230.奴らがくる
スヴァルトアールブのアールとヴィースの二人は、拉致に成功したアルベルティナを連れ、後方支援部隊が待つ街にて合流を果たした。
後方支援部隊はアーサの人間だ。だが、彼らはアーサ国の諜報員でもあり、行商人を装う彼らは他国者とはそう簡単にバレるものではない。
そしてアールとヴィースにとっては、彼らと合流することにより主街道を使うことができ、また宿泊施設を利用することも可能となる。
「いやいや、ようやく一段落ってところか」
ヴィースのそんな呑気な声に、アールも少し気を緩める。
「ずっと気を張りっぱなしだったからな、今日と明日いっぱいぐらいは、馬車で休ませてもらうとしようか」
アールもヴィースもスヴァルトアールブであるが、アーサの諜報員を信頼しているようである。
行商人の長である男には、アルベルティナをさらってきたことしか伝えていない。ソレがアールとヴィースによる仕業であるとバレていないと思っているし、追跡が可能であるとも思っていないからだ。
それに、スヴァルトアールブにとって極めて重要な情報であるユグドラシルに関する話は当然、伝えてはいない。
アールとヴィースが、彼ら諜報員たちに隔意があるというのではなく、ユグドラシルの情報そのものが人間に伝えて良いものではないというだけだ。
「後はお任せを。幌馬車の中に篭っていていただけるでのあれば、大抵のものは用意しますよ」
「なら寝心地の良い枕を頼む」
「馬車の中ですよ?」
「魔術で馬車の中に寝床を吊るすから心配するな」
「……ええ、まあ、外から見えないんでしたら、お好きなようになさってくださって結構なんですがね……」
スヴァルトアールブの高度な魔術ですることか、と思いつつも口にせぬまま行商人の長は商隊の指揮に戻る。
アルベルティナは別の馬車であり、既に睡眠の術は解いてあるが、諜報員に囲まれた状態で、手足を縛られ口と目を塞がれていてはどうにもしようがない。
そもそもからして、アルベルティナ自身は危機対応能力のようなものが必要とされる経験がほぼない。戦場に出たとしても、十分すぎるほどの介護要員を傍に置いた上での話だ。
つまり、現在馬車の中に寝転がっているアルベルティナが考えていることはといえば。
『ど、どーしよー』
であるし、その先に考えが発展することはない。
睡眠の術が解かれた後で、諜報員からアルベルティナの身柄が必要なのであり害する意思はないと言われて、それはよかったと素直に安心するぐらいには、危機感のない人間である。
そんなアルベルティナは、馬車の中ではすることがないので、暇な時よくするように頭の中だけで歌を歌い始める。
別にそれでアルベルティナの魅了の術が発動するわけではないが、音楽のことを考えている間はとても楽しい気分になれるのだ。
全身縛られ馬車に寝転がりながら、身体を小さくゆすりつつ機嫌良さそうにしているアルベルティナを見て、諜報員くんたちがどう思うかはまあ、さておき。
話している内容はそこらのあんちゃんと大して変わらないアールとヴィースであったが、この二人が合流場所まで駆けた速さは、それこそこの馬車一行が街道を進むのと大差ないものであった。
それをアーサ本国につくまで続けられるほどの体力はないが、それでも、三日間そうし続けられるほどの、彼らもまた化け物である。
魔術と体術と、双方共に極めて高い水準で身に着けているからこその荒行であり、これがどれほどのものかといえば、追跡に出たエルフのアルフォンスと狼顔マグヌスの二人が騎馬で追跡したにもかかわらず、合流場所に辿り着くまで追いつけなかったほどだ。
そして追跡側の二人には、馬車で一休みなんて余裕はない。
更に、追跡を続ける二人には、やかましいお目付け役からの苦言が届けられるのだ。
『確かに、『疾走』の術を三日もの間使い続けられるというのは想定外でした。ですが、エルフの若手では特に優れたと称されるアルフォンスが、外の世界で武者修行をし人の世に慣れているはずのアルフォンスが、いつまでたってもアレらに追いつけないというのは、いささか、いや正直もう、いやいや率直に言ってしまうべきでしょうか、いえやめておきましょう言っても詮なきことです』
「これだからコイツと関わるのは嫌なんだ……」
『嫌なのはこちらの方です。少しはマシになったかと思えばこのザマですよ。私は人に失望することはありませんが、エルフ、エルフ、エルフですからねえ、貴方一応』
ちなみにこの遠距離より届くスキールニルの声は、アルフォンスだけでなく馬に乗って並走しているマグヌスにも聞こえている。
『これ、感想を口にしたらきっと俺も色々言われるんだろうな』
なので無言を通す。
それに、あまり軽口に乗る気にもなれない。
誘拐を知った直後ほどの激情はないが、胸中では焦燥感が荒れ狂っている。
そしてきっと、アルベルティナの姿を見た時は冷静ではいられないだろうという予感もある。
なのでそうなった自分を止めてくれるだろうアルフォンスは大いに頼りにしているのだが。
『森を出る前は、そういえばもっとヒドイことやらかしてましたよね。アレに比べればずっと成長したと言ってもいいのでしょうが、そのていどを成長と呼ぶのには、やはり非常に大きな抵抗があるのですよ。アルフォンスていどにそこまでの高望みをすべきではないとも思いますが、一応、曲がりなりにも、エルフなんですしねえ、貴方も。実に不本意ながらも、私と同じ、エルフなんですよねえ、貴方。どうすればここまで無能に育てるんだか……』
だからもうそのぐらいにして、アルフォンスから冷静さを奪うのは止めてほしい、と切実に思うマグヌスであった。
ハーニンゲに派遣されているランドスカープ通商団団長には多くの権限が与えられている。
国と国との交渉、それも武力衝突すら予想されるような厳しい交渉となる案件をこなさなければならない彼には、常の外交官より多くのものが与えられているものだ。
それには本国よりの情報も含まれており、定期的に送られてくるこれらの情報を、団長は丁寧に精査し交渉に活用していた。
なので、アーサ国に出兵の動きアリ、との報せもすぐに団長に届けられたし、その前後の動きの説明もそこには書かれていた。
ただそこに、この情報を何処まで広めていいかといった詳細は書かれていなかった。
いや、規定に従って情報は等級が定められており、これに従うだけであれば特に迷うことはない。
だがここには、今団長の采配の内には、それだけで判断すべきではない、極めて重要かつ、判断の難しい相手がいるのだ。三人ほど。男一人と女二人が。というか涼太と凪と秋穂が。
少し悩んで後で、団長はあっさりと見切ることにした。
『うむ。あの三人は私の案件ではないっ』
と、開き直って伝えるべきは全て伝えてしまえ、となったわけである。
少なくとも団長は、情報を隠しあの三人を誘導した上で、自身やランドスカープに対しあの三人が悪感情を持たぬよう操作する自信はなかった。
なのであっさりと、アーサによる出兵とその具体的内容全てを三人に伝えてしまうのである。
したり顔で凪は頷く。
「流石はアーサね。こっちが乗り込む前に、向こうから仕掛けてくる」
うんうん、と頷く秋穂。
「あちらさんの思惑はさておき、まとまって兵隊が出張ってきてくれるんなら望むところかな。一々色んなところ襲って回るの面倒だし」
各地の教会を襲って回ったことであろう。秋穂の脳内ではアレと同じことをアーサ国内でもやる気だったという話であろうか。
涼太は渋い顔で言う。
「ヴェイセルが出るんなら俺たちの出番ないんじゃないか?」
これに対し、凪が当たり前の顔で返す。
「私たちが行けばその分多く殺せるでしょ。アーサに乗り込んだ時、ここで殺した分だけ楽になるわよ」
「発想がサイコ過ぎる」
「ギュルディの即位の邪魔するためにランドスカープ国内を好き放題荒らそうって連中相手なんだし、妥当な対応なんじゃないかなー」
「……すみません、その通りです」
あっさりと涼太城は陥落し、三人は対アーサ戦線に参加することが決定した。
アーサの様々な謀略に対し、涼太は一定の理解はあったのだ。
国土面積と人口はランドスカープの方が大きく、アーサは常にランドスカープの脅威に備えなければならない。
これをこなしつつ国内の生産力を上げランドスカープに対抗していくというのは、並大抵のことではあるまい。
そのためにあらゆる手段を用いて国を守らんとする王がいたとして、その王のあり方を責めようという気にはなれない。
だから涼太は、そこまでならばむしろ好意的であるべき王、と受け取るようにしている。
『まあその先がダウトなんだけどな』
あらゆる手段、つまり、隣国の不幸をダシにしようという段階で、ダシにされた方が反撃に出る理由にもなってしまうわけで。
じゃあアーサの王はどうすればよかったのか、と言われて即答を返せない涼太だ。謀略の一切を行なわず友好的な接触を持とうとしたとして、ランドスカープの側がアーサに対し侵略の手を伸ばさぬという保証はない。
現に、武力的な侵略をしない、そこに価値を見出していないギュルディやゲイルロズ王にしてから、経済的な侵略にかんしては仕方がないと受け入れるしかないと思っている。
配慮はするが、両王共に経済発展の機会があればこれを積極的に採用しようとするだろうし、結果として周辺国家との経済格差が生じたとしても、ソレ自体に責任を取るつもりはなかろう。
武力侵攻はしなくとも、経済的に属国化、もしくは植民地化するのであれば結果はさして変わらないだろう。
『いやまあ、知恵と工夫で生産力を上げたとして、そうしなかった連中に配慮して知恵も工夫も控えめにしろって言われて、ふざけんなって思うのもわかるんだよな。評価基準が腐ってる共産主義とかこの世全ての悪の元凶としか思わないし』
涼太自身の基準はこうなのだが、雇い入れる人員にかんしては極めて一般的な、最低限要求するのは単純労働であったり、誰が見てもはっきりとした判断基準を設けてやりこれを周知したりと、明らかに涼太の基準では労働者として認められない自ら創意工夫をしない存在を前提にしている。
それなりの期間、現場で葛藤し続けた結果がコレなのであろう。高校生の時点で既にこのザマというその姿に哀愁を漂わせている部分は確かにある。社畜涼太の二つ名は、決して凪の悪意のみでつけられた名ではない。
涼太にとってアーサのオージン王とは、決して隣国の悪の大魔王というわけではなく、王が王たらんと振る舞っている、それだけだと思っている。
だから凪や秋穂ほどに敵意を持ってはいないし、それはアーサという国そのものに対してもそうだ。
『そりゃあ焦るよな。だってさ、ランドスカープをギュルディが治めたら、十年も経てばもうアーサじゃどーにもならなくなる。予言やら不老の王様やらで踏ん張ってきたんだろうけど、ランドスカープが分裂をやめて力を合わせるようになっちゃったらもうどーしよーもないだろ』
涼太はギュルディから話を聞いている。
まだ腹案でしかないと言っていたギュルディのその話の中で、アーサ国の立ち位置は仮想敵国である。
街道が整備され、或いは海の道が開かれて、遠隔地にある国家との交流がなされるようになるまでは、アーサにはランドスカープにとっての敵国となっていてもらうと。もしアーサやハーニンゲなどの一帯全てを支配してしまった場合、敵のいなくなったランドスカープはまたも国内で争い合うことになる、そうギュルディは考えていた。
だから、新たな敵となりうる国家との距離が縮まる、つまり行き来にかかる時間が短縮されるようになるまでは、アーサにはランドスカープが統一され団結して生産力を上げていくための、標的、目標、悪役、になってもらおうというのだ。
『えげつないよなー、ああいうところは実に王様だと思うよ』
ギュルディのその意見に対し、涼太はとても否定的な顔を見せたものだが、ギュルディは別段悪びれるでもなく言ったものだ。
『今アーサがこちらに向けてやってることそのものだろう。アーサ国内を荒らすつもりはない分、こちらの方が遥かに良心的だと思うがね』
何が悪辣かといえば、現実では悪い王様を退治してそれでお終い、なんてことには決してならないはずなのに、悪い王様を退治してしまえばそれで綺麗にお終いになってしまいそうなところであろうか。
そしてきっとギュルディの抱える情報分析官たちならば、この案を実現してしまえるだろう。遠目遠耳の術を用いて数多の統治者たちをその目で見、その耳で聞いてきた涼太の知識からしても、かの情報分析官たちはより勝る傑物の集まりであるのだから。
ただ、涼太は知らない。
ここが涼太の考える常識の通じる現実なんて世界ではなく、人が想像できることは全て他の人が実現できるんだよ、なんて言葉がまかりとおってしまうような現実の世界であることを。リアルパイセンの真の恐ろしさを涼太はまだ知らないのだ。
ましてや今涼太のいるこの世界には、ジュール某が知っていた科学技術だけではなく、魔法なんて馬鹿げた法則が存在するのだから。
涼太は馬に乗ってこれを走らせる。
結構な速度だ。このまま半日も続けていれば馬も潰れてしまうだろう勢いで馬を走らせるのは、それなりに乗馬に慣れてきた涼太にとってもキツイものだ。
だが、それを、涼太の左右に分かれ並走している凪と秋穂に向かって言う気にはなれない。二人は当然馬になんて乗ってはいない。普通に、大地の上を、両の足で走っている。
「涼太も随分と馬に慣れたわね。どう? 後どれくらい馬もちそう?」
「次の町で換えよう。金があるとはいえ、随分と贅沢な話だよな」
走れるだけの速さで馬を走らせ、町についたらすぐに新しく疲れていない馬に乗り換える、そういったことを繰り返しているのだ。
そこまでして急ぐ旅ではない。だが、そのぐらいしないと、凪と秋穂の鍛錬にならない、と言われているのだ、涼太は。
「……やっぱ絶対におかしいよな、これ」
即座に反対側から秋穂の声が聞こえてきた。
「おかしくないと思う人、はーい」
「はーい」
「お前らの多数決はもう参考にしないって言ったろ! 走りきってへろへろになったところで暗殺者の待ち伏せとか受けても知らねーぞ!」
秋穂が即座に返す。
「魔法を使ったとしてもー、今の私たちを待ち伏せするのってほぼ不可能なんじゃないかなーって思いまーす」
「そーだな! この速さで移動できる人間なんているわきゃねーし! よっぽど包囲上手くやらねーとあっさり振り切られてお終いだわな!」
走りながら凪は笑う。
「あはは、待ち伏せなんてふざけた真似した連中、生かしとくわけないでしょー」
「最近君の発言からはサイコ味しか感じられないんだが!?」
秋穂がまたも即座に返してきた。
「そのサイコなリアクションが今の世のすたんだーどだよー、いい加減諦めて認めちゃいなよー」
「ハーニンゲの一般人見てその台詞言え!」
「ほほう、ハーニンゲで兵士の群に襲われた私に言うんだー、それをー」
「おうち、普通に忘れてた。……いや我ながらそれもすげぇ話だよな。今本気でそのこと忘れてたわ。俺たちも随分と理不尽な暴力ってのに慣れちまったもんだよな」
涼太の言葉に凪と秋穂だけでなく涼太自身までもが首をかしげる。
そしてまずは凪が。
「理不尽な暴力には全く慣れてないわよ。やられたら即座に手が出るぐらいには」
次に秋穂が。
「理不尽な暴力じゃなくて、理不尽な暴力を蹴散らすことに慣れたんじゃないかな」
最後に涼太が。
「……俺たちさ、そろそろ正気に戻ってもいい時期がきてると思うんだが……」
やだー、と凪と秋穂が同時に言って、更に加速しながら馬を追い越していく。
振り返って涼太を見る二人の笑顔を見て、涼太もまた笑う。
正気に戻るなんてこと、絶対にないとわかっているからこそ口にできたのだ。
『正気に戻る時期なんてもの、とっくに通り過ぎてんだよな。きっと、盗賊砦を落としたあの時もう、俺たちは取り返しなんてつかないところに行っちまってて』
だが、涼太も凪も秋穂も、三人共が望んで今のこの場所にいることだけは、知っている。
外れた、逸れた、脱した、そんな表現が相応しい三人の旅はしかし、楠木涼太と不知火凪と柊秋穂の三人での旅であるのなら、これこそが正道で王道である、と三人共が信じているのだ。




