211.次回、平和は崩れた。お楽しみに
夜も更け、ヴィクトル老は屋敷にて久しぶりに息子と酒を飲んでいた。
「結局のところ、新たな王は剣術の何たるかもわからん愚物でしかなかったと、こういうことよ。尚武のランドスカープをいったい誰が支えてきたと思っているのか。目先の金儲けにうつつをぬかすようではあの国に未来などない。ルンダール侯がご存命であれば、このような暴挙、決して認められはしなかったであろうに」
もう二十年近く帰ってこなかった息子であるが、国を出た時より大して変わってはいないようだ。
「わかるか父上、鬼哭血戦十番勝負もそうよ。剣術とは男の花道。それを見目が良いからとロクに心得もない者を公衆の面前に引っ張りだすなどと、ギュルディ王のなされることよ。百歩譲って、あの金色のナギは良かった。確かに、アレは女にしておくには惜しき逸材よ。だが、剣術の仕合だというに、剣を捨てたあの黒髪のアキホよ。剣もわからぬ馬鹿共の目にはわからんだろうが、あのようなもの曲芸と何ら変わりはないではないか」
とはいえ、道場主をやっていたとなれば、腹の内を外に見せるわけにもいかず、鬱屈したものを抱えていた部分もあろう。
それをこうして遠慮なくぶちまけられるのも、そうやって甘えられるのも、家族である自分しかおるまい、とヴィクトル老は生暖かい目で息子を見守る。
「父上にもあの金色のナギは見せてやりたかったのう。あれは良い。アウグストの嫁にでも迎えられれば、さぞや良き跡取りができるだろう。ははっ、いっそワシが仕込んでもいいかもんしれんな。こう見えてまだまだあっちも現役じゃからな、ふはっはっはっはっは。なあ父上、金色のナギの話を聞いたならばこっちに話を回してくれよな。他所にくれてやるには本当に惜しい女子であるからな」
ヴィクトル老は、今この地に秋穂と、そして凪も来ていることを知っている。
だが、こんな酔っ払いの戯言を真に受けるつもりもなく、そうかそうか、と頷いてやるのみだ。
「確かに、我がベロニウス流道場は閉めることになったが、かのにっくきアーレンバリ流は王都に三つも道場を構えておったのだ。総合的に損失は向こうが上よ。くはははは、ランドスカープ随一の流派なぞと粋がっておきながら、鬼哭血戦十番勝負において出場した剣士はたったの二人。それも、勝者は一人のみときた。これで最も隆盛を誇る流派というのだから片腹痛いわ。面目丸つぶれよな、くはーっはっはっは」
ここでベロニウス流に言及がないということは、噂に聞く鬼哭血戦十番勝負の剣士にベロニウス流はやはりいなかったということだろう。
ヴィクトル老も、老いたりとはいえやはり剣の道に生きし者。ランドスカープ王都で開かれたという鬼哭血戦十番勝負の話に、年甲斐もなく興奮してしまってもいたものだ。
「おぬし、鬼哭血戦十番勝負は全て見たのか?」
「おうよ父上。王都の頂ランヴァルトの剣も、辺境の悪夢シーラの剣も、燦然たるオーラの剣も、全てこの目で見たわ。くっくっく、愚か、愚かよなぁ、あのような場所で剣を晒せば、対策なんぞ幾らでも思いつくわ。次、我らベロニウス流の前に立つ時がきゃつらの最期よ」
「……正直に言って、羨ましくて仕方がないわい。よくもまあそんな大舞台を用意できたものよ。しかも参戦剣士の顔ぶれよ。これからも王都でこのような舞台は用意されるのか?」
機嫌良さげであった息子は急に憎々し気な顔になる。
「知ったことか。最早ランドスカープの王都は剣士の都にあらず。剣士も王家や貴族の飾り物でしかない。あのような国に未練なぞないわ。父上、俺はな、このハーニンゲの土地にて、再び剣士の輝かしき未来を取り戻してみせる」
そう言って息子は嬉々としてハーニンゲでの活動予定をヴィクトル老に語る。それは、穏やかに流れるハーニンゲの時間とは、決して相容れぬものであった。
『とりあえず、コレの標的になりそうな有名どころは一時的に領都から逃がしておけばいい。領都で剣士がどうのと叫んだところで、若いのが乗ってくるとも思えんしな』
結論から言えば、ヴィクトル老の考えはあまりに楽観が過ぎたと言えよう。
「おお! なんと見事な剣術か!」
「さすがはランドスカープ王都で五大道場を名乗っていただけはある!」
「あの踏み込み、重心、そうか、あれが人を斬った剣というものか。恐るべきものよ」
「ハーニンゲが誇るベロニウス流が、ランドスカープでも通用していたというのだから実に痛快な話よな」
ヴィクトル老の息子が連れてきた弟子たちは、ハーニンゲの兵士たちの前でその優れた剣術を披露していた。
誰も彼も、彼らの見事な剣を称え、そしてランドスカープで積み上げてきた武勇伝に酔いしれた。
これを少し離れたところで見ていたヴィクトル老は、自身の目論見の甘さに眩暈がしそうであった。
『なる、ほど。若い、それも兵士をやってる連中からすれば、剣一本を頼りに自らの名を轟かせるなんて話は、ハーニンゲではありえないが故に眩しく映るか』
また弟子たちも、王都の騒乱において、数多の暗殺者や剣士を相手に戦い抜き生き残った猛者たちだ。誰も彼も、その大言に相応しい技量と度胸と経歴の持ち主であった。
ヴィクトル老の傍には、孫のアウグストが立っている。
「なあじいちゃん。これ、いいのか?」
「良くはない。が、止めて止まるものでもあるまい。あーあー、部隊長まで一緒になってきらっきらした目で見ておるわ」
「んー、じいちゃんもアイツらがやったぐらいの事、できるだろ。こっちじゃやってなかったのか?」
「ほんと、お前は良い目をしておるよ。ワシが教えているのは生き残るための術じゃ。敵の斬り倒し方ではないわい」
「…………なあ、じいちゃん。今日、俺の剣、見てくんないか? てか稽古してくれ。てかじいちゃんのベロニウス流教えてくれ。すげぇ知りたくなった」
この一言でヴィクトル老が抱えているアウグストにも教えられることを見抜いてくるのだから、孫は確かに、息子をすら超える恐るべき剣才の持ち主なのだろうと思えた。
そんな孫に頼られて嬉しくないわけがないのだが、ヴィクトル老はふふんと孫をせせら笑う。
「まずはワシの弟子三人から、それぞれ一本取ってみい。全力で逃げを打つあやつらを仕留めることができるまでは、ワシからお前に教えることなぞなーんにもないわい」
その間に、馬鹿息子がやらかすであろう問題の対策に乗り出すことにしたヴィクトル老であった。
涼太が五人の護衛にランドスカープ対策に関する助言をした後、その都市にて涼太たち六人は滞在し続けることになる。
五人の護衛の内の一人は、この都市の統治に責任がある貴族に仕えている者で、涼太の話を伝え聞き、一番先にこの都市のトップが動いたのだ。
これと話し合いをしている間に、領都に送った手紙の返事がくると、それらには数多の問い合わせが書かれており、これにまた涼太が返事をする、といった形で交流が行なわれ、涼太はこの都市を動けなくなってしまったのだ。
いっそ領都に戻ってしまえば手紙の手間も省ける、という話もあったのだが、涼太の話を聞いて動くのは領都というよりはこの都市のようなハーニンゲ領各地にある生産拠点である。
領都ともやりとりはするが、以後は各地からの手紙が増えていくことになろう。
どの生産物が今後伸びていき、どの生産物が落ちていくか、その度合いは、代替え品は、取引先は、彼ら生産者たちが聞きたいことは山ほどあるのだ。
女護衛が涼太に届く手紙を精査し、その内容を要約してくれなければ、涼太の処理できる量を大きく超えてしまっていたであろう。
「リョータ様、秘書官を十人手配しました。明日にも最初の三人が来てくれますので、それまではこちらで返信先を制限します」
「駄目だ。秘書官はありがたいが、どれに優先的に返事をするかは俺が決める。悪いが、付き合ってくれ」
「了解しました。……無理は、いけませんよ」
「今日明日の辛抱だろ。秘書官は本当に助かる。後、何処かに事務所を借りるって話は……」
別の護衛が宿の部屋に駆け込んできた。涼太は今、これらの対応を泊っている高級宿にて行なっているのだ。
「リョータ様、事務所の確保できました。急ぎでしたら今からでも移動できますが」
「よし、すぐに動こう。頼める?」
護衛は高級宿の人間に手伝わせるよう、無理押しを通してあり、移動のための人員は確保済みであった。
すぐに移動を始める涼太と二人の護衛。この護衛は涼太の隣に並びながら、少し愚痴を溢す。
「さしものリョータ様も、この騒ぎは予想外でしたか?」
「わーるかったって、ここまで勢いよく反応してもらえるとは思ってなかったんだ。資金は何処から?」
「事務所はウチで持ちます。秘書官はそっち持ちでいいのか?」
女護衛に問うと、彼女はにっこりと笑って言う。
「当然、そちらで出していただきますよ。この都市での滞在を押し通したのはそちらなのですからね、お忘れですか?」
「うげぇ、我が主の苦り切った顔が目に浮かぶ。まあ、いい、ここでケチるなとも言われている。リョータ様、今日の夜、申し訳ありませんが畜産の組合長との面談をお願いしたく……」
もう、いつランドスカープが輸出制限を解くかわからないのだ。何処も一刻も早い対策を望んでいる。
涼太はあくまで助言者でしかなく、ハーニンゲに対し一切の権限を持たないが、それでも問い合わせが殺到しており、これに答えきるためには事務所や多数の秘書官を必要とするのだ。
宿を出ようとした時、従者数人に山ほどの資料を持たせたまた別の護衛と、ばったりと出くわす。
「おっと、リョータ様、もしかして事務所が?」
「ああ、ちょうどよかった。早速だけど一緒に移動しよう。資料に欠落は?」
「一部、持ち出し禁止の資料がありましたので、一人残して写させております」
「んー、どの道いつまでも借りっぱなしともいかないしなー。全部写させた方がいい?」
「紙代で資金担当が泣きだしますのでどうかご容赦を。その代わり、貸出期間に関してはかなり融通してもらいますので」
「それもそうだった。ごめん、じゃあそれでお願い」
この都市に関わる護衛が、おずおずとした口調で問う。
「……ランドスカープでは、そんなにも紙が出回っているので?」
「一部地域だけね。安い紙があると、こういった資料の管理や運用がものすっごく楽になるんだよね」
「なるほど、ではアイツの絶望も未来への投資とでも思うことにしましょうか」
羊皮紙が地元の特産品である護衛君は現在、手紙を各地と頻繁に行き来させるための輸送手段を確保しようと、都市を走り回っている最中である。
羊皮紙の値段的に、紙に書かずに人に記憶させて馬を走らせた方が安くつく、という場合もあるので、そのための人員の確保も同時に行なっている。
護衛たちを引き連れ、涼太は事務所に入る。
この時、さりげなく女護衛は涼太の傍での仕事を引き受け、それ以外の護衛が外回りの仕事を引き受けるように仕向けているのは、女護衛の立ち回りの見事さであろう。
秋穂はハーニンゲ領都にて諜報活動を行なっているが、それはあくまで秋穂自身の技術向上が目的である。
目的を定めぬ諜報では、隠匿を最重要としている企みを見つけ出すなぞ不可能だ。それができるほどの精度が望めるのは、それこそ涼太の遠目遠耳の術ぐらいの理不尽が必要となろう。
つまり、領都で行なわれているハッセへのイデオンの仕掛けを、秋穂が見抜くことはできないということだし、それは決して責められるようなことではない。
ただ、涼太が動きこれの影響を受けた者たちが多数いる、というところはさすがに気付いている。
『へえ、涼太くん、随分とハーニンゲに入れ込むね』
ランドスカープとハーニンゲとの経済格差から生じるハーニンゲ産業壊滅シナリオは、秋穂もこれを涼太と共有している。
これまでランドスカープからの要請にも全く動くことのなかったハーニンゲが、涼太の働きで動き始めたと聞くのはとても気分の良い話で、秋穂はにこにこしながらこの辺りの話を盗み聞いていた。
それ以外で秋穂の耳に入るのは、最近ランドスカープ王都から剣士が領都に流れこんできて、この剣士たちが随分と派手に名を売っているということぐらいか。
『ふぅん』
これが何を引き起こすのか、秋穂にもまだ判断はできない。
とはいえ、ハーニンゲで剣が流行ったとして、それが致命的な何かに繋がるとはなかなかに考え付かぬもので。
辛うじて、ヴィクトル老の流派が盛り上がってるみたいでよかったね、ていどである。
凪は、ここまで付き合ってくれていた狩人数人と、この地に住むまた別の狩人たちと共に、山中深くへと分け入っていた。
狩人たちの表情は真剣そのもの。殺気立っていると言ってもいい。
総勢十人弱といったところだが、彼らが山中を進むにあたって、音や気配が外に伝わるといったことはない。
障害物だらけの山中を行くというのに、彼らから音らしい音がしてこないのだ。
傍目にはわかりにくいが、ここは獣が通る獣道で、元より通りやすくなっている。とはいえ、無音というのはやはり珍しい。そうできる熟達の狩人の集団である。
『馬鹿みたいに鋭い獣より、先にこっちが見つけなきゃならないんだから、当然といえば当然の技術なんだろうけど……やっぱりこういうのは山の人間には敵わないわね』
凪は彼らに合わせてゆっくり移動することで、彼らほどの技量はないが音もない、という進み方をしていた。
そして、目的地に着くともう、それは経験者でなくてもわかる惨状が広がっていた。
「んなっ」
思わず声を漏らしてしまったのは、ここに来るのが初めての狩人だ。凪もついつい呻き声が出てしまっていた。
森の中に、足跡が見える。素人にすら見つけられるほどの、とてつもない数の足跡があるのだ。
すぐにその足跡を確認する狩人。それがたった今ついたものでないとわかり多少なりと安堵するも、それが示す事実を考えれば、到底安心なんてものはできない。
「百、じゃ、きかねえよな、この数」
別の狩人が顔中に皺を寄せながら答える。
「正確な数なんて出せるかよ。幾重にも踏み固められててもうぐっちゃぐちゃだ。だが、いくらなんでもこれだけの量あって、百や二百ってこたぁねえだろうな」
最初にこれを発見し、皆をここまで案内してきた狩人が問う。
「アーサの狩人からの報せもある。コイツが、向こうでさんざ暴れ回っていた魔狼の群なんだろう。だが、どうしても解せねえことがある。こんだけの数、餌はいったいどうしてるんだ? 五百? 六百? そんだけの数の狼がまとまってたら、山一つからあっという間に獣一匹いなくなっちまうぞ」
凪が狩人に問う。
「その、アーサからの報せで、アーサの村を魔狼が襲ったって話は?」
「村は避難が間に合ったらしい、備蓄は全部食われちまったそうだが。アレと戦いになったのは、国境沿いの砦だ」
「……砦? 狼の群が?」
「ああ。三十人からが詰める中規模の砦だったんだが、あっという間に潰されたってよ」
凪は自然と目がきつくなりながら問う。
「死体は?」
「跡形も残ってねえってよ。砦にゃ食料備蓄が随分とあったらしいが、ぜーんぶ食われちまったと。倉庫の鉄扉も、でっかいかんぬきも、隠し扉すら見つけられて、全部食われたって聞いている」
別の狩人が真っ青な顔で言う。
「ば、馬鹿言うな。砦の石壁をどうやって狼が越えるってんだよ」
「俺が知るか。アーサは相当上手くやったみたいだ、こっちでも急いで魔狼の進路確定して、村の避難進めねえととんでもねえことになる」
答えは出ていたのだ。
魔狼は、大群となったことで生じた食糧問題を、大群の利を生かし、人間を襲うことで食料を得て解決していた。
凪はその場で首を何度も左右に振ってこきりこきりと音を鳴らす。
「ま、避難計画だの、お上に報せるだのはアンタらに任せるわ。私はこっからこの足跡追っかけてみる。アンタらが群を見つけたら、私はその後方、もしくは風下にいるから、狼煙なりで報せてちょうだいな、その時連中のこれまでの進路を説明するわ」
凪の力を知らぬ狩人が、何を言ってるんだこいつは顔をするも、それ以外の狩人はすがるように凪を見る。
「できる、か? 下手すりゃ群に襲われるぞ」
「狼より私のが速いわよ。面倒になったら木の上跳んじゃえば、四足歩行じゃ絶対に追ってこれないしね」
「……あれ、そんな気軽にできる芸当だったのか」
打ち合わせを終えると、凪と狩人たちは一斉に動き出した。
誰も彼も険しい表情のままだ。
それもそうだろう。既に、魔狼率いる狼の群は、ハーニンゲ領に入り込んでしまっているのだ。
ともすれば、国境付近の村が既に襲われていてもおかしくはない。事は一刻を争う。
村の避難、軍の派遣、いずれも狩人の手に余る仕事であり、この権限を持つ者に急ぎ報せに行かねばならないのだから。




