243.Synchrogazer
スラーインが剣を抜くと、凪は勢いよく正面より突っかける。
両手持ちに握った刀もどきは、リネスタードの鍛冶師たちが試行錯誤を繰り返し作り上げた珠玉の逸品。これに、ダイン魔術工房の魔術師による強化が加わる。
剣は消耗品と考えている凪が、手入れしながら長く使おう、と思えるぐらい良い武器である。刀として元の世界のソレより勝るという意味ではないが。
両手持ちでの突きだ、下手な捌きでは防ぎきれまい。
『さて、お手並み拝見』
胴中央を狙う一撃。左右にもかわしにくく、両手持ちなため弾くも難しい。
咄嗟にカウンターを合わせるのは比較的楽ではあるが、かわすとセットでなければ即座に相打ちだ。
敵手スラーインは、初手に対してとしては至極まっとうな、剣の間合いから後退して外れるを選ぶ。
凪の踏み出しと剣の長さを見誤らなければ、楽にカウンターを合わせられる動きだ。
『かわせれば、ね』
胴を狙う凪の突きが僅かに変化した。
その切っ先はスラーインの胴ではなく、スラーインの剣を持つ腕、その手首だ。
突き出す動きでこすり取るように手首を落とす。こちらの世界にきて、凪が最も多用する技だ。
が、スラーインは外にズラすことでこれを回避。
『もう一つっ』
凪の動きは、前へと突き出す動きだ。全身はそう動いたままで、しかし、その肘より先のみが変化し、手首が翻り突き斬るではなく、上より斬り下ろす動きへと。
それもまた狙いはスラーインの手首である。
ここまで執拗に手首を狙う動きは、凪の知る限りこちらの世界の剣術にはない。
これにスラーイン、やはり僅かに手首を動かすのみで応ずる。
そう、肘より先のみの動きであるのなら、その一撃に重さはさほど乗ってはいないと見切り、スラーインは剣の鍔にて手の動きのみでこれを弾いたのだ。
凪の顔が歪む。
初見でここまで完璧に対応するということは、そもそもからしてこのスラーインという男は手首狙いを敵の攻撃手段として想定していたということで。
『あーもうっ、楽させてくんないわね』
スヴァルトアールブの剣術は、かなり深みのある剣術だろう、と凪はこの攻防にて当たりを付ける。
左方に回り込んだことで、ほんの僅かに遅れて仕掛けるは秋穂だ。
秋穂の剣は幅広で、片側に反った形の剣である。その形を見せておきながら、秋穂の初手は突きであった。
剣を回し叩き付けるような予備動作から一転、下方より突き上げるように剣を振るう。
これらは全てスラーインを後退させるための布石だ。
下がったところに、こちらもこの異世界では珍しい爆発するような踏み出しをもって、一気に懐深くへと迫るのが秋穂の狙い。
だがスラーインは、凪との攻防をこなしながら同時に秋穂にも対応している。
秋穂の剣を即座に突きだと見切り、最小限の動きで身体にまとった魔術障壁でこれをそらす。
『こんのっ』
咄嗟に、秋穂は動きを切り替える。
踏み出すではなく、腰を落としながら足を前方へと投げ出す。低い低い姿勢からの下段蹴り。
秋穂が曲げた膝を伸ばし、蹴り足を突きだそうとした時には、既にスラーインの足はそこにはなかった。
小さく跳躍しつつ、スラーインもまた足を伸ばし返してきた。こちらはもう踏み出してしまったために回避なんてしようのない秋穂の顔面目掛けて。
『初見じゃないのっ!?』
まるで知っていたかのように反応され、反撃された秋穂は、顎を引いて首に固定し頭部の揺れを減少させる。それしかできなかった。
首を狩り取るような蹴りであったが、秋穂の身体は後方に二度回転した後で、すぐに立ち上がって構えられた。
そしてスラーインの剣は凪に向かっている。
空中で構えを取るスラーインに、凪はスラーインが着地と同時に強烈な剣を振るうと読み、事前にそれを潰すよう、受けではなく攻めの剣を振るっておく。
が、スラーインはほんの僅かな跳躍であったにもかかわらず、空中にある状態でもう剣を振りに動けていた。
僅かに遅れた凪は、攻めの剣を受けに用いるしかできない。危うく剣を手離してしまうような強烈な一撃をもらった凪は、弾かれた剣に合わせて後ろに下がるしかさせてもらえなかった。
そしてスラーインもそこで一度動きを止める。
彼はとても驚いた顔をしていた。
「こ、これが本当に人間の動きか……」
凪と秋穂、双方ともに思った。
『『いや驚いてるのこっちだからっ!』』
ほぼ剣術のみで、凪と秋穂の同時攻撃を簡単に凌いでくれやがったのだ、このスヴァルトアールブは。
凪、秋穂、同時に理解する。このスラーインという男、確実に、凪よりも秋穂よりも剣が上手いと。
故にこそ受けに回ったら一気に崩されると、凪と秋穂は一斉に攻めにかかるのであった。
二人で同時に何度も仕掛け続けるも、スラーインにはかすり傷一つ残すことはできない。
前後左右から交互に、或いは同時に、どんな攻め手であろうとその全てをお見通しとばかりに対応されてしまう。
こうまで手も足も出ない相手となると、凪も秋穂も思い出されるのはやはりエルフのイェルハルドだ。
何が恐ろしいかといえば、このスラーインという男、まず間違いなくイェルハルドよりも基礎的な身体能力が高いことだ。
エルフの森で凪が幾人か相手をしたエルフたちは皆、剣の技を磨くことには熱心だったが、そもそもの身体能力を磨くことはそれほどではなかった。
もちろん剣士であるからして、身体を鍛えるのは当然ではあるのだが、より重点を置く場所は何処か、という話だ。
凪と秋穂の認識としては、エルフは身体を鍛えることを疎かにしている、と感じる部分があった。
だがこのスラーインはどうだ。
『凪ちゃんの上段、真っ向から受け止めてみせるんだもんなー』
だからと技量が劣っているというわけでもない。
単純な技だけでも、凪も秋穂もスラーインに対し歯が立たないのだ。
だが、それでも、せめても幸運なことがある。
スラーインの剣は、凪にも秋穂にも見えてはいるのだ。
おっそろしく速くはあれど、見えることは見えるし、その珠玉の技術たちもまた、全く理解の及ばぬものではない。
だからどうにかこうにか持ち堪え続けることができているのだ。
そして凪はもう一つ見つけたことがある。
『ああ、コイツ。戦闘中だってのに遠目の魔術使ってやがるわ』
遠目の魔術ではあるが、ソレでスラーインが見ているのは遠くではなく、自身の死角だ。
死角を補う動きは凪も秋穂も当たり前にやっていることであり、故にこそ、そうしていないにもかかわらず死角を補えてしまっているスラーインに魔術の気配を感じ取れたのだ。
この技術、エルフにも使えるものであるが、実際にやっているものはほとんどいない。イェルハルドですらあまりやらないのは、近接戦闘中の複雑な魔術行使は集中力を欠く原因になるせいだ。
そう聞いていたのだが、スラーインは常時そうし続けているし、だからと集中力が途切れる様子も、無理をしている様子も見られない。
実際のところスラーインが使っているのは、近接戦闘中に死角を補うことに特化した魔術であり、遠見の魔術よりずっと負担の少ないものであるのだが、それにしたところで、複数の視点を活用しながら近接戦闘を継続し続けるのは並々ならぬ訓練がいるだろう。
人間もスヴァルトアールブも、目は二つの生き物として脳が作られているのだから。
もちろん、秋穂もコレを見抜いている。
『つまり、下手な魔術を併用するより、この魔術に絞って剣を振っている方が強い、ってことだよね』
見えてさえいるのならば、凪や秋穂ほどの手練れが相手だろうと対応しきってみせる、そんなスラーインの強烈な自負がそこには見える。
そしてもう一つ恐るべきことに二人は気付いている。
『コイツ、本気で戦ってはいるんだろうけど』
『ありったけを振り絞る死線だなんて思ってないよねーこれ』
いざとなれば一気に勝負を決する、そんな手を持っている、そういう余裕があるように二人には見えたのだ。
スヴァルトアールブのスラーインを、狼人マグヌスも一度その目で見ておいた。
そして凪や秋穂と全く同じ評価をマグヌスもアレにくだしている。
なので思うところはあれど、アルベルティナを助け出したなら後は約束通り、調達してあった馬を使って二人乗りで逃げ出した。
街道は通らず、荒れ地や林中を抜ける道を取れば、追跡はほぼ不可能になる。
まだ国境越えという難所が待ち構えてはいるものの、ここまで逃げればもうさほど気を張らずとも問題はないだろう場所まできた。
そんな気配をマグヌスから感じ取ったのか、マグヌスの前で馬にまたがっているアルベルティナが、おずおずといった様子で小さく自己主張する。
「ね、ねえ、マグヌス」
「ん? どうした?」
とてももじもじとした様子で、だが、やはり、我慢も難しいらしく、それがわがままだとわかっていてもつい、口にしてしまう。
「歌、歌いたいなー、って」
あー、とマグヌスは額を叩く。
さらわれている間、当然だろうがアルベルティナは歌を歌ってはいなかっただろう。
色々と不自由もしただろうし、怖い思いもしただろうし、心細くもあっただろう。
そういった緊張から解放され、真っ先に思うのは、たとえばベッドで寝たいだったり、好物を食べたいだったり、人それぞれあるだろう。アルベルティナはそれが歌だったという話だ。
左右をきょろきょろと見渡し、林の中に入ってしまえばここらには人里もないことから、アルベルティナが歌っても問題はないと思った。
そういった状況が許した、というのもあろうがマグヌスが許可を出したのはやはり、惚れた弱みというやつだろう。
「わかった。だが、あんまり長くは難しいぞ」
「いいの!? やったああああ!」
満面の笑みだ。これを見られただけでもう他がどうなってもいいや、とか思えてくるのだから惚れた弱みというやつは本当にどうにもしようのないものだろう。
林の中に入り、少し開けたその場所で、アルベルティナはこれまで我慢してきた鬱憤を晴らすかのように大きな声で歌いだす。
アルベルティナにしては珍しいその選曲に、マグヌスは苦笑しながらこれを聞いていた。
『随分と勢いのある歌だな。なるほど、さしものアルベルティナもよほどに憤懣が溜まっていたようだな』
『恐るべし、恐るべし金色のナギ、恐るべし黒髪のアキホよ。ここまで明白に、スヴァルトアールブの若手剣士たちを上回っていようとは。ああ、良かった。本当に良かった。アールもヴィースもよくぞこの手練れより逃げ切ってみせたものよ。結局、私が直接手を下すが最善であったとは』
この二人が揃っていたのならば、スヴァルトアールブにもこれを確実に仕留められるのは何人いるものか。
スラーインは身の震えを隠せない。
もしスラーイン以外のスヴァルトアールブをこの二人が狙っていたらと考えると恐ろしくてならないのだ。
『ほらっ、これだ』
秋穂が跳躍しつつ、剣を大きく振り回してくる。
こんな大きな動きでありながら、予備動作が極端に少なくまた、受けの難しい場所を正確に狙ってくる。
スラーインだからこそ咄嗟の反応だけでどうにでもできるが、他のスヴァルトアールブにそれができるかといえば。
『くっ』
そうこうしている内に、凪の突きがスラーインの二の腕をかすめる。
激しく動き回り素早く反応する腕を、凪は驚くほどの精度で、そしてまるで吸い付くかのように変化する剣で狙ってくるのだ。
こんなもの、初見でもらってかわせるスヴァルトアールブなぞ、スラーインにすら数人しか思いつけない。
『人間、恐るべし。修羅の国ランドスカープには、斯様な猛者が幾人もいるというのか。そうと知っておればアールもヴィースも行かせはしなかったものを。オージンも見誤っているだろうから……オージンが見誤る? あの男が?』
そんなことがありうるのか、と考え、ここしばらくのオージンの言動が思い出された。
上手くいかない、失策が続く、まさかの失敗か、そんな言葉たちをスラーインは全く信じてはいなかった。
オージンがそこまで大きくものを見誤るなんてことはありえない、と断じて。
『だが、だがまさか、アレら全てがオージンの本音だとしたら……』
そうであればこそ、ランドスカープにこうした怪物が育っている、という事実を追認する理由になりえよう。
スヴァルトアールブの知識と知恵と、それらが詰まった歴史とを、向こうに回して意見を言える異種族は、スラーインの知る限りオージン以外にはいない。
数多の予言と、これを十全に機能させうる恐るべき知恵、
そしてまだ二百年も生きていないというのに、スヴァルトアールブと比べてすら分野によってはより勝るだろう知識。
スラーインは最早、オージンを人間とは見ていなかった。一個の、人間とも、スヴァルトアールブとも違う、全く別の種族だ。
スラーインの周囲に、魔術障壁の風が吹き荒れる。
「ちっ」
「なに?」
凪と秋穂が小さく文句を言いながら後退する。
二人を順に睨みながら、スラーインは告げる。
「……己の浅慮に腹が立つ。友の窮地を、目の前にいながらそれと察してやれぬなどと無様にもほどがある。なあ、黒髪のアキホ、金色のナギ。お前たち、これまで散々オージンの邪魔をしてくれたようだな。その報い、朋友たるこのスラーインがくれてやろう」
凪はじっと秋穂を見る。
秋穂もまた凪を見た。
「なーにをいきなり気合い入れてんだか知らないけど。やっぱ、アンタむかつくわ」
「本気になった、すぐに仕留めるつもりになった、そういうことなんだろうけどさ。そんなもの、こっちは最初っからずーっとそうだったっての。しかもその上腹が立つことに」
「この期に及んでアンタ、自分が死ぬなんて欠片も思ってないってのが心底腹が立つのよ」
「だから、私と凪ちゃんとで、絶対にぶっ殺してあげるよ、キミ」
全身より必殺の気配を漂わせ、スラーインは言った。
「やってみろ」
凪と秋穂が同時に踏み出した。
必殺の間合いへあと一歩。そこで、唐突に凪が足を止める。
秋穂もこれに続いたのは、凪が止まったのを見てから動いたのではなく、凪の止まる気配を感じ取ったからだ。
スラーイン、狙っていた必殺の一閃が閃くも、ほんの僅かに間合いに届かず。だが、凪は腕を上げてこれを防ぐ。秋穂は少し跳んで厚い革鎧で受ける。
剣閃の先から放たれた何かにより、凪、秋穂、両者共斬り裂かれるも、大きな傷にはならず。
そして大振りの後ということで凪が踏み出し、そしてそこで、スラーインの必殺の間合いの内が、今どうなっているのかを知った。
『重いっ』
魔術障壁を大きく広げ、行動を全て制する壁ではなく、動きを阻害する液体のようにしていたのだ。
これで動きが鈍った瞬間を狙った一撃であったのだが、凪の謎の勘(本当に他にどう形容していいかわからない)のせいで事前に見抜かれてしまったのだ。
そして凪を見てから秋穂が動く。まずは大きく距離を空ける。
懐より取り出した短剣を、思い切り、振りかぶってぶん投げた。
投擲という技術に関して、この世界と前の世界とでは大きな技術差があった。特に、19メートル弱の距離で、片手で持つ大きさのものをぶん投げるという技術において。
秋穂はさほどそのスポーツに興味はなかったが、それが正答といえる投げ方は秋穂の記憶にもあったのだ。
動きの止まった凪を狙うスラーインに対し、秋穂の非常識な短剣投擲が迫る。
「なんだと!?」
無視しえぬ速度だ。スラーインの剣はこれを弾くのに用いられる。
その間に凪もまた距離を取り、懐から短剣を抜いて投げる。こちらにもスラーインは剣で対応した。
『つまり』
『このぬるっと空間を展開中は、通常の魔術障壁がないってことだよね』
秋穂は投げ方を変え、敢えて回転を多めに投げた後、すぐさま次の短剣を手に取って投げる。
舌打ちしながらスラーイン、噴き出す炎の魔術を放ってきた。
これを待ち構えていた凪と秋穂は左右に分かれながら一気にスラーインへと迫る。
回転多めのゆっくり短剣が、スラーインの頭上より迫る。これが、当たった。
「くっ!」
遂に、スラーインに傷を負わせることに成功した。とはいえ、かすり傷ていどではあるが。
右から凪が、低い逆袈裟。スラーインかわす。左から秋穂、片手突き、スラーイン剣で弾く。
右の凪、更に低い左袈裟、左の秋穂、片手足凪ぎ。
右凪、上から剣、左秋穂、下から剣。
スラーイン、ここでどうにか通常の魔術障壁への切り替えが完了する。
『なん、だ。更に、速く』
いや、速さは変わってはいない。いきなり人間の速度が変化したりはしない。変わったのは二人の連携である。
こちらの世界にきてからほぼ毎日、凪と秋穂は鍛錬として剣を交えてきたのだ。
様々な戦いを潜り抜け、様々な技を吸収し、その都度お互いを相手にそれらを試しあってきたのだ。
だが、それでも、二人は連携を考えての鍛錬はしていなかった。
二人がかりで一人を狙うなんて状況が、これまでただの一度だってなかったのだから。
だが、今、二人がかりであっても押し切れず、殺されかねぬ敵を前に、凪も秋穂も、二人でならではの連携を考えるようになった。
試す時間はあった。
スラーインが(当人にはその必要性があったにしても)余裕こいていた間に、凪と秋穂はスラーインを知るのと同時に、二人で一人を狙う戦いもまた、学んでいたのだ。
そしてソレを意識するのならば、それまで積み重ねた二人での時間が、凪と秋穂を更なる高みへと導いてくれる。
凪が何を考えているのか、何を望んでいるのか、何をしたいと感じているのか、秋穂にはもう手に取るようにわかる。
秋穂がどう動きたいのか、どう戦うつもりなのか、どう勝つつもりでいるのか、凪にもまた手に取るようにわかる。
そして、そんな二人の共鳴が、遂に一打を生み出した。
「がっ!」
痛烈な一打は秋穂のものだ。
スラーインの腹部に叩き込まれた剣撃に、スラーインは小さく悲鳴を上げる。
だが、本来ならば胴真っ二つな一撃にも、スラーインの強固な障壁はびくともせず。
これが、今のスラーインと二人との差だ。
それでも、凪も秋穂も止まらない。
勝てる算段があるわけじゃない、それでも、負けるのが絶対に嫌なので、何が何でも勝つとばかりにありったけを振り絞る。
最早スラーインにも余裕はない。
『これを、イェルハルド以外に使わねばならぬとはっ』
スラーインの振り上げた剣が、頭上にて六つに分かれる。
それを見た秋穂、何も考えず、ただ身体が動くに任せた。
大振りを待っていた。それがどのようなものであろうとも、絶対にやると秋穂は決めていたのだ。
秋穂の両の足が大地に添えられて、肘を曲げ膝を曲げ、腰を落とした姿勢のままでスラーインに向かって突っ込む。
背中を向け、スラーインを視界に収めぬままに。
「んなっ!?」
おおよそ近接戦闘の最中にするような行為ではない。
背中を向けながら敵に突っ込むなぞと、しかもそれが、剣を振り上げたスラーインがこれを振り下ろすより前に、懐へと踏み込むなどと。
そこにある、そう信じて、いやそれに賭けて、秋穂はあらん限りの力を振り絞った震脚を行なう。
もう剣も手にしていない、腕を用いるのに邪魔だと投げ捨てた。
腕は斜め下に振り下ろし、重心は真下に叩き落す。そして、大地より返ってくるは、より大きく増した反作用。
その武術の名である、大爆発という名に相応しい、ありうべからざる強大な威力は、拳でも足でもない、分厚い胴より放たれる。
それは、スラーインの魔術障壁をすらぶち破り、何もかもを破壊せんと荒れ狂う衝撃となって放たれた。
これぞまさしく、必殺の技。
【 Eisen Berg Tackling アイゼンベルクタックル 】
衝撃は、それでも魔術障壁が防ごうと努力はしていた。
本来の威力を減衰し、保護対象を守らんと必死に役目を果たそうとしていた。
それでも、尚、大地が深くひしゃげるほどの勢いを、その反動をまともに叩き付けられたスラーインは、あまりの衝撃に顔が上を向き、全身が震え身動きが取れなくなる。
凪は、それを信じていた。
秋穂が大博打に出るというのなら、己もこれに応えてみせると。
博打に負けたら、一緒に笑って死のうと。
それはもちろん瞬間に考えられることではない。
普段からずっと、いつもいつもそう考えているからこそ、そんな場面に遭遇した時咄嗟に動けたのだ。
凪は跳んだ。
後先考えず、秋穂がもし失敗したのなら、馬鹿みたいに空中で何もできずに斬られるだろう。それでも凪は跳んだのだ。
眼下に見えるは、衝撃に震えるスラーイン。それでも、コイツから魔術障壁は失われていない。
秋穂の一発にもスラーインは意識を保ったままで、魔術障壁も健在で。
今もまた、凪を見つけようとしている。そして、見つけた。
大きく右袈裟に振りかぶった構えのまま、空中に跳び上がった凪は、これならば魔術障壁も破れると確信している。
後は、スラーインが衝撃から立ち直り、動けるようになるのがいつか、だ。
スラーインは震える腕を振り上げる。やはり、数百年の時を、修行に費やしてきた稀有な戦士であるのだ、スラーインは。なればこそ、できぬをできると言い放てる。
『なっ!』
だが見上げるスラーインは、凪の準備の良さに歯噛みする。
スラーインから見上げるそこは、凪が太陽を背に受けた逆光の位置にある。
一瞬、太陽に目がくらみスラーインは咄嗟に、魔術の目の方に切り替えた。
そしてスラーインは知る。
『最早、手遅れ、かっ』
スラーインはまだ手を隠していた。
振り上げた腕に、魔術障壁の全てを注ぎ込み、極めて強固な壁とする術だ。
だが、これはヴィースが凪の上段を防いだ時に用いた技でもあった。
『二度! 食らうもんですか!』
逆光で目をくらました瞬間、凪は右袈裟から左袈裟へと切り替える。
スラーインが最後の瞬間見たものは、右袈裟の時にふりかぶった白光の軌跡と、左袈裟に振り上げた白光の軌跡、双方を背負った羽ばたくような凪の姿であった。
『無念』
【 Zwei Flügel ツヴァイフリューゲル 】
落下の勢いに乗せ凪の技の全てをつぎ込んだ一閃は、魔術障壁をすら易々と貫き、スラーインを斜めに切り裂きそのまま逆脇まで振り抜ける。
完全に両断されたスラーインの身体が、二つに分かれ地に落ちる。
それが、スヴァルトアールブの勇者スラーインの最期であった。




