218.万事良し、とはいかぬもので
ランドスカープ王都を進発した通商団は、その要求がハーニンゲ産業の壊滅的打撃を意味すると知っているからこそ、これを押し通すに十分な武力、二千の兵を準備したのである。
もちろん、通商団が到着後すぐにハーニンゲが滅亡するわけではない。むしろ一時的には恐ろしく安価な商品が出回るわけであるからして、消費者として見る分には決して悪いことではない。
ただ、これによりハーニンゲ産の商品が全く売れなくなり、これらを取り扱っている農家や商人が、仕入れだの製造原価だのを無視したランドスカープ価格にて販売するしかなくなり、商売が立ち行かなくなるというだけだ。
実はこれ、ランドスカープ国内でも起きていた出来事である。
リネスタードから大量に送り出される商品を、ボロースや王都圏で受け入れたことにより、それぞれの商品の産地が大きな打撃を受けているのだ。
そちらに関しては、結構な数の者がその危険を理解せぬままにリネスタードの商品を受け入れていたことを考えるに、さすがにハーニンゲは交易で成り立っているだけはある、といったところだろう。
通商団を任されている上級官僚は、一応は自身の配下扱いである二千の兵のことを考える。
『ギュルディ王の仰せとはいえ、商取引に軍を同行させるというのは、どうにも私の美意識に反するな』
商取引の際、護衛を連れていくのは当然の備えだ。だが、いくらなんでも兵二千はやりすぎだ。二千の兵をまとめている将軍曰く、ハーニンゲ如きならば領都を攻めるにこの数で十分、だそうだが、絶対にそんな真似をさせるつもりはない。
ランドスカープ上層部ではもう意識が統一されている。ハーニンゲの完全占領はワリに合わなすぎると。
将軍は威勢の良いことを言っていたが、彼もその辺はわかっているし、そもそも連れてきている兵は治安維持を得意とする兵たちである。
その事実に上級官僚は、もう笑うしかない、といった調子である。
『占領するつもりはない、と言っておきながら占領政策向けの兵を用意するというのだからな。とはいえ、事前調査を考えるにハーニンゲ自身による治安の維持は難しい、と出ている以上対応せぬわけにもいかぬ』
ランドスカープからの商品のせいで混乱する他国ハーニンゲの治安を、ランドスカープから送り込まれた兵士たちで維持し守っていくという話だ。乾いた笑いの一つも出ようものだ。
正直なところを言うのであれば、上級官僚はもう反乱の一つや二つは許容すべき、とすら考えていた。
彼の手元には、ハーニンゲ統治のために必要な人員が書かれた紙がある。この紙も、従来のものの三分の一以下の価格で済むもので、かつ軽くて書きやすいと、皆が手放しで絶賛している新商品だ。
『この、ヌールマン家のイデオンという若いのは話が通りやすそうだな。何でもそうだが、やはり目新しい出来事に対応するには若い者がいい。アーサとの取引で功ありとのことだし、こういう者は商機を決して見逃すまい』
上級官僚は幾人か目星をつけているハーニンゲ人に対し、通商団が出発すると同時に人を送り込んでいる。
このイデオンを中心とした若手貴族たちを軸に、ハーニンゲ人自身による改革を進める形が望ましい、と上級官僚は考えていた。確かにこの時点ではまだ、イデオンとその取り巻きである貴族たちはハーニンゲの未来を担う人員であるとみなされていた。
ただ、通商団が出発してから、ハーニンゲよりの報告が来ると上級官僚は首をかしげてしまう。
「ハーニンゲの側でようやく輸出規制撤廃の対策に動き始めたと?」
今更、というのが上級官僚に限らぬランドスカープ人の総意だ。だが、これを促したのがあの、黒髪のアキホと金色のナギと共にあるリョータだという。
報告者はできた人物で、その施策を細かに拾ってきて全て上級官僚に説明してくれた。
話を聞いた上級官僚もそう判断した通り、理にかなった対策ばかりであるし、その施策の数々を聞けば、これを進めているという人物の人となりも見えてくる。
ランドスカープ側が望むことを熟知した上で、ハーニンゲ人の生活が立ち行かなくならぬようにするのがこの施策の目的であろう。
だが報告者は懸念も同時に伝えてきた。
「ですがこれらの対策は、各地方の街長や市長が独自に行なっているものばかりであり、領主様から指示されたものではありません。動かぬお上に業を煮やした、といったところかもしれませんが、もしこれが有効な施策であったのならば、領主様の面目を著しく潰すことになるかと」
「そこまで意固地になって領主様が対策をせぬ理由は何だ? この機に地方の農村部を切り捨てる算段だとでも?」
「少なくとも各地方都市の責任者たちが、領主様よりの咎めを心配せずにいられるていどには話を通してあるのでしょうが、領主様がこの事態において表立って動いていないというのはさすがに妙ではと」
各都市よりの要望に応えこれを許可すると同時に、イデオンの策を良しとし対ランドスカープ強硬策を展開しているため領主は動きが鈍いのだが、現時点でそこまで見抜くのは不可能である。
この後で、イデオンがやらかしたことの報告が上級官僚のもとに届くのだが、これを聞いた上級官僚はただ一言、馬鹿共め、とのみ呟いたという。
その騎士は、騎士として武を誇りながらも統治者としての役割も望まれて生まれており、その立場に相応しい教育を受けることもできていた。
なので、ハーニンゲの領都に通商団に先行して辿り着いた時、現地には既に秋穂、凪、涼太の三人の内秋穂しかいなくなっていたと聞いて、この中から真っ先に涼太に報告をし対応を聞かねばならない、と判断することができた。
この時点ではまだイデオンの謀略は行なわれておらず、領都の秋穂はのんびりと離れで料理人と新しい料理に挑戦していた頃だ。
一応秋穂に一言断ると、秋穂もまた騎士の判断を支持し、涼太のいる都市に行くよう促してきた。
「アキホ、リョータがどういう意図をもってハーニンゲのために活動しているのか聞いているか?」
「ううん。今回は休暇みたいなもんだからねー、私も深いことなんてなーんにも考えてないし。それで仕事を始める涼太くんも大概だとは思うけど」
「あれだけ向こうで暴れてきたのだ、少しぐらい休んでも文句を言う者もおるまい。いや、むしろ休んでくれ。そのままずっと休み続けていてくれるとこちらとしても大変に助かる」
「……その困った子扱い、やっぱり継続されてんだ」
「自覚もないとは……」
心底辛そうにそう言われると、返す言葉もない秋穂である。
こんな調子で冗談めいた話をできる相手も、それなりには増えてきた。
王都やらで秋穂たち三人の世話役をしてくれていた人だったり、護衛(三人を守るためではなく三人から民を守るため)の人だったり、諜報員だったり商人だったりの中に、こういった人間は何人かいる。
この騎士もその内の一人だ。一度これをこなせてしまうと、以後、何かと秋穂たちとの接触を任されるようになるという蟻地獄のような任務である。
幸いなことにこの騎士くんは根が真面目なタチであるため、それがお務めだと言われれば二つ返事で引き受けるし、他の誰がやるより自分がそうした方が問題が起こる可能性が低いのだから、率先してそうしようとすらしてくる人間である。
「ま、こっちはのんびりやってるから、涼太くんも好きにやってていいよー、って言っといて」
三人の中で最も醜悪な敵意に狙われている人物の台詞がこれであった。
騎士が涼太のいる都市に辿り着くと、彼は領都で秋穂から聞いていた、涼太の滞在先へと向かう。
ランドスカープの人間だとは言わぬまま、涼太に用事があると滞在先である宿の人間に伝えると、そういった人間は多いらしくすぐに事務所の場所を教わった。
もちろん事務所でもランドスカープの騎士だとは言わぬまま。商人のような風体で騎士は涼太との面会希望を出す。
当初は丸一日待たされるとの話だったが、名前を涼太に告げてもらうとすぐに会うと言ってくれた。それも、他に誰もいない場所でだ。
その辺の配慮を当たり前にさらっと返してくれる辺りが、騎士が涼太を信頼している理由でもある。
「今、話して大丈夫か?」
部屋に入って開口一番騎士がそう問うと、涼太は苦笑する。
「大丈夫、って体裁にはなってる。けど、誰かが盗み聞きの仕掛けをしていたとしても俺には見つけようがない」
「……なるほど、外に出たとしても一緒か。わかった、そういうものだと割り切るしかないな」
そう言って騎士と涼太との話が始まる。
騎士は通商団が既にランドスカープ王都より進発している話と、この編成、そしてランドスカープ側にハーニンゲ占領の意図はないことを説明する。
その辺はランドスカープを出る前からギュルディより話を聞いていた内容で、涼太も特に問い返すことはない。
そうした現状の説明が終わると、今度は涼太よりの説明の番だ。
涼太がハーニンゲにきてからしていたことを順に説明してやると、騎士の表情が強張ったものへと変化していく。
「……こ、工場を、作ってしまったというのか」
王立文献編纂室のビリエルも驚いたところだ。当然騎士も言葉に出してしまうほどに驚いた。
ただ、それも含めた涼太の対応全てに対して驚いた、というのが本当のところだ。
「リョータ。お前の言うそれらの対策が本当にできているのか、私の目で確認させてもらえるか? もし本当に各地方都市がお前の言うように動いているというのなら、本隊はかなりやりやすくなっているはずだ」
「その辺、本隊のボスとも話しておきたいんだよな。対策はした、準備も、まあ一応はしている。けど、ハーニンゲがとんでもない不況になるのは回避できない。だから、これをどうにかしてやらないと、って話だ」
「手はあるのか?」
「不況の時は公共事業って相場が決まってるんだよ。ハーニンゲの地方開発にランドスカープから投資させられれば、復活も早いだろうし更なる成長も見込める」
涼太の言葉の意味を騎士は考える。
ハーニンゲ領の地方といえば、魔獣の害が多く、それほど開発が進んでいないというのが一般的な情報だ。
そこまで考えて、ん? と首をかしげる騎士だ。
「公共事業をするのはハーニンゲ領主の専権事項だ。これにランドスカープから投資をする? 地方開発というからには道だよな。他に商人が投資できるようなものってあったか?」
「わかってんじゃん。その道の整備や管理に、ランドスカープの資金を投資させろって話だ。もちろん投資なんだし、開発したハーニンゲの地方から出る利益の幾分かは投資した人間が受け取ることになる」
絶句する騎士。
それを認めてはもう、ハーニンゲは独立領とはとても言えなくなってしまう。
そこで涼太はくすりと笑う。
「ハーニンゲの領主が信頼できるというのなら、ランドスカープからハーニンゲ領主への借款という形にしてもいい。ただこの場合、貸した金の使い道はハーニンゲ領主が選ぶことができちまうんだ。悪いが、俺は正直ハーニンゲの領主はあまり信頼できないと思ってるんだよな」
涼太の懸念は、騎士だけでなく通商団の幹部たちも共有しているところだ。
領主はランドスカープからの脅威に対し、地方都市が納得するような解決策を提示してこなかった。
故にこそ、涼太が明快な数字を提示し危機を誰にもわかるよう数値化した時、彼らは即座に反応したのだ。元より、地方都市の人間にとっても領主の対応は満足のいくものではなかったということだ。
そして下から突き上げる形で領主に地方都市毎の対応を認めさせた、というのが今回の流れである。
騎士は秋穂や凪を見るような目で涼太を見た。
「……全て、お前の手の内、か」
「そんなわけねーだろ、成り行きだったんだよ。護衛っていうか監視っていうかな人が関係している都市の管理者に数字見せて説明してみたら、他の都市にもこれ教えていいかーってなって、んであれよあれよと大騒ぎになっちまったって話だ。一番泡食ってんのきっと俺だぜ」
「ほー、そんな台詞を、信じろというのかー」
「信じろよ! おまっ、本気で信じてないだろ! 俺だってここまでの規模を動かせるなんて思っちゃいなかったっての! ……まあなっちまったもんはなっちまったもんとして、その先を考えたってわけだ」
涼太は騎士をじっと見る。
「公共事業の話、どうまとめるかは俺は関われないけど、これやっとけばとりあえずハーニンゲは一息つけるはず。地方開発ってのはハーニンゲの国是と相反するものだからこれをどう納得させるかは、通商団に任せるしかないんだけどな」
騎士は涼太に問い返す。
「そこまで言うからには、地方開発にリョータは相応の利点を見出している、ということでいいか」
「道を通すための難所があるせいでこれまでやってこなかった、って話だが、ランドスカープ基準なら投資に見合う開発が見込めるのなら挑戦するべき場面だと俺は思ったね」
そう言って涼太が具体的に指摘した三つの地方の名を、騎士は覚えて通商団に戻ることになった。
部屋から退室する時、騎士はしみじみともらしたものだ。
「つくづく惜しいな。お前以外にアレらを御しえぬというのでなければ……」
「悪いが、仕事は楽しいけど、アイツらと一緒に旅してる方がもっと楽しいんでな」
そうか、と騎士は退室する。
騎士が事務所を歩いていると、意識的に無表情を維持していると思しき人物とすれ違った。
『……聞いてたな、さっきの』
どれだけの人間がそうしていたかを知るため、少し注意して事務所の人間を見ながら歩いていると、何処かで見たことのあるような人間がいた。
『ん?』
彼はとても忙しそうにしながら、同僚らしき人間と並んで歩きつつこちらに向かって移動してくる。
「そのていどの数字暗記しておけ! それと鍛冶屋組合との会合の準備はどうなっている? その後ですぐ隣都市の貴族との話し合いだからな、衣服と事前の注意事項をまとめておいて……」
「だからっ、そうぽんぽん話を振られても覚えきれませんって! もう少ししたら後三人、専属の助手として人が来ますから、それまでもうちょっと加減してくださいっ!」
とても忙しそうに騎士の隣を通り過ぎていった。
『彼、王都の上級官僚ではなかったか? いや、気のせい、だよな?』
つっこみ不在のまま、騎士は通商団へと戻っていくのである。
二千の兵を引き連れ、ランドスカープより通商団がやってくる。
それは事情を知らぬ者ですら恐怖を覚えるような話であり、綿の話を知っている者からすればこの世の終わりの報せのようでもあり。
だが、ハーニンゲ側に事態を鎮静化させるべく動きがあり、その施策の有効性が認められたとなれば、通商団も当初考えていた強制なんて真似をしないでも済む。
またハーニンゲ側にどうしようもない急所が存在しているため、ハーニンゲ側から強く出ることができない。
その急所とは、柊秋穂を激怒させ、いまだその秋穂との終戦がなっていないということだ。
地方都市の人間は、秋穂の一党でもある涼太の助けを得ていたこともあり、領主が後ろ盾をしたと思われるイデオンの謀議を苦々しく思っていて、領主の援護になぞ回ってくれそうにもない。
それどころか、ハーニンゲとの交渉に臨むランドスカープの通商団に、ハーニンゲの地方都市が情報を流している疑いすら生じている。
かくも厳しい条件下で、ハーニンゲの領主は交渉を望む形にまとめる自信はかけらもなく、彼は自身の面目のため、全権を親族に委任し自身は嵐が過ぎるのを待つことにした。
この窮地において、隠れ逃げているだけの人間が以後人々の信頼を得られるかどうか、彼は理解していないらしい。




