269.その後の皆さま(前編)
ハーニンゲにて、そこは新たな観光地となりそうな勢いであった。
千狼の丘、と新たに呼ばれるようになったその地には、それこそ千近くもの狼の遺体が転がっている。
現場を目撃した狩人によれば、これらはたった一人の剣士によって作り上げられたものらしい。
本来であれば獣の遺体なんてものが転がっていれば、それは他の獣の餌となって終わりのはずなのだが、この地に放置されていた狼の死体はただの一つも獣の餌食になることはなかった。
それどころか、獣はこの地に一切近寄ろうとはしないのだ。
その地の狩人曰く。
「獣は正直だし、素直だ。ヤバイって感じたなら絶対にそんな場所には近づかねえんだよ。ああ、そうだろうよ。俺だって事情を知らなきゃこんなおっそろしい場所近寄れるもんかよ」
千もの狼の群を、皆殺しにする何かがいるのだ、この地には。
それとわかっている獣がこの地に近寄るわけがなかろう。
だが狩人たちは違う。
これを成したのが人間であること、人の英雄であることを彼らは知っているのだ。
「金色のナギだ! 色々噂は聞こえてくるが、どの噂よりもすげぇ伝説さ! たった一人で! ハーニンゲの地を守るため! 千匹もの狼と真っ向勝負した最強の戦士さ!」
なるほど、伝説というのも無理はない、というほどに現実味のない話を聞かされるのである、この地では。
それが金色のナギの為したことである、と言われなければ絶対に誰も信じないだろう武勇伝は、しかしかの黒髪のアキホの相棒でもある金色のナギならば、と人々はこれを嘘と断ぜずにいるのだ。
どうだすげぇだろ、と我が事のように胸を張る狩人の言葉を、オージン王はもう聞き取れはしなかった。
「馬鹿、な……」
ただただそこに転がる無数の躯の成れの果て、白骨化したそれらを前に、呆然と立ち尽くすのみであった。
ハーニンゲの領都にて、大商人ハッセ・ロセアンの屋敷に招かれた老剣士ヴィクトルは、最近はもう道場経営を完全に孫に任せてしまえるようになり、思う存分好き放題に生きることができるようになっていた。
そんなわけで、ヴィクトルはハッセの屋敷の料理人と共に新たな料理を開発する、なんていう趣味にも力を入れている。
料理長はしみじみと呟く。
「あの、金髪の娘がねえ。えらい美人だったのは覚えてるが」
ヴィクトルは卵と砂糖とやわらかいパンを混ぜた新しい料理に目を細めながら答える。
「アキホの相棒だという話だしのう。しかし、狼が千匹なあ、あのアキホの嬢ちゃんならやりかねん……いや、やっぱり無理じゃろ」
「ヴィクトル老は狼退治、したことあるって言ってましたよね」
「十匹でもエライ大変じゃぞ、アレ。千匹なんてもう想像もつかん世界じゃ。ただ、まあ、アキホの相棒の話じゃからな、信じるじゃろ、みんな」
「アキホ、やっばかったからなぁ、アイツ。言っちゃなんだけど、アイツの名前平然と口に出せるのなんて俺とヴィクトル老に、ハッセの旦那ぐらいでしょ。他はもう誰も彼も名前を呼ぶのすら怖がっちまってますよ」
「ワシだって怖いわい。……気分の悪い奴じゃあないんじゃがなあ。もう二度とワシには声かけてくれんじゃろうけどな」
「…………」
息子の仇と言われればそうなんだろうが、それ以上に秋穂に声をかけてもらえないことの方をこそ問題視しているように見えるヴィクトル老に、料理長はこの微妙な問題に関して踏み込むのは止めることにしたのである。
スヴァルトアールブはソレへの監視をオージン王に任せたことをひどく後悔していた。
ソレこと魔核スルトを、これを理解し研究できるのは人のみである、と言われて反論に窮したことがオージン王に託した理由である。
スラーインというスヴァルトアールブの有力者による推薦も大きくこれに影響している。
だが、そのスラーインが死に、責任を取れる者が誰もいなくなった状況でオージン王がやらかした。
事もあろうに魔核であるスルトを、他国ランドスカープに向かって誘導するなんて真似をしてくれたのだ。
当然スヴァルトアールブも、スルトが他の魔核を吸収しかねない危険性は把握している。
だが今、スヴァルトアールブとオージン王のアーサ国との間で緊密な連携は取れず、しかもスルトはオージン王の魔獣軍が通った跡、何人もいなくなった荒れ野を通って移動していた。
これはオージン王が優れた知恵でスヴァルトアールブを騙したという話ではない。
かつてエルフの森を若い女エルフが抜け出した時のように、信頼を裏切ったが故の一度きりの暴挙である。
至急追撃隊を編成し、何としてでもスルトを止めねばならない。事と次第によってはエルフに救援を頼むことすらありうる、とまで覚悟を決め、スヴァルトアールブが出立の準備を整えていたところに朗報が届く。
「す、スルトが打ち倒されました!」
その朗報を、同族であるスヴァルトアールブが三度伝えにくるまで、誰一人これを信じようとはしなかった。
だが流石に三人目の報告を受ければ、調査してみようかという気にはなる。この報せの最も信じられぬところは、あの魔核スルトを、人間がたった二人で倒したというところなのだから。
それがスラーインをも討ち取った勇者の中の勇者であると聞かされても、やはり信じることはできなかった。
このための調査の際、スヴァルトアールブはアーサを通さず直接ランドスカープとの交渉に乗り出している。
スラーインのありえぬ失策に加え今回の件だ。もうエルフがどうこう言っていられる段階ではない。
もちろんエルフにも連絡だけはしており、恥を承知でスヴァルトアールブの失策含む状況の説明を行なっている。
そこまでやってようやく、真偽を確認できたのだ。
「……我らはこれよりヒトに対する認識を改める必要がある。異論はないな?」
そう漏らしたスヴァルトアールブの長老に、誰一人文句をつけるものはいなかった。
カテガット砦でのランドスカープ対アーサの戦は、その規模の大きさから広く国内で語り継がれるようになっていた。
もちろん、完勝に近い形であったランドスカープの側からすれば、これを語る国民たちも皆誇らしげに、嬉しそうに語るもので。
かねてからその武勲を謳われていたシェル将軍、オーヴェ将軍に加え、新たな英雄としてヴェイセル大将とその麾下のベッティル将軍、フレードリク将軍、そして剣術大好きランドスカープ人のツボである剣士隊を率いるエーギル将軍などはよく酒場などで語られるようになった。
剣士隊には鬼哭血戦十番勝負の戦士、ユルキとクスターの二人が参加していることもあり、何かと話題に上ることも多い。
そんな中で、異彩を放つのが黒髪のアキホと金色のナギだ。
投石機で打ち出されて敵陣を跳び越え本陣に突っ込んで敵将を討ち取った。という一文を、初めて聞いた誰しもがどう受け取ったものか判断に迷うのである。
ただ、この二人の逸話に関してはもうこういうものが多すぎるのと、それぞれに絶対に見た、と言い切る目撃者がいるのとで、コイツらはそういう連中なんだと皆がわかるようになってきていた。
後にヴェイセル大将率いる王国軍として、五人の将軍は新たに編成されるこれらに主力として配備されることになる。
一部、徹底的にゴネた将軍もいたが、その将軍の主である領主の説得を受け入れ、栄達の極みであるこの五将軍の地位に、とても渋い顔をして就任したのである。
カテガット砦を含む領地は、一時王家が預かるという形で話は落ち着いた。
この地の領主が、事もあろうに黒髪のアキホと金色のナギ一行に無礼討ちを仕掛け返り討ちにあった後、すぐ傍で大規模会戦が行なわれているというのにかの一族が相続で大揉めしていたことが、最早この一族に統治能力は無し、と判断され領地を取り上げられた理由である。
歴史ある貴族から領地を取り上げるという行為は、他貴族たちからの評判がすこぶる悪化するものであり、ギュルディ王も可能であれば避けたい事態であったのだろうが、統治能力が絶望的に低い一族に国境を任せるなんて真似も恐ろしすぎてできず、やむなく接収した、というのが実情である。
新王になってから、似たような形で領地や利権を失う貴族が幾人か出ており、彼らは新王の基準の厳しさに不満を漏らしたものだが、新王ギュルディとしてはもうこれでもかという勢いで基準を緩くしているつもりであった。この結果も当然のものであろう。
新王ギュルディはこの領地の査定の際、直前にこの地で裁判に関わった三人の人物に領地の様子を聞いていた。
彼らは口をそろえて言ったそうな。
「「「無理です」」」
元の領主一族に任せる手は何かないものか、という王の問いに対し、三人共がまずこう答えたのである。
可能かもしれない手は幾つも思いついた三人であったが、いざそれを実行したとして、その後もかの地が円滑に運営されていくか、と問われれば成果をとても保証できるものではない、と三人共が考えたのであった。
聖地シェレフテオは、王より送られた兵たちを迎え入れるに際し、宿で遇する余裕なんてないから全員野宿で食事も自分で用意してくれ、と現在国内最強権力者である王に向かってするとは到底思えない要求をして、しかもそれが通ってしまっていた。
しかも王側からの配慮として、兵たちの指揮官は特に信仰心が強いと言われている者を配しており、外から見ている者には、教会は王の弱みでも握っているのかと勘繰られるほどであった。
そして聖地に辿り着いた兵士たちに、聖地の管理者たちは何を言うかと思えば、その指揮官の信仰心の篤さを利用して聖地の守備任務の全てを任せてしまう。
では元よりいた聖地の兵士たちが何をするかといえば、どうにもならないぐらいに減少してしまった職員の補充である。
先の大騒動において、あまりにも多くの兵が殺されてしまったため、職員に兵士をやらせるなんて真似をせざるをえないほどに追い詰められていたのだが、兵士の補充(管理者視点では)がきたのでこれ幸いと職員に戻したともいう。
恐るべき災禍に見舞われた聖地シェレフテオであったし、黒髪のアキホ、金色のナギに対する恨みは海よりも深いものがあるが、それよりも重要な、大切なもののために、彼らは必死に聖地の立て直しをはかっていた。
『千年後に、胸を張って聖者様をお迎えできるように』
管理者一族、そして影から聖地を守るカマルクの血族の結束は固い。
統治者一族が統一された意思のもと、己が身をすら投げ打って働いているのだ。下の者もこれに倣い、懸命に働こうというものだ。
その復興への意思は、それこそ聖都シムリスハムンのそれよりもずっと強固なもので。
教会組織全体としては大きな混乱の最中にあるものの、この聖地シェレフテオだけは、断固たる決意と共に復興を進めているのだ。
そんな彼らが、恨み骨髄の凪と秋穂に街の滅亡を救ってもらったなどと知ったらどのような顔をするだろうか。
事が魔核に関する極めて魔術的な話題であるため、相応の地位にいる者以外はこのスルト打倒の話を聞くことはないのだろうが。
教会組織は、二つに分裂しようとしていた。
結局のところ、地方組織がどれだけ圧力をかけようが、聖都シムリスハムンは独自の集金手法を確立しており、これを運用するだけで聖都での教会の主要活動を賄うことが出来てしまうのだ。
故に、地方なぞ知るか、とつっぱねられれば地方は聖都の政治に介入することはできない。
それはお互いにとって損にしかならない事態であるため、これまでそのような愚かなことは起こらなかったのだが、権力の綱引きはそんな馬鹿な真似をすら許容するものだ。
そして当初国は地方組織の側にこそ肩入れすべき、という流れがあった。
そもそもからして教会が滅びかけたのは、愚かな教会本部のやらかしのせいだとの認識であり、それを地方組織が非難するというのは正しきあり方に思えたものだ。
だが、ギュルディ王は物事を判断するに確実な情報を求める。そう出来るだけの権力を持っているギュルディ王は、十分な情報を集めた上で判断すべきとしたのだ。
その結果、教会本部で馬鹿をやらかしそうな連中の一番上が皆死んでおり、今残っているのは、教会でも清廉な人物が多い。何より一番上に立つリキャルド師の人柄は教会の人間のみならず万人に信頼される素晴らしきものだ。
ギュルディ王が最も評価している部分は微妙に違うのだが。
「リキャルド師は、あれだけ組織回す頭があった上でああなのが一番凄いところなんだよ」
ある種の王のような存在である、とギュルディは見做している。
教会王国をとりまとめるに相応しい器の持ち主であると。
そしてこれに対する地方教会側がヒドすぎた。商人としてならギュルディも使ってやってもいい、と思えるのだが、商人としての則を簡単に超えてしまうだろう馬鹿を使ってやるほどギュルディも人間が出来てはいない。
「あれで連中、かなりの教育受けてるから使えるんなら使いたいんだがなぁ」
そんな彼らの受けた教育は、聖都シムリスハムンの抱える業務の一つである。
今後もそういった優れた人員を生み出してくれるだろう教会本部と、たとえ分裂したところでそういった部分に気が回るとは到底思えない地方教会組とで、どちらに投資する気になるかという話だ。
ちなみに、リキャルド師が抱えていた大きく重すぎる問題、神の正体実はエルフだった問題は、結局シェレフテオのとった策を踏襲することに。
つまり、エルフのイングを教会として最上級の聖者として遇し、神ユグドラシルとは別として扱う、という形だ。
真の神を神として認めぬなぞと、という点でひたすら苦悩していたリキャルド師であるが、その神であるイングの事情を聞き、魔核の仕組みを知り、最悪の状況、つまりエルフの身体が集まる信仰に耐えかねて神が破裂死する、なんていう地獄のような未来予想図を聞かされ、今の形に落ち着くこととなった。
聖都シムリスハムンは国の援助を受けることとなり、分裂騒動はどうにか回避できたのだが、聖都と地方の対立、という図式はこれより先長く残り続けることとなる。
面白い話だが、この場合の地方とは王都圏の中の範囲のことであり、本当の地方であるところのリネスタード周辺やボロースはまた別の勢力圏になる。
こちらはそもそも教会の勢力が著しく減衰しており、これらの騒動には一切かかわらぬままであった。
聖地シェレフテオより聖都シムリスハムンへと出向し、新たな総大主教のお気に入りとなったハンス神父は周囲の者が自身を羨む姿を見て『だったらお前ら代わってくれよ』と思ってしまうぐらいには、自分が置かれた立場の難しさを理解している。
そしてつい先日も総大主教の命により、遥々リネスタードにまで出向いてきたばかりだ。
エルフのイングたちとの別れ際、彼女たちがリネスタードに向かいたいと思っている、なんて情報をハンス神父はうっかり聞いてしまっていたのだ。
そして神への対応を如何にするかについて、総大主教はイングの不興を買うのはどういったやり方なのかを聞いてきて欲しい、とハンス神父に頼んだのだ。
『わかる、わかりますとも、そうしたくなる気持ちは。ですが、ですがっ、この上リネスタードまでの遠出をしろと。地方教会との対立を避けつつ資金源を確保しつつ聖都内の足場固めを進めつつ教会内の資金の流れの精査をしろって命令に加えて、あんな遠くにまで行ってこいとっ!』
やたらめったら数字に強く、派閥や利権とも距離があり、最も深刻な秘密を共有しており、教会の維持には総大主教の存在が絶対的に不可欠だと心の底から理解できている人員である。
本部の中にも何処に地方教会派が紛れているかわからない状況下において、これほど使い勝手の良い部下はおるまい。
なのでついつい色々頼んでしまう総大主教の気持ちも、ハンス神父には理解できるのだ。そして今回の件はもう、他の誰にも頼めるものではない。大神ユグドラシルと面識があって交渉が可能な人間なんてもの、そこらに居てたまるかという話だ。
なのでそこら中に借りを作り、恩着せがましく色々言われながらも遠出の間の仕事を任せ、リネスタードに行き、見事任務を果たしたのである。
その任務の返事が「あー、うん、ま、今の私の名前を神様として出さないんなら好きにしてくれていいよー」であったことはさておき。
そして更にもう一つ超重要な話をさらっと言われたことも。
「魔核の話なんだけどさー、あれと一緒で実は私……」
人間の信仰が集まりすぎるとエルフの身体がもつかどうかわからないので、名を変え集まる力を外に逸らす術を施した、なんていう新たな門外不出の秘話を総大主教リキャルド師に伝えたのは、このハンス神父であった。
とはいえこの話がきっかけでリキャルド師の苦悩に決着がついたのだから、これはこれでよろしかったのであろう。
ボロースという名は、今では旧ボロース領の領都であった一都市のみのものとなった。
かの地でまとめ役を担っている旧ボロース領主フレイズマルの三男レギンは、今ではもう政治にはほとんどかかわってはいない。
商取引や各地の利権の調整役なんてものもこなしていたが、これらも完全に放置。今はもう、ただの鍛冶屋のおっさんと成り果ててしまった。
せめても鍛冶屋組合のボスぐらいはやってくれているのだが、基本的に鍛冶以外の仕事は引き受けてくれなくなってしまった。
代わりにこの地で辣腕を振るっているのは、元ギュルディの情報分析官をやっていた男だ。
長くフレイズマルの一族が支配していた地域であるのだが、この一族で生き残った者が完全に統治を放棄してしまったため、彼の統治を受け入れるしか手がない、という環境でもあった。
それで曲りなりにも武力蜂起などの起こらぬ統治を行なえているのだから、彼の手腕は正に辣腕と呼んでよかろう。
その旧支配地域も、都市毎に濃淡の差はあれ、リネスタードのやり方、つまりギュルディのやり方に皆が染まりつつある。
傭兵団を解散し、都市ドルトレヒトの衛兵への再就職が成った元ラーゲルレーブ傭兵団団長アッカは、昨今の目まぐるしく変わる環境に、驚きつつも順当に慣れていっていた。
傭兵団時代からの副長を前に、しみじみと彼は呟く。
「傭兵ってのは他と比べてもエライ大変な仕事だと思ってたが、街を治めるってのも随分と大変な仕事みたいだな」
「新しい道具を急いで受け入れないと発展に乗り遅れる、なんていう事態は、それこそオーヴェ将軍が突然敵に出てきたってぐらいに珍しいことだと思いますがね」
「あの人もまあ、随分とエラくなっちまったなあ」
「あの方の攻撃を防いだというのが金看板になるぐらいですからね。まあ、アキホとナギの二人には負けますが」
「最近になってようやくだよ、アイツらの話を他の連中が信じてくれるようになったのも」
「他所から伝え聞く話を聞けば、彼らが信じられないというのも理解は出来ますがね。何ですか、投石機で飛んだって」
「一体今は何処で何してるんだか」
「そりゃ、敵を斬ってるんじゃないですか」
「…………そうだな」
凪と秋穂が大暴れの話は、ここソルナの街にも伝わっている。
この街の裁判長をしている男は、昨日、遂に一族の当主を押し付けられることになってしまっていた。
先々代は秋穂に家族諸共殺されている。そして先代はこのソルナの街の利権を守るため、全力で抵抗の姿勢を見せようとしていたところをリネスタードによる侵略時に難癖付けられ殺されてしまった。
その後、統治者の変更やら何やらのごたごたが続き、リネスタードよりの経済的侵略行為なんてものもあり、当主不在のままの状態が続いていたのだが、それではこの危急の時に対応しきれないとようやく一族が理解し、裁判長にそれを押し付けようと大決定したのである。当人の意思を無視して。
「……いっそ、コイツら全員放逐してやろうか」
そんな裁判長らしくもない愚痴が出てしまうような状況であった。
というか本当にこういう馬鹿共を片っ端から放逐しないと、リネスタード、というか今ではもうランドスカープそのものとなったギュルディ勢力からの要求に応えられそうにない。
進取の気概を持つ者でもなくば、この動乱の時代を乗り越えることはできない。そして、裁判長は自身を法の専門家であると任じているからこそ、到底これらに対応できるものではないとわかっていた。
ふと、今ではもうチンピラどころではない、最早稀代の英傑なんて扱いを受けている凪に対した時のことを思い出した。
『あの時の恐怖に比べれば、この年での統治者、商人への転身も、恐れるものではない、な』
何せ裁判長は不知火凪の裁判を担当し、その裁判の進行次第ではアレに処されるはずであったのだから。
目の前で、まるで小動物を捻り潰すように甥っこを殺した凪の姿は、今でも夢に見るほどだ。
それにこのソルナの街は、今では王都で偉大なる大将軍となったヴェイセルが目をかけてくれているのだ。
「どの道、誰もやってくれはせんのだ。私がやるしかないのだろうよ」
もちろん裁判長の仕事も誰もやってくれはしない(任せられる人間がいないの意)ので、彼はどちらもをこなさなければならないのである。
エルフの森はボロースとの取引は停止したが、ボロースを占領したリネスタードとの取引をするようになり、ボロースが意図的に値を吊り上げ出荷を絞っていた鉱物を以前より多く仕入れられるようになっていた。
これに老いたエルフは反発したものだが、スヴァルトアールブに対し特に思うところのない若いエルフなどは喜んでこれらを受け入れ研究を始めている。
地下は危険だ。なので危ないところは人間がやってくれてエルフは鉱物を受け取るだけなのだから文句なぞある訳がない。
またイングとスキールニルが人間のところに行ったまま戻ってこないことに関しては、どうせまたイングの気紛れだろう、で済んでいる。
ただそうやって呑気な真似をしていられない事件もある。
スヴァルトアールブからの連絡だ。ランドスカープに対しやらかしてしまった件を報告し、故にランドスカープとの直接交渉に出る、と伝えてきている。
古いエルフたちはそれはそれはもう嬉しそうに大笑いだ。連中が人間に頭を下げるところを見てやろう、とか言い出す奴まで出てきている。
もちろん、そうやって笑っているだけではないエルフもいる。
「いい気なものだ。しかし、イング様が出た後、イェルハルドも出ていって戻らぬままか」
「まだ一年も経っておらんだろうに」
「すぐに戻らない、というところに目を付けろ。物珍しさだけでわざわざ人間の国になぞ残るものか?」
「む、確かに。外の勢力も大きく変化があったようだしな。そこに合わせてスヴァルトアールブのアレか」
「そんな大きな話でなくてもだ。物珍しいから見てみよう、で、見る価値があったからこそ、他のものも見よう、と残ることになるのでは?」
「むむむ、言われてみれば確かに。正直おっくうではあるのだが、それ以上に何かしら期待してしまう部分もあるかもしれん。いいな、行くか」
「スヴァルトアールブの連中と間違ってもぶつかることのないように……」
古いエルフたちがそんな話をしているのを他所に、最も若いエルフの一員であるところのディオーナが、はふう、と嘆息をつくと仲間がつっこんでくる。
「何よ」
「やっぱりさ、リョータの言ってたことって当たってたのかなって。凄いわよねー、人間なのにさー」
「……アンタもしかして」
「アレ、きっとエルフの血が混じってるんだわ。でもなきゃあんなに落ち着いてて頭が良いなんてないでしょ」
「おい、おい、おい、そこの考え無し。アンタまさか、まだ懲りてないとか言うんじゃないでしょうね」
「……アリ、か、な?」
「よし埋めよう。二度と表舞台に這い出てこれないように」
「ちょっ、冗談よ冗談っ」
「アンタ、前の時も同じこと言ってたわよ」
失恋を乗り越え、それなりに楽しく過ごしている模様。
アクセルソン伯領は、先代の嫡男がまだ幼いことから先代の弟がその後を継ぐということで話がまとまった。
元々領内の揉め事を領主の権限を借り調整する役目をしていた弟は、新たなランドスカープの王に跪く役をやるのに適切でもあった。
先代が散々嫌がったこの役を押し付けられた弟であるが、彼は先代とは違って徹頭徹尾統治者であるからして、王に頭を下げることに何の抵抗もないし、同時にこの王に対して自軍の功績を声高に喧伝することにも一切の抵抗はない。
自領の利益を最大化することこそが己の役目であると任じている、ギュルディの好むタイプの貴族である。
話は通るが、利益の供与がなければ指一本動かさないというとてもわかりやすい人間であるため、この新たな領主との交渉であればギュルディたち国側も妥当な落としどころを見つけられただろう。
だがしかし。
ここはアクセルソン伯領。武勇を尊び、勇気をこそ至上とする連中の巣窟だ。
新たな領主は対外的な交渉の他に、コイツらの面倒を見るという、この領地において最も困難な仕事に向き合わなければならない。
かつてベッティルがどうしても許容することのできなかったこれらに対し、騎士トシュテンは最初からこれこそが自分の役目であると考えていたせいか、そんな仕事と向き合うことに異論を持たない。
領主は、昨日の武勲にて側近として働くことを認められたトシュテンに、苦み走った顔のまま愚痴を漏らす。
「あ、れ、だ、け、陛下から譲歩をいただいたというのにっ、連中は何が不満だというのだっ」
「他所の将軍の下だと自分たちが好きに動けないからじゃないですか」
「ウチの軍だってそこまで好き勝手出来るわけでもないだろ」
「アクセルソン伯領軍の武勇を認めてもらいたいだけであって、他所の将軍や軍がどう評価されようとどう戦果をあげようと知ったことではない、というのが本音じゃないですかね。元々、賃金が何処から出てようとランドスカープのために云々って気は欠片もないですし」
「そんな奴に軍を任せるとかありえんだろ、そもそも」
「だから、それを領主様が上手いこと言ってそうならないようにしろ、って話でしょう」
「…………よし、わかった。アイツら全員何処かに追い出そう」
「軍に関しては、先代もその前もその前も、もう何代も甘やかし続けてきましたから。今更国の軍制に従えとか言われても、馬鹿馬鹿しくて付き合ってられんのでしょう。私が言うのも何ですが、一度何処かで戦してボロ負けしないとわからないと思いますよ」
「リネスタードでボロ負けしてもわからなかったじゃないか……」
領主とトシュテンの二人は、つい先日王都に行ってしまったもう一人の話のわかる老貴族を思い出す。
元メシュヴィツ子爵は、トシュテンと共に戦った死人兵との戦においてその背負ってしまった不名誉をこれでもかと回復させるも、死に損なったことをとても気にしており、ならばお国のためにもうひと働きしてくると王軍の方に参加してしまったのである。
元々軍務に長けた方ではないが、貴族としての立ち回りや経済に関する経験や知識もあることから、後方支援の指揮官としてはすこぶる役に立つ男であり、あちらでは随分と重宝されているそうな。
「……それ、こっちで残ってやってほしかったんだが」
「軍の役職、こっちで残ってるのもう無いです。ああ、それと確認が取れました」
「何をだ?」
「王軍の新しい将軍、ベッティル、フレードリク、エーギルの三人、全員ウチの領地出身で確定です。リネスタードを攻めた時、あちらについたのでしょう」
領主は顔を覆ってしまった。
「くそう、揉めるぞー、絶対に揉める。ウチの馬鹿共が黙っているわけがない。あー、もう、どうしてこう次から次へと……」
この後、王軍は各地で戦果を挙げていくことになる。
そしてそこに参加することの出来ないアクセルソン伯領軍の、領主曰くの馬鹿共はより不満を溜めていくことになり、数年後これらが破裂することになるのだが、少なくとも数年先までどうにかこうにか引っ張り、ランドスカープ全土の発展に取り残されず済んだのは、この領主とトシュテンのように必死になって止めに動く者がいたおかげであろう。
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