248.アクセルソン伯の領地
涼太、凪、秋穂の三人の次なる行先が、アーサ国からランドスカープの沿岸部へと変更になった、という話を聞いた関係各位は、それはそれはもう大きな安堵の溜息をついたそうな。
アルフォンスたちも誘った涼太であったが、マグヌスはアルベルティナを連れてすぐにも帰りたがっていたし、アルフォンスもそちらに付き合うということで、結局海には涼太たち三人のみで向かうことに。
「いやさすがにイング様に報告も無しで遊びに行くというのはありえん」
そんなアルフォンスの当たり前の言葉に、凪も秋穂も、アルベルティナを取り返しさらった連中皆殺しにした時点で問題は解決した、と思っていたせいで、とても驚いた顔をしていた。
付け加えてマグヌス。
「どうしてアルベルティナをさらったのかも不明なままだしな。安全のためにもリネスタードでイングとスキールニルに保護を頼むさ」
そういえば、と凪が問い返す。
「なんでさらわれたの?」
「だからそれがわかんねーって言ってんだろ! スヴァルトアールブなんて連中に恨まれる理由はないと思うんだがねえ」
「エルフ絡みだとしても、アルベルティナをさらうってのがよくわかんないわね。アーサの連中がリネスタードに兵出した時もそうだったけど、理由がわからないままってのは気分が悪いわ」
「俺たちみたいな戦士にまで戦の理由がおりてくるなんて方が稀だろ」
「そう? 私たちはソレが納得できなきゃ動かないわよ」
「……なるほど、それでか。軍の連中が妙にお前らに気を使ってたのは」
戦いの理由を他者に預けるような手を抜いた真似をしている、とマグヌスの態度を受け取った凪が何かを言おうとしたところで涼太がこれを止める。
「あのな、ふつーは一から十まで全部自分の理由のみで戦する方が稀なんだぞ。個人の戦闘と集団での戦ってのは普通分けて考えるもんだ」
マグヌス、涼太の言葉を聞いても、凪と秋穂が驚いた顔をしている理由がわからない。そのぐらい涼太の台詞は当たり前のことであるのだ。
凪、驚いた顔のまま問う。
「なんで?」
「個人の資質がどんなもんであれ、個人の理由判断が戦の勝敗を左右するなんてことはないからだ」
「それは普通の人の話でしょ? マグヌスならできるじゃない」
即座にマグヌスから文句が入る。
「できるか!」
ああ、そこか、と納得顔の秋穂だ。
「できるでしょ。今回だって、さらったのがスヴァルトアールブじゃなくて人間だったら、マグヌス一人でも突っ込んで皆殺しにしてアルベルティナ取り戻すぐらいはどーにかなったでしょ」
「アホウ、そんな何十人も相手してたら途中でヘバるわ」
「うんうん、みんな始めはそう言うんだよ。でもね、シーラも最初は無理無理言ってたけど、やってみればなんとかなるもんなんだって」
そう言われて真顔で考え込むあたりが、凪と秋穂が揃ってマグヌスを対軍戦力としてみなす理由でもあるのだが。
残るもう一人の戦士アルフォンスもまた対軍戦力の側であるのだが、そもそもアルフォンスはエルフであるからして、如何に剣の道を進むと決めたとて、軍隊への吶喊なんていう命で博打を打つような真似はしないのである。
凪と秋穂オススメ戦士シーラも、現状王妃サマであるからして、軍への突撃なぞ論外で、つまり今それをやらかすようなのはやはり凪と秋穂ぐらいしかいないという話である。
そんなイカレた二匹を世に放つことに不安がないではないが、エルフのアルフォンスやアーサからの寝返り者であるマグヌス、そもそも社交能力が著しく低いアルベルティナの三人に、ここランドスカープの国にとってコレらを放牧することがどれほど危険かを知る術はない。
三人の内心はこんなところだ。
『アイツらもリョータの言うことは聞くみたいだし、任せとけばいいか』(←マグヌス)
『ま、リョータが何とかするだろう』(←アルフォンス)
『うん、リョータ頭良いし、大丈夫だね』(←アルベルティナ)
実際に可能かどうかではなく、その役割を担えるのが涼太しかいない故にこそ、大丈夫だろうと安易に考えてしまうというのは、誰しもにありうる甘えであろう。
事実として、涼太には地域社会を壊滅させるだのといった意図はなく、またその社会全体が上手く回ることが地域の安定、つまり涼太たちが納得できる民の生活維持に繋がると理解している。
だからこれを崩すような行為を凪や秋穂に許すことはない、それは正しい。
だが問題は。凪と秋穂が気に食わない、と思ったことに対し全身全霊で文句をつけるという行為を、涼太は肯定し、地域社会の安定なんてものより優先してしまうというところだ。
気に食わない、納得いかないことには剣を持って抗う、それを、涼太もまた認めてしまっている。だから、この三人は行く先々で様々な問題に遭遇するのである。
アルフォンスたちと別れ、海沿いへと向かう道の先でも、また。
アクセルソン伯の治める領地は、三つの地方にまたがっており、ランドスカープ国内でも屈指の領地面積を持つ。
五大貴族と呼ばれ隆盛を誇っているのもこれが故だが、現在、たった一手の誤りがこの領地全体に致命的な状況をもたらしていた。
「我がアクセルソン家を愚弄するとは良い度胸だ愚か者どもめが!」
辺境リネスタードに一万もの軍勢を送り込みながら、敵にさしたる損害を与えぬまま兵の半数近くを失うという大敗北を喫したアクセルソン伯。
最大で一万もの軍を動かせる、という広大な領地を持つからこその優位点を活かし、散々周辺領を脅し利権を奪ってきたアクセルソン伯は、危地に陥ったとて周囲からの支援を受けることも難しく。
「恩知らずどもめ!」
また不運は重なり、リネスタードの実質的支配者であったギュルディが、何とゲイルロズ王を退位させ自身が王位についてしまったのだ。
その前後の政治的混乱をギュルディは完璧に泳ぎきり、王都ではもうギュルディの覇権に異を唱える者なぞ一人もおらず。
「どいつもこいつも王権に媚びるばかりか!」
そして何より致命的なのは、リネスタードへの攻撃の件、いまだに和解はなされぬままなのだ。つまりアクセルソン伯は、いまだに王となったギュルディと敵対関係にあるということだ。
もちろん王としての職責と、リネスタード領主としての立場とでは大きく違いがあり、ギュルディもランドスカープの王となった以上、リネスタードの件に関しては王の采配とは別として処理すべきではある。道理の上では。
なのでアクセルソン伯も、業腹なのを堪えつつ、新王ギュルディに対し頭を下げ忠誠を誓うといった姿勢を見せはした。アクセルソン伯当人は病気療養のため王都には出向けぬので息子が代わりに忠誠を誓う儀式を行なう、という形で。
鼻で笑いながらではあれど、このたわけた態度もギュルディ新王は受け入れはした。したが、アクセルソン伯の領地に対し、経済制裁も同時に行なってきたのである。
「王位に就くなりこれか! 先王ならばこのような恣意に満ちた差配は決してなされなかったぞ!」
アーサ国侵攻に際し、広大な領地を有していながらあまりに非協力的にすぎる態度を責められた、という話である。確かに、他と比してもかなりやる気のない姿勢ではあった。
これ以外にも新王ギュルディが提示した法の順守、これを厳格に適用するための各種規制を領主故の特権があるとつっぱねた事や、国内経済の活性化のための各種新法を同じく領主特権とやらでつっぱねた事がこの制裁に繋がっている。
「何故に三侯爵は立ち上がらぬ!? どの貴族も従ったままなのか! ギュルディの奴は我ら貴族に対し侵略を開始しておるのだぞ!」
意訳すると、俺の領地なんだから俺の好きにやらせろ、である。
この辺の意識は他領主も共有しているところであるが、元より王家に数多の権限を集中させ面倒な仕事を片っ端から押し付けてきたことが今の王家の権限の強大さを生み出しているのだ。
ゲイルロズ王が人類ではありえぬほどの忍耐力と寛容さを発揮してきたからこそ許されてきた様々な事柄を、新王ギュルディは認めないと言ってきたのである。
これにはギュルディが王都での権力争いに勝利したというのもあるが、同時に有力な権力者が軒並み著しく勢力を削がれていることや、常識では考えられぬほどの発展をギュルディが皆に提示していることも大きく影響している。
「愚にもつかぬ餌につられおって! 貴族の矜持は何処へやったか!? ほんの数年先すら見えぬ愚物ばかりよ!」
今、ランドスカープ全土に、辺境リネスタードに端を発した凄まじい好景気が広がっている。
貴族たちは平民には考えられぬほどの教育を受け、責任ある立場を代々受け継いできたからこそ持つその知性により、この好景気に乗らぬでは家の未来はない、と判断し全力でこれらに対応している最中である。
少なくとも、貴族の面目という部分に関しては、ギュルディの就いた王という立場が何よりも効果的であり、ゲイルロズ王が長年積み上げ続けてきた王家の信用と権威が、ギュルディの新政策を支持させている。
一部、アクセルソン伯に代表される感情的にどうしても納得のいかぬ者が反発はしているが、新王ギュルディの持つ権力があまりに強固すぎるため、それは知性ある者にとっては理性的な判断である、とはみなされないのだ。
「このような好機だというのに! アーサのオージン王も不甲斐ないことよ! どいつもこいつも! 戦の機微というものがわかっとらん!」
アクセルソン伯にも優秀な臣下がいる。いるが、ここまで不利な条件が重なってしまうと、何をどうしても主君の機嫌を損ねる結果にしかならない。
そして今の荒れに荒れた主君相手に、堅実で妥当な施策を述べ納得させる自信は誰にもなかった。
臣下の一人が内心のみで苦し気に呟く。
『もう少し、もう少しだけ時間があれば、伯も落ち着いてくださる。今下手なことを言えば、ムキになって強硬な態度を取りかねない。これ以上の損失は領地の維持にすら影響が出てこよう。後少し、ほんの少し、時間を置けば……』
そのほんの少しの時間、猶予。それを待つことが領内に大きな損失をもたらすことを承知の上で、それでも待たなければならないと臣下は考える。
臣下でしかない彼には、臣下ののりをこえた判断をすることはできないのだ。
ギデオン・メシュビッツという中年の男がいる。
彼は元リネスタードの領主代行で、もう十年以上かの地を統治してきた。
ギデオンはアクセルソン伯の親族であり、伯にとってのリネスタードとは、自身の身内が治める土地であったのだ。
伯への配慮も何もないままギデオンは放逐され新たなリネスタード領主としてギュルディが赴任したことが、出兵の一因ではあったのだろう。
いうなればアクセルソン伯失政の一因でもあるわけだが、当人ギデオンにそんな認識はないし、伯自身もギデオンとはほとんど面識もないため、その記憶にも残っていない。
そんなギデオンが今何をしているかといえば。
「ふっ、やはり人とは苦労をしてこそ、であるな」
リネスタードを放逐されたギデオンは、これまでリネスタードでしてきた数多の悪行の報復を受けそうになったところを這う這うの体で逃げ出してきたのだ。
これまでの人生からは考えられないほどの艱難辛苦を受けることとなったギデオンであったが、危地に於てその能力が開花したか、或いは単純に運が良かったか、どうにかこうにかアクセルソン伯の領地まで逃げ帰ることに成功したのだ。
そしてその苦難の経験から、貴族であろうとも、自ら動かなければ望む果実は得られない、と知ったのである。
「しかし、一つの発見でこれほどに全てが見違えて見えるとはな。かつての私が、どれほど仕事をしていなかったのかと思うと寒気すらするわ」
そんな自省の姿をかつての秘書辺りに見せれば、驚愕のあまりに手に持った物を取り落とすなんてザマも見られただろうに。
今のギデオンは誰かに言われるがままに生きる者ではない。己で生きる糧を得ることのできる、一人前の男であるのだ。少なくとも当人はそう思っている。
「いやはや、実家に頼りにされるというのも、なかなかに悪くない経験よな」
ギデオンが手配した物資、主に高級品をギデオンの実家が買い取ってくれる。それも以前にリネスタードからアクセルソン伯に金を送っていた時のように、当然だという顔をされるのではなく、感謝と敬意をもって取引してもらえるのだから、ギデオンの自尊心はとても満足していた。
今ギデオンの前には、身体が大きく、あまり品の良くない顔つきの者たちがいる。
彼らは以前の稼ぎで大儲けができたことにとても満足しており、この話をもちかけたギデオンに対し、敬服した態度で言葉をつむぐのだ。
「ギデオン様、次の仕掛けはいつになりますか。俺たちはいつでも準備できていますぜ」
「一枚かませてくれってのが次から次へときてます。今度の兵数はもう百を超えちまうかもしれません」
「今の領内で景気の良い話を持ってこられるのはギデオン様ぐらいですから、まだまだ人は集まりますよ」
うむうむ、と頷くギデオン。
「前回の倍の規模の商隊が動いている。今の人数で捕捉できるか?」
ギデオンの言葉に、男たちは喜びの声をあげる。
「おおっ! 十分でさ! 今回の商隊は何を運んでるんで?」
「連中の特産品である酒と薬、そして麦が主だそうだ。珍しいものでもないが、前回よりも多くの利益が出よう」
その後ギデオンの指示により、男たちは如何にこの商隊を襲い、奪うかの算段に取り掛かる。
ここから先はギデオンは口を出さない。それでもこの男たちも、拠点を提供してもらい、手にした物資を換金する手段を持ち、何よりも、領内で安心して手にした金を使うことができる身分を保証してくれるギデオンに逆らうつもりはない。
つまるところギデオンは、アクセルソン伯の領境に拠点を構え、そこで領内から人を集め、現在経済制裁中につき入手が困難な物資たちを、領地の外に出向いて盗賊行為にて手に入れている、というわけだ。
まともな貴族ならば絶対にやらないことだ。
アクセルソン伯が武力で周囲を威圧できていた理由である大兵力は陰りを見せ、今下手に王家に口実を与えてしまえばアクセルソン家には王家の力押しに抗する術がない。
王家に知られてもダメ、そして被害を受けている領地が動いてもダメ、そんな中で、火遊びの如く略奪行為に勤しむなぞと、まともな神経でできることではない。
これをギデオンの実家は、ギデオンが絶対にバレない上手い手を使っている、と思っているし、ギデオン配下の者たちもギデオンの貴族としての手腕により成立させていると思っている。
「はっはっは、以前と比べて食事の質は落ちたがそれでも、己の力で手に入れたと思うと味わいも変わってくるのだから不思議なものよな」
現在、アクセルソン伯領内の治安は悪化していっている。
一応領内を治めることができるだけの兵は揃っているのだ。だが、彼らを養うだけの金がない。
金がなければ人は離れる。飯が食えなくなるのだから、嫌でも何かを探さなければならなくなる。その何か、をギデオンが提供してしまっていた。
人は望んで破滅の道を進むことはない。それと知らぬからこそ、奈落の底へも勇んで、或いは喜んで飛び込むことができるのだろう。
「はあ? 盗賊? 今のランドスカープでもそんなもの出るのね」
そんな凪の呑気な言葉にも、現場を遠目の魔術で見ている涼太は渋い表情のままだ。
「笑いごとじゃない。かなり、ヒドイぞ。急ごう、まだ助けられる人がいるかもしれない」
既に加害者たちは立ち去った後で、馬車の下敷きになったと思しき者もいる。
涼太が指示した方向に凪が走るが、秋穂は用心してか涼太の傍を離れないままだ。
「多いの?」
小走りに掛けながら秋穂が問うと、涼太もそうしながら答える。
「倒れてる人だけで五十はいる。馬車の轍が多数、兵士っぽいのは少ないから、商隊だとは思う。だが、馬車が一台もない。盗賊だとしたら相当手際が良い」
「どーしてこういつもいつも私たちの前には気分のわるーいものばっか転がってるかなー」
少し考えてから涼太は言った。
「見過ごした、って後で思うよりはずっとマシだろ」
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