190.ランドスカープの王
その日、ギュルディはとても鬱陶しかった、とギュルディの婚約者であるところのシーラ・ルキュレは証言している。
「その予兆はあったんだけどね。もう何日か前からちょっとずつ様子がおかしくなってって、んで前の日とかもう誰が見ても変なの。私さー、まるで仕事にならないほど浮かれてるギュルディって初めて見たかも」
実はシーラと付き合うことになった翌日も結構な浮かれっぷりだったのだが、シーラも同じくらい浮かれていたので気にならなかっただけである。
そしてシーラが言うところの誰が見ても、というギュルディの浮かれっぷりに気付けたのはそれこそ長く傍に仕えている者ぐらいだ。
「まあね、私も話は聞いてるし、ギュルディが浮かれるのも仕方ないかなーとも思うからさ、理解は、してると思うよ。もにょる部分はとーぜんあるけどさー」
そうしてうきうきギュルディを送り出したシーラは、とりあえず今日帰ってからも数日はうるさいかなーとか考えながら、王城の付き人用控室に入った。
謁見までまだまだ時間があるが、ギュルディが今日王城を訪ねたのはそれだけが目的ではない。
その部屋にギュルディが入ると、部屋の中で待っていた十数人は皆一様に感極まった顔をしていた。
「ギュルディ様」
そう声を掛けながらギュルディの傍に寄ってくる。ギュルディも彼らと同じ顔をしていた。
集まってくる皆の名を呼び、互いの無事を喜び合う。
彼らの年齢層は幅広く、上はもう老人と呼べるような年であるし、下はギュルディとほぼ同世代の者もいる。
特に同世代の者とは気安い様子で、呼称こそ様付けであるが、それ以外はもう友達かといった調子である。
ゲイルロズ王は、王位についた直後は自身の派閥を一切持たなかった。
即位に尽力した貴族たちが王に望んでいたのは、貴族間の調整役である。国家の安定を目指し、公平で公正であると感じられる采配を期待できるゲイルロズ王ならば、極端な選択による王国の破綻は防げると考えたのだ。
実際、ゲイルロズ王は王位についてから百年以上の間、そういった面で貴族たちの期待を裏切ったことはただの一度もない。
ただ、ゲイルロズ王は王国の安定を望み、目指す者であり、そのためには自身の発言権を増大させる必要がある、と当たり前に判断し、これをも目指して動き始めたのだ。
今ギュルディの下に集まっている者たちは、ゲイルロズ王が自らの手足とするべく貴族家からもらい受け、幼い頃より育て上げた者たちである。
全員、知能の高さは相当なものであり、そういった者を幼少の頃より見抜けるのは、王が万人に対し公平な目を持っているからだろう。
王は必要とあらば、平民に人材を求めることも躊躇しない。青蛇という王直属の諜報機関は正にそういったやり方で作られたものである。
そんな優秀な側近たちの中でも、ギュルディのそれは群を抜いていた。
王直下の彼らに貴族たちは法的にも道義的にも手は出せぬようになっていたのだが、あまりにギュルディが優秀すぎるために、また血筋が良すぎるために、貴族たちは派閥を越えて協力し、ギュルディを王都圏より追放してしまったのである。
側近たちにとってギュルディは同志だ。これを守るために全力を尽くしたのだが、王都圏の全ての貴族が敵に回っては如何ともしがたく、ギュルディは死をすら覚悟して王都を出ることになった。
実際に暗殺者なども差し向けられながらも、ギュルディはどうにか生き残り続け、そしてリネスタードで再起を図っていたのだ。
ギュルディにとって、幼い頃より一緒にいた家族も同然の仲間たちだ。
そんな彼らとの数年ぶりの邂逅に、思わず時間を忘れてしまうのも無理はないことだろう。だが、この後にはもっと重要な王との謁見が控えている。
時間通りに話を切り上げ、謁見のための部屋に向かう。
部屋の前で、ギュルディは足を止める。
今日の、この日のために、ギュルディは辺境へと落ち延びたのだ。
恐ろしくなかったわけがない。暗殺者に襲われた時は、恐怖で頭がどうにかなってしまうかと思ったし、それは暗殺者の手から逃れた後も丸一年は恐怖でまともに眠れぬ日が続いたのだ。
その反動で、シーラ・ルキュレを見つけたと報せが入った時、こんなに恐ろしい目に遭うのなら、むしろこちらから取り込んでやると交渉に飛び込んだのだ。実際に当人を前にした時、自分がよほどヤケになっていたと自覚し泣くほど後悔したものだが。
ただ、いざ付き合ってみればそんなに嫌な奴ではなかった。王都の薄汚い連中よりよほど好感の持てる相手であった。やると決めた時の殺意は凄かったけど。
それから、色々と運気が開けてくれたとギュルディは思っている。
王都圏での商人網の作成と並行しながら、辺境での地盤作りを画策する。前者はともかく後者は、辺境の風土に馴染めず何度も失敗をしたものだ。
そして、あの三人と出会い、更にカゾの連中を保護するようになって、一気に展開が加速した。
『まさか、こんなにも早く王に再会できるとは』
意識をしっかりと持つ。絶対に、王の顔を見たら心が動揺するとギュルディは確信している。
扉が開かれ、さほど広くもない応接室の中へと。
『堪えろっ、泣くなっ』
顔を見ただけで胸がいっぱいになる。
無機質な、感情の全く篭らぬ声が聞こえる。
「座れ」
そんなまるで情けを感じぬ声にすら、ギュルディは懐かしさを覚える。
これが王だ。これこそがギュルディの王だ。
「はっ、失礼いたします」
王の対面に座ると、王はやはり平静な声のままで言う。いつもそうしていたように、いない間もずっとそうし続けてきた、と教えてくれるように。
「まずは報告から聞こう」
余計な雑談はない。いきなり本題に入るところも、何一つ変わっていない。室内にギュルディと王しかいないのは、事前にそうしてもらえるよう調整しておいたためだ。
ギュルディは必死に涙を堪えながら、王に、これまでのギュルディの全てを報告する。その数多の報告の中から、王はきっとギュルディの意図を汲み取ってくれるだろう。
何年も離れていた相手だが、ギュルディは王にそれができることを、全く疑ってはいない。
ギュルディの話は、とても細かいものだ。
そして他の者に様々な理由で話していないことも、王にはその全てを開示する。
王都圏の商人網のこと、これは全て説明しても王に動きはない。王都圏のことでもあり、ギュルディはこの商人網も王は察知していたのでは、と思っている。
だが、シーラを配下にした理由とその前後の状況を説明した時は一度確認の質問があった。
その口調はやはり淡々としたものであったが、その質問内容から、王がギュルディの無謀を窘めている、或いは責めている、と察する。
なのでこれの説明にかんしては多少ムキになってしまった。一度の質問以外では特に言葉は無かったので、容赦してくれたのだろう、と考える。
ただ、リネスタードで、涼太たちと出会ったところから、王の質問が増える。それは加須高校生たちとの合流辺りから更に多くなる。
そして遂に、滅多にない事が起こる。
「少し、待て。思考の整理と確認に時間をとる」
とはいえギュルディも王とは長いのだ。こうなるだろうと思っていたので、すぐに了承しつつ席を立ち、部屋に用意されていた茶の用意を使って自分で茶を淹れはじめる。
王は部屋の外に出ると、そこに控えていた者に指示した本を持ってくるよう言いつけ、自身は扉の前に立ったまま、じっと思考にふけりだす。
ギュルディはそんな王の行動にも慣れた様子で声を掛ける。
「陛下、お茶、淹れておきましたよ」
「ああ」
そう言われるとお茶を置かれたテーブルの前に戻り、椅子に座って思考を続ける。
しばらくそうしていると、扉を叩く音と共に、数十冊の本がこの部屋に持ち込まれる。
従者を手伝いギュルディもこの大量の本を部屋の中に持ちこみつつ、テーブルの上に整理しながら並べる。当然テーブルだけでは並べきれないので、持ってきた台車も棚のように使っている。
内の一冊をぱらぱらと眺めた後で、王はギュルディに話の続きを促す。
そこからも何度か話を止め、思考と読書とを繰り返しながら、ギュルディの話を聞き続ける。
ギュルディが特に時間を割いた話は、カゾの人間が異世界から持ち込んだ知識の話だ。ギュルディが理解できているものも、まだ理解が及んでいないものも、今のギュルディの頭の中にある全てを王に伝える。
当然、こんなことをしていたら時間は幾らあっても足りはしない。
そろそろ良い時間、となると、ギュルディは夕食を取るよう王に勧める。王は頷き、ギュルディも一緒に食事をするよう命じる。まだまだ話は終わっていない。
部屋を出ると、侍従長が呆れ顔でギュルディと王を迎える。
侍従長には一瞥もくれず歩き続ける王と、その後ろに続くギュルディと侍従長。侍従長はギュルディに向け肩をすくめる。
「まだかかりそうですか?」
「まだ半分といったところだ。そう言っただろうに」
「……後で我々も伺うことになる時が、とても恐ろしく思えてきました」
「それで正しい。せいぜい覚悟しといてくれよ。私はそれら全てをほぼ不意打ちでもらっているんだからな」
快活に笑うギュルディに、侍従長も笑みを見せる。
『追放より後、良き時間を過ごされたようですな、ギュルディ様』
もうずっと長いこと胸の内につかえていた大きな石が、ようやく取れてくれたと侍従長は思えたのである。
話すべきを全て話し終えたギュルディは、じっと王を見つめながらその言葉を発する。
ギュルディがこれまで積み上げてきたものを、王に裁可いただく瞬間だ。王をよく知るギュルディであるが、それでも、緊張がなくなるわけではない。
「陛下。王位を私にお譲りくださいませ」
ゲイルロズ王は即答はしなかった。
少し間をあけて、やはり感情の起伏を感じられぬ声で問う。
「いつにする?」
寿命が無く判断能力に富む王に大きな責任を負わせ続ける今の国のあり方に、ギュルディは否定的であるという意思はこれまでの王への報告で伝わっていた。
王位はその教育を受けた者が引き継いでいく形で、これを支えるのが王すら従う国の指針を定め明文化した法である。
こういったものを運用することで、今の体制より優れた国家運営を可能にする、とギュルディはリネスタードやボロースでの事例を挙げて、証明してみせたのだ。
王一人にのみ負担と責任が集中する現体制には、常に王が失われ大きく崩れる可能性が付きまとう。
これは極一部の者しか知らぬことだが、王は理論上は不老であるが、これが失われる可能性がなくなったわけではないのだ。
故に、現体制より優れていると王が認めるだけのものを持ち込めば、王はこれを認めるに吝かではない。王は、ランドスカープの安定と維持のために、存在するのだから。
より相応しい王がいるというのならばその座を譲るに躊躇はない。
すぐに王位を如何に譲るべきか、譲った後の体制をより具体的に詰める話になっていく。
その中で、ゲイルロズ王とギュルディ、双方が戸惑った内容がある。
「時にギュルディよ。先王という立場の者の権限と、これを制限する方策に関してはどうなっている? その時点で先王の持てる権限次第によって、その後の私がすべき仕事が変わってくるのだが」
「陛下? 何をおっしゃってるのですか? 王位を退いたのならば陛下にこれ以上仕事を押し付けるような真似、他の誰が許しても私が許しはしませんよ」
「ふむ、ふむ、ふむ。ギュルディ、久しいな、お主の案の問題点を指摘するのも。それでは無駄に私の時間が空くだけだろう」
「陛下。働くべきを働いたのならば、人は休息を、遊興を、享受するものです。これはもちろん、陛下にも当てはまります」
そこで、ゲイルロズ王の少し待て、が出る。
ゲイルロズ王は考えて、考えて、考えた後で言った。
「休息はわかる。だが遊興とやらを何度考えても、民がこれを享受するほどに私がこれより利益を得られるとは思えん」
もう百年以上前の話。
隣国に生まれた新たなる王、オージン王の強さをランドスカープ貴族たちが知るにつれ、彼のような者をランドスカープの王にできないかと当時の貴族たちは考えた。
決して老いぬ王なればこそ、余人には決して届き得ぬ人知を超えた叡智を得ることができる。そう考えた貴族たちは、魔術の最高権威たる魔術学院にこれの研究を命じる。
ランドスカープ国はもう何代も愚かな王が続いたことで、彼ら貴族は自分たちをまとめてくれる優れた王を望んだのだ。
そして、幾つかの条件付きではあれど、魔術師たちは老いぬ人の創造に成功する。
国中探してもただの一人も見つからぬような厳しい厳しい条件を、どうにか突破できたのが若き日のゲイルロズ王であった。
ただ不老なだけでは理想の王とは到底言えまい。不老の術が施されたゲイルロズ王には、それ以外にも数多の術が行使され、できあがったものに徹底的に教育を施し、遂に『ボクの考えた最高のおうさま』が出来上がったのである。
最高のおうさまは労苦を忌避しない、最高のおうさまは己の利益を求めない、最高のおうさまは無為な矜持を持たない、最高のおうさまは怨讐にも縁故にもとらわれない、そんな、まるで人間とも思えぬ最高のおうさまは、それから百年以上の間、ランドスカープを統治してきたのである。
それが、ギュルディには我慢ならなかった。
幼き頃、尋常ならざる速さで知恵をつけていくギュルディを引き取り、忌避もせず疎むこともなく、淡々とあるがままに受け入れ、その先へと導いてくれたゲイルロズ王は、ギュルディにとって生まれて初めて認めた自らの上位者なのである。
己が生涯の全てを懸けてでもこの方を解放してあげたい、それがギュルディが生きる理由であった。
そのための旅の途中で、それ以外のものもたくさん背負うことになったギュルディだが、それでも一番最初を忘れることはない。
「お任せを、陛下。私はそれをずっと、ずっとずっとずっと、陛下に覚えていただきたいと思っていたのですよ」




