236.カテガットにて合流
スヴァルトアールブの二人を取り逃した涼太たち一行は、馬を用意し彼らを追う。
リネスタードから追い続けていたマグヌス、アルフォンスに加え、涼太、凪、秋穂の五人は皆が馬に乗って移動している。
常ならば走って移動する凪と秋穂も、体力温存を考え馬を利用している。そして滅多に乗らない馬であっても、涼太よりよほど上手く乗れている。
それを密かに気にしている涼太であったが、あくまで密かにであるので凪も秋穂も気にせず偶の乗馬を楽しんでいるようだ。
途上でちょっとした事件が起こったりもしたが、現時点ではとりたてて問題とするようなものでもないので、五人の思考からは綺麗さっぱり消えてなくなっている。
馬を走らせながら、マグヌスより事の次第を聞いた涼太たち。
涼太は現状の感想を述べる。
「『疾走』って魔術使われたらどうやっても追いつけない。そして敵さんがどれぐらいの時間『疾走』を使い続けられるのかはわからない、と。敵の位置がわかっても、それじゃどーにもならないんじゃないか?」
更に、涼太たちが行く先には既にランドスカープ軍が展開しているはずだが、これがもしカテガット砦に籠城しているというのであれば、スヴァルトアールブたちがランドスカープ軍の脇を抜けて奥のアーサ軍と合流することを止めるのは難しいだろう。
そしてお互いの兵数次第ではあるが、守る側のランドスカープ軍がカテガット砦を使わないのはあまり合理的ではない。
凪、秋穂、マグヌス、アルフォンス、とランドスカープ全体でも間違いなく上位に入る猛者たちであるが、万単位の軍相手にできることなどなかろう。
そう言って現状を伝えた時のマグヌスとアルフォンスの表情を観察していた涼太は、二人ともかなり危険な真似でもするつもりがある、と見た。
「なあ、普通なら、アーサ国に入った時点で追跡は諦めるよな。なら、アーサ国に入ったところまで追いかければ、もう一度ぐらいは襲撃する機会、あるんじゃないか」
そんな涼太の意見に、険しい顔のままだが頷くのはマグヌスだ。そしてアルフォンスはといえば、顎を指でかいている。
「交戦状態の敵軍をすり抜けていけと? その先でスヴァルトアールブが足を止めていたとしても、それは十分な数の味方がいるからだろう。これを襲いアルベルティナを奪取し、更にもう一度、今度はアルベルティナを連れて敵軍をすり抜け戻ってこなければならない。本当に可能か?」
マグヌスはアルフォンスを見た後、凪、秋穂、涼太の順に見て言った。
「カテガット峡谷は安定して通れる道が少ない。だが、俺ならアルベルティナを抱えたまま、峡谷の道を通らず山を抜けて突破は可能だ」
峻険な峰、高高度故の強風、星明りのみを頼りに夜間山中を進む恐ろしさ、そういったものをこの上なくヒドイ形で経験している凪は言う。
「運が悪ければ落ちる、そんなところにアルベルティナを放り込むわけにはいかないでしょ。私たちなら何とかできても、あの子だったら運が悪いの一言で死んじゃうわよ」
それよりも、と言葉を続ける。
「ランドスカープ軍の指揮官、ヴェイセルだって話じゃない。アイツならうまいこと敵軍突破する方法考えてくれるかもしれないわよ。もののついでに戦争手伝ってあげればこっちの手伝いもしてくれるでしょ」
むう、と口をへの字に曲げたのは、マグヌスとアルフォンス、双方である。
その辺の事情は涼太も汲んでやる。アルフォンスはエルフであり人間同士の争いに不用意に踏み込むことは好ましくなく、マグヌスは元々アーサの人間だ。
「ヴェイセルと顔見知りなのも凪と秋穂だけだし、二人で砦に行ってきて、それで向こうで相談して先の話を決めるってことでいいだろ。ああ、一応聞くぞ、マグヌスもアルフォンスも、ここでアルベルティナを諦める気あるか?」
「「ない」」
「よろしい、んじゃまずは凪と秋穂、頼んだぞ」
「あいよー」
「りょーかーい」
カテガット奥砦の城壁上。
城壁の外では、アーサ軍が篝火を焚いて何やら騒いでいる。
そしてそれ以上に、城壁上では篝火やら松明やらが灯っており、それらは城壁上の一角に集中している。
「あちゃー」
「あれれー」
凪と秋穂が城壁上にいる。その周囲を、たくさんの兵が取り囲んでいるのだ。
「うん、確かに。言われてみればぐうの音も出ないわね」
「しかも夜だしねー。下で斬ったアーサ兵の姿も見えないだろーしそりゃ警戒されるよねー」
突如として、堅固な城壁上に見たこともない人間が立っていればそりゃ誰だって怪しむだろう。
暗闇に乗じて城壁をよじ登ってきたのであるが、その速さが人並外れていたため、城壁上の人間が気付くことができなかったという話である。
包囲し攻撃を続けているアーサ軍も、城壁の全ての場所に攻撃しているわけではなく、一応ソレを外すていどには知恵は回る模様。
幸いにして、騒ぎを聞きつけこの場にきた兵の中に、凪と秋穂を見知っている者がいたおかげで、犠牲者の一人も出さずに話を通すことができたのである。
秋穂は苦笑していた。
『鬼哭血戦十番勝負の時みたいに顔出ししてたのが良かったって話だね。ホント、物事ってのは何がどう転ぶかわかんないものだよ』
凪と秋穂が乗り込んだ城壁は、中央城壁でありここの指揮官であるエーギルとは対ボロース戦において面識はある。
なのでエーギルが直々に凪と秋穂を連れて歩く。それに加えて鬼哭血戦十番勝負で味方であったユルキも同行している。
これは二人に気を使ったというわけではなく、この二人が暴れ出した時に対応できる人員を用意した、という意味である。それが本当に可能かどうかはさておき。
エーギルは二人をとても警戒しているが、ユルキはといえば二人がきたことを驚きつつも喜んでもいる。
「お前たちも混ざろうという話か?」
「一応そのつもりもあるけど、より優先する話もあるのよ。その辺はヴェイセルと話し合ってみてからね」
「参加するのなら是非剣士隊に来い。お前たちとはきっと相性も良いぞ」
そんな話をしながらヴェイセルの下へ案内される。
実際に面会が成るまでに多少時間がかかったのは、不知火凪と柊秋穂の二人を危険人物とみなす者が多数いたせいだ。教会相手の千人殺しは武名ではあるが悪名の方がより近い。
ヴェイセル自身はこの二人を敵とは見ていない。もし敵に回るにしても不義理な形ではそうしないと思っている。
なので他の者を納得させるための護衛としてエーギルとユルキを伴っての話し合いである。
アルベルティナのこと、スヴァルトアールブのこと、エルフのスキールニルが魔術を用いて居場所を特定できること、そんな凪たちの事情と今後の作戦予定を説明すると、ヴェイセルは即座に返事をしてきた。
「それならウチの作戦に参加していけ。アーサ軍をどうにかできればいいんだろう」
「あんまり時間かけてらんないわよ」
「そうだな。だがこちらもそれほど時間をかけるつもりもない。お前らがきたのなら尚更な。ま、二日、もしくは三日ってところか」
「三日? こっち一万で相手四万五千なんでしょ? そんなんでどうにかなるの?」
「確かに長く戦ってもいいし、長引けば長引くほどこちらに有利でもある。だが、戦場に関係のないところで戦況をひっくり返させる可能性もないではない。アーサのオージン王はそういうところも警戒しなきゃならん相手だ。だからこそ、十分な勝算があるのなら動く理由になる」
ランドスカープ軍は援軍を期待できる立場だ。
だが、後背の安定度でいうのであれば、ランドスカープよりアーサがより勝ろう。
王都圏でギュルディはその覇権を確立させつつあるが、抵抗勢力が絶無というわけでもないのだ。
その上で、作戦が失敗したとしても、被害と成果とで割に合う取引になる、とヴェイセルは考えているので、これを実行するに当たってさほど抵抗はなかった。
『それでも、お前らがいなきゃさすがにもっと大人しい作戦にしてたんだがね』
王都より派遣され、カテガット砦後方領地にて支援態勢を整えるよう命じられていた貴族は今、地方とは自分が思っていた以上に魔窟である、と再認識したところである。
「妾腹の出る幕ではないわ! 混ざりものめが!」
「叔父上こそお控えなされよ! ご領主様に疎まれ僻地へ飛ばされていたこと! 知らぬ者なぞおりませぬぞ!」
「まあっ! これだから野卑な血を引く者は! 言葉遣いも知らないとは養育した者の顔が見たいですわね!」
「あ、あのー、ですから、今ここには王都より来られたお方がいらっしゃるのですから……」
「先代様より後事を託されたのはこの私ですぞ! それが証拠にほれ! この書付には先代様の署名がっ!」
「なあなあ、俺が味方してやろっか? とりあえずこの借用書を引き受けてくれりゃ、この俺様の支持はお前さんのものさ」
領地の執務を行なうのは、それ専用の建物があるのが当然であると思っていた貴族は、それらが領主の館で行なわれていることにまず驚いた。
そして領主が死んだと聞くと、誰が呼んだでもない親族たちがぞろぞろぞろぞろと湧いて出てきて、この館でああでもないこうでもないと騒ぎ始めたのだ。
執務をしている者も多数いるこの館にて、集まった親族たちは彼らに対しその権限もないというのにああしろこうしろと勝手に指示を出し、小間使いのようにこき使おうとするのだ。
そういった者たちに対し抗議しようと貴族が顔を出したところ、彼らは一斉に自分を支持するよう貴族に要求しだしたのである。
カテガット砦にて籠城中とは到底思えない彼らの大騒ぎのせいで、軍への支援態勢を整えるどころか、領内の執務さえ滞ることに。
『いやだから、すぐそこに、アーサ軍が攻めてきているというにっ。なのに何故そのすぐ後ろで後継者争いなんてしてられるんだコイツらはっ』
こんなもの相手にしていられるか、と貴族は彼らに自身の立場を明言し、仕事の邪魔をしないよう求める。
「私は王都の陛下より命を下されている。領主殿が不在というのであれば、一時的にこの領地の采配は私が引き受けることになる。後継者に関しては法に則って粛々と決めればよろしい。必要ならば王都の管財人を紹介しよう」
なので現状お前らに領主の権限はないんだから偉そうに館の人間に命令するな、と続けようとしたところで、親族一同が一斉に文句を言ってきた。
それまで揉めていたのは演技だったのか、というぐらい息の合った様子で彼らは貴族に抗議を続ける。
王の命令にそこまでの権限はないだの、慣習的にそういった時は地方に配慮することになっているだのはまだマシで、貴族を盗人扱いしてくる者や、人の外見的特徴をあげつらうような者、領主様を殺した犯人をまずは捕まえてみせろなどと職責違いのことを要求する者まで出てくる。
貴族は即座に理解した。これは話し合いが通じる相手ではないと。
『兵、連れてくれば良かった……』
後の祭りとは正にこのこと。
部下に兵を連れてくるよう小声で指示を出しつつ、興奮した親族たちが考え無しな行動をしたりしないよう、仕方なくこれを宥めにかかる貴族であった。
作戦まではこれといってすることもない凪と秋穂は、砦の中を見て回ることにした。
以前籠城戦をしたサーレヨックの砦とは何もかもが違う。あちらの収容可能兵数は多くて千やそこらだし、凪たちがかの地で戦った時は三百であった。
だがカテガット奥砦は一万の軍を受け入れ尚余裕がある巨大な砦であり、その大きさもさることながら、砦内に用意されている籠城戦のための備えもあの時とは桁が違っていた。
「倉庫だけで十個以上あるってどういうこと?」
秋穂が思わず漏らした呟きに、凪は興奮した様子で設置中の設備を指さす。
「ねえねえ秋穂、あれ、あれあれ、投石機じゃない? あんなにおっきいの見たことある?」
「……城壁と似たような高さあるよね、アレ」
「あ、見て見てあの投石機。シークレットブーツはいてる、ぷぷっ」
投石機の高さがあるのは、これを乗せている大地が大きく盛り上がっているからだ。
その理由を問うと、これはヴェイセルの指示であり、投石機から放つ岩が、大きく弧を描くのではなく、極力直線に近い形で射出しても城壁に当たらないようにしたのだとか。
上から降ってくる形だとその場で数回跳ねて終わりだが、横から投げるような形であれば、岩は何度も転がってより大きな被害を敵に与えるだろう。
それで飛距離は落ちるものの、籠城戦ではそれ自体は利点にもなりうるものだ。
そんな投石機が各所に二十台以上設置されている。
他にも、城壁上から落下させるための様々なものを運び上げるため、滑車を使って引っ張り上げられるような細工が数か所なされている。
凪と秋穂が砦の中にきたのは夜であったが、敵の攻撃は決して止まることはなく、篝火に照らされた砦内では皆が忙しなく動き回っている。
殺気立った怒声や罵声、石一つ運ぶのにも命がかかっていると言わんばかりの険しい顔つき。
二十歳前の、それも女の子には刺激が強すぎる光景であったが、凪も秋穂も、こんな景色に笑みが零れる。
「いい兵士たちじゃない」
「うん。みんなやる気もあるし、変に遊んでいる人もいない。こういうの、上がよっぽどきちんとしてないとこうはならないよね」
「一万よ、一万。それだけの兵がいるってのに、アッカ団長が三百人でやってた時みたいにみんながみんなきちんと動けてるのって、実は結構すごいことよね」
砦内を観察しつつ、知り合いに挨拶するべく西部城壁へ向かう。
二人が来ると聞くと、西部城壁の責任者、オーヴェ将軍はすぐに顔を出してきた。
本当にきたのか、と確認した瞬間のみ、僅かにオーヴェ将軍の眉根が寄っていたのは、コイツらをヴェイセル将軍が呼んだ可能性に思い至っていたからだ。
コイツらを呼ばねばならないほどの戦況というのは、それこそ壊滅必至の殿軍をやる時ぐらいであろう。
ただオーヴェ将軍はこの二人に大きすぎる借りがある身でもある。
「……何か望みがあるのなら、可能な限り聞くが」
「いきなり何よ。いつもの小隊長たちいないみたいだけど大丈夫なの?」
「呼べば間に合ったのかもしれんがな。ギュルディ陛下に借りを返さねばならぬのは私だけだ。巻き込むのは忍びない」
「……いや、それ、アイツらにソレ言ったら本気で怒られるわよ? 多分、自分たち抜きで王都で事件に巻き込まれたのにも腹を立ててるでしょうし」
「まあ、な。実はな、もっと悲壮な話かと思っていたのだが、ヴェイセル将軍の手腕が思っていたより遥かに優れたものであったのでな、これならば呼んでも良かったかもしれんと思い直していたところよ」
「そうよー、ヴェイセルが千も兵持ってれば私だってやられちゃうかもしれないんだからねー…………あー、今はもう無理かな。んー、でもヴェイセル、私が考えもしないこと仕掛けてくるだろうしなー」
何やら悩み始める凪に、秋穂が笑って言う。
「だから、そうやって味方と戦ったらどうなるかなんてこと、考えても口にはしないのっ」
「本気で敵になること心配してる相手なら、こーいうこと口になんてしないわよ」
「それで通るのは凪ちゃんみたいに頭の中まで武侠で詰まってる人間だけだよ」
「何よー」
オーヴェ将軍はとても不思議そうな顔で秋穂に聞いた。
「お主は違うのか?」
二人揃ってきょとんとした顔を見せた後、凪は大笑い、秋穂はムスッとした顔でオーヴェ将軍を睨み返すが、オーヴェ将軍も凪に倣って笑い出すと、不貞腐れた顔でそっぽを向いてしまった。
オーヴェ将軍はヴェイセル将軍の人となりは知らぬが、凪と秋穂とは何度か轡を並べた者同士だ。
その上で、二人とも信用できる、頼りにできる相手だと認めている。だからこそ、二人の武力を知って尚、こんな冗談を交わすようなこともできるのだろう。
凪は笑いを止めると、思い出したように口を開く。
「そうだ、私一つ思いついたことがあるんだけど、上手くいきそうかどうかオーヴェ将軍に聞いてもいい?」
「ん? 私にわかることであれば構わんが」
「んっふっふー、実はね、すっごくいい手思いついたのよー」
秋穂の表情が曇る。そしてオーヴェ将軍もまた眉根に皺が寄る。
二人共、絶対にロクでもないことだ、と確信すらしているのである。




