199.ベルガメント侯爵麾下、新たな双璧
ルンダール邸内に突入した三人、イラリ、ランヴァルト、コンラードは、ルンダール侯爵を仕留めるためには時間制限があることを理解している。
邸内への侵入を許し、その上護衛が軒並みなぎ倒されている、なんて形になったらたった五人のみの殴り込み相手とはいえルンダール侯爵も逃げるだろう。
その前に侯爵を見つけ出し殺さなければならない。
故に、三人は邸内に入ってすぐに、三手に分かれて動くことに。
殴り込み初心者であるランヴァルトが、熟練者であるコンラードにこの是非を問う。
「いいんだよな?」
「ああ、元々殴り込みってな一人でやるのが一番気楽なんだよ」
イラリが眉根を寄せてつっこむ。
「それやっぱり遠回しな自殺なのでは……」
そんなイラリの言葉も、妙に上機嫌なランヴァルトとコンラードには届かぬようで、じゃあ行くかとさっさと別々のルートを選び動き出す。
三人共、自分一人で立てぬ男ではない。
全ての責を、全ての役目を、己一人で背負い成し遂げてみせると胸を張る。そんな強固な意志を持つ、一個の戦士であるのだ。
三人共が思っている。ルンダール侯爵は俺がやるから、それまでお前ら死ぬんじゃないぞ、と。
背負うのは俺だ。先を越されることはあっても、間違っても自分が背負われる人間にはならない。そんな男の中の男であることを誇りに思う三人である。
邸内に入ってから三手に分かれたイラリたちであるが、もちろん侵入直後からずっと敵の攻撃は続いている。
屋内で暗殺者たちの特性は最大限に活かされるし、屋内に配置されているのはここを戦場とするのが得意な面々でもある。
だが、駄目。
踏み込んだイラリの剣が横に薙がれると、吹き矢を構えた男の顔が息を吸いこんだ形のまま二つに割られる。
大盾の前面に無数の鉄棘が生えたものを前面に突き出し駆けてくる男に対し、鋭い刺すような前蹴りを放つと、鉄棘の隙間を抜き大盾ごと男を弾き飛ばす。
剣士の技を持つ暗殺者、それがイラリだ。故に、突入した五人の中で最も対暗殺者の戦いに長けていると言っていい。
邸内の暗殺者はどれもこれも並々ならぬ腕利きばかりだが、対するイラリは王都随一の腕を持つ。襲いくる暗殺者たちを、まるで雑兵の如く次々打ち倒していく。
「あー、待った待った。これ以上は勘弁してよ」
そんな幼い声が聞こえたことに、イラリは怪訝そうに足を止める。
何より驚いたのは、この幼い声の指示に、暗殺者たちが皆一斉に足を止め、引き下がったことだ。
「あーもう、見境なく殺してくれちゃってさー。キミなら知ってるだろ? 彼らみーんな、一流の人間ばっかだよ。一人育てるのに幾らすると思ってるんだ」
声の主はその幼い声に相応しい幼い容姿の、子供である。男子である。そんなものがこの状況でイラリの前に立つのだから戸惑わぬはずがない。
だがイラリは警戒を怠ることもない。何より、この子供の気配がおかしいのだ。
『随分と……血の臭いのする子供だな。それに、あの立ち方が妙に……』
それと気付いたイラリの背筋が凍る。
あれは、行動の起こりを見せぬようするための、全身細部にいたるまで意識が通りきった者が見せる、達人の佇まいである。
こんな子供の容姿で熟練の戦士であるという者の噂を、イラリは聞いたことがある。
「よもや、五大魔王……か」
「当たりー。イェッセって言うんだよー、よろしくー」
「幼剣イェッセ、か。はっ、ははっ、実在したのだな」
十歳にも満たぬだろう男児が、小剣としか言いようのない剣をすらりと抜く。その抜く挙動一つ取っても、底知れぬ技量を感じさせるもので。
侮るなんてとんでもない。決死の覚悟無くしては、前に立つことすらできぬ傑物である。だが、そんな猛者を前にイラリは言うのだ。
「何故、他を下げる。剣士でもない貴様に、一騎打ちの作法なんてものがあるとも思えんが」
「五大まおーっていうのも、なかなか面倒なものなんだよ。敵にも、味方にも、常に力を示して見せないといけないからね」
思わず苦笑するイラリ。
「それは剣士のあり方だろうに」
「ほんとにねー。ずっと昔からボクも馬鹿馬鹿しいと思ってるんだけど、暗殺って言っても結局のところは武の領域の話なんだろうさ」
「ソコを間違えない者こそが、真に優れた暗殺者たりえると俺は思うがね。ま、ソレにはなれぬと諦めた俺の言うことでもないか」
「ははは、キミ、今からでもこっちに寝返らない? すっごい優遇するよ。その話ボクの部下たちにも聞かせてやってよ」
「馬鹿を言え、それでは貴様と殺し合いができんだろう。五大魔王幼剣イェッセよ、月光イラリ、参る」
イラリの剣が、直上に向かって突き上げられる。
剣と剣の戦いにおいて、真上に剣を突き上げることなぞありえない。そんな型にもない動きを、イラリは強要されているのだ。
『どういう身の軽さだ!?』
今、イラリが頭上に剣を突き上げたというのに、これをかわしたイェッセは空中で斜めに揺れながら剣を振るってくる。イラリはかわすしかできない。
そのままイラリ左方に着地するイェッセ。いや、着地の直前にイラリの足に剣を飛ばしている。片足を上げて避けるも、このせいでイラリは向きを変えるのが遅れる。
その隙にイェッセがイラリの背後に跳び、これに対応すべくイラリは剣を真後ろに向かって振るう。イェッセ、まるで読んでいたかのように再び舞い上がり、イラリの背中側からその頭上を越えて正面側へと回り込みにかかる。
この頭上に跳び上がる動きの中で一度、頭上を越えている最中に二度、そしてイラリの正面側に落下してきてから二度、斬ってくるのだ。全て、受ける避けるをせねば大きな傷を負うような斬撃を。
『空中でっ、どうやればこのようにひらひらと動き回れる。しかもこれ、魔術ではないだろうに』
空中で動くこと自体はイラリにもできるし、イェッセのこの動きも理解はできるのだ。だが、幼く小さい身体を最大限に駆使し、何度も何度も空中で姿勢を変化させてくる素早さに対応しかねているだけだ。
とはいえ、イェッセもまた驚いてはいる。
「うわー、こんだけ斬りかかってまだ手傷も負わせらんないとかありえないでしょー、何年ぶりだろ、こんな化け物とやるの」
空中で当たり前に五回も斬りつけてくる動きを、何度も仕掛けられていてこれを全て防いでいるのだから、イラリを化け物と称するイェッセの評価も決して誇張ではない。
人間らしい動きという意味では、どう考えてもイェッセの方にこそ人外認定が付くであろうが。
またもイェッセの身体が宙を舞う。この軌道が全く読めず、また空中にあって何処で何処に仕掛けてくるのかも毎回違うため、何度やられてもイェッセのこの動きに対応できる者はいない。
だが、当代随一の剣士、月光イラリは冷静に、その動きを見極めていた。
『見えた』
イェッセ着地の瞬間に、イラリの剣撃が被せられる。避けるは無理。イェッセは頭上に剣を掲げてこれを受け止めた。
十歳児未満の身体でありながら、筋骨隆々たるイラリの剣を真っ向から受け止めてみせたのだ。
『やはりか。小さき身体であるとはいえ、これだけの跳躍を連続でこなす身体が、常識的な膂力の持ち主であるはずがない』
イラリの連撃が続く。後ずさりながらだがイェッセも床に足を付けたままで応戦する。その動きに不安な気配はまるで感じられぬ。
いや、それどころか、綺麗に切り返しを決めると逆にそこからはイェッセが攻勢に出て、イラリが後退していくことになる。
「ごめんねー。剣で、ボクに勝つのはまず無理なんだよねー」
イェッセは心底楽しそうにそう言う。
だがイラリはもうその言葉すら聞こえていないようで、剣と自らの身体とイェッセの挙動のみに意識の向きを絞っている。
疾風撃タイストが言った言葉に、緊張感は実戦で磨く、というものがある。
だがイラリは、より厳しい環境、五大魔王との戦いの最中において、これに意識の全てを注ぎ込むことで、人の身には過ぎたるほどの意識の集中を成し遂げる。
尖らせ続けたイラリの神経は、この一瞬のみならば超一流をすら捻じ伏せられよう。そんな一瞬は、幼剣イェッセの先読みをすら可能とした。
「じゃあ次は……」
イラリの変化に気付けぬ、いや気付かせてもらえなかったイェッセは、それまでそうだったように、自身がイラリの上位者であると驕ったままだ。
もう何十年もの間、磨き鍛えぬいてきたからこそ、素の能力でイェッセを上回る者の存在が、それもイェッセの耳に入ることなく育っていたことを信じられなかったのだ。
イェッセの攻め手が切り替わる瞬間、イェッセの意識が次の攻め方に向けられた瞬間に、イラリの剣が差し込まれた。
反射行動だ。それを察知し、避けるべく動いたイェッセの動きに、そう動くべしという脳からの指示はなかった。来たから身体が勝手に避けた、それが一番適切な表現だ。
だが反射行動の最中に意識的なソレを織り交ぜるなんて真似ができるほどに、イェッセは己を磨き上げていた。
『め』
ほんの刹那の間、イラリが振るった剣が窓より差し込む陽の光を跳ね返しイェッセの目に入る。視覚が失われたとて動けぬ道理はない。とはいえ、視覚が失われた一瞬の間に、イラリが剣の軌道を変化させていたのならそれを察知するのは至難極まろう。
偶然ではない。イラリは必殺の一撃を、陽の光ほどの強さをもたぬ月光にてコレを成功させ、成らぬを押し通してきたからこそ月光イラリであったのだ。
首前をざくりと斬られたイェッセは、大きく目を見開いて言った。
「……うそ……で、しょ……」
不老の特徴を最大限に活かすべく、知識と技量を常人には不可能なほどに積み上げてきたイェッセが敗れた理由は、とても簡単な話だ。
そこまで積み上げ高めてきたものを、イラリという剣士の才と鍛錬が凌駕した、それだけである。剣術を得手とする五大魔王を相手に、そうできるのが月光イラリという剣士であったのだ。
ランヴァルトの方もイラリと同じことが起こる。
それまでひっきりなしに襲ってきていた暗殺者たちが一度完全に引き下がり、すぐにその男、大魔術師トゥーレが通路の先に姿を現した。
「ほう、王都の頂、ランヴァルトか。どうやら大当たりは俺がいただいたようだな」
ランヴァルトからトゥーレまでの距離はある。ランヴァルトとて一息で詰められる間合いではない。
だが、剣士が最初にすることは一つ。剣の間合いに敵を収めることだ。
最初の一歩はランヴァルトが速かった。が、魔術の発動までにトゥーレへの間合いを詰めるのは不可能。
トゥーレが前方にかざした手の平より、違和感が高速で広がってくる。
通路一杯に広がったその気配は、一切の逃げ道を許さずランヴァルト目掛けて伸び進んでくる。
ランヴァルト、手に持っていた剣を落とし、腰に差していた別の剣を握り、抜き放つ。
下から振り上げる一閃。それのみで、迫る違和感を両断。気配はそのまま雲散霧消する。
「何!?」
トゥーレの驚きの声。ランヴァルトは足を止めず。とはいえ、ランヴァルトもこれに対し無表情ではいられない。
魔術破りの剣を使っているとはいえ、敵の使った魔術に確実に利くかどうかはそれこそ試してみないとわからない。ランヴァルトに魔術の知識は最低限しかないのだから。
そんなものに頼らねばならないとなれば、表情筋の一つぐらいは制御から漏れよう。
トゥーレは三筋の炎弾を放つも、矢よりよほど速いこれもランヴァルトの剣に斬り払われる。
「これもだと!?」
今度はトゥーレは自分の口元を手で押さえながら術を行使する。
風がランヴァルトの方に向かって吹いてくる。屋内を、不自然に。とはいえ風自体はそこまで気にするような強さではない。
だがこれもまた、ランヴァルトが剣の柄本を二本指で叩くと、小さく、しかし確かに響く音と共に全てが消えてなくなる。
トゥーレの表情が、間違っても五大魔王なんて立場の人間がしていいものではなくなってしまう。
さもありなん。最初の空間そのものを変質する魔術は、トゥーレの代表的な魔術であり、その強力な魔力故、トゥーレはこれを魔術破りによって破られたことは一度もない。
二度目の炎弾は、魔術に影響する効果があるのならば、魔術で自然現象を起こした上でそれを放てば魔術破りは通用しない、という魔術界の常識に従って放ったもので、魔術破りは通用しないはずなのに炎弾は消えてしまったのだ。
剣によって物理的に炎をかき消された、なんて現象ではないと見た目でわかっていたのだが、それでもトゥーレはその可能性を考え、最後の魔術を使った。
風を起こし、これに毒を乗せ敵へと放つ魔術だ。毒は効かないなんてことも起こりうる不安定な手法だが、トゥーレの放つ毒は抗するのが極めて困難な種類の麻痺毒であった。
それすら、ランヴァルトへと届く前に消えてなくなってしまったのだが。
『馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿な、いったい何が起こっている!?』
鬼哭血戦十番勝負の全てが終わった後、ランヴァルトは宿舎にて一度領地に戻る準備をしていたところ、珍しい訪問者を迎える。
ランヴァルトを呼びにきた者はとても困惑した様子であったが、訪問者の名を告げられるとランヴァルトは驚き慌て大急ぎで客間へと向かう。
「おお、すまんの、押しかけてしまって」
そう気安い調子で言ってきたのは、先日ランヴァルトが一騎打ちにて手も足も出ず完敗した相手、エルフのイェルハルドであった。
いったい何事か、とランヴァルトが訪問理由を問うと、イェルハルドは少しバツが悪そうにして言った。
「いやな、お主が闘技場で使っておった剣。あれ、そこらにあるもんじゃと思うておったんじゃが、あの剣、人間の間ではえらく珍しい、高価なものだったんじゃろ? リョータにそう聞いたわ。すまんのう、悪気はなかったんじゃ」
イェルハルドはランヴァルトが使っていた魔術破りの剣を、あっさりと叩き折ってしまっていた。それも、そうせずとも勝てていたのにである。
なので、とイェルハルドは自分が腰に差していた剣を鞘ごと外し、ランヴァルトに向かって放り投げる。
「代わりにコレをやるわい。人間の剣がどれほどかよう知らんが、きっとこっちのがモノはええじゃろ」
剣を折られたのは自身の未熟であり、さすがにそれは申し訳なさすぎるとランヴァルトは遠慮したのだが、イェルハルド曰く、王都にはとても良い剣の素材がいっぱいあるので、これを持って帰ってもっといい魔剣を作るから構わない、だそうだ。
ランヴァルトが話を聞くに、エルフの森は鉄が不足気味で、またこれを加工する技術も人間ほどではないらしい。なので、魔剣の素材の段階まではエルフの森よりよほど良いものがあるとのこと。
それに、イェルハルドがランヴァルトを気に入った証であり、友として受け取ってくれ、と言われればランヴァルトにも断れるものではなく、ありがたく受け取った。
そうして手に入れたランヴァルトの魔剣だが、これ、エルフの森の中でも特に優れた剣士であるイェルハルドが使っていた魔剣なだけあって、エルフの森に現存する魔剣の中でもかなり優れたものであるし、当然人間の作った魔剣なぞとは比べ物にならない逸品だ。
人間の魔術相手ならば破れぬことなぞ考えなくてもよいほどの威力と、魔術によって作成したものをすら両断できる理不尽魔術がかけられている恐るべき魔剣であり、また、これをへし折るのはそれこそイェルハルドですら難しいほどの強度を持つ。
『コレが具体的にどれほどのものか、魔術師に鑑定に出すのが恐ろしくてならんのだが……』
まあ並の魔術師(王都で一流と呼ばれる魔術師のこと)では凄い魔剣である、ぐらいしかわからないであろうが。
つまり、五大魔王大魔術師トゥーレとはいえ、この魔剣を持った者を相手に魔術で挑むのは、エルフの魔術そのものに挑むに等しい無謀である。
ましてやこの魔剣を用いるは、暗殺者や魔術師との対戦経験豊富な剣士、王都の頂ランヴァルトである。
国一番の剣士と言われ続けてきたランヴァルトである。剣士を凌駕する、と暗殺者が、魔術師が、証を立てたいと思えば真っ先にその標的に挙がる相手だ。
ベルガメント侯爵の庇護下にあるとわかっていても、至高の座を目指し挑んでくる馬鹿は後を絶たなかった。それら全てを、ランヴァルトは蹴散らしその座に居続けていたのだ。
如何に抗すべきかの手法を知っていて、抗するに足る道具も持ち合わせている。ならば、相手が何者であろうとも、結果はおのずと知れてこよう。
五大魔王大魔術師トゥーレは、王都の頂と呼ばれるにはそれに相応しいだけの不可思議がある、と誤解しながら倒された。
たまたまエルフにもらった魔剣のせいであっさり負けた、という真実を知るのと、どちらがマシかは判断に迷うところである。




