255.戦え僕らのアクセルソン伯
アクセルソン伯は、自身を剛毅で男気溢れる好漢だと思っていたし、おおむね周囲の人間にとってもそう認識されていた。
大貴族らしい華やかさ、優美さを備えながらも、頼ってきた者を見捨てぬ情と度量を備えており、また戦に際してはほんの僅かも怖じることのない命知らずであると。それこそが自身の理想であり、今の自分である、と考えていた。
そんな男前なアクセルソン伯が、目下の者に見くびられるなんてことはありえないし、失策を笑い者にされるなんてこともない、はずである。
アクセルソン伯の人生において、それを試される場面は何度かあったが、そういった難しい場面においてもアクセルソン伯の男気が失われることはなかったし、勇気を試されこれを証明できなかったこともない。
『そんな私が、何故ギュルディのような腰抜けに頭を下げねばならんのだ』
結局のところ、アクセルソン伯は自身より年下で王都から逃げ出すような臆病者のギュルディが、小癪な手段でやり返してきたことが絶対に許せなかったし、あまつさえ国王になりかわるなんて言われても絶対に納得なぞできなかった。
アクセルソン伯の勇気や男気の根底にあったのは、自己犠牲を厭わぬ精神ではなく、侮られることを厭い他者に頭を下げることを嫌う虚栄心であったのだ。
だから、この状況でギュルディに頭を下げられないのである。そして、素直に敗北を認め今までの自身の矮小さを認める勇気も、彼は持ち合わせていなかったのだ。
『まあいい、ギュルディの奴のことは後だ。まずは我が領地へと侵入した不届き者共を成敗せねば』
これにより、ギュルディに頭を下げる無様さを少しでも緩和しよう、なんていう本音は、アクセルソン伯自身にもわかってはいないものであった。
アクセルソン伯が単騎で陣内に入ると、これを見た兵士が皆仰天している。
そんな様を見るのは愉快なものであり、アクセルソン伯は小さく微笑みながらゆっくりと馬を進める。
少しすると、泡を食った様子の隊長たちが馬の傍に集まってくる。
「伯! 一体何事ですか!」
「護衛は!? もしや単騎でこられたのですか!?」
馬を進めるアクセルソン伯と、その両脇に続く隊長たち。この状態のまま本陣中央に向かって馬を進める。
事情を問いたげにしている彼らを馬上より見下ろしながら、アクセルソン伯は機嫌よく言った。
「男が戦場に来てすることなど決まっていよう。此度の戦は、この私自らが指揮を執る」
周囲で話を聞いていた兵士たちは、こちらは本心から喜びの声をあげる。アクセルソン伯が武勇、武略に長けていることは、領内の民皆が知っていることなのだから。
そして隊長たちはといえば、これは大変なことになった、と冷や汗が出てくる。
こちらもまたアクセルソン伯の武勇武略に疑いを持っているわけではないが、さりとて領内で最も高貴な方であるのだ。これにもしもは絶対に許されない。
近場にいたため、一時的にこの地に派遣され戦場を整える役を担っていた将軍のみが、事態の深刻さを理解していた。
『……嘘だろう? 領都の者たちは誰も止められなかった? いや、まさか、伯が皆に黙って、という、ことか? さもなくば単独でなぞと……』
陣幕の中から出て、入口のところで待ち構えていた将軍の表情を見て、アクセルソン伯も彼をきちんと説得しなければならないと察する。
とはいえ、立場の違いを考えればそれは説得なんてものにはならないのだろうが。
アクセルソン伯は将軍の耳元で囁いた。
「攻めるぞ、万端整えておけ。今の兵数は?」
先に攻めるぞ、の命令がきてから数を問う。その意味を将軍も理解し表情を歪める。
「まだ、千です。予定では五千集まることになっておりますが、近場の兵は既に集まった後ですので、これ以降は十日以上かかります」
時間を稼ぎ、領都から伯を止められる人間がくるのを待つ、そんな目論見があったのだが、伯もそれは承知している。
「敵と同数だ。野戦なれば、逃げるわけにはいかんぞ」
敵はこちらの作った陣地へ攻める気配を見せているし、それは領都にも報告済みだ。
だが、野戦というからには打って出る形であろう。
『……伯の望みは、わかる。だがそれを叶えるにはいささか……』
将軍は将軍であるからして、その役目は何が何でも戦に勝つことだと理解している。
だが、それと同じぐらい、アクセルソン伯の望みを叶えることも重要だと考えているのだ。
そこにあるのは深い信頼だ。
何代にもわたって続いてきたアクセルソン家への信頼がそうさせるのだ。
領主様がそう言うのであれば、それは領地にとって絶対に必要なことである、と。
そしてそれを何が何でも為さねばならぬのは将軍であると。
『死人兵とはいえ、棍棒やらで殴り潰せば動きは止まる。盾で殴り倒すのも有効だろう。兵の質ではこちらが上なのだから、やってやれぬ、ことはないか』
兵の質とは、純粋な兵の戦闘力もそうだが、統制のとれた動きができるかどうかという部分が重要だ。
この点を考えれば、死人使いが純粋な兵士に勝るとも思えない。死人使いが戦の機微に長けているというのも考えにくいところであるし。
そして、百人近い死人使いに、優れた軍事行動をとらせられまい、と。
『やれ、るか。問題は、敵の死人使いが何処に隠れているかだ。やはり街か、距離はどれぐらい離れていられるのか、探り出すことが可能なのか。どうしても賭けの要素は残ってしまう』
死人兵を幾ら殺しても、死人使いが残っている限り兵の補充は可能だ。
ただ死体の補充は戦の後でもなければそう容易くはない。街の人間で逃げ遅れた者も何百人もいるわけではないのだ。
将軍もまた歴戦の者。
自身が今考えていることが推測でしかないこともわかっているし、戦場で最悪を引いたのならばこれらの前提は容易く消し飛ぶこともわかっている。
だが、戦において将の決断とは、多かれ少なかれこういった賭けの部分が出てしまうものだ。判断に足るだけの十分な情報を、常に得続けられる戦場なぞ将軍は見たことも聞いたこともないのだから。
『……まだ一度も敵が軍として軍と戦うところを見ていない。だが、一度見ればおおよそのところは察し得よう。もしもの時の引き際だけは誤らぬよう備えておかねばな』
事前情報の幾つかから、将軍は不穏な気配を感じている。
敵軍の情報伝達手段が不明なままなのだ。死人兵が会話をするところは誰も見ておらず、ではどうやってとなれば隠れている死人使い同士がそうしているのだろうが、その場合、一つところに居ながらにして戦場各所の状況を把握できることになる。
そんなことはない、と考えもしたがもし、この百の死人使いたち皆が軍の隊長ほどに指揮や軍務に慣れていたとしたのなら、敵軍は相当に手強い相手となろう。
『その場合でも打つ手がないではないが。そういった細かな動きへの対応は伯ではなく私がしなければならん』
陣幕に入り各隊隊長を集め、敵へ攻めかかることを告げ、彼らと一緒になって盛り上がるアクセルソン伯を横目に、将軍は如何に戦うべきかの具体案を考え続けるのだった。
魔術具を用意するまで、絶対に動くな、偵察すら許さん、と涼太が強く言っておいたため、凪も秋穂も言われた通り街で敵軍の情報を集めながら素直に待っていた。
トシュテンも戦場に出たいとは思っているものの、自らに課せられた役割を考えればこれを放棄するなど到底できない。
だが、トシュテンにはどうにもわからぬことがある。
涼太から説明は受けたが、それでも納得しきれず、トシュテンはソレを凪と秋穂に問うことにした。
「どうしてお二人はこの戦に助太刀しようと思ったのですか?」
そう問えば凪が即座にこう返す。
「助太刀のつもりないわよ、私たちが勝手に戦うだけだし。別に無理してまで不利な状態で戦おうとは思ってないけど、そっちの指揮下に入る気はさらさらないわ」
「……それは、噂に伝えきくように、お二人のみで戦う、とそういうお話で?」
「うんそう」
「何故そこまでして?」
「その辺、涼太が話してなかったっけ?」
トシュテンは無言で首を横に振る。
これを見て、凪に代わって秋穂が答えてやる。
「たとえば。行楽に立ち寄った町で、子供が転んで泣いてたとしたら。手を貸して声を掛けてやるぐらいはするでしょ」
「はい」
「立ち寄った町で、偉そうな無頼漢が子供に絡んでいたら、そのぐらいにしときなよーって声掛ける人も、いるでしょ」
「ええ、まあ。そういう人もいるでしょう」
「その更に先の話だよ。立ち寄った町で、偉そうな軍隊が我がもの顔でうろついているから、気に食わないんでぶっ殺しちゃおーって話」
「…………」
「ケンカの延長なんだよ。だから、誰かに言われてケンカするってのも違うっていうの、わかるでしょ」
これまで数多伝え聞いていた凪と秋穂の武勇伝を思い出し、いや、今の秋穂の言葉に照らし合わせ改めてこれらの武勇伝の背景を想像する。
感情の抜け落ちた顔で、トシュテンは凪を見る。
「ま、そういうことよ。こっちはこっちで勝手にやるから、そっちはそっちで好きにやってちょうだいな。どの道アクセルソン伯領の軍だと、リネスタード寄りの私たちと共闘ってのは難しいでしょ」
かすれた声でトシュテンは言う。
「千人の、死人兵、ですよ?」
「そうね。特攻上等な兵含む三千とどっちがマシか、やってみることにするわ」
判断材料の最も大きなところは口にしなかったが、概ねこんなもんだと理解してもらえればいい、と凪も秋穂も考えていた。
さすがに、所属を明確にせぬままの軍が、いきなり現れるなり街一つ占領し焼き払ったというのは、座視している気にはなれなかった。
何時もならばそのまま突っ込んでいるところだったが、死人兵が面倒なのは以前の鬼哭血戦横入りで涼太もわかっていたので、一手間かけるぞとなったわけだ。元より、死人兵の面倒さを知ったからこそ涼太もエルフよりこれを打ち破る魔術具の作り方を聞いたのであるし。
トシュテンの脳内を様々な思考が駆け巡っているのが外から見てもわかる様子であったが、小さく息を吐いた後で、首を横に振りながらトシュテンは言った。
「いずれ、私が手を出すのも口を出すのも場違いだということだけはわかりました」
凪も秋穂も、それでよろしい、という顔であった。
涼太が完成した魔術具を持って二人が泊る宿に戻ってきたのは、朝早くの時間であった。
ここ三日近くの間ロクに睡眠もとらぬままの涼太であったが、魔術具の作成自体は興味深い作業でもあるし、人間がこの魔術具を作るのは今回が初めてということもあり、試行錯誤含め随分と楽しめる部分もあった。
涼太が作ったのは、ネックレスのような紐の先に小さな宝石のついた飾りであった。
「「…………」」
凪、秋穂、共に考えることは一緒だ。宝飾品の贈り物なんてもの、涼太からもらうのは二人共初めてである。
だが突如天から降って涌いたような乙女思考なぞを涼太が読み解けるはずもなく、特に感慨もなく二人にそれぞれ手渡してやる。
「使い方だが、これは手首に巻いて使うのが一番良いと思……」
「「ネックレスじゃないのこれ?」」
思わず同時に声に出してしまう凪と秋穂であるが、涼太の解説に曰く、これを手首に巻きそちらの手で剣を持ち振るうと、魔術的な繋がりを断つことができる、つまり死人繰りの術の影響を断つことができるそうな。
ネックレスにしか見えないものを手首にぐるぐる巻くというのは、どうにも情緒に欠ける気がしないでもないが、凪も秋穂もそれでも十分嬉しいらしく、言われるがままに早速利き腕にこれを巻き鼻を鳴らしていた。
「俺の魔力を結構な量込めといたから、そう簡単には破れないとは思う。俺にできるのはここまでだ」
「十分っ」
「おっけー、気合い入ったよっ」
んじゃさっそく行ってくるねー、と二人共感慨も何もなく馬に乗って行ってしまった。
まいどのことだが、見送る涼太にはいつもの通りの不安があった。
『今日が、その日じゃないといいんだがな』
いつか、二人がかりでもどうにもならない困難にぶつかる日がくる。その日が一日でも遠くあることを、涼太は祈ってやまないのである。
アクセルソン伯領軍が野戦の構えに出ると、応えるように死人兵軍も街から出てきて野戦に備える。
死人兵軍の陣形は、将軍の目から見るに、やたらと綺麗に整った陣に見えた。
『整いすぎだな』
逆にあそこまで整えすぎてしまうと、軍という集団が動くには窮屈になってしまう。
将軍が密かに安堵している前で、アクセルソン伯が不敵な笑みを見せ振り返る。
「烏合の衆、というわけではないようだな」
「指揮は、それなりに行き届いてはいるようです」
「ふふん、だが隙がないわけではない。……敵本陣のあの妙な分厚さは、やはりあそこに術者がいると?」
「確認する術はありません。外れを引いた時を考えれば、本陣狙いはそうそう出来るものではありません。順当に周囲から削り取っていきましょう」
「……迂遠な気もするが、確かにそれが確実ではあるか」
アクセルソン伯が下がり、将軍が前に出る。そして号令をかけると、前衛の兵たちは一斉に前へと踏み出していった。
将軍や兵士たちが考えていたよりも、戦自体は普通であった。
不死の身体を盾にゴリ押ししてくるようなこともなく、盾と鎧で身を固め、槍を使って攻めたてるといった動きをしてくるのであれば死人兵だろうと普通の兵だろうと一緒だ。
またこの兵士同士のぶつかり合いの時は、槍で突く刺すというよりは槍で叩くといった動きが主であるために、死人兵に対しそれなりに効果的な動きにもなっている。
将軍は敵の動きに奇妙なものを感じ取る。
『なんだ、この違和感は』
将軍はアクセルソン伯をちらと見るが、そちらは特に何かを感じている様子はない。焦れているように見えるだけだ。
『嫌な感じだな。動くか』
確たる理由はない。だが、将軍は長く戦場にいた者だ。その自分の感覚を、彼は信じてここまで生き残ってこれたのだ。
「伯、先手を取りに行きます」
「ん? おお、良いぞ良いぞ、どんな手でいく」
「騎馬で誘導し左右へ意識を振ってからの、正面への圧力強化です」
「うむうむ、我が軍ならではの熟練の技が見られるか。楽しみだ」
「はっ、お任せを」
将軍の指揮に従い、騎馬隊が縦横に動き回ることで敵の右翼左翼に乱れが生じる。これに乗じてアクセルソン伯領軍の右左翼も圧力を強める。
ちなみにこの時、敵軍大将オリヴェルはといえば。
「あーあー、良いようにやられちまってんじゃねえの。だから言ったろ、騎馬隊は誘いだからまともに反応しなくていいって」
傍の死人兵に向かってそう言うが、返事はないのでそのまま言葉を続ける。
「いいっすかヘル姐さん、いくら百年以上兵法学んだっつっても、姐さんは実戦経験絶無なんですから余計なことしなくていーんっすよ。素直に俺らに任せときゃーさー。つーかせめても戦況口で伝えて近くの奴に話聞くぐらいしてくださいよ、みっともなくって見てらんねえや」
言いたい放題のオリヴェルに対し、やはりヘルからの返事はない。当然だが。
遥か彼方の山中にて。
『てめえええええ! 言いたい放題言いやがってえええええ! わーるかったわね指揮下手くそで! こっちは魔術の研究に忙しくて軍事は片手間でしかできなかったのよ! アンタだってその辺わかってんでしょーが! くっそー腹立つ! 今度会った時絶対とっちめてやる!』
なんて賑やかな声も聞こえないので、オリヴェルは真面目に戦況を見極めにかかっていた。
右翼に特に比重を強く傾けてやると、後方の予備隊が右翼に応援に向かうのが見えた。
『さてこれで、突入した時こちらを包囲できる兵が一つ消えた。正面は、よし、わかってるなアイツら。そうだ、溜めて溜めて、もう少し溜めておけよ』
将軍の横にいたアクセルソン伯が、将軍の顔を見てにやりと笑った。
『ははっ、さすがに勘所はわかっておられる。よし、では後は……』
「本陣は任せたぞ」
「は?」
最も頼みとする千人長に中央突破の準備をさせようとしていた将軍であったが、ここでまさかのアクセルソン伯突入宣言である。
大慌てで止めにかかるが、アクセルソン伯は馬を操りさっさと本陣を出てしまう。こちらも慌てて、兵たちの間から選んだ護衛が追い掛けるが、当然だが将軍がそうするわけにはいかない。
「えいくそっ、狙っておられたか!」
今こそが好機なのだ。今を逃せばこれまで積み上げてきた戦術が全て無駄になってしまうし、せっかくの勝機も失われてしまうだろう。
護衛が伯を止めてくれることを祈って将軍は命を下す。
「中央部隊に命じろ! 手抜きはもういい! 全力で押し返してやれと!」
手を抜いていたわけではないが、余力は十分に残していた中央部隊が一気に押し出しにかかると、中央ど真ん中にがばっと割れ目が入る。
そのまま強く押し出しながら左右に開くよう動く部隊に、中央部隊の背後から駆け寄る別の部隊がある。
「良し! 突撃だ! この私に続け!」
中央部隊のど真ん中から突き抜けるようにして敵陣に躍りかかる部隊の、その最前列にアクセルソン伯はいた。
「進め! 進めえ! 死人兵何するものぞ! 我らが武勇は天にすら届こう!」
突撃に余計な知恵は必要ない。勇ましく、勢いよく、威勢よく突っ込んでいけばそれだけで皆の士気があがるのだ。
護衛は全員大焦りではあるが、兵士たちからすればこんなにも頼もしい背中は他にはなかろう。
常日頃より忠義を尽くせと言われ続けてきたその背中が、誰よりも勇気を示し駆け抜けていくのだ。それこそ余計なことなぞ考えることはない。ただただ、あの背中についていけばいいだけだ。
アクセルソン伯に負けじと彼らは声を張り上げ、アクセルソン伯が理想と信じる勇敢な兵士を見事に演じてみせてくれる。
アクセルソン伯は突撃しながらも、時折ちらちらと背後を振り返る。
品性は、ない。
想像していたよりもずっといかつい顔が、獣のような顔が、人のそれとは思えぬ雄叫びが、アクセルソン伯の後ろから怒涛の如くついてくるのだ。
『おおっ、おおっ、これだ。正にこれだ』
その立場から従軍なぞ滅多に許されぬアクセルソン伯が、密かに夢に願っていた光景は、正にこれであった。
『見よ! 私の勇気を! 見よ! 私の武勇を! 見よ! 私の強さを!』
もうずっと以前から、自分はこうできると信じていた。そしてこれは、どれほどの興奮をもたらしてくれるものかと夢想していた。
だが、夢想は夢想、夢でしかなかった。
『こんなにも興奮し! 感動できるものは他にあるまい! 恐れを知らぬ我が兵たちが! 私の後に続き敵を倒していくのだ! そうだ! 皆来い! 私に続け! そうすれば私が! この戦を勝たせてみせよう!』
「んじゃ、ここらで指揮交代っと」
突如、死人兵軍の動きが変わる。
それまでの劣勢なぞまるで無かったかのように動きが精彩を増し、防ぐ盾は強固に、攻め寄せる槍は鋭く、攻守共に、まるで死人兵が突如別人になりかわったかのように動きを変えたのだ。
あまりに急激な変化に、さしものアクセルソン伯領軍も対応しきれず。
死人兵軍先遣軍大将オリヴェルの策がこれだ。
相手が容易く退けぬ場所にまで踏み込んできたところで、それまでヘルが自身の判断で動かしていた軍を、突如オリヴェルのソレに切り替えるのだ。
それもこれも、この先遣隊千の軍全てを、たった一人の偉大なる死人使いヘルが動かしているからこそ成った策。
それまで好きにやらせていたのを、ここから先は全部言う通りに従え、と怒鳴りつけて指示を出し続けることで、文字通り中の人が変わった動きを見せることができたのである。
その急激な変化に、それでも歴戦の将軍ならば対応しきれたかもしれないが、今この変化の波に真っ先に飲み込まれようとしているのは将軍ではなく、飛び込んでしまったアクセルソン伯であった。
「ははははは! 突撃! 突撃! 後ろを見るな! 敵は前だ! 進め進めえええええ!」
変化に気付いた護衛の一人が必死に声を張り上げるも、興奮しきっているアクセルソン伯は気付かない。
そして、絶好調アクセルソン伯の乗った馬に、死人兵の槍が突き刺さった。
「はははっ……は? へ?」
空中高くに投げ出され、そして、伯爵位に相応しい豪勢な鎧ごと大地に叩き付けられる。
あまりの衝撃に声も出ない。大口のみを開き、その場でじたじたとうごめき苦痛を堪える。
声が聞こえる。遠い声だ。
「伯っ!」
「よせ! もう間に合わん!」
「アホウが! おめおめと生きて戻れるかよ!」
「行くぞ! ここで死なねばお家は保たれん!」
護衛たちの必死の声は、しかし遠く、彼方から聞こえてくるのみで。
アクセルソン伯は、しかしいつまでものたうち回る余裕を与えてはもらえなかった。
「ひぎっ!?」
落下場所近くにいた死人兵が、無表情のままで槍を突き出すと、アクセルソン伯の右腕深くに突き刺さった。
そのとことんまで基本に忠実な突きは、ただの一撃でアクセルソン伯の鎧ごと右腕の骨を砕き貫いた。
大慌てで立ち上がり、そして右腕を見下ろし驚愕し、残った腕で千切れた右腕を拾う。
「なっ! 何ということを! 貴様! この私を……」
その背後から槍がアクセルソン伯の左足に突き刺さる。こちらもまた素晴らしい突きで、一撃のみで伯の左足を千切り取っていった。
「やっ! やめろっ! 私はアクセルソン伯だぞ! 貴様らこのような真似をして……」
言われるまでもなく死人兵もそれを認識しているのだろう。だからこそ、即死しない箇所目掛けて槍を突き出しているのだから。
そしてこれを操っている者が、彼方の空の下で自慢げに部下に語り、部下があきれ顔で応えた。
「やっぱり! 絶対コイツ偉い奴だと思ったのよ! ほら見なさい! 私が見落とさなかったおかげで殺しちゃわずに済んだのよ!」
「いや、どの道今回は交渉の余地もない相手でしょ。そんなの相手に身代金もクソもねーんじゃねーっすか?」
「…………そうね」
両肩を掴まれ引きずり上げられたところで、死人繰りの術者ヘルの、そうね、が発せられ、そこから先は対応が変わった。
「がっ! なにを、うごっ! 馬鹿な死んでしまっ! おごろっ! やぶっ! おまっ! どうし…………」
アクセルソン伯の意識が消失した少し後で、護衛たち全員も離れたところで息絶えた。
護衛たちと共にいた突撃に参加していた兵士たちは、残った隊長が兵を率いて死人兵による包囲を突破にかかっていた。
敵軍の急激な変化の理由を将軍は理解しえなかったが、それでも対応はできる、できた。
だが、もう戦にならないと判断もしていた。
「…………どうにも、ならんな」
アクセルソン伯の突然の前線突入はそれこそ将軍にすら予想できなかったことだ。
なのでこれが敵軍によるアクセルソン伯を狙い撃ちにした罠だという線は極めて薄い。
だが、あの状況で敵軍が伯を見逃すことはないだろう。殺されるにせよ囚われるにせよ、それは突入した軍も中央の部隊も簡単に察することができるだろうことから、隠しても意味はない。
伯が失われたのなら、もう戦を続けることはできない。伯が生け捕りにされていて、命が惜しくば兵を引けと言われれば即座に兵を引かねばならないのだから。
「撤退だ。伯は敵軍に捕らえられた。これ以上の戦闘は不可能だと皆に伝えよ」
だが、簡単に逃がしてはくれないだろう。
連中はきっと、この戦いで失われた死人兵の補充を、一人分でも多く欲しているのだろうから。
戦闘は各所で行なわれており、その証は全ての兵士に疲労と言う形で重くのしかかったままであろう。
だが、死人兵軍はといえば、最初から最後まで徹頭徹尾、疲労なんてものを表に出すことはなかったし、動きが疲労だので鈍ることもなかった。
それは即座に追撃に出られるということであり、追撃は熾烈を極めるということでもある。
せめても逃げるアクセルソン伯領軍にとってここは地元であり、逃げるに有利な道選びも可能だということか。
それにしたところで道はあるのだ。捨て身の殿部隊であっても、同じく最初っから捨て身可能な死人兵にとっては脅威たりえない。少なくとも勝利したからこそ追撃で怖じるなんていう人間味は期待できまい。
なんとか最初に陣を構えたところまで逃げ込めれば、逃げて行った戦友たちがそうできるぐらいの時間が稼げたのなら、殿も捨て身もやり甲斐があるというものだが、生憎と疲れ知らず恐れ知らずという相手は殿にとっては非常に相性の悪い相手であろう。
「馬? 戻ってくる? 馬鹿か、誰だ」
皆が逃げ去った方角より、馬が走ってくる。二騎。
その二騎は、もう何年も馬術を鍛えてきたかのような練達の技により、殿部隊の間をするりとすり抜けその先に。
真っ向より向かってくるは死人兵の部隊。追撃だというのに整然と隊列を整えた小憎らしい連中の真ん前に、二騎が二騎共突っ込んで、馬を放して騎手が飛び降りた。
死人兵はそんなイカレた動きにも一切動じぬまま二人に斬りかかる。
金の髪、歩き進みながら剣を抜き、振り上げると死人兵の首から上が空高くに跳ね上がる。
黒の髪、右左と一刀にて二撃を同時に放つと、死人兵二人の首が左右真逆の方角へとすっ飛んで行った。
「うお、なんだありゃ」
金の髪の不知火凪と、黒い髪の柊秋穂が、二人並んで歩を進める。
間を置かず雪崩れ込むように攻めかかる死人兵たちを、触れることすら一切許さず、全員ただの一撃にて屠っていく。
死人兵は欠損如きで動きが止まる相手ではないのだが、この二人が斬った死人兵はその後動きだすなんてこともない。
「おいおいおいおい、なんだありゃ、あんな味方の話聞いてねえぞ」
「信じられん。何と見事な、ほれぼれするような見事な剣よ。あれほどの剣士、一体どこにいたというのだ」
凪と秋穂がそれぞれ六人づつを斬ったところで、死人兵たちの動きがぴたりと止まった。
止まるというか、凪と秋穂を警戒し距離を開けたところで集まったのだ。
凪が周囲を見渡すと、今凪と秋穂が斬った死人兵の十倍以上の遺体が転がっている。
それは注意せねばならぬモノであるが同時に、怒りを駆り立てる燃料でもある。
「そのぐらいにしときなさい」
同じく、追撃により死んだ兵士たちを見下ろしながら、秋穂は言う。
「いい加減にしないと、ブッ殺しちゃうよ」
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