263.無敵のエルフと狼顔の未来
開戦の合図は、腕を突き出したイングによる大きな大きな掛け声であった。
「えっ! るっ! ふっ!」
全身に魔力が行き渡っていようとも、当人にこれを隠し通すつもりがあるのならその魔力を悟られることはない。
「びいいいいいいいいいいむっ!」
だから魔力反応が発生したのは、今正にイングが叫んだこの瞬間である。
空高くを飛翔していた黒竜ニーズヘッグに対し、ただの一撃で命中せしめた理由はこのエルフの当て勘だけである。
見えるところにいるんだから当たるに決まってるでしょ、とのお言葉だが、その主砲タキオンランスを移動目標に命中させることが極めて困難なカゾにはとても言えない言葉である。
そしてこの放たれた魔力光である。
空の上、距離にして十キロ以上離れたところにいたはずのニーズヘッグは、これに貫かれるや全身が溶岩に覆われてしまったかのような激痛に襲われる。
『なっ、何事!?』
咄嗟に速度を上げると、どうにか苦痛を与えてくる何かから逃れることはできたが、しかしそこで気付く。
『うぬっ、前に、進まぬだと?』
速度を上げたと思っていたがニーズヘッグの思う通りに羽は動いてくれず。代わりに全身が失速してしまったせいで落下しつつあることで、その攻撃範囲から逃れることができたのだ。
竜という種族が持つ魔力を用いた浮遊能力により、落下死するほどの速度ではないが、翼がないせいで飛行の補助ができず、ただただ落下することしかできない。そしてそれにニーズヘッグ自身が気付いていないのだ。
地面に落着し、振り向いてようやく自らの翼の惨状を把握したニーズヘッグは、これをもたらしたと思しき小さい人影に目を向ける。
『人? いや、そうか! 貴様が白アールブか!』
「……むかーし私たちを馬鹿にする連中が使ってた言い方よねそれ。でも悪いけど、こっちの白い肌の方が綺麗だと思うんだよなーワリと真剣に」
涼太たちのいた世界ではそう簡単に口に出来ない言葉だろう。人の権利云々的に。
イングの文句を聞き流しニーズヘッグは怒鳴る。
『貴様一体この私に何をした!』
「何って、言ったでしょ、エルフビームよエルフビーム」
名前は聞いていないし、きっと距離がありすぎて最初の叫びは聞こえていない。後、この世界の存在であるくせに何故かビームという単語をうきうきで使っているのは、今イングが研究している項目の一つにタキオンランスの構造があるせいだ。
『アールブが、一人? どういうつもりだ? ああ、いい、もういい、ともかくまずは、貴様を殺してから考えようか』
予備動作ほぼなし。喉の奥に一瞬炎が見えたかどうか、そのていどだ。
それだけで首をイングに向け、口を開いて炎を吐き出すまでがほぼ同時に起こる。
放たれた炎は森を薙ぎ払い、直撃を受けた三本の木は即座に煤となって崩れ落ちる。
「一応、さ」
炎の放たれた空間から大きく離れた場所。ニーズヘッグの左方より声が聞こえる。
「アンタまだ何かしたってわけでもないから、毒大蛇と一緒に人様の領地に勝手に入ったってところだけ、咎めるつもりはあったのよ。まあ、逃げられないようにはさせてもらったけど」
ニーズヘッグは全身を声のした方より跳ね退け、首をそちらに向けると、何事もなかったかのようにイングはそこに立っている。
「竜がやたら好戦的ってのも、どうやら何百年経っても変わってないみたいね」
ニーズヘッグがイングを並のエルフであると見誤っている理由は、いまだにイングが魔力の隠匿を続けているせいだ。
先のエルフビームのようなものを放ったとしても、エルフビームの分は魔力を見ることはできるが、それ以外はやはり隠されたままなのである。
その性格はさておき、古くからいるエルフというのは伊達ではない。
「んじゃ、この、私に、竜の息吹を向けたオトシマエ、つけさせてもらうとしましょうか」
ニーズヘッグは全く反応できなかった。
実は竜種は、この大きさでありながらかなりの反応速度を持つ。そして全身を覆う鋼のような筋肉はこの反応速度を素早き挙動へと変えることができる。
だが、それもこれも、竜がイングの動きを察知し理解し、反応を身体に命じることができてこそ。
「おらっしゃああああああ!」
踏み込んだイングが大きく左足を振り回す。
凪や秋穂がよくやる蹴りとは違い、膝をまず振り上げるといった挙動をしない。足全体を一本の棒のように伸ばし、これを振り回すといった蹴りだ。
まず膝を上げて蹴ることの利点は色々あるが、こちらの方が当てやすいというものがある。だが、イングはそこを問題とする必要がない。イングの速さに反応できる生物なぞほとんどいないのだから。
魔力を用い、身体の能力を上げきったイングのそれは、最早地上の生命体としてはおよそありえぬ速度となっている。
『おごあがあああああ!』
悲鳴を上げるぐらいには苦痛を感じるらしいニーズヘッグだ。
イングの蹴りはニーズヘッグの右前足を強打する。強すぎ速すぎる打撃は、標的部位を削り取ってしまうのみになりがちだが、このイングの蹴りは違う。
軸足たる右足が大地をがっつりと掴み、腰と蹴り足とが綺麗に連動し、蹴りの衝撃を標的奥深くに送り込むことを可能としている。
「硬っ、なかなかやるじゃない、竜種も」
ただの一撃で竜の前足をへし折っておきながらこの台詞。完全に上から目線である。
好戦的、つまり闘争本能の強い種であるということで、ニーズヘッグは痛打をもらいながら即座に反撃を敢行する。
牙にて噛み砕かんと食らいつきにかかる。ニーズヘッグの巨体に合わぬ俊敏さは、首より上に最も大きく作用する。
首には特にみっちりと筋肉が詰まっている。常時これを上に伸ばし支え続けてもビクともせぬ頑強強固なものであり、これが生み出す速度はそれこそ剣士の斬撃に匹敵しよう。それを、この竜の質量で行なえるのだ。
「は?」
イングの姿が一瞬で掻き消える。
いやそう遠くに行ったわけではない。だが、静と動の切り替えの速さのせいで、目を高速で動く首の上に持っているニーズヘッグはあっさりとイングを見失ってしまった。
イングが立つのは、ニーズヘッグの振り下ろした首を、一番綺麗にぶっ叩ける場所である。
「エルフなめんなっ!」
ニーズヘッグの顎下から直上に向け、イングによる掌打が放たれていた。
両の足でしっかりと大地を踏みしめ、自然界には決してありえぬイングの超出力を他所に逃さぬようにしながら頭上に向けて掌打を放ったのだ。
こちらも並の一撃ではない。
イングが伸ばした腕の分だけニーズヘッグの顎がへこむ、ということではなく、イングの放つ威力全てがニーズヘッグの頭部全体に伝わっており、これを放ったイングの小ささを考えればまるでニーズヘッグが自身で動いたかのようにその頭部が真上へと跳ね上がっていった。
「いきなり首で来る馬鹿いる? アンタもしかして竜の戦い方ロクに学んでないんじゃない?」
噛みつきは強力な攻撃手段だが、反面これに対処できる戦士が相手の時は、自らの急所をわざわざ敵の手の届くところに置いてやる愚行となる。
よほどの巨体持ちでもなければ決して届かぬ高い位置に絶対の急所を置いておくことができるというのに。
ニーズヘッグは竜でありその身体構造は人のそれとは大きく違っているが、それでも、脳を激しく揺らされて無事でいられるはずもない。
長い首が右に左にふらついてしまう。
「しゃんとしなさいオラァ!」
胴中央にまた掌打を叩き込む。いや一撃では済まない。左掌、右足、再び右掌、と連打を叩き込むと、その都度、竜の全身が激しく振動する。
イングは、格闘技と呼ばれる類の技術は覚えていない。
だが、自身の異常な魔力とこれを用いた生物離れした身体強化を活かす術は学んでいるのだ。
最初に放ったエルフビームのような攻撃手段は、一度魔力をそちらに変換した上で減衰のある大気中を通らせる、という形であるため、魔力で直接自身を強化しこれを用いて物理で叩き潰す方が魔力効率は良いのである。
当人曰く、戦闘中にややこしいこと色々考えないでいいからこっちのが楽、だそうであるが。
『おごっ、おごろっふ、ふぉごう……』
意味不明な言葉を漏らしながらその場に横たわるニーズヘッグ。
イングはわざとらしく嘆息してみせた。
「本物の竜が出たっていうから今の私がどれぐらいか試してやろうって思ってたのに、戦い方も知らないガキとはねえ。アンタ、相手が私で良かったわよ」
すたすたと歩きながら、苦痛に呻くニーズヘッグの顔の近くに近寄っていく。
「これがもし他のエルフだったりしたらアンタ、ここぞと拉致られて色んな実験に付き合わされてたところよ。そーいうの私はさ、竜種の誇りってのにも理解あるから。ガキが相手でもきちんと竜種であるって扱いしてあげるわよ」
つまり、生け捕りなんてせずに戦の倣いとしてきっちりがっつり殺してやる、という意味である。
ニーズヘッグは必死に声を絞り出す。
『ま、待て。わかった、お主に降ろう。こちらにこれ以上戦う力は残ってない』
「は?」
『そ、そちらが望むというのならば、オージン王の策略も教えようではないか』
即座にイングが沸騰した。
「竜種が命乞いなんてするなあああああああああああああ!」
そこからはもう滅多打ちである。
「父祖の霊に恥ずかしいと思わないの!? 誰だコレ育てたボンクラはあああああああ! 竜の誇り、っていうか馬鹿みたいに突っ込んで暴れまくるしか出来ない竜種が命乞いとか気持ち悪いことすんなああああああああ!」
エルフは竜種が滅びた理由を正確に把握している。つまり、竜とはそういう生き物だったのである。高い知能を持っていながらにしてコレであるというのは、種がそうというわけではなく或いは文化がそういったものであったのかもしれない。
どうあれ、古の竜たちとは全く別の条件で生きていかなければならないニーズヘッグにとっては、とても迷惑な思い込みであろうて。
『よせっ! やめろ! このままではこの国がどうなるか……』
「やかましい! とっとと死ねおらあああああああああ!」
とりあえずこの場面だけを見るならば、どちらが馬鹿みたいに突っ込んで暴れまくるしか出来ない種であるのかわかったものではない。
頑強さにおいてはこの地上でも最上位に近い生物である竜種だが、まあ、つまり、魔核相当と言われるイングの魔力全開強化でボコられたら、如何なる生物であろうと当然死ぬ。
「ふっ、安心しなさい、竜の祖先たち。アンタら鬱陶しくて大嫌いだったけど、怯懦な末裔は滅びたし、戦馬鹿だけど勇気だけはどの種族にも負けないっていうアンタらの矜持は守ってやったわよ」
いつの世にもアクセルソン伯領兵みたいな連中はいるもののようである。
そして自分で解体するなんていう面倒な真似をする気が欠片もないイングは、死体となったニーズヘッグの尻尾を掴んでこれをずるずる引きずりながら帰路につく。
「ほっぽっといても、さすがに竜種食べにくる獣はいないとは思うんだけどね。これでうっかりかじられてましたなんてなったら、スキールニルに何言われるかわかったもんじゃないし」
おー怖、とか言いながら竜を持ち帰ることにしたイングだ。
その途上で、思い出したように呟いた。
「あーそだ、あの術使っとくなら今の内か。これ使うの見せるとスキールニル怒るのよねー」
超遠距離にいる人間に対し、人間を対象にした遠距離通話(映像付き)を可能にする魔術だ。
相手の位置もわからぬままに発動させられる、スキールニル言うところの非常識魔術である。
「こっちに戻ってないってことは多分、他所に出張ってると思うのよねー、リョータたち」
リネスタードにも王都目掛けて進軍している魔獣軍の話は伝わっている。
そちらの戦況を聞きたいという話である。イングはスキールニルのいないうちにバレないように、魔術を使った。
いつもの時間、夕方少し前。何時もの場所、森の奥にて。アルベルティナは少し不思議そうな顔をして、いつもの通りに切り株に座りながら、すぐ隣に座る狼顔のマグヌスに問うた。
「ねえ、今敵がきてるって聞いたけど、マグヌスはこんなところにいていいの?」
それをアルベルティナが知っていることにマグヌスは少し驚く。
とはいえ、さらわれたことを考えれば、アーサが攻勢を強めている現状において、当事者であるアルベルティナも情報を共有しておくべきという理屈もわかるので、基本過保護なエルフ二人もアルベルティナが危機感を持つようにしたのだろう、と思い直した。
「今リネスタードには、俺の常識では考えられないぐらい戦力が集中してる。ま、俺の出る幕はないって話だ」
「ふーん、マグヌス強いのにね」
「エルフより強きゃもしかしたら出番があったかもしれんがな。ま、あの二人に勝つのはさすがに無理だ」
「んー、マグヌスなら勝てるんじゃないかなー。ほら、いつもやってる、あの振ってる手が見えないはやいのとか」
「イングにもスキールニルにも見えてるよ、アレは」
むー、と少し不機嫌そうに口をとがらせるアルベルティナ。
こういう反応を見る度にマグヌスは思うのだ。
『もしかして、コイツも俺のこと気にしてる、のか?』
これまでの人生において、細身ではあるが武術に長け実家も裕福で、とそれなりにモテる立場であったマグヌスだ。
女性に好意を寄せられた経験もあるし、その場合どういった反応を見せるのかもそれなりにはわかる。
だがすぐにこの考えを否定する。
『いやいやいや、だからありえねえだろ。思い出せっ、俺の顔、今狼っ』
だが、アルベルティナという人間がそういう性質なのか、彼女は好意をとても率直に表現してくる。
そこからアルベルティナが、関係を今より深くしようと考えないのは、現在の二人の付き合い方に不満がないせいだろう。
なんてところまで想像できるマグヌスだが、一歩でも冷静になるとすぐに山より高く海より深い障害に気付くわけだ。顔が狼という、もう明らかに人類として破綻している己の姿を。
だが、もう確認せずにはいられない、とマグヌスは踏み込む。
「なあアルベルティナ。お前さ、俺の顔、どう思ってるんだ?」
「え、えーっと、えっと、ね、か、かっこいい、と思うよ。私は好きだよ、その顔」
この、妙に照れて赤面したアルベルティナの顔を見ればよくわかる。コイツは、本気で、こう言っているんだと。
そうか、そうなのかー、と肩の上から何かを降ろせた気がした。
「俺も、お前の顔、可愛いし好きだよ」
うひゃあ、と真っ赤になったアルベルティナに、マグヌスは近日中にもっと踏み込もうと決めた。
男と女として付き合うことに、顔以外でマグヌスに不安はない。
当然気にすべき点の、マグヌスのこれは子孫に受け継がれていくのか、ということだが、ソレだけはかのロキにすら出来なかったことだ。
魔核の影響により変質した特性は、どう頑張ってもどれだけ試行回数を増やしたとしても、決して受け継がれることはなかった。
ロキはその人知を超えた感性により即座に遺伝しないことに気付けたらしいが、それ以外の研究者は長く複雑な研究を積み重ねた上でこの結論に至っていた。
『辺境の竜の血を引く一族とか、魔核の影響を受けやすくなるように何代にもわたって血を重ねてきた連中はいるのに、変質を遺伝することだけはどうにもならなかったってのがなあ、何度聞いても納得できないんだが、他ならぬロキ様が言うんだからそうなんだろうよ』
ちなみにマグヌスの一番納得がいかない事態は、この数年後に起こることとなる。
アルベルティナと結婚しよう、なんて話になり、マグヌスの狼の因子が子供たちに遺伝することはない、とアルベルティナに伝えたところ、彼女はそれはそれはもう驚き落胆した様子であった。
『……いや、こういう奴だからこそ俺と一緒になってくれたと思うことにしよう』
この他にも、アルベルティナは強いマグヌスを好きなようだが、マグヌスはこの日を境に自身が前線に出る、という前提を捨てた。
武器を失った時のための無手の打撃を兵士たちに教える、という仕事を生業に、アルベルティナの傍にい続けることを選んだのだ。
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