223.その後のハーニンゲ
凪は現在、戸板の上に寝転がりながら、ぼんやりと空を見上げていた。
『そーいえばどっかで、殴り込みにきた相手を叩きだす時は戸板に乗せるとかってなかったっけ。あれ? 殺して返す時の話だっけ?』
もちろん凪はそんな目に遭っているわけではない。勝ったのは凪なのでむしろ本来は凪が乗せる方だ。
凪を山から運び下すのに、狩人たちが山小屋の戸板を使って運んでいるというだけの話だ。
『いやまあ楽だからいいんだけどね』
凪の怪我を見た狩人たちの表情は、そりゃあもうヒドイものだった。
まるで死人でも見るような目だったのだが、その後の必死の形相を見れば、戸惑う凪を戸板に乗せて狩人たち皆で山を運び降りてくれたことを考えれば、麓の村でできる限りの治療をするべく走り回ってくれたことを思うに、とても心配してくれていたせいだとわかった。
なので基本治療の類は涼太以外からは絶対に受けないことにしていた凪であったが、わざわざ女手を用意して手当てをしてくれるというのを無下にできず、言われるがままに治療を受けた。
その上で、凪が魔術師である涼太の治療を受けられる、と言うと、彼らは馬車を用意して即座に涼太のいる街まで輸送の手配をしてくれた。
『……なんか、こーいうの、全然慣れないんだけど』
恐れられるのには慣れていても、割れ物を扱うように丁寧にされるのは居心地が悪いと感じる凪だ。
凪は全身布塗れの我が身を見下ろす。通常、傷を受けた場所が痛むものだが、今はもうどこもかしこも痛すぎて何処が痛いのかもよくわからなくなっている。
身体の損傷把握なんてもの、戦いにおいては最も優先すべき事柄であるのだが、ここまでしっちゃかめっちゃかにやられてしまうと、さしもの凪にもどうにもならない。
『けど、意識はあるし、死ぬ感じもない、か。多分これ、私だけじゃなくて秋穂もこうなってる』
自分の身体が既に異世界の影響を受けている、とはっきりと認識した凪だ。
元の世界でこんなことは、到底ありえないだろう。元の世界基準でいうのなら、凪は魔狼たちに食いつかれた段階で死んでいなければおかしいのだ。
『それを試すような状況になっちゃったってのもどーかと思うけどさ。でも、今回ここまで死なないのがわかったけど、じゃあどこで死ぬのかはまだわからないままなのよね』
ふと、馬鹿げた話が思い浮かぶ。
今の凪の延長上にイモータル(不死者)、或いは神、なんて話が転がっているのでは、と。
だが、だとしたら。
『人一人不死にするのに、何人死ななきゃならないんだか。馬鹿馬鹿しくなるほどに不経済な話よ』
そういったものに不知火凪は別段浪漫を覚えることはなく。とことん現実的にそう感じたものである。
狩人たちは怪我を負った凪が、間違っても他者から害されることのないように、それはもうびっくりするほど真剣に警護についてくれていた。
彼らは知っているのだろう。不知火凪という人間離れした稀有な戦力と、今はソレを仕留める絶好の好機であることを。
狩人たちにとって凪が誰の敵で誰の味方かなど最早どうでもいいことだ。
恩もある。借りもある。だが、彼らが必死になって凪を守らんとするのはそれだけが理由ではない。
『このお人は、今ここで死ぬようなことがあってはならないお人だ』
生きていれば生きている分だけ、数多の偉業を積みあげていく、狩人たちには思いもよらぬほどの価値を持つ、歴史に残る偉人、英傑、そういった存在であると狩人たちは確信している。
これからももっとたくさんの人たちに影響を与えるだろうこの人を、狩人たちのところで失わせるような真似だけは絶対に認められない、そう彼らは考えていた。
なので凪が気持ち悪いと思うほどに気を使ってくれるし、陶器でも運ぶのかという勢いで丁寧な移動を心掛けてくれる。
凪が乗せられた馬車の荷台は、揺れても痛くないよう何重にも敷き布がしかれ馬車の上にしては驚くほどに快適な環境にあり、気を抜けば寝てしまいそうなぐらいであった。
『寝ないけどねっ』
この男たちを信じていないわけではない。凪は、この男たちにも対処しきれないことが起きるかもしれないこの世界を、信じていないのだ。
走る馬車の荷台に寝転がった姿勢の凪は、そのまま真上である空を見上げる。
もう太陽は完全に沈んでしまい、頭上には満天の星が広がる。
凪が見上げたちょうどその時、星々の間を縫うように、一筋の星が流れて落ちた。
「あれ?」
凪の声が不満気なのは、それが凪が思ってたより、全然大したことがなかったせいだ。
『おっかしいなー、確かに似てるって、咄嗟にそう思ったのに』
凪目掛けて空から飛び込んでくるフェンリルを見て、凪は一瞬、流れ星を連想していた。
とてもぴたりとくる形容だと思っていたのだが、いざ久しぶりに見た実物は、凪が思ってたよりもずっと普通すぎる、感動も何もないものであった。
『あの時は確かに、綺麗だと思ったんだけどな』
一直線に凪へと向かうあの狼を、凪は本当に綺麗だと思ったのだ。
そして、凪は思い出す。
フェンリルを引きはがし、頑張って立ち上がった後の光景を。
それはこうして見える全ての光が、ほうき星となって夜空全てを覆い尽くす、そんな景色に凪には見えていた。
「本当に、綺麗だと思ったんだけどな」
ぽつりと呟くと、凪は星空を見上げた姿勢のまま、狼たちとの戦いを思い出す。
これからも、何度もそうしようと思った。
彼らを思い出してやれるのはもう、凪しかいないのだから。
領都にて、秋穂とハーニンゲ領主との交渉は進んでいた。
とはいえそれは秋穂が話し合いの場に立つという話ではない。領主と交渉するのは秋穂の代理人のような立ち位置になってしまったランドスカープ通商団の団長である。
秋穂は交渉のような面倒ごとを自分が手掛けるのを望まないし、領主の側も秋穂と直接交渉するのだけは絶対に御免だと思っていた。
そのため、通商団が間に入るのが最も円滑に事が進むのだ。そしてその日、通商団団長であるランドスカープの上級官僚は、苦々しい顔で交渉の経過と気付いてしまったことを秋穂に報告した。
「連中、アキホがハーニンゲと揉めていることを、リョータに伝わらないよう小細工をしているぞ」
「は?」
小細工の内容云々ではなく、涼太に何かをしている、というただその一点のみで秋穂の機嫌が急落した。
それでもいきなり殺しに動くのではなく、団長の話をまずは聞いてから、と話の続きを促す。
団長曰く、秋穂との話がまとまる前に、涼太や凪に話がいってそちらも説得しなければならなくなる事態を防ぐため、らしい。
そういう真似をしていることを、秋穂に気付かれぬとも思っているらしい。
団長が気付けば当然秋穂に伝えるのだが、それでも気付かれぬと思っているということはつまり、と続け団長は不快げに顔をしかめる。
「よくよく、なめられたものよな」
別に秋穂のために怒っているわけではないのだが、団長がこの行為を怒っていることで、秋穂は少し機嫌を直した。
「それ、さ。この場ではバレなくっても、後で二人に話がいってないのはおかしい、ってならない?」
「話がまとまってしまった後ならば、リョータもナギも文句は言ってこない、と思っているのだろう。正直に言う。まさかハーニンゲがここまで呑気だとは思わなんだ」
「呑気、かー。そうだよね。だって、こんな真似して私の機嫌を損ねて、それで終戦協定をまとめたとして、私がまた暴れ出したらどうするつもりなんだろ」
「協定を破るような真似はすまいと思っているか、もしくは間に入った私が止めてくれるとでも思っているのだろう」
「止める?」
「まさか。王にお伺いを立てるまでもない。ハーニンゲの連中が勝手に勘違いしたことに、何故我らが損失を出してまで付き合ってやらねばならん」
だが、と嘆息しつつ団長は続ける。
「先の戦いを戦と認識したからこそ終戦協定なんてものを持ち出してきたのだし、それは本来国と国との交渉事であり、国と個人との交渉なんていう連中にとって未知の出来事に対し、何処まで同じように適用できるのかがわかっておらんのも無理からぬところではある」
だから多少は考慮してやれ、と言下に告げると秋穂の中に湧きあがっていた殺意もそれなりに落ち着いてはくれる。
というより、湧いた殺意以上に、この連中と絡むのもう面倒、という意識の方が強くなっていた。
なのでそれをそのまま口にしてみる。
「めんどくさーい」
「そう思わせることができているのなら、交渉役としては十分な仕事を果たしたと言えるのだがな」
「めんどくさくなったから全部殺しちゃう、とは考えないんだ」
「…………考えたのか?」
「ちょっとだけね。涼太くんや凪ちゃんを害しようって話じゃないんだよね」
「ああ。……いや、そういうことを考えかねない馬鹿がこの世にいるのは事実だろう。そんな馬鹿が実際に行動に出るかどうかは、私にも保証はしきれん。とはいえ、直前に同じ馬鹿をやらかしているというのに、すぐまたこれを繰り返すというのはちと考えにくいがな」
団長は秋穂の脅威を認識しているからこそ、できぬはできぬときちんと明言するようにしている。
そしてハーニンゲの連中の為に、ほんの少しの危険でもこれを請け負うのは御免だとも思っているからこそ、これから再び秋穂が動くかもしれないようなことを口にするのだ。
「領主、殺してほしいの?」
「絶対にやめてくれ。発言権の著しく低下した領主、というのはこちらにとっても都合が良い。領主不在なんていう混乱状態になるよりは遥かにな」
ふーん、と頷いた後で言う。
「領主、殺してほしいの?」
「おいこら! もしかして殺したいのか!? 言っておくがあんなでもハーニンゲでは最大の権威なんだぞ! 国が乱れるのを望まないからこそリョータがああまでして動いたのではなかったのか!?」
「やっぱそーだよーねー。あーもうっ、自国の平穏を盾に好き放題する領主ってどーなのー」
「当人にそうしている自覚がないのに何を言っても無駄だろう。だがな」
そこで団長はとてもとても人の悪い顔をして笑う。
「お前はまだわかっておらんようだが、発言権を削り取られ、配下に十分な利益を配ることのできなくなった領主というのは、それはそれはみじめなものだぞ。仮にも一国の王として扱われてきた者が、今後は私のような代理人相手にすら大きく遜らねばならなくなるのだ。あの愚か者にとってはこの世の地獄であろうな」
不意を突かれた、と意外そうな顔をする秋穂。
「そういう見方は思いつかなかったな」
「だろうな。貴族王族というものは、そういった体面を保つために血道を上げるものだ。もう二度と、そんな矜持を持つことはできなくなったがな。後でリョータにも話すが、ハーニンゲの併合は既定路線だ」
「そうなの?」
「実際の併合は十年以上先の話になるだろうがな。それまでに、再びハーニンゲの統治者たるに十分な資質を王に示してみせられねば併合は不可避だ。くくっ、利権は失われ、矜持は保てず、何よりも後の世に、ハーニンゲ失墜の主因として語り継がれるのが決まってしまっているのだ。これより先はさぞや鬱屈した日々となろうよ。それでも、逃げ出すことは決して許されない」
だから間違っても、と団長はにやにや笑いながら言うのだ。
「苦痛苦悩より解き放ってやるような、親切な真似はしてやるなよ」
涼太とよく話をしているからこそ、頭梁山泊な秋穂も統治者側に立つ困難や苦悩を理解できるようにはなっていた。
なので団長のこの話に納得することにしたのだ。そもそも、ハーニンゲとの終戦交渉という極めて不快な行為を団長に押し付けている秋穂だ。彼に大きな迷惑をかけるのは、さすがに不義理だとは思っているのである。
ランドスカープ通商団の判断を揺るがした主因、ハーニンゲ併合路線の立役者、ハーニンゲの持つ可能性を示して見せた者、楠木涼太である。
涼太が提出した地方開発とその予想収益は、ハーニンゲ併合にかかる労力を差し引いても十分な利益を見込めるものであった。
地方開発そのものは本来ハーニンゲが独立領のままでもなし得るものであるが、ハーニンゲの国是から考えるにきっとあるだろう現地の抵抗を考慮すれば、併合の腹を決めて深入りしてしまった方が最終的にかかる費用は安く済む、と判断されてしまったのだ。
何事も数字で出すのが一番理解が早いものだ。
もちろん拙速でただただ支配領域が広がることを喜ぶような浅慮な者が考える併合ではない。
なので併合までには十年近い長い時間をかけるし、その間もハーニンゲより収益の上前を撥ね続けランドスカープの側は常に利益を得続けられるようにしてある。
国と国との関係とは、シビアで世知辛いものなのである。
そんなことになっているとは露知らず、涼太はのんびりと事業の撤退を進めていたのだが、そこに凪が運び込まれてきた。
「やっほー」
なんて気安い調子の凪の挨拶に騙される涼太ではない。
「おまっ! 何やらかした!」
すがるような、泣きそうな顔の狩人たちに見送られ、涼太と凪は二人っきりで部屋に篭る。
そこで行なわれる行為や、その時の凪の衣服の状態を考えれば、とても色気めいた状況にも見られるものだが、当然そんな話には一切ならない。
この街に辿り着くまで、フェンリルとの戦いからこっち一睡もしていなかった凪は、治療の最中に寝てしまっていた。
そして治療をする涼太はといえば、あまりにも凪の損傷がひどすぎて、今にも死んでしまうんじゃないかと半ば泣き出しそうになりながら治療を進めていた。
治療が終わり、翌日になって顔色も戻り、いきなり全開戦闘すら可能なほどに復活した凪を見て、狩人たちもまた泣き出しそうなぐらい安堵した顔をしていた。
そして、この話はここで終わりである。
フェンリルたちの打倒は国の方針でもなければ、そもそもからして脅威と認定すらされていなかった。
なのでハーニンゲ領主はもちろん、地方領主すらこの凪の戦いに対し、感謝だの謝礼だのといった話にはならなかったし、ハーニンゲの人間で凪の戦いの価値を唯一知っている狩人たちもまた、今後もそれを統治者に理解させるのは不可能だと知っていた。
そんな現状に対し、凪が漏らした言葉がこれだ。
「なんかそれ、ちょっとかっこいいわね」
元より、自分がそうしたかったからした、それだけであった凪は、そんな一言で狩人たちのみが知るハーニンゲ領を救った大殊勲を、誰も知らないままでいい、と受け入れた。
狩人たちは、自分たちがそうであると信じた英雄の、誰よりも気高い心意気に感動し、そしてやはり英雄だったと深く納得した。
そして涼太はこんな状態の凪をわざわざここまで、それもありえないほど丁重に運んでくれた狩人たちに感謝し、彼らに十分な謝礼を渡した。
狩人たちはそれはそれはもう物凄い勢いでこれを固辞したものだが、なら今回、凪と共にあった記念に、君たちだけはこの事件を覚えていてくれ、と言って高価な宝石やら武具やらを勧めると、彼らも断りきれずに受け取ることにしたのだ。
後になって凪が不思議に思って涼太に聞いたものだ。
「ねえ、ああ言って渡しちゃったら、あの人たち絶対にアレ売ったりしないんじゃない? 死蔵してるだけじゃ意味ないでしょ」
「あの人たちの代はそうかもしれないな。だがな、決して裕福ではないんだ、あの人たちは。いずれ息子、孫といった代になって、生活に困るようなことになった時、きっとあれらを使ってどうにか危機を乗り越えようとしてくれるだろうよ」
そんな先のことまで考えてなかった凪は、涼太のその言葉で納得してくれた。
ベロニウス流剣術創始者ヴィクトルは、息子と弟子たちの合同葬儀を終えると、自身の屋敷にて疲れ切った顔でお茶をすすっていた。
その対面に座り、気の毒そうな顔をヴィクトルに向けているのは、孫のアウグストだ。
彼もまた父と同門の仲間を失ったのであるが、それを覚悟せねばならぬような窮地をランドスカープ王都で潜り抜けてきた後でもあり、動揺自体はあまりなかった。
アウグストは祖父を傷つけないようにしながらも、それでも聞かずにはおれぬことを問う。
「なあ、じいちゃん」
「……なんじゃ?」
「これが、ベロニウス流か?」
揶揄するような口調ではない。真剣な顔でそう問いかける孫に、ヴィクトルは自嘲するように答える。
「ああ、そうじゃよ」
「そっか」
やはりアウグストに侮ったり詰ったりする様子はない。
そのまま無言で考えをまとめたアウグストは言った。
「なら、俺の嫁と息子、こっちに呼んで、ここで一緒に暮らしてもいいか? きっと嫁も、嫁の実家も、ベロニウス流なら旦那が剣士でも納得はしてくれると思う」
思いもよらぬ言葉に、落ち込んだ気分が全部吹っ飛んでしまったヴィクトルだ。
「お主、子供、おったんか。というか、もしかして、ワシの曾孫、か?」
「ああ、そうだよ。顔、見たいだろ?」
呆気にとられた顔をして、そして、ヴィクトルは大声で笑い出した。
息子を失ったが、ヴィクトルは曾孫を、そして自らの後継者を、得ることができたのである。




