちんと兵士だろうな?」

「もちろん。使えねえクソは全部弾いてあります。まあ賊も混ざってますが、戦えるんなら文句はねえっすよね?」

「おうよ。んじゃ、食い物のこともあるしさっさと出るとするか」


 フロールリジと呼ばれた大男が出立を命じると、周りにあった天幕から次々と兵士が飛び出してくる。

 彼らは手際よく天幕を片付け、荷運び用の馬車に載せる。

 フロールリジが命じてから準備が終わるまで一時間もかかっていない。千人の兵士がものの一時間で出立の準備を整えたのだ。

 騎馬が百。残り九百は歩兵。

 全員が鎧を身に着け、槍を手にしている。

 ウールブヘジン。これが彼らの名前だ。傭兵団ウールブヘジンは、とても傭兵団とは思えぬほどに金回りがよい。

 それは装備品にも表れていて、特に騎馬の百人は魔術加工により隙間を丁寧に埋められた高価な皮鎧を用いており、彼らの持つ槍もまた強固で高価な代物だ。

 そもそも千人もの兵員を運用できる傭兵団など、通常では考えられぬものだ。

 彼らは今、ランドスカープ辺境部に向かって進軍を開始した。

 何故今なのか、何故ランドスカープ辺境部なのか、何故千人もの兵で進むのか、全てに明快な理由がある。

 これら全てウールブヘジンにとって必要な選択であり、資金提供者の要望に沿った形で行われる軍事行動である。

 そこに、少なくともウールブヘジン側にとっての不条理も理不尽も無い。


 だがもちろん、これの襲撃を受ける側である、傭兵団ウールブヘジンの存在すら知らぬランドスカープ国辺境部、リネスタードの街にとっては、到底納得できるものではない、不条理かつ理不尽極まりない出来事であろうて。






「てっきり滅茶苦茶忙しくしてると思ったんだが」


 ギュルディ・リードホルムと対面して座りながら呑気に昼食をとっているのは楠木涼太だ。

 凪と秋穂の二人は、シーラと共に訓練をすると言って街を出ており、今宿の部屋で食事をとっているのはこの二人のみである。


「元より私が作業を抱える気はないからな。調整さえ済ませてしまえばどうにでもできるような人員は揃えているさ」


 ギュルディの言葉に感心しきりの涼太だ。


「さらっと言ってるけどそれ言うほど簡単なことでもないだろ。大抵は自分でやっちゃいたくなるもんじゃないか?」

「キリがないだろう。まあお前の言うこともわからんでもないが、そこは正しく割り切らんとな」


 まじまじとギュルディを見つめる涼太。


「俺、今ようやくわかった。ギュルディって本気で仕事できる奴だったんだな。なあ、ならさ、なんだってお前の工場あんなに汚いんだ?」

「ん? 話の繋がりが見えん。私の仕事の出来と工場の汚さに関係があるのか? というか視察は定期的に行っているが、問題にするほど汚くはなかろう」


 ギュルディの反応を見て涼太は、ああやっぱりと納得する。


「俺が教わったってか学んだ中にな、工場の生産性を上げたかったら掃除をきちんとさせろ、ってのがあったんだよ。うん、わかった、そっかやっぱりそうか。なあギュルディお前さ、工場で製品が出来上がる速さを上げようとしてないだろ」


 涼太の言葉の意味がわからず、首をかしげるギュルディ。


「ん? ん? ん? 工場の規模は順次大きくしていくつもりだぞ」

「違う違う。作業員一人一人の生産性を上げようとしてないって話。俺、お前の工場も調べたけどな、それぞれ綿から糸を作る作業とか糸を編む作業だとかやってるけど、人によって倍以上速さ違ってるぞあれ」

「倍? そこまで違うものか……いや待て。それはつまり、手を抜いている者がいるということか?」

「できあがった総量でしか出来不出来を判断してないんだから、そりゃ下に合わせることになるだろ。それを繰り返してりゃ、たくさん作れる奴はいざとなったら頼られるってわかってんだから、楽したきゃ手を抜いてたくさん作れるってこと隠すだろ」


 口元を押さえるギュルディ。


「管理のしやすさを優先してないで、作業員一人一人の作業量を把握しそのうえで賃金に反映しろという話か? だが、そこまで手間をかけたとして、かけた分できあがってくる量が増えるかどうかは難しいと思うぞ」


 作業員と管理者とをはっきりと分けすぎだ、とか、行き届いた清掃は整理整頓に繋がりそれこそが作業効率を上げる最も重要な要素だ、とか、工程毎にもっと細かく作業を分けるべきだ、とか、熟練工の価値と育成などといった話を二人はとりとめもなく続ける。

 これはギュルディがといった話ではなく、この国ではほとんど教育らしい教育もされていない作業員を、手間暇かけて育てあげるといった発想がないのだろう。

 作業員の仕事に対する誠意や意欲というものに全く期待していないことがギュルディとの会話でわかった。


『ギュルディは、熟練工じゃなくて熟練管理者に比重を置いているのが何ていうか面白いところだよな』


 そして熟練管理者として教育するかどうかは、文字を書けるかどうかが基準であると。

 また涼太の意見である作業員をより深く教育すべし、というものに対しギュルディは口では否定的意見を並べながらも、どうよくないのかを丁寧に涼太に列挙しているのは、そこに良い点も見出しているからだろう。

 儲け話を前にした商人らしい貪欲さで、ギュルディは涼太に質問を重ねていた。


『懐かしいな、俺も似たようなこと父さんに聞いたわ。……まあギュルディはあの頃の俺の百倍賢いが』




 楠木涼太が普通の小学生から少しずつ外れ始めたのは、不知火凪と同じ小学五年生のことであった。

 涼太の父は自動車部品工場の工場長をしていた。

 従業員五十人を抱え、大手自動車メーカーの二次下請けという結構な規模の工場を運営していたのだが、これがとんでもなく忙しかった。

 一次下請けは二次、三次、四次下請けから上がってくる部品を精査しまとめ、保証をつけてメーカーに供与する仕事があるので、涼太の父の工場は部品製造という意味ではメーカー直下と言っていい立ち位置にあった。

 大手メーカーは大手であるが故に小回りが利かない部分がある。それを補うような仕事を、涼太の父の工場はよく請け負っていた。

 柔軟な対応力、応用に耐えうる技術力、メーカーとの信頼関係、いずれも高い水準を維持していたのだが、そうあるために涼太の父とその従業員はとんでもなくキツイ仕事をこなす毎日であった。

 そんな工場に涼太が出入りするようになったのは小学三年生の頃で。

 あまりに忙しなく走り回る従業員たちを見た涼太は、大変そうなみんなのために何かできないかと考え、彼らにお茶を入れてあげたのだ。

 それが、涼太と工場との最初の付き合いであった。

 お茶入れにお菓子が加わり、食事時の配膳を行うようになり、工場の掃除をするようにまでなった。

 工場長である涼太の父も従業員たちも遊び盛りの涼太にこれを頼むことを申し訳ないと思いながらも、この手の雑務をこなしてくれるのは本当にありがたかったので、彼らは涼太がそうするととても嬉しそうに感謝を述べる。

 凄い仕事をしている大人たちが、本気で感謝をしてくれるのだ。それが何にも増して誇らしく、涼太は工場でのお手伝いに没頭していく。

 特に掃除がありがたがられた。

 掃除をすると、それが毎日のことでも、大人たちは必ず毎日涼太を褒めてくれた。

 勉強して試験で良い点を取った時よりも、ずっと大人たちは嬉しそうに涼太を褒めてくれるのだ。だから涼太は三年生、四年生の間ずっと、工場での手伝いをし続けられた。

 細かい話をするのであれば、これは本来アウト事案だ。だが、忙しすぎる業務からか、涼太のお手伝いは大人たちにも見過ごされていた。

 二年間工場にいれば、色んなことがある。

 注文の手違いにより昼夜フルに機械を回さないと納期に間に合わなくなった時があった。

 エアコンの故障にエアコンメーカーの夏季休業が重なって工場中がサウナみたいになった時もあった。

 新たに雇った従業員が騒ぎを起こして殴り合いになったこともある。

 そして、事故で人死にが出た時も涼太はこの工場にいた。

 事故の後、父は結構な期間工場には出てこず別のところで仕事をしていた。涼太は、それでも黙々と掃除をしていた。

 そして、二年間の掃除の結果。


「おーい涼太、洗浄機のバルブ何処だっけか」

「バルブったって山ほどあるでしょうに。まあ多分西倉庫の三番の棚の右から二番目のやつだと思うけど」

「りょーたー、ドリルの針くれー」

「川田さんの機械のでいいんだよね? はいはい、今持ってきますよー」

「涼太涼太、メーカーさん来たわ。お茶菓子ある?」

「菓子棚に五人分ぐらいはあったはず。それ以上いるんなら外で話したほうがいいよ」


 掃除とはつまり、整理整頓でもある。

 事務用品の管理から倉庫の整理までを手伝ってきた結果、仕事している大人と同じレベルでこれらを把握できるようになってしまっていた。

 工場長である涼太の父は、息子が仕事場に手伝いに来てくれるという状況は、実はめちゃくちゃ嬉しかったのであまり文句は言わず。

 涼太の母は最初のうちこそ否定的であったが、工場で大人に混じって一生懸命やっている涼太の姿を見て、これはこれで良い教育か、と理解を示した。

 それでも五年生になるまでは、当たり前だが子供に機械を触らせるなんて真似はしていなかったのだ。

 だがその日は、従業員の病欠と納期が重なり、涼太がこれまで見たこともないほどに切羽詰まった状況になってしまっていた。

 疲労が重なり判断力が落ちてきた大人が、一生懸命に主張する涼太の言葉を聞いて、越えてはならない一線を越えてしまったのだ。

 重い鉄の塊を機械の中に乗せ、扉を閉めて機械を動かし、終了の合図と共に扉を開いて中から削れた鉄塊を取り出し、再び別の鉄塊を機械に置く。

 ただただそれを繰り返すだけなのに、どうしてこんなにも難しいのか。


『見てるのとやるのとじゃエライ違いだぞこれ。つーかっ! 重さがじわじわ効いてくる!』


 三時間ぶっ通しで続け、一休みした後でまた三時間。

 終わった時にはもう、声も出せないほどに疲れ果てていた。

 よたよたとした足取りで水道に行き、手を洗う。

 手は油だらけで、石鹸で強くこすらなければ油は取れない。


「あ、血だ」


 石鹸でこすったせいではない。

 鉄屑で指の平が切れていたのだが、傷口に油が入って出血していなかったのだ。

 だから油を洗い流せば血が出てくる。

 その時、唐突に実感した。


『ああ、俺もみんなと同じ仕事やってるんだな』


 お手伝いじゃない、大人たちと同じ本番の仕事を、遂に涼太もできるようになったのだ。

 疲れたし、みんなが機械を動かすよりずっと遅かったことに落ち込んでもいる。だが、同時に、とても誇らしくもあったのだ。




 五年生、六年生と二年間、涼太は工場で働き続けた。

 最高責任者である涼太の父も含む従業員たちは、マズイことをしているのでは、とも思っていたが人の移動の少ない工場ならではの身内感覚で、ウヤムヤのうちに現状を受け入れてしまっていた。

 そして、転機が来た。

 涼太の父の工場が、なんと大手メーカーに丸ごと買い取られることになったのだ。

 その理由も驚くべきことに、優秀な技術者たちを確保しようという理由の他に、涼太の父を優れた工場経営者と見込んでこれを引き抜くことも目的であったのだ。

 涼太の父は、仲間たちにそれまでの工場を任せ、単身工場次長として大手メーカー直営工場に入ることとなった。

 いや、単身ではなかった。


「父さん、俺も行っていいよな? てーか本気で父さんだけなのか? 工場から誰か連れていけないの?」

「従業員数二百人超えの工場だぞ、一人二人連れてったところで大して変わらん。それならゼロからやるって腹くくったほうが良さそうなんでな。お前も良い機会だし、中学校からは普通に学校で部活動なり遊ぶなりしたほうがいいんじゃないのか?」

「……正直に言うけどさ。俺、あんまアイツらと話合わねえ。今更、学校終わった後で習い事だの部活動だの、金にならないことする気になんねえしさ」

「うーむ、もしかして俺ぁお前の教育間違えたか?」

「そーれを当人の前で言うなっ」


 涼太とその父と。

 たった二人で一流自動車メーカーの直営工場に乗り込み三年間、苦闘と苦難とほんの少しの称賛とを味わい、そして、涼太の父は涼太が中学を卒業する頃、工場次長から別の工場の工場長へと出世した。

 一方涼太は、コンプライアンスが厳しくなってきたこともあり、高校入学に合わせ工場勤務を引退した。

 中学入学時点で職歴二年であるからして、働きっぷりで高校生のフリを通せてきた涼太だが、本気で調べられたら当たり前にバレるだろう。

 大人に混じっていっぱしの仕事をこなし、父の工場経営を手伝い続けてきた楠木涼太が、高校生らしからぬ大人びた態度をとるのは、こうした経歴を考えれば至極当然のことである。

 自分の息子とはいえ未成年にこんな真似をさせてきた涼太の父は、優秀ではあれどやはり問題のある人物でもあったのだろう。

 だがこれもまた凪の時同様、涼太にヒドイことをされているという自覚は無かったし、父と共に必死になって働いてきた時間を、涼太は掛け替えのない大切な時間であったと思うのだ。




「いやぁ、まさか異世界来てまで工場見るハメになるとは思ってもみなかったよなぁ」


 涼太と一緒になって工場視察を行うギュルディは、随分と嬉しそうに見えるが、という言葉を飲み込んだ。

 余計なことを言ってへそを曲げられたらかなわない。

 ギュルディから見て涼太の工場の知識は、確実にギュルディに利益をもたらしてくれるものだと思えたのだから。


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[気になる点] この小説ではリョータは戦わないポジなのですか
[良い点] 約束された苦労人ポジ リョータ [気になる点] 傭兵団とリネスタード、果たしてどっちが理不尽なのだろうか・・・ [一言] 工作機械の油ってなかなか取れないから 粉の石鹸でやるんだけどアレ肌…
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