206.イデオンの決意
この世界にはこの世界のやり方がある。
柊秋穂は、だから諜報活動を自ら行なおうとした時、まずはこちらの世界の諜報の仕方を学んだのだ。
まずはニナから。次に王都の諜報員たちから。その上で、秋穂なりに自身の持つ知識と技術を考え、こちらの世界の諜報方法に自分のそれを付け加えてみたのだ。
ランドスカープでも時折隠密活動はやっていたので、ここハーニンゲ領都でも特に問題なく施設に忍び込むなんて真似もすることができた。
ただ、やはり時間がかかる。忍び込んだ後でじっと待つ時間が、秋穂の感覚ではあまりに無駄にかかりすぎてしまう。
これをもう少し効率化できないものか、と色々と工夫をこらしている。
涼太と凪は、既に領都から旅立った後だ。どちらも見知らぬ土地をとても楽しみにしているようで、秋穂も二人からの土産話が今から楽しみである。
そして秋穂は領都で世話になっているハーニンゲ商人、ハッセ・ロセアンの屋敷の離れに宿泊している。
離れといっても、こちらもまた立派な屋敷だ。正直気後れする部分もないではないのだが、ハッセにとっては秋穂がここで寝泊まりしてくれるのが一番助かるらしいので、秋穂もそこは言われるがままにしている。
『ごはんおいしいしね』
そう、ハッセが手配した料理人だが、これが領都でも指折りの名人であり、この料理人を秋穂のためだけに特別に招いていたのだ。
彼が毎日朝晩の食事を用意してくれるので、秋穂もさすがにその善意を無下にする気にもなれず、毎日夜はきちんと離れに戻ってきていた。
彼はもう白髪も見える高齢の人間だが、秋穂が食べたものの感想を特に気にしており、毎食何処が良かったとか悪かったとかを聞きたがってくる。
当初はそれを鬱陶しいとも思えたのだが、ランドスカープ人の味覚はハーニンゲ人のそれとは異なるので是非この機会に学びたい、という話を聞いてからは秋穂も話に乗るようになった。
「んー、今日のもまた少し薄味がすぎたかなー。肉料理は申し分なしだったけど」
「ふむ。野菜に随分と濃い味を望むのだな。スープはどうだ?」
「朝のと比べて薄く感じられたけど、もしかして朝のと変わってない?」
「おお、よくわかったな。やはり一昨日アキホが言っていたとおり、晩飯の方が濃い味がよいということか。まだ入るか?」
「大丈夫だよー。……こんなにおいしい思いできるんなら、涼太くんも凪ちゃんも残ってた方が良かったかな。次はまた肉料理?」
「ああ、昨日言われた刺激の強い調味料を多めに入れたものを試してみた。随分と面白い味になったもんでな、是非試してくれ」
料理人はランドスカープ人の好みを聞きたかったのだが、秋穂の好みはまた全く別で独特のものであると知り、これを詳しく聞きたがったのだ。
それで秋穂が説明してやると、翌日からすぐに味が変わっていた。この対応の速さに料理人の情熱を感じ取った秋穂が、彼の望みに付き合うことにしたのだ。
『年を取ると変化を受け入れにくくなる、なんていうけど、やっぱりこういう人も一定数いるもんだよねー』
こちらの世界にきてから、秋穂だけでなく涼太も凪も、元の世界の味付けはほぼ諦めていた。
時間をかけて説明し、説得し、納得させた上で金を払えば、そういったことも可能であったかもしれないが、そこまで手間やらをかける気になれなかったのだ。
だが、この料理人は、少なくとも説得納得はするさせる必要がなく、料金はハッセ持ちなので、秋穂も気軽にそうすることができる。
「うわ、ナニコレ、おいしい、すっごい良いよこれ」
調味料超濃いめの肉料理に感動の声を上げる秋穂に、料理人は満面の笑みである。
「おしっ、おしっ、やっぱりこっちか。……となると、仕入れ元を確保せにゃならんか。ハッセの旦那に頼めばランドスカープからの仕入れはできる、か?」
「私からも国元に頼むよ。欲しいものと量教えて。ていうか、お金は私が出してもいいし」
「お、そこまで気に入ってくれたか。嬉しいねえ。んじゃ、早速手配を……ってあぶねえ忘れるところだった。その前にこっちの果物を試してから……」
こういったやりとりによりハーニンゲにおける新たな味覚や調理法の研究が、この料理人と秋穂によって大きく進展することになるのだが、それはもう少し先の話である。
ハーニンゲ商人ハッセ・ロセアンは、料理人からあがってくる費用を見て僅かに頬を歪ませる。
「いや、三人の内二人が外に出ていて、どうしてこんなに金がかかっているんだ?」
恐縮した様子で執事の一人が口を開く。
「その、どうもアキホが新たな味覚や調理法を料理人にもたらしたことで、あの者が随分と本気になってしまったらしく……」
「そんな無駄遣いをするような人間だったか、彼」
「研究のために金を惜しむ人間ではありませんでしたが、さすがに、ここまでとは聞いておりませんでした。以前にお願いした時はもっと常識的な金額だったのですが」
「アキホの様子は?」
「とても喜んでおります。朝晩の食事は絶対に屋敷で取っていただけますし、依頼内容に関してはほぼ完遂されているかと」
「ならばいい。食事以外ではほとんど予定通りの経費で済んでいる。許容範囲と認めよう。……アキホからランドスカープへの手紙? 中身をこちらに公開しているのか?」
「はい、執事が聞いたらあっさりと答えてくれました。国元から調味料を仕入れたいと。金はアキホが出すとのことで」
「そこまで入れ込んでいたか。とはいえ、アキホに出させるわけにもいくまい」
「それが、その、仕入れ予定一覧の中に、大量の砂糖や、どうもランドスカープでも輸出が規制されているようなシロモノが混ざっているようで」
「砂糖? 大量というと」
「馬車一台分、だそうです」
思わず吹き出しそうになるハッセだ。ランドスカープでは値が下がっているが、ハーニンゲでは以前の価格のままであるし、馬車一台分の砂糖なんてもの、領都の年間使用量に匹敵するだろう。
「そこまでするほどか!? 商売でもする気か!」
「それを執事も聞いたそうですが、全部、料理で使うと。今後も料理人が色々と試すのに必要だろうから、砂糖は腐らないからいくらあっても問題にはならない、と」
両手で顔を覆ってしまうハッセ。半年だの一年だのといった長期滞在のつもりはない、と聞いていたのだが、そこに個人で領都一年分の砂糖を運ばせるとか、意味がわからないにもほどがある。
そして何より致命的なのは、ハッセはまだ気づいていないが、秋穂がランドスカープに要求しているものの中に、馬車一台分の砂糖なぞとは比べ物にならない超極秘物資、パンの酵母が入っていることだ。
何の気なしに秋穂が送ったこの手紙によりランドスカープではとんでもない大騒ぎになってしまうのだが、それはまだ先の話である。
「……後で私が直接アキホに問い質してくる。さすがに、砂糖馬車一台分は、おいそれと払ってやれる額を超えている」
「はい。それと、アキホの日中の行動ですが」
「まだ無理か」
「いえ、それ以上で。諜報担当より泣き言が届いております。曰く、どれだけ時間と人員をかけようと、アレを追うのは絶対に無理、だそうで。五十人がかりで完全にまかれた挙げ句、特に踏み込んだ十人は完全に所在を見破られていたと」
「…………そうか」
言われるがままに屋敷のあてがわれた離れで寝泊まりし、毎晩離れにも戻ってきていて、ハーニンゲ人と揉め事を起こすでもなく殺傷事件も起こらぬまま、誰にも迷惑をかけず密かに諜報活動に従事している秋穂であったが、やはり周囲の者はとても苦労をしているのである。
ハーニンゲ領主の甥、イデオン・ヌールマンが普段やっている仕事は、そのまんま商人の仕事である。
ただ彼の後ろ盾には領主その人がついており、それだけではなくアーサ国とも強固な繋がりのあるイデオンは、ハーニンゲ領内ではかなり大きな発言権を持つ。
その取引総額を考えれば、アーサに行っても彼は無下に扱われることはないだろう。
そんなイデオンであるからして、彼の下には最新の、それも秘匿性の高い情報がよく入ってくるのだ。
苦々しい顔で吐き捨てるように言うイデオン。
「やはり、か。ランドスカープめ、ハーニンゲの生地職人を皆殺しにするつもりというのは本当であったか」
「は、現在衣料品の輸出規制はなされておりますが、これの規制撤廃を求める声が王都には溢れていると」
「馬鹿な! あのようにふざけた値段で衣料を卸されてみろ! ハーニンゲの衣料品業者は全滅するぞ! 叔父上は跳ねのけられんのか!?」
「元より、ランドスカープが衣料品を輸出しないと定めているのはあくまでこちらに対する善意でしかなく、こちらから輸入制限をかけるわけにもいかず……」
「かければ良いではないか! 何が工場だ! あのような粗悪品なぞ誰が好き好んで仕入れるものか!」
現在、ランドスカープでは綿花を材料とした繊維産業において、工場という驚くべき最先端の生産手法により、以前とは比較にならぬほどに生産量が増大している。
これを今まではランドスカープ国内で全て消費していたのだが、いよいよこれらを国外にも輸出するつもりらしい。
イデオンは粗悪品と言っているが、衣服として利用するに十分な強度と、加工に極めて有利な(この時代のものとしては)均一の品質で、かつ手作業では絶対にありえぬ低価格で作り出されるこれらに入ってこられては、ハーニンゲ国内の繊維産業は壊滅的打撃を被るであろう。
そしてハーニンゲは緩衝国ではあるが、ランドスカープと比べて国力は著しく劣っており、ランドスカープに対し道理の通らぬ話を押し通すことはできない。
イデオンに報告している男は言い難そうに続ける。
「あくまで噂ですが、どうもランドスカープはアーサに対してもこれの輸出を押し通す算段のようでして。もしアーサがこれを引き受けたのならば、ハーニンゲも受け入れざるをえません。むしろ、アーサへの交渉材料とするためにも、こちらへの受け入れを強要してくるかもしれません」
歯ぎしりしながら立ち尽くすイデオン。そんな彼の下に、一人の男が報告に駆け込んできた。
彼は対アキホ作戦の指揮を任せていた男だ。
「イデオン様、急ぎお耳に入れておきたいことが」
彼がランドスカープとの交易を担っているハッセを調査しているのはイデオンも知っていることだ。
そちらで何かあったのかと問うと、彼は頷き、驚くべき話を口にした。
「ハッセが、ランドスカープより馬車一台分の砂糖を仕入れる予定であると」
「馬車一台分だと!?」
仕入れの情報なんてものはこの世界、情報の時間差が常識であるが故にこそ、絶対に秘匿されねばならぬ重要な話だ。
そしてイデオンはまた数多の情報を仕入れられる立場にあるからこそ、これに関連する情報も仕入れることができていた。
「ランドスカープでは砂糖がとんでもない値崩れを起こしているらしい。ランドスカープ国内に砂糖の生産拠点ができた、なんて眉唾物な話が出ていたが。よもや……」
最初にこの部屋でランドスカープの情報をイデオンに話していた男が疑問を口にする。
「もし、馬車一台分の砂糖を持ち込んだとして、それほどの量が領都で売れますか? 値崩れの話はこちらにも届いているのですから、時間差を利用して高く売り抜けようという話もそううまくいくとも思えませんが」
「……或いは、砂糖を使って試しているのかもしれんな」
「試すとは?」
「まず砂糖の市場で、大幅な値下げで売り出しハーニンゲの砂糖市場を壊す。この際の動きを参考に、次に衣料品による市場破壊を試みる、というのはどうだ」
はっ、とした顔の二人の報告者。
「まさに」
「ランドスカープの商品が市場を席捲する、といった形を、こちらに慣れさせるという意味もあるかもしれません。ですが、いずれにせよ……」
報告者二人が暗い顔をするのと対照的に、イデオンは怒りに満ちた顔を見せる。
「大国だからと図に乗りおって! 国内もまともに治められぬ馬鹿王と! 暗殺しか能のない間抜け貴族が幅を利かせている国如きに! 好きになぞさせてなるものか!」
イデオンは十二年前に起こった事件を思い出す。
ハーニンゲとランドスカープとで危うく戦端が開きかけた事件だ。この時、ハーニンゲ側の将軍の断固たる態度が、ランドスカープの調子に乗った愚かな貴族の企みを粉砕したのである。
これは元々あまり尚武の気質のないハーニンゲにおいて、数少ない武名を残す事件となった。
イデオンはこの時の将軍を思い出し、自身もまたハーニンゲのために、護国の鬼神となることを決意する。
「ランドスカープの者共の好きになぞさせん。ハーニンゲ貴族の戦いというものを、奴らに教えてくれるわ」
イデオンは後から来た報告者に、ハッセの調査を急ぐよう命じる。
まず対ランドスカープ取引の主力であるハッセを取り込み、ランドスカープ商人に対しハーニンゲ商人たちが結束して立ち向かえる態勢を整える。
もちろんアーサにも、ランドスカープからの衣料品輸入を断るよう持ち掛ける。
幸いイデオンの元にはアーサの王族がおり、彼とイデオンとはとても良好な関係を築けている。彼はあまり賢くはないが、それでも王族であり、イデオンの道理の通った話を伝えるだけならば彼でもできよう。
イデオンの頭の中では、既にハッセを取り込む算段は付いている。頭に思い描いたものを現実にするのに、多大な苦労を要することは既にイデオンも知っている。
だが、だからこそ、イデオンは十分な代価を支払うのであるし、その支払い方を間違えなければ、イデオンにできぬことはない、と信じている。
苦境であると理解はしているが、それでもイデオンの顔に絶望はない。
「心配するな、それでも勝つ算段はつけてある。ふん、金髪の方は上手く逃がしたつもりだろうが、絶対に逃げられはせん。ここはランドスカープではない、私のハーニンゲなのだからな」
かくして、イデオン・ヌールマンの決して逃れられぬであろう死亡フラグが立ったのである。




