026.ギュルディ・リードホルムとの交渉
アンドレアスと鉱山街のチンピラたちが、街の混乱を収めに動く要となる人物を殺害した。
同時にブランドストレーム家チンピラたちのねぐらを焼き討ちにし、もう、誰にもどうにもしようがないほどに、街は激突へと向かっていた。
この時涼太、凪、秋穂の三人は宿にいた。
今日中に皆が動き出す。そんな予測が立っているというのに、涼太はまずは待ちを選択した。
「ギュルディとシーラは、多分だけど一度俺たちと合流するつもりなんじゃないかな」
盗賊同盟を潰した二人が、この混乱の中で動くのを知っているのはギュルディとコンラードのみだ。
そしてギュルディは、強力無比な個人が何処までやれてしまうのかの実例を、すぐ傍で見続けてきた男でもある。
下手をすれば涼太よりも、凪と秋穂の運用に関しては上手いかもしれない。
その秋穂であるが、今は一人部屋にいる。大一番を前に、集中力を高めると言っていた。
凪は特にそういった準備をする様子はなく、宿の一階食堂にて携帯できる食事を料理人に頼み、これをのんびりと待っている。
涼太は良い機会だとその隣に座る。
ずっと不思議だったのだ。凪がどうしてこんなに簡単に殺し合いができてしまうのかが。
思えば凪は最初からそうだった。殺し合い、というより殺されることをまるで考慮していないかのようで。涼太が毎晩苦労している死への恐怖も、まるで感じていないように見える。
百歩譲ってそういう人間だったとしても、自ら好んで殺し合いの場に乗り込むような振る舞いは理解に苦しむ。
涼太はこれをこのまま疑問として口にする。
問われた凪は即答した。即答できるということは、自身でも考えていたことなのだろう。
「前にも言ったわよ。私は自分が気持ちよく生きたいの」
「死ぬかもしれないのが気持ちいいのか?」
「あはは、違う違う。ねえ、涼太も思ったことない? 目の前に悪いことする人がいて、ズルイことする人がいて、その人に堂々と胸を張って、お前悪いぞ、ズルイぞ、って言いたいって」
少し考えて涼太は答える。
「言い方を考えれば言えるだろ。相手にもよるけど」
「言えない相手にこそ言いたいでしょ?」
相変わらず、陰の気配の欠片も感じられない晴れやかな顔で笑う凪。
「向こうじゃ望むべくもなかった。でも、ここなら、ここでなら、そう生きてもいいじゃない。別に本気で正義の味方だのって顔するつもりもないわよ。でも、他人を苦しめて平気な顔をしている人を見て、それを許せないと思うのってそんなに不自然なこと? 頭にくるのがそんなにありえないこと?」
「何処までやったら何処まで頭にくるかの基準は、お前にしかわからない基準なんだろ?」
「だから、向こうじゃ大人しくしてたのよ。公平で公正な基準なんてそもそもここにはないでしょ」
「比較的公平で公正な基準な」
「ええそう、比較的、ね。ま、自分のも含めて人の命ってものを、他の人よりも軽く見てるって自覚はあるわよ。でも、ここ、私が見ている以上に人の命軽いわよね」
呆れ顔でぼやく涼太。
「お前、そんなんでよくもまあ向こうで過ごせてたな」
「……多分、まだ学生だったから、じゃないかしら。お父さんやおじさんが言うところの本当の悪党ってのに遭遇してたら、自制できる自信なかったわ」
きっと、と真顔で続ける涼太。
「テロリストってのはお前みたいなのがなっちゃうんだろうなぁ」
「そんなしみじみとした顔で恐ろしいこと言わないでよ! いくら私でも重犯罪者扱いは泣くわよ本気で!」
全てを理解したわけではないが、凪が伝えたいと思っている部分ぐらいは理解できたと涼太は思う。
あまり頭のよろしくない、ぶっちゃけるのならば馬鹿だと心底思うが、同じぐらい魅力的な生き方にも見えてしまう。
きっと末期はひどいものになるのだろうが、それがわかっていても魅力を感じてしまうのは、まだ涼太が本当に悲惨な結末というものを体験したことがないせいであろうか。
凪は真面目な話に相応しい真面目顔になって、涼太に問う。
「秋穂はね、あれ、自分で望んで私に付き合ってる。あの子は私みたいに気持ちよく生きたいでもなく、殺し合いをしたいのでもない。殺し合いにも怯えない、怯まない、そんな人間になりたくてそうしてるんだと思う。でも、涼太は違うわよね」
「俺? ああ、まあ、そういった希望はないな」
「だからね、私、涼太のことだけは気になってるの。私といるせいで、涼太に望まない生き方を強要してるんじゃないかって」
「お前は俺に強要なんてしないだろ」
「一緒にやっていきたい、涼太のそういう気持ちを私が利用してる形になるのが嫌だって言ってるの」
うーむと考え、考えたうえで涼太は答える。
「そこはもう諦めろ」
「涼太がそれ言うの反則じゃない!?」
「大体だな、お前に付き合って砦に乗り込んで、んで一緒にやっていきたいからって人殺した時点でもう、お前や秋穂と付き合っていくってなそういうことだってのが俺の認識だったんだよ。平穏無事な人生って奴と、お前らと一緒にやっていくのとはとっくに天秤にかけ済みなんだから、今更お前がぐだぐだ言うなっての」
口をとがらせる凪。
「そ、そういう言い方されたら、私言い返せないじゃない。大体、涼太っていっつもそうよ。気が付いたら私反論もできなくなっちゃって、上手く言いくるめられてるっていうか……」
「お前が理屈に合わないことしすぎなんだよ。ま、あれだ、凪は多少なりと悪いと思っててくれるぐらいがちょうどいい。いつでも何処でも、俺にそこはかとなく遠慮していてくれたまへ」
「アホー、涼太のアホー、人でなしー」
「ん~? 聞こえんなぁ」
二人でぎゃんぎゃんと喚いていると、上の部屋から秋穂が降りてきた。
神経を研ぎ澄ませ、今日これから起こるだろう命懸けの戦いに心を備え十全の精神状態に持っていっていた秋穂は、緊張感の欠片もない二人を見て、さすがに一言言わずにはいられなかった。
「二人共さー、もうちょっと人生真面目に生きようよー」
それから程なくしてギュルディとシーラの二人が宿を訪れるのだった。
ギュルディは涼太たちの参戦意思を聞くと、涼太たちにはわからぬよう密かに安堵する。
『とりあえず最初の問題は越えたか』
涼太たち三人が参加してくれるかどうか、確証は何処にもなかったのだ。最悪、シーラ一人でやらなければならないところだった。
ギュルディに対し、確認するよう涼太は問う。
「アンドレアスは殺す、でいいよな?」
「ああ、もう、アレが生きていようと死んでいようと馬鹿共は止まらん」
シーラは当然自分が殺す顔をしていたのだが、秋穂がはーい、と手を挙げる。
「そのアンドレアスくん。私やりたいんだけどいい?」
「えー」
横取りに不満気な顔をするシーラ。秋穂も横取りしている自覚はあるのか、すぐに理由を説明する。
「彼、エドガーとずっと再戦したがってたって聞いたんだ。だから、さ。殺すんなら私が殺してあげたほうがいいかなって」
その理由はシーラにとっても意外であったようだ。だが、すぐに表情が笑みに崩れたのは、その考え方を彼女が好ましいものと受け取ったからだ。
「そういうの考えもしなかったけど、そうだね。アキホ、それいいよ。すっごくいいと思う」
「でしょ?」
そして理由を聞いてすら不満気な顔のままの凪である。
「んー、そういうことなら仕方ないかぁ。じゃ、シーラはどうするの?」
「それなら私はブランドストレーム家のほう行くよ。で、物は相談なんだけど……」
そこまで言うと、シーラはちらとギュルディを見る。
うむ、と頷きギュルディは言った。
「一つ、頼みたいことがあるんだが」
凪が即座に答える。
「商業組合襲えって?」
ギュルディは言うまでもないが、商業組合の若き役員であり、所属商人である。
「そうだ、話が早くて助かる。こっちから人を付けるからそいつの案内で……」
「いらない。商業組合の幹部役員、全部顔わかるもの」
ぎょっとした顔のギュルディは、はたと気付いて涼太を見る。涼太はしてやったりと口角を上げていた。
「俺も凪も秋穂も、商業組合の幹部とブランドストレーム家幹部に長老会の面々、全部顔は自分の目で確認してあるぜ。概ね居場所も把握済みだ」
「お前……」
「そっちにその気が無かったら、全部俺たちだけでやるつもりだったんでな」
涼太を睨みつけながらギュルディ。
「そちらの取り分は?」
「……俺は商人じゃない。貴族でもないし、もちろん名を売りたいチンピラでもない。だから商取引で利益を上げることもできないし、領地をもらっても運営なんてできない。そりゃ人並みに贅沢はしたいと思うけど、理不尽に他人を踏みにじってまでそうしたいとは思わない。そんな俺たち向けな取り分をギュルディが用意してくれるのなら嬉しいかな。それも、無いんなら無いでいい。俺たちがこの街に立ち寄った時、無法な暴力が横行するような街になっていなければ俺たちの最低限の要望は通ったことになる」
ギュルディの眉がねじれる。
「なんだそれは? 何かの暗喩か?」
「こっちの希望をそのまんま口にしたんだよ。金はあったら嬉しいが、無くてもすぐに困るようなことはないし、利権をもらってもそいつの管理に手間を取られるのは御免だ。ただ、悪党がのさばる街、これだけは駄目だ。盗賊砦にいたような、女の子さらって好き放題するような、人から金なり命なり奪って笑っているような、そんな連中が俺たちの視界内をぷらぷらうろついていたら俺たちはそいつを、気に食わない、の一言でぶっ殺す。理解し難いだろうが、俺たちはそういう集団なんだよ」
あははははは、と無遠慮な笑い声はシーラからだ。
「変だ変だとは思ってたけど、思ってたよりも遥かに変な人たちだね。ねえ、リョータの言うことって、ナギもアキホもそうなの?」
何故か得意気な凪。
「もちろん」
こちらもまた恥じるところは何一つない、と胸を張る秋穂。
「いいでしょ、こういうのも」
興味深げに問うシーラ。
「それって、命を賭けてまでやるほどのこと?」
凪は強がるでもムキになるでもなく、楽し気に語る。
「クズみたいな連中を見てムッてするの誰にでもあるでしょ? それを咎めたら死ぬかもしれない、痛い目に遭うかもしれないって時はみんな怖くて行動にはうつさなくなるけど、そういうのなんか腹立つじゃない。なら、充分に叩き潰す力があるのなら、本気でやっちゃう人が居てもいいと思わない?」
シーラは凪と秋穂に返答するのではなく、ギュルディのほうを振り返って言った。
「ねえギュルディ。私も自分があんまりまっとうじゃない、おかしい人間だって自覚はまあ、一応はあるけど。この子たちに比べれば全然普通だよ。私、こんなこと平気で言う人初めて見たかも」
「……あまりに馬鹿馬鹿しすぎて、言葉を額面通りに受け取る気にはならんよな。盗賊同盟潰したのもなんらかの利権を奪うための下準備であるとか……であってくれ。でないと私も今後どんな顔してコイツらと付き合えばいいのかわからん」
涼太も苦笑するしかない。
「ま、俺たちの言ってることが随分とイカレた話だってのはわかってるよ。だからアンタはややこしく考える必要はない。アンタのやりたいことに俺たちが役に立ったならその分だけ便宜を図ってくれればいい。誠実に付き合ってくれてる分には俺たちもアンタの動向に配慮しようとは思う。だから、アンタはこの街で、どうするつもりなのかを聞かせてくれないか?」
これはギュルディが即答する。
「私がやりたいことなどたった一つだ。利益を得る。商人がこれ以外何を求めるというのか」
「繊維工場がそのための一番の手段、って理解でいいか?」
「ふん、調べたか。ああ、そうだ。投資額も一番デカいしな」
「これを拡大していくためにも、辺境に流れてきた人間がブランドストレーム家や傭兵団に吸収されるのは望ましくない、でいいか?」
「そうだ。ついでに言うのならば、連中の機嫌を取るのにかかる金額も馬鹿にはならんのでな」
そしていつの世でもそうだが、上納金というものは利益を大いに圧迫するもので。これを払うのを嫌がった、というのが下が上に逆らう最大の理由となる。
更にもう一つ。涼太はギュルディを魔術で調べた時感じたのだ。
『ギュルディが抱えているスタッフ、明らかに能力過剰だ。優れた人間を集めている、そういった話なのだろうが、じゃあコイツらを何処に使うつもりなのかって話だ。繊維工場なんてものを作ってたことには本気で驚いたが、そこに使うにはあまりに過剰。つまり、別の仕事を抱える余裕があるってことだ』
ギュルディは口では否定するだろうが、商業組合の仕事を自分で抱えるだけの準備は着々と進めているらしい。
『面白いもんだよな。武力は少しでも持てば周りに警戒されるが、仕事のための人材を抱える分には目を付けられることはないんだから』
ギュルディ自身が所持する直接武力はシーラのみに留めている理由はそんなところだろう。
まだ年若いギュルディの下に優れた技術や知性を持った人間が集まっているのは、少なくとも暴力でそうしているわけではないだろう。その一点だけを見ても、他よりはマシと思えるものであった。
「ギュルディ、俺たちはブランドストレーム家、商業組合の幹部、そしてアンドレアスと鉱山街のチンピラたちを可能な限り排除に動く。問題は?」
「無い。あるとすれば、それが本当にできるかどうかだけだ」
具体的に誰を優先するか、といった話を涼太とギュルディで詰める。
秋穂はそんな涼太をじっと観察している。
『やっぱりさ、涼太くんってこういう所、明らかに高校生離れしてるよね』
大人との交渉、対応に慣れているのだろうか。なんにしても秋穂にとってはありがたい話である。
ふと気が付くと、隣の凪も秋穂と同じことをしていた。
目が合って、恥ずかしそうに頬をかく凪。
「涼太、やっぱり凄いわね」
「うん。居てくれて良かった、本当に助かるよ」
「秋穂は理由、聞いた?」
「ううん。なんか、ちょっと、聞きづらくて」
「そうなのよねぇ。涼太がどうこうじゃなくて、なんていうか」
「嫌われるのが怖い」
「そう、それ。これまでの付き合い考えれば、涼太が本気で怒ることなんてほとんどないのはわかってる。だからこそ、本気で怒らせたらって思うとさ……」
「でも、聞かなすぎるのも涼太くん寂しがるかもよ」
「ああああ、もう、ほんっとに面倒のかかる」
お前らほどじゃねえよ、と涼太ならば言い返すところであろうか。
凪も秋穂も、涼太が自ら口にしない部分に関して踏み込むことに躊躇しているのである。
凪と秋穂の二人は、お互いの価値観がある程度似通っているだろうという確信があった。だが涼太は違う。だからこそ、踏み込んでも怒らせないでいられるかの自信がもてないのだ。
それとなく自然な感じで話を振る好機を二人で待とうという話でこの件はまとまった。
「おしっ、んじゃ俺たちのやること説明するぞー」
ギュルディとの話を終えた涼太の声に、凪と秋穂は同時にはーいと朗らかにお返事。
そろそろ殺しに行くぞ、はーい、という朗らかとは光年単位でかけ離れた内容ではあるのだが。




