027.シーラの好きな事と嫌いな事
シーラ・ルキュレにとって、たとえ同じ物質であっても剣で触れることと手で触れることは全くの別物である。
そういう意味では、手と、剣を持った手とで、シーラにとっての触覚器官は分かれている、とも言えるかもしれない。
刃ならば手で触れ得ぬ肌の内までを知ることができる。肉を、骨を、剣先にて感じることができるのだ。
壊してはならないものには触れられない、一度触れたら二度と同じものには触れられなくなる、といった制限はあれど、この他の人間にはない触覚器官により、シーラの人生はより豊かなものになったとシーラは信じている。
「んなっ!? あ、あんなあっさりやられるのか!? アイツの剣の腕は……」
やかましい声が聞こえるが、耳に入れる価値のない情報なので聞き流す。
それよりも、久しぶりに感じる剣先から伝わってくる筋張った肉の感触だ。
細い糸を無数によりあわせたような肉。この細い糸感を感じられるのは、徹底的に鍛えた戦士を斬った時のみ。
我知らずシーラの口の端が上がる。
『むっふっふ~、こっち来て正解だったね。コレならきっと、私はまた強くなれる』
シーラの剣がデニスの護衛を捉える。
護衛が受けに構えた剣は、シーラの剣が触れた瞬間、護衛が思いもよらぬ方向に大きく弾かれてしまった。
前から来た剣を受け止めたら、その剣がシーラに向かって強く引っ張られたのだ。護衛にも何が起こったのか全くわからない。
そうして崩れた護衛をシーラは易々と斬り裂く。これもまた奇妙な動きだ。
剣が護衛の身体に触れた瞬間、剣速が明らかに低下した。したように見えた。だが剣は止まらず、濡れた板の上を滑らせるように、ぬるっとした動きで護衛の身体の内へと吸い込まれていくのだ。
動きを阻害しない革の鎧を身に着けていた護衛であったが、鎧が効果を発揮した様子は一切ない。強固な獣皮も、鍛えた肉体も、骨格ですら、ぬるりと滑り、斬り裂かれた。
最後に残った護衛が怒鳴った。
「デニス様! 窓から外へ飛んでください! 早くっ!」
そう言って護衛がデニスの身体を窓に向かって押し付ける。だがデニスは窓から下を見てその高さに怯え喚く。
「ばっ! 馬鹿を言うな! こんな高いところから飛べるかっ!」
この期に及んで何を寝ぼけたことを、と考えた護衛であったが、眼前に迫るシーラを見て少し考えを改めた。
『ああ、やはり無駄か。たとえ窓から飛んでいたとしても、コレから逃れるなぞありえぬ話であったわ』
デニスにできたことは窓の外に向かって大声で喚くことだけである。
「誰か! 誰かいないか! 敵だぞ! 早くたすけ……」
その言葉が終わる前に、デニスの首が窓の外へと飛んでいった。
この食事処の一階にはデニスの部下が数人集まっていた。彼らは店の外に出て窓を見上げ、そしてソレが落下してくるのを見る。
恐怖に慄くデニスの顔が、降ってきた顔にはそのまま刻まれていた。
「で、デニスさんがやられちまった! おい! おめえら人集めろ! デニスさんを殺った奴ぶっ殺すぞ!」
その怒声を、窓からにょきりと顔を出したシーラが聞いてにんまりと笑う。
「うんうん、いいよいいよー。こっちから行くの面倒だし。そうやって集まってくれたほうが助かるよー」
それがシーラ・ルキュレであるとわかっていながら、階下のチンピラは顔を出したシーラに向かって怒鳴る。
「てめえそこ動くんじゃねえぞ! 今すぐぶっ殺してやっからな!」
彼はシーラが数多積み上げてきた戦績を聞き知っている。だが、その戦績をこなすのに必要な能力が、どれほどのものなのか全く想像すらできていない。
だから彼の考える凄い強いをぶつければどうにかなると思っているのだ。彼に、いやさチンピラたちに、シーラという戦力がどれだけのシロモノで対応するのにどれだけの戦力が必要かなんて判断、下せるはずもないのだ。
ましてや今は、彼らに大暴れご免状が出されている最中なのだから。
デニスが集めていたチンピラたちは、デニスの指示で各所に散っていたのだがこれが続々と集まってくる。
別所で暴れていた三チームほどがほぼ同時に店の前に辿り着くと、シーラは頃合いと見たか窓から外へと飛び降りた。
人にあらざる者。
それは彼女の武勇ではなく、その美しさからそう呼ばれているのだろう。
チンピラたちが目にしたのは、その怜悧な横顔、後ろになびく髪、空を舞う肢体、それだけだ。
だが、シーラの美貌はこれを見る者に更なる別世界を供する。
想像力の欠片もない、教養もへったくれもないチンピラたちが、跳ねるシーラの背後に眩しき輝きを、舞い散る花を、豪奢な赤絨毯を幻視する。
大地に落着する際、音もなく爪先からそっと触れるように地に着くその驚くべき体術にも、この美貌の主ならばありうる、とその美しさのみで不自然をすら許容させる。
そしてチンピラたちを見て、とても嬉しそうに微笑めばもう彼らはシーラの虜となる。
だが彼らには、価値あるものを恐れ敬う心がない。
元よりその美しい容貌をリネスタードの街で知らぬ者はいなかった。当人無警戒に街をふらついていたが、チンピラたちは決して触れてはならない、と上の者から厳命されていたのでその美しさに見惚れるぐらいしかできなかった。
だが、今は。
「うおおおおおおおおおお!! アレは俺のもんだあああああああ!」
一人の叫び。それは全員の意思を代弁したものでもあった。
その暴虐に晒せば彼女の持つ天上の美が失われるかもしれぬ。そんなことは思いも寄らない。今感じる情動が彼らの全てだ。
チンピラたちは一斉に、シーラに向かって殺到した。
彼らを見てシーラは二度大きく頷き言った。
「たい、へん、けっこー」
用心棒の三人以外、良い肉の持ち主はいなかった。
落胆はあったがそんなものだとも思っていたので、シーラは気を取り直して次の標的へと。
シーラの傍にもギュルディの手配した男がいて、街の状況を逐一説明できるような態勢を整えていた。
男から街の状況を聞いたシーラは、思いつきによる独断で次の襲撃場所を決する。この決定に報告をした男も異存はない。好きにやらせるよう言われていたこともそうだが、シーラが定めた場所は、そここそが次なる標的に最も相応しいと男も考えていた場所だったからだ。
現在、デニスを中心に集まったブランドストレーム家のチンピラたちはその半ば以上がシーラ一人に殺されてしまっている。
到着が遅れている残りの連中は、この場に転がる無数の死体を見ればこれ以上の暴挙には出るまい。
ならば次は別の指揮系統だ。
戦力を温存し、最後の勝者たらんとしている集団を打ち砕く。
剣についた血と油をぬぐってこれを鞘に納め、シーラはその場所、ブランドストレーム本家の屋敷へと向かう。
リネスタードの街ができた当時からその屋敷の場所は変わらぬまま。
この街で最も古い一族でもあるブランドストレーム家は、当初は水車を作る職人であったそうな。
水車作成の技術は用水路の作成などにも活かされ、これにより街でのブランドストレーム家の発言権は増していき、遂には街の水利全てを牛耳るように。
この利権を守るために腕っぷしの強い連中を集めたことが、ブランドストレーム家が現在の形になった切欠である。
今では水利権の全ては領主に持っていかれてしまったが、古くからの地縁は強固なものでリネスタードに他所からの暴力装置が参入することを長く防ぎ続けてきた。
そういった組織であるため、外部よりの新参参入者である商業組合とはすこぶる相性が悪い。
商業組合自体もリネスタードに根を下ろしてもう十年以上経っているが、ブランドストレーム家が積み上げた年月から考えればそのていどの年月では新参のレッテルは外してやれないということらしい。
古くから戦い続けてきた一族であり、その本拠地である屋敷も長く戦いの歴史を積み重ねている。
無駄に豪勢な正門や屋敷全てを覆う石壁なんてものは、リネスタード全体を見渡してもこの屋敷にしかないものである。
「あいっかわらず、悪趣味だよねココ」
シーラは鉄の檻のような大きな正門扉を見上げる。
檻の鉄棒は様々な人の姿をしている。その全てが、ここらで知られている有名な人の殺し方を表している。この扉を見るだけでも、この屋敷がどういったものなのか誰にでもすぐにわかろう。
正門の奥では、幾人もの男たちがぎゃんぎゃんと喚いている。そして正門の外側では、門に描いてあるような様々な殺し方ではなく、全て一律に斬り殺された死体が転がっている。
門には閂がかけられているが、シーラは手にした剣を縦に一振り。人に対するものとは比べ物にならない雑な振り方だ。
剣というよりこん棒を振り下ろし叩き付けたような一撃は、鉄檻の門を歪みへこませ、閂を真ん中からくの字にへし折る。
その衝撃の凄まじさは、鉄製の正門がシーラの一撃に負け、その全体が真ん中に寄るように歪んでしまうほどであった。
そんな雑な振り方にもかかわらず、シーラが手にした剣は刃こぼれ一つない。
これぞ辺境で最も多くの血を吸ったと言われる辺境の悪夢シーラ・ルキュレの持つ魔剣である。銘はない。持ち主はあくまで便利な道具ていどにしか考えていないせいだが、辺境で最も有名な魔剣であろう。
一般には畏怖と敬意を込め、シーラの魔剣と呼ばれている。
「さーて、なーにがくるかなくるかなっ?」
歴史のある家だからこそ、シーラが思いも寄らぬ化け物を飼っているではないか、といった期待を胸に、歪みひしゃげた正門を蹴り開ける。
基本的にチンピラという存在は己の分というものを弁えぬもので。
こうしてシーラが面目を潰す形で乗り込んでやれば、勢い込んで突っ込んでくるものなのだが、シーラが屋敷の馬鹿っぴろい庭を歩き進んでいる間も、特に邪魔が入ることはなかった。
シーラが罠の存在を気にし始めた頃、ようやく障害が姿を現した。
相手はたった一人だけ。一人だけでシーラを迎え撃つとばかりに立っている。
ブランドストレーム本家の庭にてコレをやるには、ブランドストレーム家で絶大な信頼を勝ち得ていなければならない。
相手が辺境の悪夢であろうと、潰れたブランドストレーム家の面目を立てられるだろう、そう信じられている人物。
そんな人間、たった一人しかない。
「……コンラード?」
腕を組み、屋敷へと至る道のど真ん中に仁王立ちしているのは、ギュルディとの共闘を受け入れたはずのコンラードであった。
シーラはコンラードと、三足の間合いから少し離れた場所で足を止める。
じっとコンラードの顔を見る。
シーラはこの顔を何度も見たことがある。死を覚悟し、受け入れた男の顔だ。そのうえで、決して引かぬと己に断じた男の顔だ。
少なくともシーラの中ではコンラードは味方であると思っていた。
そのコンラードがこんな顔でここに居る。理由の詳細を聞いたところできっと意味はないのだろう。コンラードの皺の寄った険しい表情がそう言っていた。
それでも、一度だけシーラは問う。
「私の前に立つ意味、わかってやってる?」
コンラードは険しい表情を崩さぬまま、きちんとシーラにも伝わるよう言葉を選んだ。
「俺は、ブランドストレーム家のコンラードだ」
シーラの顔がほんの少し、悲しげに歪んだ。
「そっか」
「ああ」
ブランドストレーム家の敵がいるのなら、他の誰でもないコンラードがその前に立つ。それがコンラードのあり方だ。コンラードの通すべき筋というものであった。
侠の世界に生きるコンラードのあり方を、ギュルディは完全に見誤ったのである。
そのツケはシーラが払うことになる。
「私、キミみたいな人、あんまり嫌いになれないんだよね」
「……すまんな」
最後の一言は、きっとギュルディにも伝えてくれという意味なのだろう。
うん、と頷いたシーラは、ゆっくりと剣を構える。コンラードもまた剣を抜き、そして、シーラが動いた。
ブランドストレーム家のコンラード。
かつての抗争ではたった一人で敵地に乗り込み敵の頭の首を取った男。
全身から流れ出す血を厭う様すら見せず、首一つを手に下げリネスタードの正門をくぐったコンラードの雄姿は、当時のリネスタード住民のほとんどが目撃している。
ブランドストレーム家の生ける伝説とまで言われたこの男であったが、真の伝説の前にはあまりに無力。
左右に一瞬ブレたシーラの剣先にコンラードは対応しきれず、真正面から対峙しているというのに、シーラの剣はコンラードの胸を袈裟に斬り裂いたのだ。
その苦痛にほんの一瞬シーラの姿を見失うが、全身を走る悪寒に従い後ろを振り向く。
「へえ、すぐにわかったんだ。やるね」
シーラはコンラードの横を通り抜けその背後に回り込んでいる。お互い背中同士を向け合った体勢だ。
脇の下からシーラの剣が真後ろへと伸びる。
コンラードにこれを回避する猶予なんてものはない。胴を貫き、これで完全にコンラードの動きが止まる。
ゆっくりとシーラが剣を抜くと、膝から崩れ落ちるようにコンラードは倒れた。
屋敷から悲鳴とも怒号ともつかぬ叫び声が幾つも上がった。
シーラはそちらを睨む。
いかにもチンピラらしい虚勢と蛮勇に満ちた怒鳴り声が聞こえてきて、屋敷から多数の男たちが飛び出してきた。
男たちの顔をシーラはじっと見る。
怒っている顔は、ただ激情のままに怒っているといった顔で、そこに悲しみの色は見えなかった。
また別の怒っている顔は、怒っているというよりは不満げな顔で、やはり悲しんでる顔には見えない。
笑っている顔もあった。今こそ好機、そんな勢い込んだ顔で、これがシーラには最も不快な顔である。
ごく少数、顔に悲哀が見てとれたが、そいつらにしたところでコンラードが単身シーラの前に立ったことの意味を理解しているとはとても思えない。
こんな下らない連中のためにコンラードほどの男が命を張ったという事実が、シーラにはこの上なく不愉快でならない。
「コンラードのつもりもしたいこともわかるけど、まあ諦めてよ。私、ここでコイツら全部殺すから」
そもそも矛盾していたのだ。
コンラードが望む世界があったとしたら、そこには間違いなくこのチンピラ共の住む場所なぞありはしないのだから。
さりとて己の立場を捨てるほど無責任にもなれず、生き方を変えるほど器用にもなれない。コンラードはその矛盾を抱えて生きていくしかなかった。
シーラは決めた。
多少なりと無理をすることになっても、今回はとことんまでやってやろうと。
ギュルディが立ち回りに失敗したらこの街にはいられなくなるかもしれない。それでも、ブランドストレーム家も、商業組合も、鉱山街のチンピラ共も、シーラが全力で潰せるだけ潰してやろうと。
そのぐらい、シーラは頭に来ていたのだ。




